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1巻

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   1 けない魔法


 その日はお互いに酔っていたのだと思う。
 あの最悪な出会いから一週間と経たないこの日、彩芽あやめはたまたま職場の同僚に合コンの穴埋め要員として誘われた。
 そこで彼と再会を果たすとも思わなかったし、ましてや一夜を共にすることになろうとは、夢にも思っていなかった。
 何せこの春二十二歳になったばかりだというのに、彩芽は未だ恋の経験さえもなかった。
 だというのに――合コン帰り、助けてもらったのをきっかけにお洒落な雰囲気のバーに連れて行かれた流れで、思いがけず大好きなチョコレート談義に花を咲かせることになった。
 その上、長年抱いていたコンプレックスをうっかり吐露してしまったせいで、未知の世界へと足を踏み入れることになろうとは……

「だったら、ちょっと試してみない? 俺とそういうことができるかどうか」

 まるでおとぎ話の王子様のような甘やかな顔をした男から、まさかそんな提案をされるとは思わず、彩芽は驚きのあまり問い返す。

「……試してみるって、どうやって……?」

 目をパチパチさせキョトンとする彩芽に、男はまぶしいくらいの微笑みをたたえ、思いの外優しげな声で囁きかけてくる。

「そんなに難しく考えなくていいから。ほら、目、つむってみて?」

 急な展開に何が何やらわからないながらも、あの時の彩芽には不安よりも好奇心が遙かに上回っていたのだと思う。どこからともなく沸き立つ期待感から、思わずゴクリと喉を鳴らす。
 彼の甘い声音にそそのかされ、彩芽は彼の声に操られるかのようにまぶたを閉ざした。
 わずかの間を置いて、彩芽の唇に柔らかな何かが触れる感触がもたらされた。
 その瞬間――おそらく魔法にかかってしまったのだと思う。
 今まで自分には無縁だと思い込んでいた「恋の魔法」とやらに。
 厄介なことに、これは今もけてはいないのだろう。
 いや、むしろ呪いとでも言った方がいいかもしれない。
 あのキスのせいで、彩芽の心は今でも囚われたままだから――
 決して叶うことのないこの想いは、昇華されないまま未だにくすぶり続けている。
 けれど、私にはこの子がいる。
 自分の血を分けたこの子がいてさえくれれば、何だってできる。
 この三年間、彩芽は事あるごとにそう自分に言い聞かせてきた。


   * * *


 彼との出会いは、最悪なものだった。
 当時、製菓専門学校を卒業し長年の夢だったショコラティエールとして、有名百貨店に店舗を構えるチョコレート専門店で働き始めた頃。急病で欠勤した店舗スタッフの代役を務めていた時のことだ。
 社会人になってまだ間もない上に、慣れない店舗業務にもたついていたのも事実だった。

「あら、この可愛らしいお嬢ちゃんはアルバイトの方かしら。どうりで接客がなっていないわね~」
「この店の教育はどうなっているのかしら」
「美味しいと評判だって伺ったのに、これじゃあ期待できないわね」

 各店舗で以前からクレーマーとして知られる傲慢なマダムから立て続けに罵られ、言い返すことなど許されない彩芽はただひたすらに頭を下げて耐えるほかなかった。

「あのう失礼ですが、円城寺えんじょうじさんでいらしゃいますよね? いやー、ご無沙汰しております」

 よく通る爽やかな声音でそう言って現れた、どうやら顔見知りらしい彼の登場によってマダムの態度は一変し、その場は収まったのだが……
 マダムが機嫌良く帰った後、彩芽が彼に礼を告げた際。

「当然のことをしたまでだよ。それに、まだ君、女子高生のようだし。可愛いアルバイトの君にこの仕事を嫌いになってほしくないからね」

 幼い頃から標準的な身長を下回っていた彩芽がもう何百回、いや何万回と耳にタコができるほど聞き慣れたフレーズが彼の口から放たれた。
 ――またか……。確かにチビですけど。こう見えてもう成人した立派なレディーなんですからね。女性を見かけで判断したら痛い目見ますよ。それにさすがに女子高生は言い過ぎだと思うんですけど!
 いくら地雷を踏まれたとはいえ、助けてもらったことも棚に上げ、彩芽の胸の内は少々やさぐれ気味だった。
 身長一四六センチという、成人女性の平均身長を大きく下回る彩芽にとって、小柄な体型はコンプレックスでしかないのだから仕方ない。
 そんな彩芽の複雑な乙女心などまったく気づいていないのであろう、この爽やかなイケメンは、事もあろうに、人好きのする完璧なキラースマイルを携えてとんでもない暴挙に出た。そして彩芽の乙女心をズタズタにしたのである。
 もちろん、よかれと思っての言動だと重々承知しているし、この男に悪気なんてまったくないのはわかっている。だけど――

「はい、どうぞ。美味しいガナッシュ――生チョコ食べてお仕事頑張ってね。それじゃあ」

 初対面の見た目高校生の女の口に、まるで小さな子どもにするようにたった今買ったばかりのガナッシュを放り込むのは如何なものか。
 まんまと釣られて口を開けてしまった自分もどうかと思うが、不可抗力だった。
 ――あれか? イケメンなら何をしても許されるとでも思っているのか?
 確かに、彼のキラキラときらめく笑顔はどこぞの王子様かと見紛うほどだったのは認めよう。
 ――でも、だからって……! いや、もういい。どうせもう二度と会うことなどないのだから、忘れることにする。
 彩芽は顔と共に小さな身体を紅潮させつつも、なんとか全神経を集中させて笑顔を取り繕った。
 高校生に間違われるのはこれまでもままあることで慣れっこだったが、どういうわけかこの時の恥ずかしさと悔しさと言ったらなかった。
 彼が店舗スタッフの間でかねてより噂されていた、週一で来店して決まってガナッシュを買っていくという謎のイケメン――通称「ガナッシュ王子」であることは後に知ることになる。


   * * *


 週末の土曜日の仕事帰り。
 同僚にほぼほぼ強制的に連行されてしまった苦手でしかない合コンで、彩芽はガナッシュ王子――神宮寺じんぐうじ駿しゅんと予想外な再会を果たすことになった。彼は彩芽が成人していると知ってひどく驚いている様子だったが、どこか嬉しそうな柔和な笑顔を浮かべていて、彩芽はその笑顔からなぜか目が離せなかった。
 挙げ句、帰りに酔っ払いに絡まれ困っていたところに彼がヒーローのごとく颯爽と現れたのだ。

「俺の可愛い彼女に何か用があるなら代わりに聞きますけど? それにこの汚い手、今すぐ離してもらえませんかね? 目障りなんで」

 彩芽の腕をつかんでいた酔っ払いの腕を赤子の手でも扱うように、簡単にひねりあげて撃退してしまったのである。
 細身な彼の意外にも男らしい姿を目の当たりにした彩芽の胸は、この時どういうわけかトクトクと高鳴るという、不可解な反応を示した。
 自身の不可解な反応に戸惑うあまり、酔っ払いが消えた後も、彩芽は身動みじろぎさえできずに突っ立っていることしかできずにいたのだが。

「彩芽ちゃん。手、震えてるけど大丈夫?」

 さらに彼は、酔っ払いから解放された彩芽の震える手を優しく両手で包み込む。そしてすかさず身をかがめてこちらに視線を合わせ、小首をかしげて上目遣いで様子をうかがうイケメンを前に、男性に免疫のない彩芽は余計に動けなくなってしまう。

「……え? あっ、はい」

 それでもなんとか返答した彩芽の様子に、彼は怖がっているからだと誤解したらしく、思いの外優しい声音で囁きかけてくる。

「全然大丈夫じゃないみたいだね。心配だから静かなところで休んでから送ってあげるね」

 あたかも合コンで女の子をお持ち帰りでもする時の常套句のような台詞だ。
 それなのに彩芽は抗うことなどできなかった。
 手慣れた様子で彩芽の小さな手を引いて歩み出してしまった彼に促されるままに足を踏み出すことしかできない。
 まだ知らぬ未知の世界へといざなわれるようにして、すぐ近くに行きつけの店があるからと彩芽が連れて行かれたのは、しっとりと落ち着いた雰囲気の「チャーム」というバーだった。
 キャンドルのような、温かみのある灯りが灯るカウンター席。
 そこに彼と隣り合わせで腰を落ち着けた彩芽は、彼の知り合いだという年配のオーナーを交えての談笑にふけっていた。
 王子様然とした見かけとは違って少々強引だった彼だが、毎週ガナッシュを買いに店に通って来るだけあり、チョコレートのことにやたらと詳しかった。
 そのせいでいつしか彼に対する警戒心も緊張感も薄れ、無類のチョコ好きが高じてショコラティエールになった彩芽は、もうすっかり彼と打ちけてしまっていた。
 けれどまさか――

「私、男の人と付き合ったことがなくて。気の利いたことも言えなくてすみません」

 などと口走ったばかりに、うっかり男性経験どころかキスの経験さえもないとコンプレックスを吐露してしまうなんて。

「だったら、ちょっと試してみない? 俺とそういうことができるかどうか」

 いくら優しい声音でそんな言葉をかけられたからって。

「そんなに難しく考えなくていいから。ほら、目、閉じてみて?」

 彼からそう促されたからって、言われるままに流されてしまうだなんてありえない。酔っていたからだとしか思えない。
 その結果――気づいた時には、シティーホテルの部屋にいて、キングサイズのベッドの上で彼に組み敷かれているという……キスどころか恋の経験さえない彩芽にとっては、夢だとしか思えない驚愕の展開でしかなかった。
 だからといって、彼に強引にホテルに連れ込まれたわけでは断じてない。
 長年、小柄な体型がコンプレックスの彩芽とは対照的に、背もすらりと高く華やかな容姿をしている、五つ上の姉・咲良さくらと比較され続けたせいで、彩芽はずっと女性としての自信を持てずにいた。
 そのせいか昔から猫背気味だったし、見た目が少々地味で野暮ったく見えるというのもあったかもしれない。でもこれも彩芽がそう思い込んでいるだけで、咲良とは身長差はあるものの、実際には容姿は劣ってなどいない。咲良が派手系美人だとすると、彩芽は地味系美人といえる。
 むしろ咲良を含め、両親や周囲からは小動物のようで可愛いと思われているぐらいである。
 勝気な性格こそ姉妹で共通しているが、咲良の方が自由奔放でいささか我儘なところがあった。
 というのも、咲良は大学生の頃より読者モデルとして活躍しており、周囲からチヤホヤされてきたせいだ。今では売れっ子モデルとして、雑誌やテレビなどメディアで見ない日がないほどである。
 それゆえに彩芽は事あるごとに姉と比較され、幼い頃より周囲の男子から幾度となく「チビ」だと揶揄からかわれてきた。勝ち気な性格も相まって、彼らに反発するうちにいつしか男子に対して苦手意識を抱くようになっていた。思春期になる頃には揶揄からかわれることも減り、何人かから告白もされはしたが、自分に自信が持てない彩芽は男性に対して自分から壁を作っていたことに気づいていない。
 今では完全に開き直って、恋よりも仕事。
 早く一人前のショコラティエールになって、いつの日か自分の店を出し、日本一のチョコレート専門店にしてみせる――そんな無謀な夢を掲げて、ずっと恋愛から逃げてきた。
 けれど本当は、心の奥底では誰よりも恋に憧れていたのだ。
 友人に彼氏ができるたびに羨ましかったし、いつか自分にも――そんな風に夢見てきた。
 だが咲良の存在が厚く大きな壁のように眼前に立ちはだかり、一歩踏み出す勇気が持てずにいただけ。
 彼はそんな彩芽の背中を後押ししてくれた。
 合コンでの自己紹介の際にも、杜若かきつばた彩芽という漫画の主人公のような名前を耳にしても、クスリとも笑わなかったのは彼だけだった。
 彼は、少し前に失恋したばかりだと言っていた。
 失恋で傷ついた心を癒やしたかったのかもしれない。
 いや、「かもしれない」ではなく、そうだったに違いない。
 彩芽にとっては、決して忘れることのできない大切な思い出だとしても――彼にとっては違う。
 だからあの夜のことは、一夜限りの魔法。彩芽はそう自分に言い聞かせていた。
 きらびやかな都会の夜景が望める、お洒落なホテルの一室。
 神々しいほどにキラキラときらめく王子様のような彼は、酔っているせいかとろけるような甘い眼差しで彩芽のことを見遣みやりつつ、今一度甘やかな声音で囁きかけてくる。

「……ここまで連れて来ておいて説得力ないけど、嫌ならすぐにやめる。だから正直に言ってほしい。今ならやめてあげられるから」

 おそらく、これが最終確認だということなのだろう。
 ここに来るまで過ごしたバーでオーナーが席を外した際、彼から試してみないかと問われての不意打ちのキス。
 初めてのキスは驚きの方が勝っていたけれど、少しも嫌じゃなかった。
 今ならわかる。気づいていなかっただけで、この時は既に恋に落ちてしまっていたのだろう。
 あの夜はまだ自分の気持ちがわからなくて、何もかもを酔ったせいにして。

「キスも嫌じゃなかったし、駿さんになら何をされても平気な気がします。だから大丈夫です……やめないでください」
「彩芽ちゃん、可愛すぎ。後で嫌なんて言ってきても、もう離してあげないからね」
「ひゃ……んんッ」

 彼に素直な気持ちを伝えすべてをゆだねたことで、お試しだというのにリップサービスを怠らない、優しい本物の王子様のような、彼とのチョコのように甘やかな夜はこうして幕開けしたのだった。
 彩芽の言葉を耳にした刹那。キラキラときらめくほどにまばゆい、王子様の甘やかな顔がぐにゃりと歪み、苦しげな声音を響かせる。

「……っ、本当に、可愛すぎだって。そんなに煽られたら、俺……ヤバい」
「あっ、やぁん」
「彩芽ちゃんの声、可愛くてたまらない。だから、もっともっと聞かせてよ」
「やぁだ。は、恥ずかしいぃ……!」
「じゃあ、彩芽ちゃんが恥ずかしいって感じる余裕なんて俺がなくしてあげる。もう俺のことしか考えられないようにね」

 彼の言葉は情事限定の常套句だと理解している。
 けれどこれから繰り広げられる、彩芽にとっての生まれて初めての行為に、彩りを添えるための美辞麗句だと思えば、特別な響きをはらんでいるように聞こえてしまう。
 王子様のような彼がチラつかせる、捕らえた獲物を仕留めようとする雄を彷彿とさせる言動もまた、彩芽の胸を熱くさせた。
 彼の形の良い薄い唇が彩芽の急所に狙いを定め、透き通るように白くほっそりとした首筋に、角度を変えては幾度となく食らいついてくる。
 きめ細やかな柔肌の表皮を優しく時に激しくついばまれ、その都度かすかに不可解な痛みを伴う。
 それが所有印を刻む行為だと気づいた途端、言いようのない嬉しさが胸の中にじわりと込み上げる。
 だが身体は相反するように、未知への不安からか、彩芽は小さな身を最大限に縮こめすくませる。
 そんな些細な彩芽の機微までを一つひとつ丁寧に汲み取ろうとするかのように、王子様の大きくて男らしい手が頭を包み込むように優しく撫でながら、耳元に唇を寄せてくる。

「彩芽ちゃん。そんなに怖がらないで。優しくするから、俺のこと信じて」

 そうして続けざまに、相も変わらず優しい甘やかな声音で言い聞かせるようにして囁きかけてくる。
 ――駿さんがこのまま彼氏になってくれればいいのに。そうしたらずっと側にいられるのに……
 願ってもどうにもならない思いが胸の中で増幅していく。
 彩芽はそんな思いを必死に抑え込む。そして彼を安心させ、滞りなく事を運ぶべく、彼の首に両腕を絡めてギュッとしがみついた。

「初めてでどうしたらいいかわかんないだけです。駿さんのこと信じてますから、続けてください」

 彩芽の言葉を聞いて、彼はピクリとかすかな反応を示して硬直し、一瞬の間を置いてから、ハァと悩ましげな吐息を漏らす。
 どうしたのかと困惑する彩芽の身体は、唐突に彼の細身ながらしなやかな筋肉に覆われた逞しい腕によって、ぎゅうぎゅうと強い力で包み込まれていた。
 しばしの抱擁の直後、解放された彩芽の身体は彼により再度組み敷かれ、先ほどよりも切羽詰まった様子の彼に射るように強く熱い眼差しで見据えられる。彩芽は囚われたようになり、身動みじろぎさえも叶わない。

「頼むから、そんなに可愛いことばかり言って俺のこと煽らないでよ。手加減できなくなるだろ。これでも俺、彩芽ちゃんのこと大事にしようと必死なんだからさ」

 やはりどこか苦しげな表情の彼の言葉の裏に、彼の憂いが籠められていたことなど、この時の彩芽に知るよしなどなかった。

「ちゃんと聞こえてる?」

 無反応の彩芽にれたように、どこかねた声で問い返してくる彼に、ますます愛おしさが込み上げる。
 ――こんな素敵な王子様みたいな彼が初体験の相手だなんて。本当に夢のよう。

「はい。嬉しいです」

 そのことを素直に伝えたのだが、どういうわけか彼の表情はますます困惑の色に染まっていく。

「だから、そういうところだって言ってるんだよ」
「え? そういうところって、どういう……」

 どうやら彩芽の言動が彼を困惑させているようだが、それが何なのか彩芽には皆目見当がつかない。

「彩芽ちゃんは何を言っても可愛いってこと」

 彼から返ってきた不可解な解答にも、目を白黒させるだけだ。
 そんな彩芽のことを悩ましくも熱っぽい眼差しで見下ろしている彼の、つぶらな漆黒の瞳がキラリと怪しくきらめいた。かと思った時には、彩芽の身に着けていた彼とお揃いのバスローブのあわいが大胆にはだけられていた。
 つい先日まで桜の花がほころんでいた春の季節だとはいえ、数分前にシャワーを浴びたばかりの肌が外気に触れるとひんやりとする。
 そのせいか、まろび出た彩芽のお世辞にも大きいとは言い難い、それでも形の良い胸の膨らみの中央、まだ誰にも触れられたことのない柔らかな新芽のような頂がツンと主張しており、それがどうにも恥ずかしい。

「キャッ……待って」

 あまりの羞恥に彩芽が思わず放った懇願は、少々意地悪さを増した彼に聞き入れてもらえず終いだった。
 それだけではない。
 彼は、やはりこういうことに慣れているのだろう。常に女性が喜ぶ台詞を欠かさなかった。

「悪いけど、もう待てないよ。それからこの手も邪魔。そんなんで俺のものになる気、あるの?」

 独占欲を思わせる王子様の甘やかな言葉に、彩芽は戸惑いつつも喜びを噛みしめ、酔いしれていく。

「……え?」
「あー、もう。何もかも可愛すぎだって」

 けない魔法にかかってしまった彩芽には、どれもこれもがまるで媚薬のように作用してしまう。
 やがて恥じらいを見せる彩芽の胸元を隠すための手は彼により身体の横でベッドに縫い止めるようにして固定され、代わりに彩芽の胸は彼の大きな手のひらで優しく包み込まれていた。
 当然だがそれだけでは済まされず、ふにふにとみ込んで淫らな形へと変えていく。
 彩芽の無防備な唇のその間からは、自身のものとは思えない鼻にかかったような、悩ましくも甘やかな吐息がこぼれ始める。

「はぁ……や、あぁんっ」

 彼の手のひらが胸の膨らみを鷲掴わしづかみ、ふにゃふにゃと翻弄するたびに硬い芯を持った敏感な場所がこすられ、なんとも甘やかな痺れをもたらす。
 同時に、ゾクゾクとする感覚が背筋をい上がってゆく。
 その痺れが徐々に増幅し、やがて離れた下腹部の奥が不可思議な熱を持ち始める。
 初めて味わう感覚に思わず両膝を擦り寄せた彩芽は、足をもじもじさせることで堪えこらた。
 そんなことに気を取られている彩芽の隙でも突くようにして、いつしか彼は胸に顔をうずめ――

「ひゃ……あぁんっ」

 熱くねっとりとした彼の舌がぷっくりと膨れほんのりと赤みを帯びた乳首に絡められ、チロチロと微細な動きでねて転がすように刺激し始めた。
 はじめはくすぐったさの方が勝っていたが、彼に執拗に敏感なポイントばかり攻められるうちに甘やかな痺れへと変貌を遂げ、彩芽の半開きになっている唇の間からは、甘えるような艶めいた吐息と声とがこぼれ始める。

「や……はぁ、んッーー」
「ダメだよ」

 たちまち羞恥にさいなまれた彩芽が咄嗟に手で口を覆うことで声が漏れるのを防ごうとするも、彼の少しねた声と手とでやんわりと制されてしまう。
 彼の言動にすっかり酔いしれていたはずが意地悪をされてしまったことにムッとして、彩芽は彼に抗議の視線を送ることで抵抗をあらわにする。
 彼はなだめようとするかのように、チュッと彩芽の額に優しく口づけてきた。そうして甘やかな声音で耳元に囁く。

「彩芽ちゃんの声、とっても可愛いから。だから我慢しないで聞かせてほしい」

 こういうことに慣れている彼に対して、無性に腹立たしくなってくる。
 そんな心情が言葉となって口からもこぼれていた。

「もう、やだ……」
「俺のことが嫌?」

 どうやら彼は、思い違いをしているようだ。
 それに表情だって心なしか悲しげに見える。
 ――お試しだって言ったくせに。意地悪だってしたくせに。どうしてそんな表情するのよ。
 心がぐらりと揺らいだ。一瞬、ほだされそうになったけれど、ぐっとえしのぐ。
 彼はこういうことに慣れているだけでなく、お芝居も手慣れているのかもしれない。
 ――一体これまでどれほどの女性を相手にしてきたのだろう。ダメダメ。考えるだけ無駄だ。
 だって、これは一夜だけのお試しなのだから。
 妙な期待をしてしまう前に、さっさと終わらせなければ取り返しがつかなくなってしまう。
 そう思っている時点で既に手遅れなのだが、この時にはまだ自覚がなかったのだから仕方がない。


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