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箱入り娘
しおりを挟むそこへ、
「おや?サギさん、お花様とお約束にござりましょう?」
女中のおクキが台所の水口から顔を出した。
「あっ、そうぢゃ」
サギは慌てて水口から中へ入る。
「お花様は今朝から、にわかにご機嫌斜めにござりますわいなあ」
「へえ?何でぢゃ?」
「昼前に番頭さんが小僧等を連れて両国へ屁放男を見に参りましたので、お花様は『小僧等だけズルい』と大層おかんむりにござりますわいなあ」
「ふうん、お花も屁放男が見たかったんぢゃな」
そんなやり取りをしながらサギはおクキに案内されてお花の部屋のある二階へ上がった。
「――お花様?サギさんがおいでにござりまする。襖をお開け下さりまし」
お花は部屋の中から襖につっかえ棒をしていた。
カタンと中からつっかえ棒が外される。
「サギ、中へお入りな。おクキは階下へ下がっとれっ。お茶も小僧の千吉に持ってこさせておくれ。おクキもおタネも二階へ上がってくるでないわなっ」
お花のプリプリした声が聞こえる。
「はいはい。お花様の天の岩戸にござりますわいなあ」
サギにコソッとそう言っておクキはやれやれと階段を下りていった。
「お花、開けるぞ」
サギは襖を開けて座敷へ入る。
すると、
「あれ?お花、その格好――?」
意外にもお花は豪華なよそゆきの振り袖姿であった。
「ふふん、誰が屁放男なんぞ見たいものか。あたしゃ、一芝居、打ったんだわな」
お花はにんまりと笑う。
「へ?一芝居?」
サギには何のことやら。
「あのな、こっそりと家を抜け出して児雷也に逢いに行くんだわな。サギ、後生だから一緒に付いてきておくれな」
お花は拝むように手を合わせる。
「――へ?」
サギはこっそりと家を抜け出すという訳が飲み込めない。
「だって、あたしゃ、乳母のおタネか女中のおクキが付き添わんと出掛けさせて貰えんのだわな。けど、岡惚れのお方に逢いに行くのに二人は邪魔だもの」
「それはそうぢゃ」
サギはやっと合点がいった。
お花は日本橋の大店の大事な箱入り娘なのだ。
そこへ、
「お花様、お茶をお持ち致しぁした」
小僧の千吉がお茶と菓子の盆を運んできて襖の外から声を掛けた。
「お入りっ」
お花は千吉を座敷へ引っ張り込む。
本来なら小僧の千吉は廊下までで座敷へ入ることは許されない。
「あ、あの、あの――」
千吉は屁放男を見に行ったことをお花に責め立てられると思ったらしくビクビクしている。
「千吉。あたしゃ、サギと出掛けてくる。お前はあたし等が帰るまでここにあたしの代わりにおるんだわな。襖につっかえ棒してな」
お花は千吉に棒を突き出す。
「――えっ?で、でも、でも、お花様、どちらへ――?」
千吉は両手で棒にしがみついてオロオロとする。
「余計な詮索はおしでないよ。お前はのんびり菓子でも食うて待っとればええんだわな。さ、サギ、参ろう」
お花はソロソロと這い出すように身を屈めて廊下へ出て、足音を潜めて階段を後ろ向きに下り始めた。
(ほほお、お花の奴、なかなかの身のこなしぢゃ。忍びの素質があるやもしれん)
サギはお花の後から足音もなく階段を下りていく。
「――サギ、先に裏庭から路地へ出とって。あたしゃ、履き物を取ってこんと――」
お花が廊下の先の玄関の下駄箱から、ぽっくりを取り出すと、
コロン。
ぽっくりの鈴が鳴る。
「――あわわ――」
お花は慌てて底の鈴を押さえて、廊下をサササと引き返し、縁側から裏庭へ出た。
もう裏庭には他の小僧等の姿もなかった。
みなでオヤツのふかし芋を台所の板間で食べているようだ。
お花はぽっくりが鳴るので裸足で裏庭をササッと抜けた。
サギが先に待っている路地へ小走りで出てから、お花はやっとぽっくりを履く。
「何でぽっくりに鈴が入っとるか分かったぞ。娘が抜け出すと音で知れるようにぢゃ」
サギはぽっくりを履いて五寸も背が高くなったお花を見上げて笑った。
「猫に鈴を付けるようなものだわな。ああ、肝を冷やした。けど、上手く抜け出せたわな」
お花はウキウキと背に結んでいた風呂敷包みを外して手に持ち直した。
「それ、何ぢゃ?」
「これは児雷也に差し入れする桔梗屋の菓子だわな。カスティラはご進物の注文の品だから勝手に持ってこられんけど、この菓子だって食べ出したらやめられぬ止まらぬと評判なんだから」
お花は大事そうに風呂敷包みを撫でる。
番頭や手代や草之介や熊五郎にも絶賛の男子に好まれている菓子だ。
「へえ」
サギは物欲しげに風呂敷包みを見つめる。
「分かっとる。帰ったらオヤツにサギにも食べさしてやるわな」
「うんっ」
二人はいつでも大勢の人でごった返した日本橋の通りを歩いていく。
「児雷也は近江屋の別宅におるんだそうな。宿屋では贔屓の客が児雷也を追い掛けてきて煩いそうでな。これもおクキと近江屋の女中がしゃべるのをこっそり聞いたんだわな」
「ふうん」
サギは感心した。
お花のほうがよっぽど忍びのようだ。
サギはちょっとお株を奪われた気がした。
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