拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村美海

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#39 優しい甘さのコンポート ⑸

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 今朝、鼻血を出してしまった私のことを気遣ってか、スイーツに関しての指示は、何も仰せつかってはいなかった。

 だから私の好物であるコンポートをお詫びの一つとしてチョイスしてくれたのだろう。

 そのため、夕飯の支度もとっくの昔にできている私には、これといって特にすることもなかったせいで、重苦しい静寂に支配されたキッチンで手持ちぶさたの私はひとり途方に暮れていた。

――この気まずい雰囲気、なんとかならないものだろうか。

 キッチンから遠目にチラチラと桜小路さんの様子を窺ってみるも。

 いつもの定位置であるソファで長い足を組んで、その上に置いたタブレットの画面をさっきから何度も指でスクロールしているだけ。

 ムスッと真一文字に引き結んでしまっている口元のせいで、安定の無愛想さにも拍車がかかっている。

 顔が整っているせいか余計に迫力が増していて、随分と不機嫌そうに見える。

 とてもじゃないが、話しかけられるような雰囲気じゃない。

――菱沼さんは簡単そうに言ってたけど、そんなにうまくいくんだろうか。

 桜小路さんが私のことを気にかけてくれていたと言っても、それはペットのカメ吉に向けるものと大差ないだろうしか思えなかった私は、ない頭で考えてみたところで他に方法なんて思いつくはずもなく、早々に考えることを諦めて、菱沼さんのアドバイスを決行することにしたのだった。

 そういうわけで……。

 現在私は、別室にて、桜小路さんが私のために見繕ってくれたという服を物色中である。

 服だけかと思いきや、桜小路さんとお揃いのチェック柄のパジャマまであって驚いた。

 まぁ、これから偽装結婚を装うのだから当然といえば当然か。

 ということは、もしかしたら、桜小路さんの結婚相手に相応しい服(備品)を私に支給するという思惑もあったのかもしれない。

 そう思い至った途端、何故かまた胸がツキンと痛んだ気がした。が、今はそんなことに構っているような暇はない。

 頭をふるふる振って邪念を振り払った私は服選びに集中したのだった。

 さすがはハイブランド。オシャレでセンスのいいものばかり。見るからに上質そうな生地の肌触りも、どれも最高だった。

 なんて感心しつつ、オシャレな服の中から、普段着として着られそうなモノをと思っていたが。

 どれも大人びたモノばかりで、一番無難だったのが、小花柄の如何にも清楚なお嬢様が好んで着そうな上品なデザインのワンピースだった。

 いつもラフなモノばかりで、スカートなんて滅多にはかないため、足元がスースーして心許なくて、なんとも落ち着かない。

 選んでくれた桜小路さんには悪いが、部屋にあった姿見を何度覗いてみても、どうしても自分に似合っているとは思えなかった。

 おそらく私に似合うとか関係なく、流行りのモノの中から、適当に見繕ったのだろう。

――きっとまた『馬子にも衣装だな』なんて言って揶揄われてしまうんだろうなぁ。

 それ以前に、もしかしたら、どんなモノを選んだかも覚えていないかもしれない。

 やっぱりちゃんとお礼を言わないと、気づいてもくれないかもなぁ。

 なんてことを思いながら、重い足取りでキッチンまで戻った私は、伯母特製のリンゴのコンポートをケーキボックスから取り出した。

 透明の容器に並々と入れられた艶やかなシロップの中に、大きめにカットされたリンゴが浮かんでいる。

 これは売り物というわけではない。小さい頃、よくおやつとして食べていたものだ。

 といっても、私にはそんな記憶など残ってはいないのだが。

 母や伯母たちにことあるごとに聞かされた話によると。

 その頃、アトピー性皮膚炎だった私のことを心配した母や伯母たちができるだけ無添加のモノを食べさせようと、いつも手作りのモノを作ってくれていたらしい。

 けれど好き嫌いの激しかったらしい私は、他のモノにはめもくれず、こればかり好んで食べていたらしい。

 そんなこともあって、大きくなってからも、風邪等で食欲がなかったりしたときには、いつも決まってこれを作ってくれていたのだ。

 だからきっと、私の好きなモノと訊かれた伯母が真っ先にこれを思い浮かべたのだろう。
 
 五年前に病気で母を亡くした時にも、気落ちして食欲のなかった私のために伯母がよく作ってくれたのも、このリンゴのコンポートだ。

 桜小路さんにとって、シフォンケーキがそうであったように、私にとって、このリンゴのコンポートはとても思い入れのあるモノだった。

 帝都ホテルに就職して社員寮で一人暮らしを始めてからは一度も食べてはいなかったため、ひどく懐かしい。

 幼い頃の懐かしい記憶に想いを馳せてしまったせいで、亡くなった母のことを思い出してしまった私の頬をツーと生暖かなものが零れ落ちてゆく。

 その感触を手の甲でさっと拭い去った私は、容器に盛り付けたコンポートをトレーに乗せると、桜小路さんの元へと向かった。

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