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文はやりたし
しおりを挟むあくる日。
「お花っ、遊ぼっ」
今日も昼八つ(午後二時頃)の時分にサギは桔梗屋へやってきた。
錦庵にいても我蛇丸もハトもシメも店で忙しいので一人だけ暇なサギは桔梗屋で遊ぶより他にすることがない。
二階の部屋へ上がると、お花は文机に頬杖を突いて何やら浮かぬ顔している。
「何ぢゃ、手習いか?」
「ううん。あのな、こうして児雷也に蝶の簪のお礼の文をしたためてみたものの――」
お花はサギに文を見せて、やおら三味線を爪弾いて唄い出した。
ペペン♪
「文はやりたしぃ わが身は書かずぅ 物を云えかし白紙が~♪」
寛永の頃に流行った『文はやりたし』という小唄である。
「うわっ、こりゃあ、ミミズが這ったどころか、ミミズがのた打ち廻ったような字ぢゃっ」
サギは情け容赦ない。
「――うん、そうだえ?こんなミミズがのた打ち廻ったような字を見られたら、あたしゃ、顔が美しいだけの馬鹿と児雷也に思われてしまうわな。サギ、後生だから助けてなっ」
お花は拝むように手を合わせた。
「――へ?」
お花の『後生だから』はつい昨日も聞いたような?とサギは首を傾げた。
「サギ、頼むから、この文の清書しておくれな」
やはり、お花はサギに代筆させるつもりであった。
「ふうん、ま、それくらいお安いご用ぢゃ」
サギは気軽に請け合って筆を手に取った。
「たおやかというか、流麗というか、そんな女らしさの匂い立つ美しい文字で書いておくれな」
お花は細かく注文も付ける。
「う~ん、誰の文字がええかのう?」
サギは自分が知る人々の筆跡を思い浮かべ、
「こんな風か?」
取り分けて流麗な筆跡を真似てサラサラと水茎の跡も麗しく書いてみせた。
「うんうん、それ、たおやかで流麗という感じだわなっ」
お花は念願どおりの美しい文字に大喜びする。
このお礼の文を見た児雷也の自分への評価は格段に上がるはずだ。
「そいぢゃ、頼みついでに、これ渡してきておくれな」
お花は封書の上下を丁寧に折り畳んでサギに預けた。
「うんっ」
児雷也の逗留先の近江屋の別宅なら近いので飛脚を頼むまでもなくサギの足ならあっという間だ。
「ひとっ飛びぢゃっ」
サギは文を懐に入れてパッと飛び出ていった。
台所の水口から勢い良く外へ出ると、
ちょうどオヤツ時で裏庭にしゃがんで芋を食べている小僧等がサギに振り返った。
「あれ?サギさん、もう帰ってしまうのかい?」
一番年長の一吉が声を掛ける。
「うんにゃ、ちょいと出るが、また戻ってくるんぢゃ。何やっとるんぢゃ?」
サギは小僧等が地べたに小枝で書いた落書きを見下ろす。
『一吉 正』『十吉 正』『八十吉 正正』『千吉 T』と四人の名と正の字で数が記してある。
「屁放り合戦だ。今朝から屁を放った数を競っとるんだ。ほれ、おいらが一番だっ」
八十吉は手習いの時と違って自信たっぷりだ。
ようやく昨日の芋が屁になったらしい。
「へえ、面白そうぢゃなあ。わしも混ざりたいけど今のところ屁は出んのう」
サギは残念そうに言った。
「屁を放るたんびに屁放男のように屁で鶏の鳴き真似を稽古しとるんだが連発で四発も出んとならん」
八十吉は意気込んで両手に持った芋を交互にモリモリと頬張る。
「屁で鶏の鳴き真似っ?」
サギは有り得んと思った。
「そんな出鱈目、いくら、わしが田舎者ぢゃからって騙されんぞっ」
八十吉の嘘八百と決め付けて信じない。
かの平賀源内も絶賛した天才曲屁芸人、屁放男の天才芸を侮っているのだ。
「ホンットなんだから。屁で鶏の鳴き真似をするんだっ。コケコッコーをプッププップーって」
「サギさんだって屁放男をいっぺん見たらええ。おったまげるからっ」
千吉も十吉も両手に芋を握り締め、かなり屁放男に熱を入れている。
平賀源内をも心酔させた曲屁芸に小僧等が熱中せぬ訳もなかった。
「へ~」
サギは屁で鶏の鳴き真似をすると聞いて屁放男が堪らなく見たくなった。
そこへ、
ペペン♪
三味線の音。
「逢いた見たさは飛び立つばかりぃ 籠の鳥かや恨めしや しょんがえ~♪」
裏庭の真上の二階からお花の小唄が聞こえてきた。
延享の頃の『逢いた見たさ』という小唄である。
サギがいつまでも小僧等としゃべくっているので「早よ行け」という合図であろう。
ペペペン♪
ペペペン♪
「早よ行け」「早よ行け」と追い立てるような速弾き。
「あっ、いかん。そいぢゃっ」
ペペペン♪
ペペペン♪
サギは三味線の音に急き立てられるように裏木戸から飛び出ていった。
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