拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村美海

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#46 もやる気持ちを置き去りにして ⑴

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『婚約者として、菜々子のことはこの俺が絶対に守る』

 あの夜、桜小路さんに言われた言葉が今も、この耳に、心に、しっかりと刻み込まれている。

 あの後、桜小路さんに食べさせてもらった、私の大好物のりんごのコンポートの、心に染み入るような、あの優しい甘さと一緒に――。

 それはまるで呪いの呪文のように、ことあるごとに鮮やかに蘇ってくる。

 あの時、確かにキュンと胸がときめいたし。

 恋愛ごとに疎い私でも分かるくらいにハッキリと聞こえた気だってした。

 やっぱり桜小路さんの言うように、私は桜小路さんのことを好きになりかけているのかもしれない。

 否、もしかしたらもう好きになってるのかもしれない。

 といっても、こんなこと初めてでよく分からないっていうのが本音だけど。

 仮にそうだとして、それを認めたからって、桜小路さんは私のことを人質としてしか思っていないんだから、この想いが報われることはない。

――それを分かっていて、認められっこない。

 これまで通り、人質として、専属のパティシエールとして、自分の役目を果たしていくだけだ。

 ただ厄介なのは、あの夜を境に、どういうわけか、ふたりきりになると、桜小路さんの言動までが少し柔らかくなって、本物の婚約者に向けるようなものになっていることだった。

 桜小路さん曰く、ご当主や継母の目を欺くための雰囲気作りのため、であり。

 自分のことを好きになりかけている私のことをもっともっと好きにさせて、自覚させるため、らしいのだが……。

 諸々の事情により、自分の気持ちを認めるわけにはいかない私にとっては、迷惑極まりないことでしかなかった。

 その上、無自覚なのかなんなのか、前に言ってたように、使用人に対する独占欲からか、時折不意打ちのように嫉妬を思わせるような言動で、私のことを惑わせもやらせるのだから質が悪い。

 胸の内でことあるごとに、そうやって毒づいてはいるものの、私の作ったスイーツを食べている桜小路さんの、あの蕩けるように幸せそうな表情を目の当たりにしてしまうと、どうでも良くなってしまうのだから、困りものだ。

――やっぱりイケメン最強。悔しいけど、敵う気がしない。

 こうしてあの夜を境に、寝起きの悪い桜小路さんの無愛想かつ不機嫌極まりない言動が朝限定となってから、もやりにもやっている私のことなんて置き去りにして、早いものでもうすぐ一ヶ月を迎えようとしている。

 その間、菱沼さんは、相変わらず毒舌で、私のことを『チビ』呼ばわりだし。

 愛梨さんは愛梨さんで。

『早く可愛い孫の顔が見たいわぁ』

『創に似てもメチャクチャ可愛いだろうし。菜々子ちゃんみたいに元気で明るいと、家の中がパーッと明るくなっていいわねぇ』

『もう今からでもいいのよ。頑張ってね、菜々子ちゃん』

 私が人質だということも、これが偽装結婚だということも、すっかり忘れて、毎日すっかり浮かれモード。

 そのたびに、私は『ハァー』とそれはそれは盛大な溜息を垂れ流していたのだった。

――あれからもう一ヶ月が経つんだぁ。早いなぁ。

 なんて、感慨に耽っているような、そんな気分じゃなかった。

 何故なら、桜小路家のご当主との顔合わせが明日に迫っているからだ。

 その席には、ご当主の奥様である継母は勿論、つい一月前まで、その存在さえも知らなかった、顔も見たことのない父親も立ち会うのだという。

 菱沼さんの話によれば、おそらく向こうは、既に私のことを調べ上げていて、何かしらの動きがあるかもしれないということだった。

 明日には、この日のために、桜小路さんが私にと見立ててくれた、上品かつ女性らしい柔らかなフレアラインのアイボリーのワンピース(慣れない服)に身を包んで、初めてのご対面。

 そう思うと、もう日付も変わろうとしているのに、さっきから何度目を閉じてみても、一向に眠気が訪れてくれないのだった。

 どこかのホテルのスイートルームかと思うくらい、だだっ広い寝室の、これまた広くて寝心地のいいキングサイズのベッドの上。

 気持ちよさげに眠っている桜小路さんと背中合わせの私は、どうしたものかと、只今絶賛、途方に暮れているところだ。

――これはもう、徹夜だな。

 どうしても眠れない時は、瞼を閉じてるだけでも頭と身体を休めることができるとか言ってたっけ。

 寝るのを諦めた私が、どこかで耳にした不確かな情報を実行していた時のことだ。

 朝にめっぽう弱くて、寝起きも頗る悪いが、寝付くのはほんの数秒という、(アニメのキャラ並みの特技を持つ)桜小路さん。

 もうすっかり熟睡して夢の国の住人になっていると思っていた桜小路さんに、気づけば、あっと驚く間も与えられないうちに、後ろから抱き枕の如く抱きしめられてしまっていた。

 驚きながらも、寝ぼけてるのかもしれない。そう思った私が、声をかけていいものか思案しているところに。

「……予想はしていたが、やはり不安で眠れないようだな」

 ちょうど項の辺りに顔を埋めてきた桜小路さんに、寝起きにしてはやけに優しい柔らかな声音で囁かれてしまい。

 不安や緊張感で嫌な音を立てていたはずの胸の鼓動が、今度は違った緊張感に見舞われて、たちまちドックンドックンと忙しなく騒ぎ始めてしまった。

 今なら、口から心臓を飛び出させることもできるかもしれない。

 なかなか寝付けずにいたせいか、可笑しなテンションの私がバカなことを考えている間に、何を思ったのか、桜小路さんは私の身体をヒョイと持ち上げて。

 着地させられたところが、目にもとまらぬ早業で仰向けになった桜小路さんの身体の上だったから驚きだ。

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