17 / 111
#16 突然の訪問者
しおりを挟む一通りの掃除も済ませて、後はカメ吉ルームを残すのみ。
設備に関しては、専門の業者さんが定期的にメンテナンスにきてくれるらしいが、水槽のフィルターはこまめにチェックしないと、排泄物や食べ残った餌などが詰まって水が濁ってしまうらしい。
そうなってしまうと、亀は餌を食べなくなってしまったり病気になってしまうそうで。もっと簡単だと思っていたけれど、亀を飼うのは結構手間がかかるようだ。
といっても、カメ吉の水槽は大きくて、体長二十七センチのカメ吉が小さく見えてしまうほどの設備も見た目もご立派なので、毎日水替えしなくていいから楽なもんだ。
それになにより、カメ吉を眺めているとなんだか癒やされるーー。
フィルターもチェックし終えて、今日も気持ちよさげに立派な青石の上で甲羅干し中のカメ吉を眺めていると。
【ずいぶんご機嫌ね。その様子だと、仲直りはうまくいったのね?】
意識にすーっとそんな言葉が浮かんできて、私は牧本先輩にでも話す感覚で、弾んだ声を出していた。
「そうなんです。でもそれだけじゃないんですよ~。今日もこれからブランマンジェ作るんですけど、もしかしたらパティシエールとして認めてもらえるかもしれなくて、もう嬉しくってぇ!」
【まぁ、それは良かったわねぇ】
「はいッ!」
【それにブランマンジェ、美味しそう。私も食べてみたいわぁ】
「あっ、良かったら食べてみてくださいよ……って。ええッ!?」
桜小路さんの言葉があんまり嬉しかったものだから、はしゃぎまくりだった私は夢中で喋っていたんだけれど、途中で、今更だけど、ハタと気づいたのだった。
――私って、一体誰と話していたんだっけ? と。
ブンブンと頭《かぶり》を振って辺りを見渡してみても、当然誰も居なくて。唯一今ここに居るとしたら、水槽の中のカメ吉だけ。
水槽を煌々と照らしている紫外線ライトのその下で、ゆったりとした動作で首を傾げて、こちらをじっと窺っているような素振りを見せるカメ吉。
意外と円らな潤んだ瞳をパチクリ瞬かせているカメ吉と、対峙し見つめ合うこと数秒。
――いやいやいや、ないないない。だって、亀だもん。
そういえば、事故に遭ってから三日間も意識なかったらしいし。退院したばかりだったし。環境もめまぐるしく変わったし。ちょっと疲れてるのかも……。
でも、そろそろブランマンジェの準備をしないとなぁ。冷やし固める時間を考えたら、遅くとも午後一時までには冷蔵庫に入れとかないと。
今が、一〇時五〇分を回ったところだから、もうちょっとだけ休憩しようかな。
ふと、壁に掛けられているクラシカルな時計から、再びカメ吉へと視線を向けた刹那。
【ふふっ……やっぱり思った通りだわぁ。可愛いパティシエールさんには私の言葉が分かるのね】
微かに首を傾げさせたなんとも愛らしいポーズで私のことを円らな瞳で見つめつつ、あたかもテレパシーでも送るようにして言葉が私の頭に割り込んできて。
「かっ……か、か、か、か、カメ吉ッ!?」
確かに言葉は頭にすーと入ってくるんだけど、正確には喋ってはいないのだが、そんなもん冷静でなんていられる訳もなく、腰を抜かすほど驚いてしまった私は盛大に派手な声をぶちまけていた。
そこに、やけに冷静なカメ吉から再びテレパシーのように頭にすーっと言葉が入ってきて。
【驚くのも無理ないわ。私だって死んだとき、『我が子を残してなんて成仏できないからこの世に残して』ってお願いしたけど。まさかお祭りでもらってきたカメ吉に転生するなんて思わなかったもの。でもお陰で、カメ吉として天寿をまっとうするまでは創の傍にいられるんですもの。こんなに嬉しいことはないわぁ】
どうやらこれが夢ではないらしいこと。
そして驚くことに、その内容と口ぶりからして、昨夜聞いたばかりの桜小路さんのお母様らしいということが分かったのだった。
どうやら私はカメ吉に転生しているらしい桜小路さんのお母様と、今、話をしているらしい。
けれどもにわかに信じ難くて、いまだうまく把握しきれてなどいないのだけれど。
カメ吉を瞠目したまま見つめることしかできないでいる私の耳に、突如パタンと、私とカメ吉しか居ないはずなのに、どこかのドアが閉まるような物音が聞こえてきた。
……ところで、今の私にはそんなことに気を配っているような気持ちの余裕もなく、ただただ突っ立っていることしかできないでいる。
すると今度は、パタパタと誰かが廊下を歩くような音が徐々に近づいてきて、カメ吉ルームのドアがガチャリと音を立てた次の瞬間。
開け放たれた扉の向こうから、年の頃でいうと、五十代いくかいかないかくらいの、上品な装いをした綺麗な女性が現れた。
【その方、創の継母よ。香水の匂いが凄いから後でしっかり換気した方がいいわ】
「入ってそうそう大きな声がしたと思ったら、こんなところにいらしたのねぇ。あなた、新しいハウスキーパーの方?」
どうやらカメ吉に転生したお母様の説明によると、桜小路さんの継母のようだ。
――って、ちょっ、ちょっと待って! 頭が追いつかないんですけど。
私の頭の中は、なにがなにやら、もう大パニックだ。
0
お気に入りに追加
292
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる