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#63 思わぬアクシデント ⑴
しおりを挟むどうしたのかと不思議に思った私が創さんを見やると、なにやら険しい表情をしていて、眉間には深い皺まで寄せている。
怒っているのだろうことは雰囲気からも窺えるけれど、ついさっきまで菱沼さんとも普通に話していたから、怒るような要因が見当たらない。私は首を傾げるしかなかった。
どうにも気にかかって、ここに来るまでの道中のことを振り返ってみても原因が見当たらず、私がいよいよ考えるのを放棄しかけたところに。
「そんなに嬉しいか?」
創さんがボソッと耳に届かないぐらいの小さな呟きを落とした。
「……え? 何か言いましたか? 創さん?」
「あっ、いや、何でもない。行こうか」
「……はい」
結局、さっきの呟きがなんだったのかも教えてもらえないまま、私は創さんにエスコートされ、久々のパティスリー藤倉の住居スペースへと足を踏み入れたのだった。
菱沼さんはいつの間に用意してたのか、カメ吉の水槽ではなく、伯母夫婦への手土産を手にして私たちの背後に控えている。
手土産もそうだけど、『前々から段取りをつけていた』という創さんの言葉通り、どうやら私との結婚のことも私に人質を命じた頃あたりから、着々と準備は進められていたようだ。
おそらく、私の機嫌をとろうと、りんごのコンポートを用意してくれたあの日あたりからだろう。
伯母夫婦や創さんの会話から察するに、その日から、創さんはこのパティスリー藤倉に毎日のように足繁く立ち寄っては、私の父親の居る桜小路家へ私を嫁がせることを渋っていたらしい伯母夫婦を根気強く説得していたのだという。
桜小路家に父親が居るといっても、住むところも別だし、創さんにとっては伯母の夫でしかない父親との関わりなんて、冠婚葬祭か仕事くらいのものだということで、伯母夫婦は早々に折れてくれて。
『菜々子がいいというなら、私たちには止める権利なんてありません。菜々子のことをよろしくお願いします』
最後には創さんにそう言って頭を下げ、私のことを託してくれたらしい。
私の知らないところで、そんなことがあったということには驚いたし。
私の意思を無視されたことには少々複雑な気持ちもあった。
けれども、創さんと両想いになった今となっては、どんなことでも心温まるエピソードになってしまうのだから不思議なものだ。
恋は盲目とはよくいうけれど、どうやらあれは、間違いではなかったらしい。
伯母夫婦に歓迎されて、これまでのことをあれこれ聞かされては、感激と照れくささで顔を赤らめつつ、創さんの隣で私は雲の上にでも居るんじゃないかと思うほどにふわふわと浮かれて、またもや夢見心地になっている。
そんな浮かれモードの私とテーブルを挟んだ正面の伯母と伯父の隣に位置するやや右側には、どういうわけか、私たちが到着してからずっと、いつになくムスッと不機嫌そうな表情をしている恭平兄ちゃんの姿があった。
いつもは看板パティシエらしく、爽やかな好青年を絵に描いたような優しい笑顔がトレードマークのはずの恭平兄ちゃんらしからぬ姿は、まるで出逢ってすぐの頃の創さんのようだ。
一体どうしちゃったんだろう? 虫の居所でも悪いのかなぁ。もしかして体調でも悪かったりして。
藤倉家のリビングに伯母夫婦と創さんの和気藹々とした談笑が飛び交うさなか、心配になってきた私が恭平兄ちゃんに向けて口を開きかけた刹那。
終始無言を貫いていた恭平兄ちゃんがいきなり立ち上がったかと思えば、もう我慢ならないというように、
「ちょっと待てよッ!! 雇った若いパティシエールに手を出した挙げ句に、一月や二月で結婚なんて、そんなのいくらなんでも早すぎだろッ! こんな結婚認められるかッ!! 俺は断固反対だからなッ!」
ガタンッと椅子が派手な音を立てて倒れるのにも構わず、すごい剣幕で放った恭平兄ちゃんの凄まじい怒号が飛び出した。
どうやら機嫌が悪かったのは、私と創さんとの結婚に反対していたからだったようだ。
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