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本物の夫婦として
本物の夫婦として②
しおりを挟むあの後。多大な迷惑をかけてしまった男性医師には、樹里と櫂とが周到に用意してあった菓子折を渡し、皆して頭を下げ、なんとか穏便に済ませることができた。
やけに根回しがいいと思っていたら、尊の勘違い騒動は、驚くことに匡と恋人同士であるらしい樹里が企てたことだったらしい。
なんでも樹里は、美桜の妊娠発覚と病気疑惑の最中、匡から尊が極道の世界から足を洗うために秘密裏に奔走していると言う事実を知り得たのだという。
だが慎重なあまりなかなか行動に移そうとしない尊に焦れた樹里は、余計なことに首を突っ込んで拗らせるなと、匡が止めるのも聞かずに、ヤスを利用して尊のことを焚きつけ、あんな事態になったようだ。
そのお陰で、これまで好きだと言ってくれなかった理由も、極道の世界から足を洗ってけじめをつけるまでは伝えられないという考えがあったからだと知ることができた。
尊の美桜に対する気持ちがどれほどのものであるかもわかったし。
ヤスからも、実は尊が美桜の高校生だった時分から、色々気にかけてくれていて、様子を見るよう命じられていたこと。その際に、撮った美桜の写真を渡していたが、それを札入れに忍ばせ、肌身離さず大事にしてくれていたことまで、こっそりと教えてもらった。
ずっとひとりじゃなかったんだ。
遠くから見守ってくれていたんだ。
幼い頃の記憶はとても朧気で曖昧だけれど、尊との出逢いはきっと運命だったに違いない。
そう思うと、胸に熱いものが込み上げてくる。
美桜は話に耳を傾けつつぐっと涙を堪えて、まだ変化の見られない自分のお腹にそうっと手を重ね合わせ、言い尽くせないほどの喜びを噛みしめていた。
事態が落ち着いた後には、予定していた産婦人科での診察に夫である尊が付き添ってくれて、一緒にエコーの画像を見ることができた。
それから数時間後。身重の美桜の体調を神経質なほどに優しく気遣ってくれる尊に付き添われ、我が家であるマンションに帰り着いた美桜は、リビングダイニングのソファに尊と隣り合って寄り添っているところだ。
尊はさっきから美桜のお腹に大きな掌をそうっと重ね合わせて恐る恐る撫でては、美桜の体調のことを気遣ってくれている。
その姿は、まさしく優しい夫そのもので、昼間男性医師の襟首を掴みあげ凄んでいたとは思えないほどの変わりようだ。
普段は無表情を決め込んでいるはずの端正な顔なんて、すっかり緩んでデレてしまっている。
ーー生まれる前からこんなだと、この子が生まれたら、一体どうなってしまうのだろう?
美桜が言い尽くせないほどの幸福感のなかで、人知れずそんな心配をしていると、尊からもう何度目になるかと思うほど、幾度もかけられた台詞が美桜の意識に流れ込んできた。
「本当にここに俺の子供がいるんだな」
尊に視線を向ければ、心底幸せそうに目尻を下げ柔らかな笑顔を綻ばせ、今にも蕩けてしまいそうだ。
「はい、ちゃんといますよ。尊さんの赤ちゃん」
つられた美桜も、顔がだらしなく緩んでしまいそうだ。いや、間違いなくそうなっているに違いない。
尊との再会を果たしたあの見合いの日から、ちょうど四ヶ月。
その日には、こんなに幸せな日が訪れるなんて夢にも思わなかった。
それが今こうして、夫婦仲良く寄り添い合って、自分達の子供のことをあれやこれや話しているなんて、本当に人生なにがあるかわからないものだ。
そんなことを思いつつ、尊との夫婦水入らずの穏やかな時間を過ごしていたはずが……。
「けど、まだ二十歳で若いのに、子供を身篭って、本当によかったのか? やっと自由の身になって、好きなことができるようになったところなのに」
「私、母のこと、写真でしか知らなくて。だから、いつか結婚して家から出たら、早く家族をつくるっていうのが夢だったんです。それが叶って、本当に夢みたいです」
若い美桜のことを妊娠させてしまったことを悔やむように話す尊に、自分の気持ちを伝えていくうち、とうとう堪えきれなくなってしまった涙が溢れ始めた。
「こら、泣くなよ」
「……だって、本当に夢みたいなんですもん」
尊に困ったように苦笑いを浮かべて涙をキスで拭いながら咎められても、嬉し涙は余計に溢れるだけで止まらない。
それなのに、尊はここぞとばかりに、これまで美桜が知らなかった刺青のことまで打ち明けてくる。
「夢とは心外だな。昔はあんなに俺に懐いてたクセに、そのことも忘れてるし。俺はずっと忘れられなくて、刺青に桜彫るくらい、美桜のことがずっと好きだった。今も昔も。今まで言えなくて悪かった」
「……もう、そんなこと言われたら、余計涙が出るじゃないですか」
「嬉し涙なら仕方ないな。いくらでも泣いていいぞ。胸なら好きなだけ貸してやるから、ほら」
「……もう」
これ以上泣かされては堪らないと尊に抗議をしたところで、嬉しそうに満面の笑顔を綻ばせながら涙をキスで追いかけるように優しく拭うばかりだ。
「これからは、不安にさせた分、俺がこれでもかってぐらい幸せにしてやるからな」
「私も。私も、尊さんのこと幸せにしますから」
「なら、ふたりで幸せになろうな。いや、三人だな」
「ふふっ、ですね」
いつしかふたりで幸せにするしないと言い合っているうち、どちらからともなく微笑み合い見つめあっていて、気づけば尊の逞しい腕にほわりと優しく包み込まれていた。
ただこうしているだけで、心底安心できる。
美桜は尊の広くてあたたかな胸に身も心も全てを委ねて、いつまでもいつまでも微睡んでいた。
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