富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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えんのうねんのう

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 さてさて、

 ついに舟遊びの日。
 
 暮れ六つ。(午後六時頃)
 
 コロッ。
 コロッ。
 
 ぽっくりの鈴を勢い良く鳴らし、
 
「どうぢゃ~?」
 
 サギが調理場の暖簾のれんをバッと振り分けて現れた。
 
 薄紫地に白百合の柄の振り袖に銀地の帯で涼やかな装いである。
 
「ああ、なんという立ち方ぢゃ」
 
「せっかくの晴れ着が台無しぢゃろうが」
 
 ハトも我蛇丸も一目見るなり嘆かわしげに顔をしかめた。
 
「なんぢゃあ、あまりの美しさにビックリするかと思うたのにぃ」
 
 サギは美しい振り袖姿にもかかわらず足を外股に開き、両手はこぶしで脇に下ろし、胸を張って堂々と立っていた。
 
「振り袖で仁王立ちする奴があるかっ。ほれ、足は膝をくっ付けて内股にっ。両手は袖に隠して前に揃えてっ。肩は落とすっ」
 
 シメはバシバシとサギの手足を乱暴に掴んで位置を直す。
 
「うわわわわわっ」
 
 サギはやじろべえのようにフラフラとなりながら体勢を整えた。
 
「ええかえ?歩く時も五寸(約15cm)より足を開いたらいかんぞ。膝を摺り合わせるように内股でしずしずとな」
 
 シメはふところから懐紙かいしを取り出し、
 
「ほれ、この紙が落ちんように歩いてみい」
 
 サギの膝の間に懐紙を挟んだ。
 
「ええっ?こんなの歩きづらいのう。わし、振り袖はイヤぢゃ」
 
 サギは歩く前からを上げる。
 
「たわけっ。これも『くノ一』の修行のうちぢゃっ」
 
 シメはこれでも女子おなごとしての厳しいしつけを受けているので、サギの『くノ一』の修行にも厳しく妥協を許さない。
 
 コロ。
 コロ。
 
 サギは店の丁字の土間を膝の間に懐紙を挟んでしずしずと歩いた。
 
「これぢゃ亀の歩みぢゃ。ちいとも先に進まん」
 
 普段は兎のようにピョンピョンと飛び跳ねているだけに亀になっては半分も進まない。
 
「吹けよ川風~♪」
 
「夏の夕べの川涼み~♪」
 
 我蛇丸とハトは各々、唄の稽古に専念している。
 
「カメ殿カメ殿、何処どこへ行かしゃるぞいの~♪えんのうねんのう」
 
 サギは『猿蟹合戦』の唄、『蟹殿蟹殿かにどの かにどの』を替え唄にして歩く。
 
 延亨の頃の唄だが、お伽噺とぎばなしの唄ならサギでも知っているのだ。
 
「えんのうねんのう」は案外、容易たやすいという意味。
 
 
 コロ。
 コロ。
 
「えんのうねんのう」
 
 しずしず、しずしず、
 
 歩き続けること小半時(約三十分)近く。
 
 やがて、
 
「お待たせ致しゃしたぁ」
 
 桔梗屋で手配してくれた四丁の駕籠かごが迎えにきた。
 
 これから四人は駕籠にエッサホイ、エッサホイと揺られて船宿へ向かうのだ。
 

 エッサホイ、
 エッサホイ、
 
「――はあ、駕籠かごというのは歩くより疲れるのう」
 
 揺さぶられながら船宿へ着いて、サギはヨロヨロと駕籠かごから抜け出した。
 
 船宿の二階の座敷へ上がると、
 
「わあ、サギ。よう似合うておるわなっ」
 
 一足先に船宿へ着いていたお花が喜んでパタパタと走り寄ってきた。
 
「うっふん」
 
 サギは得意げにシメに仕込まれたしなを作ってみせる。
 
「おやまあ、なんと可愛ゆらしい」
 
「そうしてお花様とお揃いの振り袖で並んだ姿は対のお人形のようにござりますわいなあ」
 
「眼福にござります」
 
 桔梗屋の面々は惚れ惚れとして二人を眺めた。
 
 お花の付き添いには乳母のおタネ、女中のおクキ、手代の銀次郎が来ている。
 
「本日はお招きに預かりまして――」
 
 我蛇丸がおタネとかしこまった挨拶を交わしている間もじれったく、
 
「サギ。ほら、こっち」
 
 お花が露台ろだいへサギを引っ張っていく。
 
「見てごらんな」
 
 二人は露台ろだいの手摺りに身を乗り出して外を眺めた。
 
 船宿は川沿いにあるので目の前は当然のごとく川が広がっている。
 
「うわっ、船だらけぢゃっ」
 
 サギはビックリした。
 
 川涼みの今の時季は五百艘もの舟遊びの船が出るのだ。
 
 川面はビッシリと船が等間隔で並んでいる。
 
 サギなら船から船まで簡単に飛び移っていけそうだ。
 
「ほお、さすがに武士よりも町人の羽振りが良いんぢゃな」
 
「ほんにな、どこもかしこも町人の船ばかりぢゃ」
 
 ハトもシメも船がひしめく川を眺めて感心する。
 
 何故、町人の船と見て分かるかというと屋根船は武士は障子しょうじ、町人はすだれと定められているからである。
 
「あっ、あにさんだわな」
 
 お花が船宿の前の船着き場を指差す。
 
 ちょうど草之介と熊五郎の一行が屋根船に乗り込むところだ。
 
 芸妓げいしゃの蜂蜜、松千代、妹分の半玉はんぎょくの小梅がいる。
 
「へえ、あれがお花のあにさんか。あっ、蜂蜜姐さんぢゃ」
 
 サギは蜂蜜を指差す。
 
「ふん、あれがあにさんが首ったけの芸妓かえ」
 
 お花はムッとして蜂蜜の横顔を睨んだ。
 
 売れっ子の美人芸妓と蜂蜜の評判は知っていたが思ったよりもずっと美しくなまめかしい。
 
 蜂蜜が乗り込む時には船から草之介が蜂蜜の手を取り、蜂蜜は草之介に抱き付くように思いっ切り船に飛び込み、草之介は蜂蜜の身体をしっかと抱き留めた。
 
 そのまま二人はグラグラと揺れる船の上で身体を支え合ってはしゃいでいる。
 
 どう見ても睦まじい恋仲の二人だ。
 
「あれ、あのようにくっ付いて。デレ助のあにさんなんぞ吹き飛ばされて川へ落っこちてしまえばええわなっ」
 
 お花は団扇うちわをバサバサと振って草之介を吹き飛ばす真似をした。
 
「うひゃひゃ、それ、吹けよ川風ぇ♪ぢゃっ」
 
 サギも面白がって一緒になって団扇をバサバサと振る。
 
 草之介等の乗った屋根船が船着き場を離れて水面みなもを滑るように進んでいくと、一間いっけん(約1.81m)ほどの間隔でまた次の船が着く。
 
 次の屋根船に乗るのは男女の二人連れで道行き者のように手拭いを被って人目を忍んでいる。
 
「きっと道ならぬ恋の忍び逢いにござりますわいなあ。どこぞの誰にござりましょう?あとで船宿の女中のおフナどんに訊いてみんことには――」
 
 噂好きのおクキはそこらじゅうの女中とおしゃべり仲間で相当な情報網を持っているらしい。
 
「……」
 
 我蛇丸、ハト、シメは物見高いおクキに舌を巻いたように顔を見交わした。
 

「お待たせ致しました。船が参りましてござります。さぁさ、どうぞ」
 
 桔梗屋は上客とみえて船宿のあるじがわざわざ案内してくれる。
 
 お花とサギの一行が乗る屋形船は忍び逢いの男女の屋根船の次であった。
 
 屋根船(六人乗りくらい)よりも大きいのが屋形船(十人乗りくらい)だ。
 
「早よ、早よ、乗ろうっ」
 
「船ぢゃ、船ぢゃっ」
 
 お花とサギは二階の座敷を出てキャッキャと階下したへ駆け下りていく。
 

 船着き場に大きな屋形船が着いている。
 
 提灯ちょうちんが連なった屋形船は暮れなずむ影絵のような景色に浮かび上がるようだ。
 
 川の漆黒の水面には提灯の灯りが映ってユラユラと揺れている。
 
「うわあっ」
 
 サギは歓声を上げた。
 
 いよいよ初めての舟遊びだ。
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