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第10弾 マイフェアレディ

I think something is wrong.(なんか違う)

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 ジョーは多くを望まない男だった。


 朝はスッキリ目覚め、

 昼は野外ステージでロバートとガンガン撃ちまくり、

 晩はキャスト食堂でメラリーや太田や愉快な仲間とダラダラ無駄話し、

 夜はベッドでグラマー美女のハニーとイチャイチャ、

 そんな平穏な1日を大満足のうちに終えてグースカ爆睡する。

 ジョーが自分の人生において望むことはそれだけだった。

 それだから歌唱力だの音程だのそんなものは必要なかったのだ。


「I dream of Jeanie with the light brown hair~♪
(明るい茶色の髪のジェニーを夢に描く)」

 さっきからジョーは寿司屋のカラオケのステージで情感たっぷりに熱唱していた。

 歌っているのはアメリカ民謡『金髪のジェニー』(訳詞 薔薇美)だ。


「う~ん、はっきり音痴というより、ビミョーに音程が外れて『赤とんぼ』のメロディに聴こえるところがなんともイラッとするんっすよね」

 ケントはジョーのビミョーな音程に首を捻る。

「Sighing like the night wind and sobbing like the rain~♪
(夜風のように溜め息をつき、雨のようにすすり泣く)」

 もはやオリジナルのアレンジとも言うべき独特な音痴なのだ。

「いんじゃないの?ガンマン・ジョーは鉄砲のたまさえ外さなきゃさ~」

 爺さん連中はジョーの音痴に肩を持つ。

「俺もガンマンだけどたまは外したって音程は外さないよ。小さい頃にピアノとバイオリン習ったことあるし~」

 メラリーは鼻高々に言って「はふっ」と熱々の鮪の炙り焼きに齧り付いた。

 さすがメラリーは金持ちのお坊ちゃまだとみな一様に感心したが、ケントは怪しんだ。

「習ったってどのくらい?」

「ええと?ピアノもバイオリンもレッスン3回くらいかな~?」

「そんなの習ったうちに入るかよ?」

「3回だって習ったのはホントじゃん」


「Wailing for the lost one that comes not again~♪
(失ったものはもう二度とは戻ってこない)」

 ジョーのビミョーな音程の熱唱は続く。

 無理くり張り上げた高音が発情期のオス猫が発する唸り声のようだ。


「ケントは?楽器はどのくらい~?」

 アンとリンダが口を挟む。

 2人は率先してホステス役に徹して爺さん連中のお酌に回っていた。

「えっと、ピアノは小1から小6まで、中学からブラスバンド部でトランペット始めて、ギターは高校からっす」

「ふうん、うちのコさ、ピアノ習いたいって言うのよね~」

 リンダは日本酒の一升瓶を抱えてサラッと言った。


(――え?うちのコ?リンダさんって子持ち?)

 クララは鮪の炙り焼きに齧りついたまま目を丸くした。


「うちのコも。なんか流行ってるアニメの影響で。もう12歳だし、今からピアノ習うなんて遅いくらいよね~?」

 アンは白ワインの瓶を抱えてサラッと言う。


(ええ?アンさんも子持ち?しかも、子供12歳?)

 クララは鮪の炙り焼きに齧りついたまま目をキョロキョロさせた。


「へえっ?2人とも子供いたんだ~?」

 爺さん連中も意外そうにアンとリンダに注目する。

「バツイチのシングルマザーよ。どっちも女のコ」

「もう春から中学よ。ダンスは小さい頃から習ってるんだけどね~」

 実のところタウンの女子のキャスト宿舎はシングルマザーがほとんどだった。

 アンやリンダのようにパフォーマンスのスキルも高く、プロポーション抜群の美女がこんなド田舎のテーマパークに流れてくるにはそれ相応の事情があるのだ。


「そういえば、アンちゃんもリンダちゃんもなんか母性を感じるよ~」

「そうそう、甘えたい雰囲気~?」

 爺さん連中は酔った勢いをいいことにアンとリンダに「バブ~」と甘えてすり寄る。

 アンとリンダは「よしよし~」「いいコね~」などと爺さんの禿げ頭を順番に撫でてやる。

「うひゃひゃっ」

 爺さん連中は大はしゃぎだ。


「……」

 クララは(まったく、いい年した爺さんが呆れるわ)というように眉をひそめた。

「うふふ」

 アンとリンダは子供に戻ったみたいに無邪気に大喜びする爺さん連中を心から可愛いと思っているように笑っている。

 これが大人の女のふところの深さというものか。


(ー―あっ、そういえば?)

 クララはハタと気付いた。

 今までにジョーが言い寄ったミーナもエマもただの美女ではなく子持ちの美女ではないか。

 ジョーと最初に出逢った時はミーナは2歳の子持ち、エマは妊娠初期だった。

(――母性――?)

 ジョーのハートを掴むには母性なのか?

(そういえば、パンの耳のオヤツもジョーさんはお母さんがよく作ってたって食べてたし)

 ジョーの胃袋を掴むには、おふくろの味なのか?

(――むうぅ)

 なんか違うとクララは思った。

 自分はお姫様のように可愛く我が儘に振る舞って、騎士のような強く逞しい男に守られたいのだ。

 母性は自分とはなんか違う。

 犬猫1匹どころか小鳥1羽、メダカ1尾すら世話したことのないクララには母性などまるっきり無理な注文だった。
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