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合縁奇縁
しおりを挟む「大変だ、大変だあ」
町中の読売は児雷也の話題一色であった。
「近頃、街道を騒がしてた掏摸の忠助ってぇ不届き野郎が浅草の見世物小屋でお縄になったってよ。その見世物ってぇのが今、評判の鬼武一座。掏摸を見抜いたなぁ一座の花形、児雷也の千里眼だってぇからビックリ仰天だ」
読売が声を張り上げ、箸でパシパシと掲げた紙面を叩く。
集まった聴衆は我も我もと大蝦蟇に乗った児雷也の姿が描いてある一色刷りの読売を八文も出して買っていく。
予てより上方が興行拠点である鬼武一座の評判は児雷也を描いた錦絵と共に江戸へ伝わっていた。
そして、満を持しての江戸へ初お目見え。
来たら来たで評判を上廻る美しさ、華麗な技で、一夜にして時の人となり、今日の浅草奥山の見世物小屋は明け方から見物客が押し寄せ、大川橋まで続くほどの長蛇の列だという。
昨日の今日でやけに早く読売が刷り上がったと思いきや、事前に用意してあったものらしい。
その読売の内容は児雷也の奇々怪々たる生い立ちについてであった。
「いやはやなんとも、昨日ほどたまげたこたぁありゃしねぇ。児雷也は妖術使いだってぇけど、まったくだよ。なにしろ、児雷也の生い立ちたるや、まあ、聞きねえ」
錦庵の常連客である醤油酢問屋、丸正屋の熊五郎は店の土間に立ち、ついさっき買ってきた読売を手に演説ぶった。
熊五郎は財布を抜かれた見物客の一人で、児雷也に「丸に正の印の半纏のお方」と呼ばれたのが昨日からこっち、なによりの自慢であった。
「あの児雷也、かのかぐや姫が生まれた竹林の竹から生まれ、かの芭蕉翁が古池やぁと詠んだ古池に百年棲むってぇ大蝦蟇に妖術を伝授され、鞍馬山ではかの牛若丸を育てたってぇ天狗に軽業を伝授され、それから、鬼ヶ島ではかの桃太郎の退治から逃れた鬼に剣術を伝授されたってぇんだから、なるほど納得の神業ってぇ訳だよ」
生一本の熊五郎は児雷也の出鱈目な生い立ちを真に受け、児雷也が掏摸を見抜いたのは読売の口上どおりに千里眼と信じて疑わなかった。
「おう、熊さん。そこへ立ってられると邪魔ぢゃあ」
シメが調理場から盛り蕎麦のせいろが五枚ずつ重なった角盆を運びながら熊五郎を尻で押しのける。
錦庵の店の造りは藍染めの暖簾をくぐると丁字の土間を挟んで左右に小上がりの座敷が六畳ずつ、土間の突き当たりの暖簾口の奥に調理場がある。
熊五郎は百貫デブというような肥えた男で通路を塞いでしまうのだ。
藪入りのため日本橋は買い物客で賑わい、錦庵は普段よりも客が立て混んできていた。
「熊さん熊さんっ。わしな、サギいうんぢゃ」
いつの間にやらサギは暖簾口から飛び出て、小上がりの座敷に胡座の熊五郎の横にちょこんと腰を下ろした。
サギは調理場と店との仕切りの暖簾口から店の様子を覗いているうちにすっかり熊五郎に親しみを覚えていた。
「なぁらほどねぇ。サギちゃんとあっしゃ、同じ掏摸に財布を抜かれた仲間同士ってぇ訳だ。これぁ合縁奇縁ってぇヤツだよ」
熊五郎は生まれも育ちも江戸らしく、ら行が小気味良く巻き舌になる。
ひとしきり二人は児雷也の舞台の話に花を咲かせ、熊五郎は昼日中から卵焼きをつまみに冷や酒でチビチビとやりだした。
こう見えて熊五郎は丸正屋の若旦那。
日本橋で醤油といえば丸正屋と誰しもが言うほど名の知れた大店である。
いずれの大店の若旦那もそうであるように熊五郎もまたブラブラと盛り場を遊び歩くのが日々の務めであった。
遊びも知らぬ不粋では取引先の旦那衆におもてなしも出来やしない。
大店の若旦那はまずは遊び歩いて方々へ顔を繋ぐのである。
それがために熊五郎はまめまめしく遊び歩き、食べ歩いて、町ではちょっとした顔であった。
「お待たせしぁしたぁ」
シメが熊五郎の前にドドンとせいろが二列に十五枚ずつ重なった角盆を置いた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、三十枚っ?」
大食らいのサギをしても盛り蕎麦三十枚には面食らう。
「なぁに、江戸じゃ昔っからぁ『蕎麦っ食いは身の丈』ってなあ。重ねたせいろの高さがてめぇの身の丈くれぇがちょうど適量なのよ」
熊五郎は胡座の腰を浮かし気味に自分の顔よりも高い十五枚重ねのせいろのてっぺんに箸を伸ばす。
「ほおお」
サギは江戸っ子の大食らいに感心した。
当然、サギはあとで重ねたせいろと背比べして自分の身の丈の枚数を確かめるつもりであった。
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