拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村美海

文字の大きさ
上 下
38 / 111

#37 優しい甘さのコンポート ⑶

しおりを挟む
 
 同時に、今朝、鼻血を出してしまった私のことを慌てて抱き起こしてくれた時の、桜小路さんのやけに心配そうだった顔までが鮮明に蘇ってくる。

 あのとき、直前までケラケラ可笑しそうに揶揄われていたものだから、私はてっきりまた何かされるんだろうと思い込んでいた。

 否、それ以前にあまりの羞恥に身悶えていたんだから、もう一杯いっぱいだったのだ。

 それなのに……。

 いきなり背後から抱き起こされて桜小路さんとの距離がぐっと縮まってしまい、私は益々焦ってしまったのだ。

 だから起きるのを阻止されたとき同様、桜小路さんの腕の中で手足をばたつかせて脱出を試みた。その結果。

『こら、動くなッ!』

 途端に怖い顔になって、ぴしゃりと言い放った桜小路さんのその声に、私は思わずビクッと肩を震わせた。

 でもあれは、怖いと言うよりは、条件反射だったように思う。

 おそらく桜小路さんは、私が怖がっているとでも思ったのだろう。

 すぐに私の耳元で、なにやらバツ悪そうに、『怒って悪かった』と詫びてから、今度は思いの外優しい声音で、

『鼻血を止めるだけだからそんなに怯えるな』

諭すようにそう言われ、宥めるように頭を大きな掌でポンポンとされてしまい、私の胸は不覚にもトクンと高鳴ってしまうのだった。

 おそらくこの至近距離のせいで、極度の緊張状態だったところに、意表を突かれて心臓が誤作動でも起こしてしまったんだろう。……まぁ、それは今関係ないとして。

 それを皮切りに、私の心臓は忙しなく鼓動を打ち鳴らし始めて、やかましくて仕方なかったのは事実だ。

 そんな私の内情など露も知らないんだろう桜小路さんは、憎たらしいくらいに落ち着き払っていて。

 それがどうにも悔しくてならなかった。

――こっちの気も知らないで、いい気なもんだ。

 そう思ったのは今でもハッキリと覚えている。

 なのに、桜小路さんときたら、なんだか得意そうに、

『こういうときは身体を起こして、ここを暫く指で押さえているとおさまるんだ』

そう言ってくるなり、慣れた手つきで、私の鼻筋を摘まむようにグッと押さえると、そのまま鼻血が止まるまでずっとそうしてくれていた。

 なんでも小さい頃、桜小路さんはよく鼻血を出していたらしく、そのときには、お母様によくこうしてもらっていたのだという。

 どうしてそんなことを私が知っているかというと、それは私の鼻血が止まるまでの間、桜小路さんが話して聞かせてくれたからだ。

 そのことを話してくれていた桜小路さんの声は、今までで一番優しくてとても穏やかなものだった。

 その様子からも、桜小路さんにとっては、どんなに些細なことであっても、大好きなお母様である愛梨さんとの大切な想い出なんだろうことが窺えた。

 愛梨さんがカメ吉に転生してるなんて知ったら、さぞかし喜ぶに違いない。

 言ったところで、信じてくれる訳ないだろうし、下手したら事故のせいで頭が可笑しくなったと思われるのが関の山だろう。

――まぁ、知られても困るんだけど。

 何故なら桜小路さんに知られた時点で、愛梨さんは天に召されることになるらしいからだ。

……いつの間にやら愛梨さんの話題にすり替わってしまったけれど。

 兎にも角にも、桜小路さんは落ち着き払った様子で私の鼻を押さえてくれていたのだった。

 それに引き換え私は、桜小路さんの腕の中で、このままだと心臓がもたないんじゃないかという不安に駆られてしまっていたのだ。

 可笑しな事を心配していた自分のことは無視しておくとして。

 菱沼さんに聞かされた言葉を切っ掛けに、これまでのことや今朝の事を思い返した結果。

 本《もと》を正せば、私が泣いたのも、機嫌を損ねたのも、そもそもの原因は桜小路さんにあるのだが……。

 菱沼さんの言うように、桜小路さんは無愛想で口が悪いところはあるが、確かに心根は優しい人なんだろうと思う。

 そうでなければ、いくら自分のせいだとはいえ、わざわざ私にフォローなんてしないだろうし。

――てことはやっぱり、キスの件と鼻血の件を桜小路さんが気にしてくれてたということなんだろう。

 そう思い至った途端に、胸の奥底からあたたかなものがどんどん溢れてきて、胸の内が満たされていくような、妙な感覚がするのはどうしてだろう。

 漸く菱沼さんの話と自分の導き出した結論とが一致したものの、今度は自分の不可解な心情に首を捻ることしかできないでいた。

 そんな私の正面にあるガラス張りのローテーブルの上には、何故か突如『パティスリー藤倉』の刻印がされたケーキボックスが現れた。

 そうして置いた当人である菱沼さんはほとほと疲れたように、

「どうやらこれも、お前に『貰う謂れがない』と言われて言い出せなくなったようだ」

ボソボソと呟いてから、ふうとわざとらしく溜息を零して、やれやれといった様子で再び口を開いた。

「いきなり何の前置きもなく、帰りにお前の伯母夫婦の店に寄れというので何かと思えば。これも、お前の機嫌をとるために、予め佐和子さんに連絡して、お前の好物を作ってもらっていたらしい」

 状況に思考が追いつかず、ポカンと開けた大口同様、大きく見開いた眼を忙しなく瞬いていた私は、またもや驚かされることとなった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜

玖羽 望月
恋愛
 親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。  なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。  そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。  が、それがすでに間違いの始まりだった。 鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才  何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。 皆上 龍【みなかみ りょう】 33才 自分で一から始めた会社の社長。  作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。 初出はエブリスタにて。 2023.4.24〜2023.8.9

処理中です...