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ヤリチンが落とされる所がみたい。

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 注意書き
 ・受けがヤリチンです、女の子といっしょにいたりもします。
 ・女の人への激重感情吐露シーンあります
 (恋愛感情はないです)
 ・催眠術とかマインドコントロール的な描写がありますが、実際のものとは異なります。
 ・それらを推奨する意図はありません。





 ■




 黒田あきら、34歳。
 彼は中高一貫の男子校出身、しがない、しかし熱心な社会の歯車です。
 近頃の彼の趣味はSNSですが、とてもではありませんが現実で繋がりのある人に見せることは出来ません。
 そこに美しい景色や、おいしい料理などはありません。
 所謂裏垢というものです。
 それも女の子とのハメ撮りばかりを載せています。

 スマホの中は出会い系を四つ入れており、夜はなるべく女の子との予定を入れています。

 ヤリチン、というやつです。
 結婚は今のところ考えていません。
 男は40手前くらいですればいいかな、等呑気に思っています。

 そんな彼は、今夜もいつも通り女の子と会っていました。

 今日会うのはメグちゃん、おっぱいの大きい21歳の女子大生です。
 彼女と会うのは二回目で、エッチの相性も悪くありません。

 いつも通り、駅で待ち合わせ。
 ホテルまでの道を歩いていると、怪しい暖簾のお店がオープンしていました。
 看板には《占い》と書いてありました。

 メグちゃんが足を止めます。
「わあ、アキくん、占いだって!」
「へぇ、占いかぁ」

 興味ないなぁ、と喉まで出掛かります。
 正直こんなものを信じる人間が理解できません、非科学的です。
 さっさとセックスしてさっさと帰りたい、しかしそれを悟らせてはいけません。
 女の子の機嫌は秋空の如し、何度か痛い目を見ながら学んできたのです。
 いつもなら占いにも適当に付き合いますが今日は少し疲れています、なにかこの場を切り抜ける言葉を吐かなければ、口を開きかけた時、店の扉が開きました。

「あら」
 妙齢の女性です。
 派手な化粧に、露出の多いエステニックな出で立ちで、金色の軽そうな装飾を幾つも付けていて、動きに合わせてしゃりしゃりと音が鳴りました。
 目が合います、思わず逸らしてしまいました。
 このような女性は苦手です。
 女性は明から視線を外しメグちゃんを見て、にこりと笑いました。
「今日オープンしたの、是非どうぞ」と暖簾を招くように捲りました。
 メグちゃんは少し迷ったような素振りを見せてから「どうする?」と首を傾げます。
 行きたい、と言うことです。
 つやつやのグロスを塗った唇が半開きでエロいな、と思いました。彼女の可愛らしい機嫌を損ねたくはありません。
 どう断るか組み立てて口を開いた時、妙齢の女性は首を小さく傾げて赤い濃いマットなリップの口元を少し上げて言いました。
「今ね、モニターでアンケート書いてもらえるなら無料になるの、どう?」
「え!? やったぁ、行きたい行きたい!」とメグちゃんは小さくぴょんっと跳ねて入っていきます、こう言うところは彼女のあどけなさで、可愛らしいところでした。
 女性は目を細めて再度明を見ました。
「どうぞ?」

 明はぐっとこらえて「じゃあちょっとだけ」と愛想笑いで答えました。

 室内は靴を脱ぐらしく、スリッパに履き替えさせられます。
 店内は薄暗く、厚い深い紫色の布で仕切りがされていました。
 受付にはおかしなガラスの置物や大きな絵がかけられており、そこに混じるように占い師の写真や案内文がかかっていました。
 妙齢の女性は何も聴かずに「一番魂の合う人の所に案内しますね」とメグちゃんと明、それぞれにラミネートされた安っぽい番号札を渡しました、インチキ臭いなと思わず顔をしかめます。
 この番号の仕切りの中に行くように、という事です。
 何が魂だ、と言いそうになりぐっと黙りました。
 二人で一つの部屋に行かされると思っていた明はメグちゃんに同じ部屋でいいよね? と声をかけようとしましたが、メグちゃんは一人軽く返事をしてさっさと歩いていきました。
 普通、女性は一緒に入ってああでもないこうでもないと言いたい物ではないのか、明はまた女性のことが少しわからなくなりました。
 何故、女という生き物はこの様な非科学的、非論理的な現象を信じるのでしょう。
 実に馬鹿馬鹿しく、億劫です。
 こんなもの、信じる人間の気が知れません。

 そんな彼の困惑を見透かすように、女性は「場所……わからないかしら?」と声をかけてきました。
 上から話す女は嫌いです。
 むっとした明は女を一瞥し、渡された札に書かれた番号のブースへと入りました。

 重い布で囲まれた空間には、額に入った怪しげな絵や、謎の木彫りの置物などが置かれています。
 意外なことに机は無く、代わりに卓袱台ほどの青い布がひかれていました。
 布を挟むようにクッションが並べられており、入って奥側には黒いパーカー姿の大男が、フードを被って座っていました。
 彼の髪は癖毛で、前髪は簾のように目を隠しています。

「……座ってください」男はゆっくりと低い声で言いました。
 占い師だからと、勝手におばさんや、お婆さんを想像していましたが、若い男です。
 それも、かなりがたいが良いように見えます。
 まさか男が占い師をしているなんて。
 その驚きは、つい面を食らって「えっ?」と声を上げてしまうほどでした。
「座ってください、そこのクッション」

 前髪の隙間から覗いた瞳と目が合いました。
 ここまで来たら茶化しきってやろう、そして何も言えなくして、ネットの話の種にでもしてやろう、明はそう考えて大人しく座りました。

 占い師は、その辺に転がっていたキッチンタイマーをスタートさせ、名刺を取り出し、片手で明に手渡しました。
「ヨキです」
 なんだ、最低限の名刺の渡し方さえ知らない人間じゃないか……と少し安心します。
 明の口元に笑みが戻りました。
「へえ……本名?」
「いや、もう少し深いところの名前です。
 じゃあ、システムの説明をします」ヨキと名乗った占い師は絶妙に明に話させないような、居心地の悪いテンポでこの店の説明をし始めました。

 時間は15分で、その中でなら相談はし放題、自分ができるのは手相、タロット、占星術……とまあこんな具合です。

 明は話を聞き流しながら、彼を如何にして黙らせようか、ほら当たってない、インチキだ、何にもわからないじゃないか、占いなんて嘘ばっかだ、と彼に勝つ算段を立てていました。

 ヨキと名乗った男は低い声で説明を終えて、明を見ました。
 そして簾の前髪から瞳を覗かせ、ちらりと見て、笑いかけました。

 馬鹿にされた、と感じます。
「なんですか?」明は不機嫌を隠さずに言いましたが、ヨキはまるで動じません。
「ああ、ごめんなさい、可愛い人だなと思って。
 じゃあまず、名前と生年月日教えてもらっていい?」と口元が優しく笑っています。
 可愛い、男が?
 ますます腹が立ちました。
 適当な名前と誕生日をでっち上げることにしました。
「川口アキ……19××年、8月」
「ダウト」
 ヨキは低い声で射すように被せます。
「…………え?」
「ね、嘘は良くないよ」
 静かに言います。
 明がなにも言えずにいると、ヨキは柔らかく話し出します。
「本当のことは言いたくない?
 いいよ、わかった。
 じゃあわかるところまでやってみよう」

 ヨキは特段気分を害した様子はなく、微笑んだままタロットカードをシャッフルし始めました。
 それが不気味でした。
 普通、人は嘘を吐かれたら嫌な気持ちになるはずです。
 しかし彼は全く気にもせず、手際よくカードを幾つかの山に分けまとめ、伏せたままカードを並べていきます。
 明は何故か、その大きく無骨な手が繊細に動く様から、目をそらせずにいました。

「俺の何が嫌い?
 ニヤニヤしてて余裕そう……とか? それとも……体が大きいからかなぁ、よく言われるんだよね、怖い?」

 流れるような手でカードを一枚めくりました。
「ああ、女の子が隣にいないと不安かな」
 カードの女性の絵を見て、占い師は言いました。
「そんな事、ない」明は咄嗟に否定しました。
「うん、そっか」とヨキは頷きました。
 目が合います、まるで自分の内心を全て見られているようで、ぞっとしました。
「勲章を持っていないと思ってる?」
 その後で、わかったような事をベラベラ勝手に言う男に腹が立って来ました。

「……ハズレ、全然違う。
 適当言ってメンタリスト気取りか?」

 占い師はまたカードをめくりました。
「……男性同士の人間関係には慣れてるね、でも自分より優れていると感じると辛い。
 大丈夫、安心して、君は自分が思うより弱くないし、劣ってもいないよ。
 だって知ろうとしてるし、自分なりに努力もしてる、それが正しい方向かは知らないけどさ」

「……だ、だから当たってないって」

「自分の思うとおり、それが占いだよ。
 人に裏切られたと感じてる。
 どう? 当たってる?」

「……当たって、ない」

「そっか、俺は腕が悪いかもね」
 占い師はカードをどんどんめくっていきます。
「誰かに、認めて欲しいんだね。
 君は劣っていないと証明してもらいたいんだ。
 でも一人じゃ証明出来ない……そうだね、わからないって怖いよね。
 大丈夫、俺も怖いよ。
 きっとみんな怖い、特別じゃない。
 でも、貴方の場合は重圧を感じてるかも、だからいつも寂しくて不安なのかもしれないね。
 ……なにを知りたいの?」

「お、俺は、出世街道乗ってるし、女にも困ってない。
 お前みたいにヘラヘラ怪しい商売して、金巻き上げてるような人間じゃない……。」

「当たり前だよ、俺は君じゃない。
 人はみんな違う生き方をしていて良い。
 大丈夫だよ、君は君というだけで良いんだよ、君は愛される価値がある」

「……で、でも、お前、は、俺は」

「じゃあ俺が証明してあげようか、君が劣ってない事を。
 君が、どうすれば自信を持って生きていけるか、ヒントを示せるかも」

 低い声が滑るように耳に入ってきました。

「…………どう、すれば、いい」

 占い師は変わらずに微笑みました。

「手を見せて」

 鼻をあかそう、当たってない、非科学的、そんな言葉が頭をぐるぐる回るのに、涙が出そうなくらい助けて欲しくて、明は思わず手の平を差し出しました。

「ありがとう」

 占い師は低く柔らかく言って、大きな手で明の手を両手で包むように握りました。

「君から優しい波動を感じる。
 君は人の善意に心からお礼が言える。
 手の感触を思い出して、お礼を言ってみようか」

 そして、占い師は間に敷かれた布を越え、膝をつき、明の手に額をつけて言いました。
 人の気配と体温は慣れているはずなのに、熱く生々しく感じて思わず身体を引きました。

「俺が君を肯定する、君はどんな生き方だってしていい。
 ……君の価値は俺が保証する」

 目が合いました。
 明は占い師と目がそらせず、指先に熱がたまっていくのを感じました。
「名前、教えてもらえる?」
「……くろだ、あきら」
「あきらさん、アキラさんね」
 占い師は、目を閉じ、伏し目がちにあけて、手を離しました。
 何故かそれが物足りないと感じました。
 ヨキは、空いた手に自分の名刺を握らせて、微笑みます。

「また来たくなったら、連絡してね」

 その時、タイマーから電子音が響きました。

 アンケートを書く気にはなれず、カウンターで料金を支払い、明は外に出ました。
 何故か一緒にいたメグちゃんのことなど、頭からすっかり抜けていて、カウンターであの妙齢の女性から「お連れさん、貴方をおいて帰っちゃった」と言われても、最初ピンと来ないほどでした。
「あ、そう、ですか」と気のない返事をして帰りました。
 不思議な感覚です。
 胸がぽっぽと熱く、静かです。
 普段なら、先に帰られたことを三日は引きずりますが、不思議と気にならず、考えることすらしませんでした。
 彼女にも何か事情があったのかも、と相手を思う事すらしました。



 ■



 それから一週間。
 不思議な感覚のまま、明は日常を過ごしておりました。
 喫煙所という名の吹きさらしはビルの裏手にあります。
 煙草を吹かしていると「なんか、変わったよね」
 同期の鈴木がそう声をかけて来ました。
「あ? そうか?」
「うん、なんか黒田、変な圧なくなったつーか」
「は?」
「彼女できた?」
「出来てないけど」なんなら一週間誰とも会っていません、SNSを覗くことすらしていませんでした。
「なーんだ。
 ……でも黒田、すごく良い感じだよ。
 いいじゃん、いいじゃん」
「……んだよ」
 鈴木は明の顔を覗いてにやっと笑いました。
「彼女、大事にね~」ひらりと振った彼女の左手には銀の輪が光っています。
 彼女は風上を注意深く狙って立っていました。
 喫煙所から遠のく背中は背筋が伸びていました。
「いないっつってんだろ……」と小さく呟いて、暫く居なくなっていた苛立ちが胸に広がっていくのを感じました。
 彼女は煙草を止めました、喫煙所に近付きませんでした、だからいたのに、鈴木は自分に声をかけに来たのです。
 彼女は喫煙所に近付きもしなくなったはずなのに。

 煙草の火を消し、ポケットに手を入れると、名刺入れに手が当たりました。
 何故か、あの占い師の名刺を取り出して見入ってしまう自分がいます。


『俺が君を肯定する、君はどんな生き方をしていたっていい』

 この一週間、御守りだったその声が、今は胸に痛みを与えるのです。
 ここで連絡するなんて、非科学的です。

 仕事を片付けて、夜八時。
 一人酒を入れて、夜九時。
 名刺に並んだ11桁の番号に電話をかけました。
 暫くコールが続いて、出ないかも、と思った時、ぷつりと呼び出し音が切れて、あの低い声がしました。

『……はい、占い師ヨキです』
「…………あ、えっ、と…………………………」
『……んー、アキラさん、かな?』
「は、はい」
『どした?』
「……あ、あの、どうしたら、いいんですか」
『うん』
「うんじゃなくて、俺、どうしたらいいんですか」
『うん、よしよし、大変だったね、店いまから閉めるからさ。んで、特別に視てあげるから、新宿においでよ、来れる?』


 脳みそがぐらりと揺れるほど、優しく言われて、脳裏に警告か響きます。
 自分は今、不味いのかも知れない。
 引き返すなら、今かもしれない。

『アキラさん、辛かったね。
 でも大丈夫だからね、もう少しだけ頑張れる?』

「大丈夫……」

『はは、えらい』


 この一言で、明の足は勝手に動き始めました。




 ■



 新宿のラブホ街に差し掛かる、雑多な道の怪しい占い屋は、明かりが落とされていました。
 ヨキは入り口に持たれるようにして立っていて、明を見つけるとすぐに口だけで微笑みました。

「来てくれてありがと」と表情の見えない大男は閉店した店へ明を招きました。
「靴、脱ぎっぱなしでいいよ」と言われたので、その通りにします。
 店の電気は間接照明以外、落とされており、あの日見たぎらついた置物や怪しい絵等が雰囲気を出していて、お化け屋敷のようでした。
 フロントを通りすぎるとまた一層、暗くなり、カーテンで仕切られた空間は鬱蒼とした森のようでした。
 ヨキは慣れているらしく、すいすい歩いていき、その中の一つに明を招きました。

 中はランプ型のライトが一つ、ついていて、やはりテーブル等はなく、クッションが乱雑に転々と落ちていました。
 ヨキは胡座をかいて座り、柔らかく口元を上げて「寝っころがっちゃお」と言って長い手足を投げ出しました。
「え、や、でも」と躊躇う明へあやすように言葉を向けます。
「もうやだーって思った時は、身体を投げ出した方がいい」
「……それも、占いか?」
「うーん……経験則かな、胸を開くと呼吸も楽だから」
 しかし三畳ほどのスペースに男二人が寝そべるのは少し窮屈でした、だけど、暗い暗い天井を見上げて、隣に体温があって、何も求められないというのは、今の明にとって随分楽でした。

「話なら聴くよ」とヨキは言いました。
「占いは?」
「して欲しいならする」
「……俺は信じてないけど」
「ここにいるのに?」
「…………そうだ」
「そう、じゃあただの俺に会いに来てくれたんだね」
「…………それは」と言葉に詰まるとヨキはまた見透かしたように言うのです。
「おまじない、切れた?」
「………………うん」
「何かあった?」

 華奢な左手に光る銀色の輪が脳裏をよぎりました。

「同期の女がさ、結婚したんだ。随分前だよ、でもそれは関係ない。
 俺と、部署も同じで、ライバルだと思ってた。
 でも、子どもが出来たら、もう、全然、アイツ土俵にも乗らなくなって、当たり前だけど、飲みにも行かなくなって残業もしなくなってさ、丸くなって……」

 ここで明は言葉を切りました。

「その人のこと、好きだったの?」とヨキは問いました。
 明は考えていました。

「……好きだった、気はする」

 初めて彼女を好きだと思ったのは、終電を逃して、二人で飲み明かした朝でした。
 同僚として彼女をはっきり尊敬した日でした。
 二人で初めてやり遂げたプロジェクトの打ち上げで、普段しっかりした彼女が終電を逃した珍しい日の話でした。
 仕事を語り尽くして喉が枯れ、隈が濃く、ファンデーションの残らない額が朝日に照らされていた土曜早朝の横顔は、確かに好きでした。
 初めて、異性の人間と対等に言葉を交わした瞬間で、女性というものがわかったような気がしたのです。

 嫌いなのは、飲み会で、はにかんだ顔で報告された顔です。女の先輩から花束を受け取って少し困ったような瞳です。


「確かにそういうの、少しはあったとは思う、盗られた、失恋、みたいな?
 ……でもそれが一番じゃないんだ、信じてもらえないかもしれないけど、俺アイツのこと女としてはあんまり見てなくて、たぶん、もしもなったら抱けるんだろうけど、そうじゃなくて、ただ、裏切られたと思ったんだよ」

 ただ、ただ、言葉を探して、探して、見つからないまま明はまくし立てます。

「俺と、仕事続けてくって思ってた、アイツ、ずっと、なのに、アイツ、裏切ったんだよ。アイツ、女だったんだよ、仕事おれより女を取ったんだよ」

 この言葉に全くの正しさが伴っていない事はわかっています、仕方のないことです。
 そう思いますし、知っています。
 本心ではない言葉すら混じっています、本心でもあります。
 幼稚な感情です、世界が初めて思い通りにならなかったのです。
 だから表に出さないようにしていました。
 変な圧をかけていたかもしれませんが、明は明なりに平静を保っていました。

「なんか、そう思ったら、わかりかけたと思った女って生き物が全然、わかんなくなって、心の底から、憎くなった」

 ヨキは口を挟まずじっと動きませんでした。
 明はそれでかまいませんでした。

「……俺、おかしいかな」
「おかしくはない、偏ってはいるけど」
 ヨキは寝返りを打って、明の方へ身体を向けました。重力に従って前髪が落ち、奥の目が明を見ていました。

「子どもっぽい、とかは思うかも」
「……わかってる」
「でもたぶんさ、その人が男の人で、転職とかしても、アキラさんは同じように怒ったんだろうね」
「当たり前だ、でもそれとは……」
 ヨキがすっと手を伸ばし、明の目元を拭いました、そして明の頭を抱えるように撫で、ぐっと顔を寄せてきました。
 鼻と鼻が触れ合いそうになる距離です。
 明は思わずたじろぎます、その顔を見たヨキは目を細めて笑いました、でも不思議と不快ではありませんでした。

「キス、していい?」
「……ぅ、え?」
「キスしたい」
「いや、俺、おとこ」
「ふぅん。そうなんだ、?」
「や、ふつうは、しない」
「普通ってなに」
「それは、え、と」
「キス、嫌ならしないよ、普通に」
「い、嫌、かも」
「そう、残念、俺が女ならしたの?」
「……した」
「惜しいな」
 何が惜しいのかはわかりませんが、ヨキはそれきりキスをしようとはしてきませんでした。
 しかし身体を離しません。

「アキラさんが傷つけられたのは、無名の《女》って集合体じゃないよ、裏切られたと感じるほどの関係が築いたのは、彼女とアキラさんだよ。
 アキラさんがわからないのは女じゃないんだよ、その人だよ、ちゃんと話しておいでよ、その人の言葉を聴くんだよ、貴方が俺の言葉を聴くのと同じようにね」

 ゆっくりとした呼吸のような声が目の前のきれいな形の唇からします。
 喉仏が上下して、何故かそれが恐ろしく感じます。

 ヨキは言い切った後、上半身を起こして、少し考えて口角を上げたまま言いました。

「次はキスしていい?」
「え……」
「嫌?」

 また、優しく髪を梳かれました。
 明は戸惑っていました、嫌じゃないのです、キスしてもいいかも、と結構思っているのです。
 自分より大きくて、髪の毛は癖毛ののれん前髪で、すべてを見透かしたような顔をした得体の知れない人間に、キスされても良いかも、と思っちゃっているのです。
 その事実に驚いて明は身体を起こしました。

「……嫌じゃない、かもしれん…………?」

「やった」
 自分は何故、こんな人間を信用して頼ってしまうのでしょう。
 みっともない姿を最初に見せたからでしょうか、普段の自分を知らない相手だからなのでしょうか、正気に返るといつもわからなくなるのです。
 でも大きな手で頭を撫でられたり、声をかけられると胸の辺りがじわじわ熱くなるのです。
 この気持ちって、なんだ。

「また連絡してね、アキラさん」

 男は口角を上げていました。



 ■



 快晴で、全く綺麗な青空でした。
 屋上で小休止と称してサボっていると、鈴木が来ました、いつもの事です、二人はサボるタイミングが酷く似ているのです。
 趣味も好みも性格も全く合わない二人ですが、この仕事、という一点に置いて、鈴木と明はこれ以上ない程息が合うのです。
「よっ、調子どう?」
 煙草の火を消して、ポケット灰皿に入れました。
 その様子を見た鈴木の瞼が少し開きました。
 それだけで、なんだかもう、明は満足しました。

「別にどうって事ない」
「そう、私がいなくなるの寂しいよね?」
「……いや、あのなぁ、俺は別に」
「黒田ってまじで寂しがり屋の癖に認めないよね」
「…………寂しがり屋?」
「うん、専務が定年の時も泣いてたし」
「泣いてなっ、え、見……」
「嘘だよ。見てないよ。
三十路過ぎてその反応はキツいぞ」
「……何年前の話だよ」
「ま、私は産休明けたら戻ってくるしね」
「えっ」
「やっぱ仕事してない自分とか想像出来ないよ。
 話聞いてなかった?」
「子ども出来たってとこまでしか」
「まじ? ちゃんと朝礼聴きな、悪い癖だよ」
「……まあ、想像できんわ、鈴木が専業主婦とか」
「わかる、私も」

 鈴木はゆっくり伸びをして、柵に持たれて笑いました。
 明はやっぱりそれを見て、遠い夢のように思います。

「戻ってきたら、お前が死ぬほど働けるようにしとく」なんとしに言いました。

 鈴木は明を少し睨んで、舌打ちをしました。
 何が気に入らないのかは明には理解できませんでしたが、鈴木は小さく「あー、そういうことね」と視線を外しました。
 そして首をコキッと鳴らして、ため息を吐き、呟きました。
「がんばるじゃん」
 しかし彼女は何かを受け取ったようでした。

 明はその様な鈴木に慣れていたので、特に気にもせず続けました。

「鈴木と朝まで仕事の話した事あったじゃん」
「うん」
「あそこから、鈴木の事ずっと一目置いてた。
 お前すごいんだよ、お前がやること、俺も一緒にしていきたい、そうでなきゃ困る。
 だから、今までと同じだ、お前が仕事しやすいように俺が走り回る」
「そんで私は定時退社ね」
「マジなんだよあれふざけんな」
「でもお陰で旦那と結婚できたからね」
「そりゃ良かったよ、くそが」と癖で明は煙草を加えましたが、火をつけずに口から離しました。
 それを見た鈴木は唸りました。

「あー! 私も煙草吸いたい、でも辞めるんだ、ここでスパッとね。
 ま、ここまでツーカーでやって来たからさ、黒田とは。多少足並み揃わなくなっても頼りにしてるよ、私、仕事好きだから、続けるさ、泣くなよアラフォー」
「うっせ、まだアラサーだわ」
「ギリねー」

 適当な言葉を吐いた鈴木は、ひらっと左手を振って出て行きました。
 しっかりしてそうで、いつも言葉の選び方が雑で、そのフォローは黒田の役割だった。
 鈴木はやっぱり鈴木なのです、女だから仕方ない、で済ませられないほどの関係でした、新卒で入社して十二年の付き合いです。
 憎たらしいのは、彼女がそう選択せざる得ない社会で、どうしようもないと思えばこそ、甘えやすい方向を憎んだのでした。

 それがわかったとき、なんだか肩の力が抜けて、明は、煙草に火をつけました。

 青い空に上る濁った白い煙を眺めていると、腹が立ってきました。
 彼女が好きかも、と思ったのは勘違いだったな、とすら思い、それは自分が勝手すぎて、なんだかなぁと煙と共にため息を吐きました。
 すぐに凝り固まる黒田の視界を明けるのは、雑な鈴木の役割でした。

 そろそろ戻らないと、と思いながら、明は何故なのか、あのおかしな青年に電話をかけています。

 今日キスされていいかも、と思ったからです。
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