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流麗な文字
しおりを挟むあっという間に近江屋の別宅に着くと、
「頼もう」
サギは玄関の簾越しに中へ声を掛けた。
「何ぞ用にござりまするかな?」
今日も坊主頭の大男が玄関へ出てきた。
「わしゃ、桔梗屋の娘の使いの者ぢゃ。児雷也に用なんぢゃ」
サギはのけぞって大男を見上げる。
大男の鳩尾あたりまでしかサギの背丈はなかった。
そういえば、昨日のお花は五寸(約15cm)も高さのあるぽっくりを履いていたのだ。
「あいにく児雷也はまだ戻りませぬ」
大男は威圧するようにサギを見下ろす。
「えええ?とっくに舞台は終わっとろうがあ?ホンットにおらんのかあ?」
サギは疑わしげに言うと、ピョンピョンと飛び跳ねて大男の肩越しに玄関の奥を覗いたが、廊下の突き当たりは簾が下がって座敷の中は見えない。
「……」
大男はこんなチビが自分に怯む様子もなく大層な口を利くので怪しむようにジロジロとサギの顔を見た。
天真爛漫か馬鹿か初対面の者がサギを判断するのは容易ではない。
サギが怖じ気付かぬのは物心付いた頃から大男と同じ部類の大女の鬼のシメに慣れているからである。
こっぴどく叱られる分だけシメのほうがよっぽど怖い。
「おらんのなら仕方ない。これ、児雷也に渡しとくれ」
サギは懐から文を出して大男に押し付ける。
「――ふん」
大男は返事代わりに鼻息を飛ばし、不快げに文を受け取った。
「児雷也、お前に文だと。桔梗屋の娘からだそうだ」
座敷へ戻った大男が文を差し出した。
児雷也は庭に面した座敷で寛いで書物を繰っていた。
居留守だったのだ。
「――桔梗屋?ああ、昨日の娘か」
児雷也はどうでも良さそうに文を一瞥したきり受け取りもしない。
「どれどれ」
舞台で裃姿で口上を述べていた五十男が代わりに封を開くと、
「おなつかしき児雷也様――」
わざと娘のような可愛ゆらしい裏声で文を読み上げた。
「いとゆかしき蝶々の銀のピラピラ簪を頂戴いたし、まことにまことに嬉しく存じまいらせ候――」
「――銀のピラピラ簪?」
児雷也は怪訝な顔になり、
「雨太郎?お前に何か詫びの品を適当に見繕って持っていけと言うたはずだが、適当に見繕った品が銀のピラピラ簪ということか?」
横目で雨太郎をジロリと睨んだ。
「いや、しっかし、菓子屋に菓子折りを持っていくのも気が利かんでな。こっから桔梗屋までの途中の店で適当な品と言うてもなかなか見当たらんし、娘にやるならあんな簪がきっと嬉しかろと思うたんでな」
雨太郎はやたらと気が利くので菓子屋の娘には菓子折りを避けた結果の銀のピラピラ簪であった。
どうせ児雷也の財布から出すので値段は度外視して簪はパッと見で適当に選んだ。
「余計な気を利かしおって」
児雷也は渋面する。
娘なんぞに簪を贈ったなどと思われるのは甚だ不本意であった。
「児雷也が詫びの品と言うたら虎屋の羊羹と決まっとろうがっ」
ゴツン!
大男が雨太郎の頭を小突いた。
児雷也の機嫌を些かでも損ねた者をこの大男は容赦しない。
「江戸に虎屋は出店しとらんっ」
雨太郎は痛そうに頭を押さえて言い返す。
虎屋は室町時代から京都にあったがこの時代はまだ江戸には出店していない。
「江戸に虎屋がないっ?」
大男は面食らった顔になった。
鬼武一座は京が本拠地なので菓子といえば虎屋なのだ。
「おいおい、こっちに話を戻さんか。ほれ、さすがは評判の小町娘。文字まで見事に美しいではないかえ?」
五十男は文をヒラヒラと児雷也の顔の前にはためかせる。
「ふん」
一度はプイとそっぽを向いた児雷也だが、
「――?」
目の隅にチラッと入った文字にハッとして、すぐに五十男の手から文を引ったくった。
「この筆跡――」
児雷也はまじまじと文を見つめた。
たしかに児雷也はこの流麗な筆跡に見覚えがあった。
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