15 / 312
カスティラ
しおりを挟むその頃、
桔梗屋の作業場では、
「――でな、児雷也があたしの手を引いて屋形船の中へ入ったんだわな。そして、児雷也が行灯の火をフッと吹き消して――」
お花が長々と夢の話を続けて、いっそう足をブラブラさせていた。
「ふんふん、して?それから?」
サギが話の先を促す。
「夢はそれまでだわな。乳母のおタネに起こされてしもうたもの」
お花は口を尖らす。
「なんぢゃあ。その先が気になろうがあ」
サギは長々と聞かされた話が尻切れトンボでは不満である。
「うん、あたしだって気になるわな。ほら、芝居でも逢い引きの場面は行灯を吹き消して真っ暗になると次の場面に変わってしまうだろ?何でだろの?」
お花は皆目見当も付かぬという表情。
マセているようでも箱入り娘のお花の逢い引きの知識はこの程度であった。
折り良く、
「焼き上がりましてござりますうっ」
小僧等が報せに大きな声を上げた。
お花とサギが作業台へ行くと、ちょうど熟練の菓子職人がカスティラの大きな木枠を外したところであった。
茶褐色に焼き色の付いたカスティラが作業台の上に現れた。
甘く香ばしい湯気がホワホワと立つ。
「ふわぁ、ええニオイ」
サギは湯気に顔を近付けて鼻に吸い込む。
「この端っこがカスティラの耳」
お花がカスティラの四辺を指差す。
切り分ける前のカスティラは分厚い座布団ほどの大きさだ。
「う、美味そうぢゃ。早よ、早よ、切らんかっ」
サギは厚かましく熟練の菓子職人をせっつく。
「もちっと辛抱だ。まだホヤホヤだから、切んのは冷めてからでねぇと切り口が潰れて焼き目がペロッと剥がれっちまうでな」
熟練の菓子職人が笑ってサギをいなす。
「ほら、ああして切るんだわな」
お花がすでに冷めたカスティラを切っている作業台のほうを指した。
桔梗屋ではカスティラを切るのに一尺七寸ほどの直刀を使っていた。
熟練の菓子職人が二人掛かりでカスティラの幅の特製の物差しを両側に当て、温めた直刀で丁寧に丁寧に均等に切り分けている。
「あんなノタノタした切り方だから潰れるんぢゃ。熱々でもシュパッと切れば潰れん。シュパッと。わしゃ、熱々が食べたいんぢゃっ」
サギはじれったく騒ぐ。
どうしても熱々が食べたい。
サギは作業台の上の直刀を掴んだ。
「あっ」
お花が止める隙もなく、
「うりゃあっ」
サギがカスティラに直刀を振り下ろす。
シュパッ!
電光石火!
カスティラ一刀!
まさに目にも留まらぬ早斬り。
薄く切り裂かれたカスティラの耳がヒラヒラと宙に舞い上がる。
サギは落ちてくるカスティラの耳をさっと盆で受け止めた。
「おったまげたっ」
小僧等は本日二度目のビックリと目を見開く。
「うひっ」
サギはカスティラの耳を顔の前にダラリと持ち上げて、
「ハフッ」
下から食い付いた。
「んぐんぐ、こりゃ美味いっ」
汁気のない甘い卵焼きのような味だが、饅頭の皮を分厚くしたようなフワフワの食感は初めてだ。
「お、おお、ピタリと測ったように真っ直ぐだっ」
熟練の菓子職人がカスティラに物差しを当てて仰天する。
あれほど忍びの者と知られるような振る舞いをしてはならぬと大膳から釘を刺されたというのに、これ見よがしに人前で剣術を披露してしまったが、サギは食い意地が勝って一向に気付いていなかった。
「ええなあ。お花はいつもこんな美味いもの食うとるのか?」
サギは一辺の耳ではまだまだ食べ足りない。
「うん。あたしゃ、いつもで飽きとる。カスティラの耳はうちの者だけで食べる決まりなんだわな。毎日、味噌汁の具や海苔巻きや大根おろしと醤油を付けてオカズにもしとる」
お花は昼の出前の蕎麦にもカスティラの耳を付け合わせて食べていた。
上等なご進物の菓子だけにカスティラの耳といえども近所へおおっぴらに配ったり、小僧や若衆の普段のオヤツにやるような値打ちを下げる扱いは桔梗屋の信条としてしないのである。
「こんな美味いもん飽きるかのう。ああ、美味い。美味いのう」
サギは熟練の菓子職人のお墨付きを貰ったのでカスティラの耳の残り三辺も次々と切ってはモリモリと貪った。
「――あのう」
一番年長の小僧の一吉がおずおずとサギに声を掛ける。
「お花様にご褒美を戴いた者はみんなにも、ちいっと分け前をやるものなんだけれど。――なあ?」
一吉が同意を求めると他の小僧等も当然とばかりにうんうんと頷く。
「へえ?」
サギはそんなことは思いも寄らなかった。
どうりで負けた者までカスティラの耳と聞いて大喜びしていた訳だ。
だが、
「わしはやらん。負けた者にまでやったら褒美じゃない」
サギは邪険に突っぱねた。
「鬼っ」
「けちんぼっ」
「勝手に駆けっこに飛び入りしたくせにっ」
「食いしん坊っ」
小僧等は口々に喚いたが、
「ああ、美味い」
サギはどこ吹く風とカスティラの耳を独り占めした。
それほど生まれて初めてのカスティラの耳は美味であったのだ。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
大陰史記〜出雲国譲りの真相〜
桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる