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舟遊び
しおりを挟む「よっと」
サギは屋形船に乗り込むとキョロキョロと屋形の中を見廻した。
「――あれっ?ご馳走はっ?」
どこにも食べ物がないではないか。
「ほほ、料理は料理船が参るのでござりますわいなあ」
おクキが指差すほうを見ると、船から船へ長い板に岡持ちをのせて渡している屋根船がある。
「仕出しの料理船にござりますわいのう」
船宿は料理は出さぬゆえ仕出しの料理屋から頼むのだ。
「へええ」
サギは屋形船から身を乗り出して料理船を見やった。
屋根船の中で三人の料理人が魚をさばいている。
刺身の盛り合わせをこしらえているようだ。
「あの出来立てが届くんぢゃなっ」
サギは待ち遠しくワクワクした。
「他にも物売りの船がたんと出ておりますわいなあ」
うろうろ船と呼ばれる物売りの船は行ったり来たりして、酒、煙草、水菓子、おつまみなどを売っている。
噺家が乗った船は呼ばれると船を横付けして「お笑いを一席」などとやっている。
猿廻しの猿が乗った船もある。
笛太鼓のお囃子、三味線、唄い手の乗った船もチントンシャンと賑やかに通っていく。
中洲を一周する間に客と一戦を交える舟遊女の船もある。
さすがになければ困る女子の厠専用の船まである。
「へええ、面白いのう。川の上に何でも揃っとるんぢゃっ」
しかも移動式だから便利だ。
「――あれ?お花は?」
サギがキョロキョロと見ると、
「しぃ、サギ、声が高いわな」
お花は屋形船の先端に張り付いて前方の屋根船の様子を窺っていた。
「何やっとるんぢゃ?」
サギも声を潜める。
「だって、逢い引きは何をするのか気になるもの」
お花は前方の屋根船の忍び逢いらしき男女を覗こうとしているのだ。
「簾は下ろしとるし、中を暗くして見えんのだわな」
お花は簾の中を何とか覗き込もうと身を乗り出す。
「お花様、危のうござりましょう。川へ落っこち遊ばしたらどうなされますっ」
乳母のおタネの心配症が始まった。
「あいや、おタネ様、ご心配には及びませぬ。わたしは河童と呼ばれたほどに泳ぎは得意中の得意にござりまするゆえ。もしも、お花様が川へ落っこち遊ばしたれば、この銀次郎めが命に代えましてもお助けに川へ飛び込む所存にござりまするっ」
手代の銀次郎がここぞとばかりに勢い立つ。
「がははっ、今時分は引き潮だでな。ほれ、お嬢様でも楽に背が立つがな」
屋形船の屋根の上にいる船頭が笑いながら長い竿を川に差して上下にトントンと突いてみせた。
「下手な船頭だとうっかり船を浅瀬に乗り上げっちまうんだがな」
そういえば船頭は屋形船の屋根の上の高さから竿で突いて船を進めているのだから水嵩は川底に竿が届くほど浅いのだ。
「あ、なんだ。それほど低い水嵩にござりましたか」
銀次郎は「命に代えましても」などと気負ってしまったのが恥ずかしく赤面した。
「ほれ、サギ、いつまでも見とらんで中へ入れ」
シメがサギを引っ張って屋形の中へ入れる。
「さ、お花様も中へ入ってお座りなされまし」
おタネもお花を引っ張って中へ座らせる。
屋形の中では、お花、おタネ、おクキ、銀次郎の順に座って、向かい合わせにサギ、ハト、我蛇丸、シメの順に座った。
そのうちに、
「お待たせ致しゃしたっ」
スーッと料理船が横付けしてきて長い板で次々と岡持ちを渡した。
おタネが岡持ちの蓋をパカッと取る。
「うわぃ」
サギは歓声を上げて万歳した。
刺身の盛り合わせが大きな桶の中に鯛の尾頭付きで華やかに盛られている。
「んふぃ、鯛の刺身は美味いのう」
「海老もすっごく甘いわな」
サギもお花も新鮮な刺身に舌鼓を打つ。
「しかし、唄がないことには舟遊びは始まらんのう」
「そうぢゃ、わし等はお花様の唄を聞かして貰うのを楽しみにして参ったんぢゃがのう」
シメとハトがお世辞に唄の催促をした。
「ほんに、それぢゃ」
おクキが手早く傍らの三味線を取って縮緬の袋を開く。
「ああ、三味線はわしに任せて、おクキどんは我蛇丸の相手をしてやって下され」
シメはおクキから三味線を借りて糸調子を合わせた。
ペペン♪
ペン♪
調子を合わせる音だけで腕前は分かる。
「まあ、そいぢゃ、わしは我蛇丸さんのお隣に――」
おクキは嬉々としてシメと場所を代わり、にじり寄るように我蛇丸の隣に座った。
「ぢゃあ、唄おうかえ」
お花はもったいぶって船尾に向いて座り直すとシメに曲名を伝える。
「いよっ、お花様っ」
ハトが声を掛ける。
「待ってましたっ」
手代の銀次郎も慌てて合わせる。
「お花っ」
サギも声を掛ける。
「えへん」
お花は軽く咳払いして喉の調子を整えた。
ペペン♪
爪弾きだというのにシメの力強い指だと撥で弾いたかのように高く音が響く。
「月明りぃ 見ればおぼろに船のうち 仇な二上がり三下がり 忍び逢う夜の首尾の松~♪」
お花は忍び逢いらしき男女に当て込んだような唄を唄う。
『首尾の松』は天保の頃に流行ったらしい端唄。
「ささ、我蛇丸さん、一献」
おクキは銚子を取って我蛇丸に酒を勧める。
「では、遠慮なく」
我蛇丸は盃を取って受ける。
しかし、忍びの者は酒は飲まぬのが習い。
我蛇丸は飲んだ振りしてサッと盃の酒を背後の川へ捨てた。
ちなみに忍びの者は酒も飲まなければ、煙草も吸わず、ネギもニンニクも食べない。
体臭で敵に気配を悟られぬようにするためだ。
身体も髪も着物も常に洗って無臭に保つ。
実に爽やかで清潔感に溢るるのが忍びの者なのだ。
ペペン♪
「土手に飛び交う蛍の虫は 追われ追われて ちらりちらちら そっと押さえた団扇の手管 ええしょんがえ~♪」
お花の二曲目は『土手の蛍』で文政の頃の小唄。
唄が終わるや否や、
「――あぁ~っ」
前方の屋根船から女の喘ぎ声が聞こえてきた。
「今、妙な声がしたわなっ」
お花はパッと振り返り、屋形船の先端に飛び付いて屋根船を窺う。
「ぁあ~あ~っ」
喘ぎ声はますます高まる。
「何ぢゃろ?腹痛かの?」
サギもお花の横に飛び付いて屋根船を窺った。
「せ、船頭さんっ、船を離しとくれ。早よ、早よっ」
乳母のおタネが慌てふためいて船頭に前方の屋根船から離れるように命じる。
「へ、へえっ」
船頭は竿を突いてスーッと屋形船を後退させた。
「あ~――」
前方の屋根船から離れてしまってお花とサギは無念そうに声を上げる。
屋形船は屋根船から三間ほども間隔が開いた。
これほど離れては灯りのない屋根船はもはや影のようにしか見えない。
「何で船を離すんぢゃあ?腹痛で苦しんどるかもしれん。わしゃ、良う効く薬を持っとるんぢゃ」
サギは富羅鳥の忍びの常備薬の入った印籠を出した。
富羅鳥の婆様は薬草の知識に長けていて婆様の煎じ薬は効果覿面なのだ。
「ええい、腹痛なんぞぢゃない。気にするこたないんぢゃ」
ハトがイライラとしてサギを屋形の中へ引っ張った。
「ささ、お花様もお座りなされましっ」
おタネも無理くりお花を屋形の中へ引っ張る。
「だって、妙な声がしたのにっ」
お花は屋形の柱にしがみ付いて抵抗する。
「……」
手代の銀次郎は気まずそうに下を向いていた。
手代になれば大人の遊興が許されるというのに銀次郎はまだ一度も行ったことがない堅物であった。
「ほほっ」
おクキは取り繕うように笑った。
間が持たぬような微妙な雰囲気が漂う。
そこへ折り良く、
「お待たせ致しゃしたっ」
料理船の二番手がやってきた。
今度の船は天麩羅である。
天麩羅は防火のため外で揚げる決まりなので屋台の料理だが、船にそっくり屋台が乗っかったような格好だ。
竹籠に揚げ立ての天麩羅が山のように盛られている。
「うわぃ、天麩羅ぢゃあ」
サギはまた万歳した。
「んん、蛸の天麩羅、美味いのう」
「うん、烏賊の天麩羅も美味しいわなっ」
サギもお花も天麩羅を幾つも竹串に差しては熱々をハフハフと頬張る。
もう屋根船の忍び逢いの男女のことよりも関心事は美味しい天麩羅に移っていた。
「海老の天麩羅の美味しゅうござりますこと」
「ほんに、ほんに」
「口福にござります」
おタネ、おクキ、銀次郎も食べるのに専念し始めた。
日頃、飽き飽きしたカスティラの耳のオカズばかり食べているので尚更に美味しく感じられるようだ。
「……」
我蛇丸がチラッとシメを見やる。
「そいぢゃ、わしが一節」
シメは天麩羅を五つほど食べたところで竹串を三味線に持ち替えた。
「――『からくり』という唄を」
ペペン♪
元唄は『棚の達磨』で安政の頃だが『からくり』は明治の頃の替え唄なので時代考証無視。
「からくりの パッと変わりし お前の心 かげで糸ひく人がある~♪」
その時、
ドボンッ。
ふいに大きな水音が響いた。
「――っ?」
みな一斉に水音の聞こえた前方に顔を向ける。
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