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本物の夫婦として

本物の夫婦として①

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 妊娠発覚から一週間が経ったこの日。美桜は骨盤腔MRIの検査を受けるために光石総合病院に訪れていた。

 検査も終わり、用意してくれていた控え室で沈痛な面持ちで待っていた美桜だったが、幸いにも誤診だったことが判明し、診察室でその詳細を聞いているところである。

「実は、たまにあるのですが。おそらく腸内の内容物が影となって見えていたんだと思われます」
「……そ、そうですか。なんかすみません」

「あー、いえいえ。女性の方は多いですからねぇ。こちらこそ、妊婦さんを不安にさせてしまい、申し訳ございませんでした」
「……ああ、いえ」

 緊張の糸が緩んで安堵するよりも、普段から便秘がちだったことが原因であるとわかり、恥ずかしいやら居心地が悪いやらで、穴でもあったら入りたい心境だ。

 今日も樹里が付き添ってくれていたのだが、数分前に誤診だとわかるや否や、のっぴきならない重要案件のことで大至急電話をしなければならないとかで席を外している。

 病気でないとわかったものの、このことを樹里にも話さなければいけないのか。そう思うとなんだかいたたまれない心持ちになってくる。

 それに、尊にも妊娠の報告をしなければいけない。

 妊娠が発覚したときには、嬉しくてどうしようもなかったが、最悪なことばかり考えてしまっていたせいか、なんだか気が抜けて、そこまで考えが及ばない。

 ーーでもよかったぁ。

 説明も聞き終え、画像を見ながら説明をしてくれていた三十代ほどの男性医師がPCの電源を落としているのを尻目に美桜がそろそろ部屋から出ようかとしていたちょうどそのとき。

 出入り口の引き戸がバンッと叩きつけるような豪快な音を立てて開け放たれた。

 医師も美桜も何事かと振り返った先には、鬼のような形相でこちらを睨みつけた尊が肩を上下させ荒々しい呼吸を繰り返す姿があり、驚きすぎてなにがなにやら思考が追いつかない。

 尊の目は血走っていて、今にも襲いかかってきそうな狂気を孕んでいるように見える。

 ーーこ、これは一体なにごとですか?

 なにがあったのかは皆目見当もつかないが、ただごとではない雰囲気が漂っていることだけは理解できた。

 けれどこんなに怖い顔をした尊にお目にかかるのは初めてで、どう声をかければいいかがわからない。

 尊は走ってきたのか、乱れた呼吸をしばし整えると、当惑する美桜の元にゆっくりと歩みを進めてくる。

 余りの気迫に美桜が動けずにいると、なぜか尊は美桜の前を素通りしてしまう。

 ーーえ?

 当然美桜の元に来るものと思っていたため、拍子抜けしてしまいそうだったが、尊が医師の着ている白衣の襟首を掴みあげ、地を這うような重低音を轟かせたことで、尊が大変な思い違いをしていることが判然とする。

「お前か。美桜に言い寄ってるって言う命知らずな輩は」
「へ? いえ、僕はただ検査結果の説明をしていただけですが」
「お前、いい加減なことぬかしてんじゃねーぞ!」

 けれどもあまりの尊の気迫に圧倒されて美桜は動けずにいた。

 と、そこに、ヤスが駆け込んできて、医師に掴みかかっている尊のことを制止し始める。

「あー、こんなとこにいたんすかって。ちょっと社長、堅気に手出したら駄目っすよ!」
「うっせー、離せっ!」

 だが尊は聞く耳を持たず、ヤスのことを片手で容易に払いのけてしまう。

「ひぃいッ!」

 今にも殴りかからんばかりの勢いで拳を振り上げた尊の姿に、医師が哀れげな声を漏らした刹那。樹里と一緒に櫂までが現れた。

 さすがは日本最大の極道組織・極心会の会長と若頭。ふたりともそう思わせるほどの威圧感と凄まじい気迫だ。

 そのふたりが今、相見えようとしている。

 先程まで尊のことを止めようとしていたヤスは一歩下がった場所で、キラキラと羨望の眼差しをふたりに注いでいる。

 尊から開放された医師は力なくヘナヘナと椅子に倒れ込んでしまっている。

「尊。お前、堅気に手出したらどうなるかわかってんだろうな?」
「破門でもなんでもすればいいだろ。そんなもん怖くもなんともねーよ」

「そうだよな。てめーは、お前を厄介払いした奴らへの腹いせにヤクザになっちまった、どうしようもねー野郎だからなぁ。だが若頭の功績をたたえて除籍にしといてやる」
「だから好きにしろって」

 以前初めて対面したときとは違いふたりを取り巻く空気が殺気立ってはいるが、互いに襟首を掴みあったまま兄弟喧嘩か親子喧嘩のようなやり取りが続いていた。

 そのやり取りのなかで尊は除籍処分になったようだが、さて、どのような処分だろうかと美桜が思案している間に、話は進んでいく。

 ヤクザにとっての『除籍』には二通りあり、実際にはクビを意味するが、尊の場合は『引退』ということになる。

 だが除籍されれば二度と渡世への復帰はできない。

「その代わり、俺はお前の親代わりだからな、ガキが生まれたらいつでも見せに来い。いいな? 約束だぞ」
「はッ!? ガキってなにわけのわかんねーこと言って」

「ほら、尊、これ見なさい。あんたの子よ。おめでとう……って、あっ、美桜ちゃん、ごめんなさい。言っちゃった」
「ああ、いえ。言うタイミングが掴めなかったので、助かりました」

「ちょっと待て。一体どういうことだ?」
「あら、尊、まだわかんない? あんた除籍されて堅気になったのよ。どうせそのつもりで動いてたんだし、時期が早まって良かったじゃない。それに子供までデキちゃったって言うオマケつきよ。おめでとう、尊パパ」

「ーーッ!?」

 そうしていつの間にかふたりの間に割って入った樹里が一週間前に撮影したまだ豆粒ほどの赤ちゃんの姿が写っている四角い紙片を尊に突きつけたことで、美桜の妊娠のことを知らされた尊が言葉を失い呆然と立ち尽くしてしまっている。

 そんな尊の姿もお初にお目にかかったが、そんなことよりも尊が極道の世界から自ら退こうとしていた事実に美桜は驚きを隠せずにいた。
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