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第10弾 マイフェアレディ
Natal secret(出生の秘密)
しおりを挟むその数分後、
アランははゆま屋の爺さんとホテルアラバハの貴賓室の応接セットに向かい合っていた。
爺さんは改まってアランに大事な話があると言い、ここへ誘ったのだ。
(ついに来たか)
アランはドクンと鼓動が高鳴った。
大事の話というのは自分の出生の秘密についてだろう。
自分が父親と血の繋がりがないと知った高2の夏からこの日が来るのを覚悟していた。
今にして思えば、高2でいきなり頭がハゲ始めたのは家族がひた隠す出生の秘密のモヤモヤによるストレスに違いないのだ。
「今しがた宝飾店で見ておったのは婚約指輪か?たしか、鰻屋でフラれておったようだが」
爺さんは開口一番に余計なことを言った。
「フラれてなんかないよ。今度、プロポーズするんだ」
アランはぶっきらぼうに答える。
そんなことより早く大事な話をしろと思った。
「お前の乏しい稼ぎでは大した指輪は買えまい」
爺さんはおもむろに信玄袋から黒いビロードの小さな袋を取り出し、テーブルの向かいからアランの前へ押し進めた。
「――?」
アランが袋を開いてひっくり返すと、手のひらにポトッと指輪が落ちてきた。
手のひらに感じる重み、こんな袋に無造作に入れるには豪華過ぎる大きな宝石の指輪。
飴玉くらいのサファイアの一周を仁丹くらいのダイヤで囲んだデザインだ。
宝石の価値などさっぱり分からないアランだが500万円以上はすると思った。
「それは、お前を産んだ実の母親が持っておった指輪だ」
爺さんは今度は黒革の大きな手帳を取り出し、中に挟んである写真をテーブルに置いた。
欧米人らしきブロンドの巻き毛でヘーゼルの瞳のうら若い女性の写真だ。
まるで化粧品の広告モデルのような美しい顔をしている。
「ヴェロニカ・マンコビッチ。これがお前を産んだ実の母親だ」
爺さんは重々しく言った。
「――っ?」
アランは思わずソファーからずり落ちそうになる。
ヴェロニカ・マンコビッチ。
「――なに?その名前?てか、何人?」
何の悪ふざけかとアランは半笑いしたが、ヴェロニカもマンコビッチも欧米では一般的な名前だ。
「ヴェロニカはオランダとイギリスとニュージーランドの先住民族マオリの血を引くアメリカ人だ」
ちょっとよく分からない。
「あ、じゃ、じゃあ、俺、父さんの子でもなくて、母さんの子でもなかったんだ」
アランは愕然とした。
てっきり自分は母親の新子がハンサムな欧米人と浮気して出来た子だとばかり思っていたので、両親のどちらの子でもなかったとは予想外のショックだった。
母親の新子とは顔立ちが似ているので、まさか実の母親が別にいたとは想像もしてなかった。
「うむ、お前は新子の子ではないが血は繋がっておる。――実は、恥を忍んで打ち明けるが――お前は――わしの子なのだ」
「え、ええ――?」
爺さんは苦渋の面持ちで口ごもりながらも20数年前の己れの不始末を白状した。
当時、ヴェロニカは22歳の留学生だった。
日本の古いものに興味を持っていて江戸時代から続く老舗旅館はゆま屋に江戸文化を学ぶためにやってきたのだ。
はゆま屋の主として親切に地元の名所旧跡を案内したり、茶道や書道を手解きしたりするうちにのっぴきならない関係になってしまった。
若く美しいヴェロニカはすこぶる積極的だった。
「――そんな、爺さんが年甲斐もなく22歳の若いコと」
アランは軽蔑の眼差しで爺さんを見返す。
「いや、わしだって当時は50代半ばだ。その頃から爺さんだった訳ではない。50代といえば男盛りではないか」
爺さんは50代半ばの男盛りだったのだから22歳の美女との浮気もやむを得ないという口振りだ。
(当時は50代半ば。今のゴードンさんと同じくらいの年齢か)
そう考えるとわりと若いという気がする。
爺さんは老舗旅館の主らしい風格を醸したいばかりに渋めの和服姿で白髪も染めずにわざわざ老作りをしているのだ。
(それにしても、自分の娘よりも年下の女のコと浮気とは)
(その頃、母さんは24歳くらいか?あ、母さんじゃなくてホントは腹違いの姉さんなのか)
アランはすっかり混乱していた。
物心付いた頃から今の今まで祖父と思っていたのが実は父親で、母親と思っていたのが腹違いの姉だったとは。
ヴェロニカが身ごもり、どうしても産むという本人の強い希望で、爺さんは旧友の医師の元でこっそり人知れずヴェロニカを出産させた。
しかし、ヴェロニカは留学先の日本で父親ほどの年齢の男と不倫して出産したことなどアメリカの両親には隠すつもりだった。
ヴェロニカはハーバード大学の日本文化研究所で学ぶ優秀な学生だった。
研究に専念したかったヴェロニカは産んだ赤ん坊を爺さんに託し、何事もなかったかのようにアメリカへ帰国したのだ。
「婆さんには土下座して許しを乞い、娘夫婦にも頭を下げてお前を2人の実子として出生届を出して貰ったのだ」
江戸時代から続く創業300年の歴史と伝統を誇る老舗旅館の主として22歳のアメリカ娘と浮気して子を産ませたなど決して世間に知られてはならなかった。
こっ恥ずかしいというのが最たる理由だが、何の罪もない産まれた子にまで出生に引け目を持たせてはならないと考えたのだ。
「――はぁ――」
アランは力無く吐息した。
(はゆま屋の婆さんには可愛いがって貰ったのに、俺が爺さんの浮気相手が産んだ子だったなんて)
そう言うと亡くなったように聞こえるが、婆さんはまだピンピンと健在で今もはゆま屋の大女将として働いている。
思い返せば、爺さんはともかく、婆さん、母さん、まったく血の繋がりのない父さん、父方の爺さん婆さんにまでアランは可愛いがられて天真爛漫に育った。
それだから高2の夏まで自分の出生に何ら疑惑を抱いたこともなかったのだ。
ハンサムで勉強もそこそこ出来てスポーツ万能なアランは親にも自慢の息子だったはずだ。
だが、高2の夏、進路のことで両親と揉めて父親に生意気な暴言を吐いた時に怒った母親が思わず放った一言でアランにとっての家庭は崩壊した。
「父さんが今まで血の繋がりもないあんたのことをどんなに――」
そこまで言って母親はハッとして口をつぐんでしまったのだ。
父親と血の繋がりがない。
それを知ったアランは自分が母親の浮気で出来た子だと思い込んだ。
母親の新子は女子大生の頃にミス荒刃波に選ばれ、荒刃波温泉のキャンペーンガールを務めたほどの美女で、それに比べて父親の直哉は地味でパッとしない物静かな男なので母親はふしだらにもハンサムな欧米人と浮気したのだろうと勝手な想像をしたのだ。
(まさか、爺さんが父親で、ヴェロニカ・マンコビッチなんて女が母親だったとは)
ひとまずアランはこの4年余りモヤモヤしていた出生の秘密が明らかになってホッとした。
「その指輪はわしがヴェロニカに贈ったものだ。ヴェロニカが結婚するからと言って返してきよった」
ヴェロニカは32歳の時に研究所の後輩と結婚したそうだ。
「――へ?返してきた指輪?」
そんな指輪、縁起でもない。
アランは豪華なサファイアとダイヤの指輪を爺さんに突き返した。
しかし、自分でエンゲージリングを買うには手持ちの予算があまりに少ない。
「えっと、爺さん?金、貸して?」
アランは実の父親だったと判明した爺さんに遠慮なく金を無心した。
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