39 / 111
#38 優しい甘さのコンポート ⑷
しおりを挟む私がポカンとしている間にも菱沼さんの話は進んでいく。
あたかも私の心の奥底に芽吹いたたばかりの不可解な心情に狙いを定めて、追い打ちでもかけてくるかのように。
「この前、お前のことを人質だとは言ったが、創様はそんな事のためだけに、好きでもない女を傍に置くようなお方じゃない。少なくとも、お前のことをいたく気に入っておられるようだ」
確か、桜小路さんもそんな風なことを言ってた気がする。
……てことは、本当に私のことを心配してくれているって言うこと?
ーーいやいや、あれが気に入った相手にすることかなぁ?
まぁ、ちょっと変わったところのある桜小路さんのことだから、あると言えばあるのかもだけど……。
私があれこれ勘案しているところに、菱沼さんがボソッと零した呟きが聞こえてきて。
「お前のどこがいいのか俺には全くもって理解できないがなぁ」
「――ッ!?」
その言葉に憤慨した私が、抗議の眼を向けてみるも、菱沼さんには通用しないどころか、フンと鼻を鳴らしてあしらわれてしまい、呆気なく敗北したのだった。
それがどうにも悔しくて、盛大にむくれた私が菱沼さんにジト眼を送っていると、馬鹿にした表情から、なにやら愁いを帯びたような表情に切り替えた菱沼さんから嘆くような声が放たれた。
「まぁ、綺麗な想い出はそのまま大事にとっておきたいというお気持ちは分からないでもないがなぁ」
「……綺麗な思い出?」
けれどもその言葉の指す意味が分からず、無意識に訊き返すも。
「あーいや、何でもない」
一言で制された上に、立て続けに、
「ただお前には、創様のことを少し知っておいて貰わないと、色々と誤解を招くといけないからなぁ」
もっともらしいことを返されて、なんだか煙に巻かれたような気がしないでもない。
けれどモヤモヤしている暇も与えられないまま、
「手短に話すから心して聞いておけ」
菱沼さんから命令が下されてしまい、私は反射的に背筋を正した。
どうやら私の知らない桜小路さんのことを話してくれるらしいので、取り敢えずは菱沼さんの話に集中することにしたのだった。
――もっと桜小路さんのことを知りたい。
どういう訳かその欲求に勝てなかったのだ。
「創様には、家庭の事情から人間不信な一面があって、気を許せる人間は限られている。仕事もプライベートも上辺だけの付き合いは日常茶飯事。そんな創様のことを憂いたご当主が、せめて結婚くらいは自由にさせようと、口を出さずにいるくらいだ。まぁ、体質のこともあるだろうがな」
「……そうなんですか?」
「あぁ。けれど継母である菖蒲様はそれを利用して、実子である創太様に、道隆様のご実家の現当主であるご令嬢との縁談を進めようとしているようだ。そうなれば両者にとっても大きな後ろ盾になるからな。といってもまだ大学生の創太様にもその気はないようだからいいが」
菱沼さんの話によると、元々、そのご令嬢(私と同い年の二二歳)の方は桜小路さんに好意を寄せていたらしい。
そのため、創太さんとの縁談には難色を示していて、うまく進められずにいるというのが現状のようだった。
そのこともあり、菖蒲さんと桜小路さんとの溝は益々深まるばかりなのだという。
それでなくとも、ご当主が菖蒲さんと再婚して以来、まだ幼かった桜小路さんのことを疎んじて、使用人任せにしていたこともあり、ふたりの折り合いは最悪なものらしい。
そういう理由から、ご当主は桜小路さんのことを余計に案じておられて、仕事以外のプラーベートにおいては一切口を挟むことはないらしい。
放任主義といえば聞こえはいいが、桜小路さんの気持ちを思えば、なんともいたたまれない気持ちになった。
お母様を亡くして寂しい上に、お父様まで取り上げられてしまったも同然なのだからーー。
桜小路さんが無愛想で口が悪いのも、もしかすると、そのことが影響しているのかもしれない。
――否、きっとそうに違いないだろう。
私も父親の存在を知らずに育ち、五年前に母親を亡くしてはいるが、優しい伯母夫婦の家族が傍で支えてくれたから、そんなにも寂しい想いをした記憶はない。
裕福な家庭に育って、家族もいるのに、心の拠り所がペットのカメ吉だなんて、そんなの悲し過ぎる。
話を聞いてるうちに、なんともやるせない心持ちになってしまってた私の耳に菱沼さんの声が届いた。
「お前が泣いてどうする?」
その声で、自分が泣いていることに初めて気づいた私は、慌ててコックコートの袖で涙を拭い去った。
同時に、なにやら感心したような表情を浮かべた菱沼さんから、呟くような声が聞こえて。
「お前のそういうところに惹かれたのかもしれないなぁ」
その言葉があまりにも意外すぎて、さっきまで悲しかったはずなのに、感情も涙さえも霧散してしまうのだった。
代わりに思いの外大きな声を放ってしまっていて。
「それってどういう意味ですか?」
「大きな声を出すな!」
すぐに鬼のような形相で睨みつけてきた菱沼さんによって、ぴしゃりと言い放たれてしまうのだった。
「……あっ、すみません」
そこで漸く、桜小路さんに聞かれては不味いことなんだと察し、ぺこりと頭を下げてみれば。
「いや、おそらく創様は気まずくてすぐには戻ってこないだろうから気にするな」
意外にもさほど気にした風ではないようだった。
――それならあんなに怒ることなかったんじゃないか。
……とは思ったが、そこはぐっと堪えることにしようとしていたところに、菱沼さんの盛大な溜息が聞こえてきて。間髪開けずに。
「灯台もと暗しとは言うが、鈍感にもほどがあるな」
今度は、ほとほと呆れ果てたっていうのを体現するような呟きが投下された。
その直後に、『やってられん』とかなんとかボソボソ零していたような気もするが、よくは聞こえなかったから定かじゃない。
なにがなにやら訳が分からないものだから、私の頭の中にはたくさんの疑問符が飛び交っている。
そんな中、菱沼さんが気を取り直すようにして、放ったのがこの言葉だった。
「とにかくだ。創様はお前のパティシエールとしての腕と、人に騙されやすいくらいお人好しなお前のことを信頼しているようだ。くれぐれもその信頼を裏切るようなことはしないでくれ」
どうやらさっきの言葉の意味を説明してくれる気はなさそうだ。
もうすっかり桜小路さんの執事兼秘書の仮面を被ってしまった菱沼さんは、なにやらちょっと悪巧みでもしているような黒い笑みを口元に湛えて。
「まぁ、ここは取り敢えず、仲直りのためにも、創様が選んでくださった服でも着て、一緒にそれでも食べてみることだなぁ」
妙案でも提案するように得意げにそう言うと、「後は頼む」と言い残し、さっさと自分の部屋へと帰ってしまった。
そうして菱沼さんと入れ替わるようにして、ラフな格好に着替えた桜小路さんがリビングダイニングに現れたのだが……。
「菱沼は帰ったのか?」
「……あぁ、はい。今さっき。何かご用でも」
「いや、別に」
一言二言言葉を交わしたきり口を真一文字に閉ざしてしまい、ソファに腰を下ろした桜小路さんは、仕事用のタブレットに集中してしまうのだった。
途端に重苦しい沈黙が辺り一帯を包み込んで、広い空間には非常に気まずい雰囲気が漂っている。
0
お気に入りに追加
292
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる