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販売会
しおりを挟む同じ頃、
日本橋芳町の料理茶屋『大亀屋』の座敷では、桔梗屋の旦那、樹三郎が恒例の販売会を開いていた。
この大亀屋は玄武一家が営む料理茶屋で、販売会は必ずここで行われていた。
今日の客は五人で上得意客からの紹介を受けて江戸までやってきた地方の豪商である。
「この若返りの秘薬、『金丹』は桔梗屋の先代が若かりし頃、長崎で蘭学を学んでおりました頃に南蛮人より南蛮菓子の製法と共に習い覚えましたものにござります。そもそも、ご存知のとおり、『金丹』は漢の国で不老不死の秘薬と伝わる神仙のものにござりまするが、それが南蛮に伝わり、南蛮人が独自に苦心惨憺の末、ついに完成をみたのがこの『金丹』なのでござりまする」
美男にも似合わず樹三郎はまるで浅草奥山あたりの香具師のようにペラペラと調子良く口上を述べる。
二つの箱膳の上には大きさも形も卵のような乳白色の小瓶が三十本も並んでいる。
樹三郎の膝の上にはオランダ語の医学書が頁を開いてある。
旦那衆はチンプンカンプンのオランダ語の書物を目にしただけで素人には製法など分かる訳もないと、この『金丹』を作り出せるのは先代から製法を受け継いだ樹三郎だけなのだと信じるのであった。
玉手箱の蓋を開ければ自ずと吹き上がる金煙を小瓶に詰めただけと知られてはならぬので、この口上は不可欠であった。
「本日はお初の旦那様がお出でにござりますので、是非とも一つ、効果のほどをその目でご覧になってお確かめ下されまし。勿論、種も仕掛けもござりませぬ」
実演に六十歳の玄武一家の博徒の男が座敷へ上がった。
樹三郎は実演用の中瓶の一本を手に取って男の顔に近付ける。
「まず、顎のところで瓶をお持ちになり、栓を開けたらすぐさま吸い込んで下されますように」
樹三郎は中瓶を男の顎にあてがって栓を抜いた。
キュポ。
中瓶の口から金煙がホワッと吹き出る。
「すうぅ」
男は深く吸い込んだとたんに恍惚の笑みを浮かべた。
「はあぁ、なにやら力が湧き出るような気がすんぜぇ」
みるみるうちにハゲの前頭部の毛が伸び、白髪は黒髪に変わり、皺たるみの皮膚がふっくらと張り、シミまで消え失せた。
ほんの五つ数える間に六十歳の男は三十歳ほどの姿に若返っていた。
「おお~」
旦那衆からどよめきが起きる。
「ありゃっ、目までよく見えるぜぇ。夢ぢゃなかろうか?」
男は手鏡を見て目をパチクリさせた。
「いかがでござりましょう?しかし、これほどまでに若返ってはお国へ帰られるのに具合が悪かろうござりましょうから、何卒、ほどほどに願わしゅう存じまする。この小瓶には五歳分の若返りの『金丹』が入ってござります。数に限りがござりますのでまことに勝手ながらお一人様六本までとさせて戴きとう存じまする」
樹三郎は満面の笑みを浮かべる。
「六本下されっ。女房に頼まれとるんだ」
「わしも六本。両親と女房と妾とうちの猫にも吸わせるからのう」
「わしにも六本っ、うちの婆さんに吸わせて長生きして貰いたいぞえ」
旦那衆は我も我もと手を挙げた。
「皆様、ご家族のために麗しいお心にござりまする」
樹三郎はホロリと目頭を熱くした。
玉手箱から吹き出る金煙を売ることに何ら、やましい気持ちはない。
むしろ、人のために良かれと思っている。
「尚、お土産の折にはくれぐれも三日以内にお吸いになって下されますように。栓を開けずとも三日以上経つと中身は消えてしまいまするゆえ」
樹三郎は念を押す。
玉手箱から小瓶に分けた金煙は三日も過ぎると跡形もなく消え失せてしまうのだ。
そうして、
半時(約一時間)も経たぬうちに一本十両の小瓶が三十本すべて売り切れた。
月に四度ほど開く販売会でこれだけ儲かるのだから桔梗屋はどれほど贅沢三昧しても使い切れぬほど金があるのも当然であった。
夜も更けて、
樹三郎が売り上げ金のザクザク入った革製の巾着袋を大事に抱えて桔梗屋へ帰るなり、
「ちょいと、お前さん?わしは蜂蜜とかいう美人芸妓が玄武一家の娘だなどと聞いとりませんでしたえ?」
お葉が恐ろしい顔で待ち構えていて樹三郎に詰め寄った。
「そ、そのうちに話そうと思うておったのだ。玄武の親分さんとは草之介と蜂蜜を夫婦にすると、つい先日、約束を交わしたばかりなのでな」
樹三郎は気まずそうに打ち明ける。
「な、何ということ。わしに黙ってそんな勝手な約束をっ?」
お葉は怒り心頭である。
草之介の嫁は自分が気に入った娘を選ぶものと決めていたのだ。
「し、仕方あるまい。二人を夫婦にすることはあのご老中の田貫様のご要望なのだ。断る訳にもいかぬ」
「まあ?田貫様が?」
何故、草之介と蜂蜜が夫婦になることを田貫が望むのかとお葉は驚いた。
「実は、田貫様のお望みでは、かくかくしかじかという訳だ」
樹三郎はお葉に老中の田貫兼次からの要望を説明した。
「まあ、なるほど。それで、田貫様が桔梗屋を格別のご贔屓にして下さった訳がようく分かりましたわな」
お葉は田貫が目論む草之介と蜂蜜の縁組みの理由をすっかり納得したようである。
「蜂蜜の美しさを見ればお前もたちまち気に入ろう。十九歳の草之介と十八歳の蜂蜜、美男美女の似合いの二人だ。なにより玄武一家と身内になることは桔梗屋にとっても有益なことなのだ。断る理由もない」
「まあ、博徒と芸妓との娘だなんて性質が悪そうで気が進まぬけれど、それほどに美しいのなら、わしも他のことは目を瞑りますわなあ」
お葉は美しいという絶対の条件さえ叶えばと仕方なく折れた。
「ああ、これから桔梗屋はますます安泰ということだ。あぁ、喉が渇いた。茶をくれ」
樹三郎は何気なく茶箪笥を見てハッとした。
「あ、あの徳利は?」
茶箪笥の上に乳白色の信楽焼の梅の花模様の酒徳利が置いてある。
「ああ、お花の友達が忘れたらしい甘酒の徳利ですわなあ」
お葉は気にも留めず茶箪笥から湯呑みを取り出す。
(お花の友達だと?ま、まさか――小梅か?)
樹三郎は内心でジタバタと焦った。
あの梅の花模様の酒徳利は他ならぬ自分が注文して作らせたものなのだ。
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