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深まる疑惑
#6
しおりを挟むそんな私の不安をよそに、現実というものがいかに残酷で無慈悲であるかということを思い知る出来事が起こった。
それは、高梨さんと共に社員食堂での昼食を終えて、秘書室のある最上階のトイレに立ち寄った時のことだった。
私と高梨さんが個室に入ってすぐに、数人の聞き慣れた女性の話し声と足音が聞こえてきて。
洗面台が設置されてる場所の辺りから水を出す音に続いて、カチャカチャとメイク道具らしきものを取り出すような音が響き始めた。
聞こえてくる声からして、どうやら秘書室の三、四人ほどの先輩方が身だしなみを整えるためにいらっしゃったらしい。
――速く終わらせてくれないかなぁ?
なんとなく出ていきづらさを感じた私が心の中で独りごちていた時、
「ねぇ、ちょっと。あの噂ってどうなってるの?」
「あぁ、副社長と綾瀬さんのこと?」
なんの前触れもなく、唐突に、そんな言葉が耳に流れ込んできてしまい。
私の頭はもののみごとに、一瞬にして真っ白になってしまった。
そんな私の頭の中では、
『いつから?』『なんで?』『どうして?』がひっきりなしに飛び交っていて。
真っ白になった頭では処理しきれずに、ただただじっと息を潜めていることしかできないのだけれど……。
そんな私のことなんて置き去りにして、先輩方の話はどんどん進んでいく。
「そうそう!それっ!」
「あっ、それ! 私も気になってたのよねぇ」
「……えぇっ!? 何それっ!あたし知らないんですけどっ!?」
「あら、そうなの? でも、後任の秘書を誰にするかってなったとき、副社長の鶴の一声で、一般職のしかも新入社員の綾瀬さんが異動になったって聞いたとき、みんなで言ってたじゃない。もしかするかもって」
「それはそうだけど……。本当にそうだっんだぁ? うわーショック~。
実は私、副社長に憧れてたんだけど、夏目さんとの噂があったから諦めてたのにぃ。それをぽっと出の新入社員に持ってかれるなんて~。メチャクチャ悔しいんですけど~。
あー、副社長もやっぱり、若くて何も知らないような女に引っ掛かっちゃうのねぇ……」
「はいはい、分かった分かった。今度ゆっくり愚痴聞いてあげるからちょっと静かにしてなさい」
「あっ、どいひー。いいもんいいもん……」
「ねぇ、どうなの? その後の進展は?」
「えー、そんなの分かるわけないじゃん。まさかあの夏目さんに訊くわけにいかないしぃ……。
まぁ、でも、副社長と結婚するのは確実みたいよ。
前に、三上室長と西条部長の会話を偶然聞いちゃったんだけど、『要坊っちゃんのお相手が決まってうちも安泰だ』って、西条部長が声を震わせながら喜んでたもん」
「やっぱりかぁ? なんかあるとは思ってたけど、まさか結婚までいくとはねぇ……。
でもたしかに今思えば、最初からおかしいことずくめだったものね?
女嫌いで冷たい、あの、仕事の鬼である夏目さんの下にわざわざ新人つけて、辞表出させるようなこと普通しないもんねぇ……」
「ハハ、確かに。普通なら、夏目さんに厳しく叱られて、即、辞表コースよねぇ?」
「「確かに」」
「あー、でも、あの子って、素直そうでおとなしそうな見かけによらず、ちゃっかりしてるものねぇ?
私たちより速く出勤して、準備とかしてくれてて、最初は『気が利くいい子が来てくれた』って思ってたけど……。
あれも、三上室長や夏目さんに気に入られるための、計算だったってことでしょ?」
「あっ、それ。あたしも思ったぁ。きっと副社長も、そういうところにコロッと騙されちゃったのよ~」
先輩方の話がどんどん進んでいくにつれ、私の悪口大会のようになってきて、聞いてるうちに、どんどん沈んでいく気持ちを何とかしようと、両耳を手で押さえようとしていたところで。
私が入っている個室とは違う個室から水の流れる音が聞こえてきたと同時、ドアが無遠慮に開け放たれる音がバタンッ……と豪快に響き渡ったかと思えば……。
あんなに騒がしかった筈の女子トイレの空間が一気に静まり返って、先輩方の息を飲む微かな音までが聞こえてきそうなほどだ。
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