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半玉の小梅
しおりを挟むあくる朝。
「わしゃ、ちょっくら川を見てくるっ」
サギは普段の筒袖にたっつけ袴の格好でピョンピョンと飛び跳ねて川へ向かった。
川では火消の連中が数十人も集まって笊で川底をさらっていた。
「エンヤラヤ サノヨーイサ♪」
何故だか暢気そうに唄っている。
「なんぢゃ?草之介は見つかったのか?」
サギは川沿いにいた火消に訊ねた。
「あ?あぁ、若旦那はめっかんねぇが、明るくなったら、そこの浅瀬で若旦那の着物がめっかってよ」
この火消は江戸っ子なのか「見つかる」を「めっかる」と言う。
「草之介の着物が?」
「ああ、ぐっしょり濡れてたがキチンと畳んで置いてあってよ。朝一番に桔梗屋へ届けたら若旦那の着物に相違ねえってこった」
「ふうん、そいぢゃ、草之介はやっぱり自分で浅瀬まで泳いで脱いだ着物を置いてどこかへ行ったってことぢゃな」
そうなると草之介は下帯姿でどこかへ歩いていったことになるが、夕べは下帯姿の火消の連中が百人近くも付近一帯に溢れていた。
木を隠すには森の中というならば、下帯姿の美男が隠れるには下帯姿の美男の中に違いない。
「けど、何でまだ川をさらっとるんぢゃ?」
サギは笊の中の泥屑をひっくり返している火消を見やった。
「ああ、あっし等ぁお花様の落とした銀のピラピラ簪を探してんでさ。桔梗屋の旦那もこれ以上、騒ぎになっとみっともねぇから若旦那のこたぁなかったことにして、はなっから娘の簪を探してるってぇことにして番所にもそう説明したらしい」
「エンヤラヤ サノヨーイサ♪」
火消はまた笊で川底をさらって唄い出す。
探しているのが草之介でなく簪なら愉しげに唄っていても構わない訳である。
「サー つねりゃ紫ぃ 喰いつきゃ紅よぉ 色で仕上げた アリャこの身体 エンヤラヤ サノヨーイサー♪」
『木遣りくずし』は幕末の頃に流行ったらしい端唄。
江戸で色を売る女は伝法なだけにつねったり噛んだりと乱暴で男は身体の痣を仲間に見せて夕べはモテたと自慢にしたという。
「ヨーイサー♪」
サギは草之介は無事らしいので安心して唄いながら川沿いをブラブラと歩いた。
すると、前方の橋の手摺りに寄りかかって退屈そうに川を眺めている娘がいた。
半玉の小梅である。
「あれ?夕べ、船におった娘ぢゃな?」
サギは小梅の顔を覗き込んで気安く声を掛けた。
「ああ、錦庵さんの――妹だっけ?あたしゃ日本橋芳町の蜜乃家の半玉で小梅ってんだ。蜂蜜姐さんと同じ芸妓屋の妹分さ」
この口調、どうやら小梅はお侠のようだ。
お侠と伝法は同じように荒っぽい女子のことだが、小梅の年頃はお侠で蜂蜜の年頃は伝法と呼ばれる。
「わしゃ、サギいうんぢゃ。まことの妹ぢゃのうて、妹のようなものぢゃ」
サギはここだけは念を押す。
「小梅も川の様子を見に来たのか?」
「ううん。松千代姐さんが火消を見たいってぇから朝っぱらから付き合わされてんのさ。あぁあ、若衆の尻なんざぁ見て何が面白いんだか分かりゃしな――ふわわ――」
小梅は大アクビした。
普段はまだ寝床の中にいる時分だ。
芸妓の松千代は川沿いに屈み込んで、かぶりつくように嬉々として下帯姿の火消の尻を眺めている。
「ふうん、小梅、夕べ、急に泣き出したぢゃろ?草之介が溺れ死んだと思うたから?」
サギは気になって訊ねた。
「えっ?まっさか。若旦那は川へなんざ落っこちゃしないもん。あたしゃ蜂蜜姐さんの酔いが廻ってくっ頃だからビビっちまったんだ。暴れるに決まってっからさ」
「あ、そうなんぢゃ」
サギはガックリと気抜けした。
「きゃあ」
「きゃあ」
いつの間にか火消を見物しに若い娘等が連れ立って集まり出した。
「えっと、サギだっけ?お前も火消なんぞ見に来たのかえ?」
小梅が小馬鹿にしたような横目を若い娘等に向けた。
「違うっ。わしゃ背中に凧みたいな絵のある男子なんぞ好かんのぢゃ」
サギはブンブンと首を振る。
「あはは、ホント。凧みたいだ」
小梅は火消の背中の彫り物を指してケラケラと笑う。
「あたしも火消なんざ好かん。血の気の多い若衆は好みぢゃないんだ。男は四十歳過ぎて渋みがなけりゃあ。もう水揚げの旦那も決まってるしさ。来春にゃお披露目なんさ」
小梅の言っていることはサギには半分も分からない。
「うん?来春に小梅は嫁へ行くのか?水揚げって旦那は漁師か?」
サギはトンチンカンなことを言う。
「馬鹿だね。芸妓が嫁なんざぁ行くものかえ。水揚げってったら、お初の枕席のことぢゃないか」
「まくらせき?」
「お前、遠廻しの言い方が通じないね。男女の交わりのことさ」
「男女の交わり?逢い引きのことか?」
サギはキョトンとした。
「うっへ、おったまげた。山育ちの子がこんなぁ物知らずたぁ恐れ入ったね」
小梅は呆れ果てた顔をする。
「なんぢゃあ、分からんから訊いとるんぢゃろうがあ。ちゃんと分かるように教えろおっ」
サギは食って掛かる。
「うぅん、まいっちまうな。こんなとこで話せっこないしさ。そいぢゃ、いっぺん家に帰って朝ご飯食べてから、あとでサギんとこへ遊びに行くよ」
「うんっ。あとでぢゃなっ」
サギは小梅とまた逢う約束をして別れた。
「――という訳でな、小梅とも仲良うなったんぢゃ」
サギは錦庵へ戻ると、川で半玉の小梅に逢ったことを話して聞かせた。
我蛇丸もハトもシメも開店準備で調理場で忙しく働いている。
「あの小梅は半玉では一番の器量良しの売れっ子ぢゃ。小町娘のお花様といい、サギは江戸へ来てから別嬪とばかり仲良うなるのう」
ハトは羨ましげに吐息して田楽の仕込みで竹串に豆腐を刺していく。
「サギは娘の心というものを持ち合わせとらんだけに相手も気を許すんぢゃろの。まことの娘同士はお互いに張り合うてパチパチと火花を散らすものぢゃ」
シメが卵焼きの仕込みで卵をカパカパと大鉢に割り入れる。
この時代は卵一個が蕎麦一杯よりも高価なので卵焼きは錦庵でも高い料理だ。
日本橋の浮世小路は上等な料理屋がズラリと並んでいるので蕎麦屋といっても錦庵の客は富裕層である。
ちなみにこの時代よりずっと後にやってきた黒船のペリー提督のおもてなし料理を任されたのは浮世小路の百川という料理屋であった。
「小梅が遊びに来るんなら昼に蕎麦を振る舞うてやったらええ」
我蛇丸が蕎麦つゆの味見をしてから珍しく気前の良いことを言った。
売れっ子の半玉の小梅はお座敷で旦那衆に顔が広いので情報源として利用するつもりなのであろう。
元より忍びの身内を芸妓に出しておけば諜報活動に便利なのだが、いかんせん、富羅鳥には妙齢の女子は大女の鬼のシメしかおらず無理なのであった。
ジュワ~。
卵焼きが焼ける甘い香りが立ち登る。
「昼は卵焼きと盛り蕎麦ぢゃなっ」
サギは何の屈託もなく江戸で仲良しが増えてご機嫌であった。
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