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#36 優しい甘さのコンポート ⑵
しおりを挟むいつもより少し遅めの、午後六時四五分、インターフォンの軽快な音色がキッチン中に鳴り響いた。
モニターを確認するまでもなく桜小路さんと菱沼さんだろう。
けれどちゃんとモニター画面でふたりの姿を確認してから応対しようと、まずはすぐ傍の壁に設置されたモニター画面へと駆け寄った。
これまではそれが面倒で、モニターの確認なんて省いていたのだが……。
そのことを毎回菱沼さんから軽く注意されていただけだったのに、昨日は何故か桜小路さんからも、『一応女なんだから確認くらいしろ』とキツく言われていたため、致し方なく確認したのだった。
すると画面には、いつもは菱沼さんの後ろに桜小路さんの姿があるだけのはずが、なにやら他にも数人の人影があるように見える。
誰だろう? お客様かな? でも、何も言われてないから料理も私と桜小路さんの分しか用意してないんだけど。
なんて思いつつ玄関の扉を開けると、ふたりの後ろには、それぞれに綺麗に包装された箱や紙袋を手にしたマンションのコンシェルジュらしき五人の男性が控えていた。
どの箱や紙袋にも、ブランドに疎い私でも知っているお高そうな有名ハイブランドのロゴが記されている。
五人の男性は私の姿を捉えるや否や、一斉に深々と頭を下げてくれている。
扉の傍の私が一体何事だろうと目を瞬いている間に、菱沼さんの指示により入ってすぐの部屋に手早く全てを運び終えると、再度私たちに深々と頭を下げてからそそくさと帰ってしまったのだった。
何がなにやら分からず様子を窺っていると、菱沼さんは何もなかったかのように、先を行く桜小路さんのビジネスバックを持って後に続いていて。
出遅れた私がリビングダイニングに入ると、ふたりは明日のスケジュールの確認をし始めたところのようで、聞くに聞けなくなってしまう。
気にかかりながらも、このままぼさっと突っ立っていても仕方ないので、自分の持ち場であるキッチンへと舞い戻り、コーヒーをドリップするための準備に取りかかった。
スイーツに目のない桜小路さんは、コーヒーもお好きなようで、帰宅したら必ずコーヒーを飲むのがルーティンになっているからだ。
私がリビングにコーヒーをお持ちした頃には、菱沼さんがソファからちょうど立ち上がったところだった。どうやらもう帰ってしまうらしい。
訊くなら今しかない。そう思った私が、
「あのう、菱沼さん。さっきの人たちって、ここのコンシェルジュさんですよね?」
菱沼さんに遠慮気味に尋ねたのだが、意外にも答えてくれたのは桜小路さんのほうで。
「あぁ。俺がお前に似合いそうなのを見繕って用意した服を運んでもらったんだ。後で試着して、もしもサイズが合わないようなら菱沼に言っておけ」
ソファにふんぞり返ってネクタイを気怠げに緩めていた桜小路さんから、さも当然のことのように、返ってきたのがこの言葉だったのだ。
まさかそんな言葉が返されるとは思わず、面食らってしまった。
桜小路さんが私に似合いそうな服を見繕ったとか言うんだから、そりゃ無理もない。
ーーどうして? なんのために?
私の頭の中には疑問ばかりがひっきりなしに飛び交っている。
「……私に、桜小路さんが、ですか?」
前のめりになって二度見しながら、半信半疑に尋ね返した私のことが、どうやらお気に召さなかったらしい。
私の声を耳にした途端に、桜小路さんは不機嫌そうに眉間に深い皺をいくつも寄せて、不遜な低い声で言い放った。
「聞こえてるんなら何度も同じ事を言わせるな。お前には学習能力ってもんがないのかッ!」
そして忌々しげに緩めたネクタイを襟元から抜き取ると、すぐ横の背もたれにかけてあるジャケットの上へポイッと放り投げてしまった。
その後は、腕を組んでそのまま不貞腐れたように明後日の方向に顔と視線を向けてしまっている。
もうこれ以上何を言っても聞かないぞ。とでも言うように。
おそらく仕事で疲れているのに、煩わしいヤツだとでも思われているんだろう。
けれどこっちだってあんな高価そうなものを貰ってしまったら、益々桜小路さんの言いなりだ。
私は怒鳴られるのを覚悟で、何も受け付けないという雰囲気を漂わせている桜小路さんにキッパリと言い放ったのだった。
「そんなの困ります。あんなにたくさん。それに、あんな高価そうなもの、あなたに貰うような謂れなんてありません」
すると私の言葉を聞いた桜小路さんから、
「なんだとッ!」
案の定不機嫌極まりないというのを体現するかのような怒声が飛び出してきて。
思わずビクッと肩を跳ね上げた私の様子に、意外にも僅かに躊躇するような素振りを見せた桜小路さんから、
「……あっ、いや。とにかく、そういうことだ。お前が要らないというなら、捨てればいい」
さっきよりはいくらか怒りを抑えた、安定の不機嫌で不遜な声が吐き捨てられた。
それも意外だったけれど、そんなことよりも、『捨てればいい』といわれたからといって捨てられるわけがない。
「……そんなっ。捨てるなんてことできませんッ!」
「なら、着るしかないな。てことで、この話はもう終わりだ。俺は着替えてくる」
けれど桜小路さんのこの言葉によって、異議を唱えようとした私は、呆気なく黙らされることになった。
着替えるためにリビングダイニングから桜小路さんが出て行った直後。
「あの服のことだが。あれは、お前への詫びのつもりだったようだ」
肩をガックリと落としていた私は、ずっと静観を貫いていて存在などすっかり忘れ去ってた菱沼さんから、意外なことを聞かされてしまい。
「――へ?」
なんとも間抜けな声を出してしまっていた。
菱沼さん曰く。
なんでも今朝会社に向かう車中、桜小路さんから唐突に、『若い女の機嫌をとるにはどうしたらいいと思う?』そう尋ねられた菱沼さんは、『贈り物などどうですか?』そう返したらしいのだが。
会社に到着するなり、私との契約書を見たいと言いだした桜小路さん。
その直後、販売部門の責任者の元にわざわざ赴き、今流行の服の中からあれこれ見繕っていたというのだ。
菱沼さんがそれとなくサイズを確認したところ、私と同じサイズだったのだという。
そう聞かされても、あの桜小路さんがわざわざそんな面倒なことを自らするなんてこと、私はどうしても信じられずにいた。
そんな私に菱沼さんは、これまた意外なことを言ってくるのだった。
「創様は、あー見えて、心根の優しいお方だ。けれどそれをうまく口にできないものだから誤解を招くんだ。昔から、そういう不器用なところがある。仕事では決してそんなことはないんだがな」
その言葉を聞いた私は、これまで、濡れタオルを用意してくれたり、なんとか機嫌をとろうとしてくれたりしていた桜小路さんの姿を思い出し、そこでようやく腑に落ちた。
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