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12 公爵領のコムギ騒動② ~三日目

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 マリサのお腹が、ぐぅぅう……と鳴ったのが、いたくツボだったらしいライアンは、ウェスタン帽で顔を隠し、片手でお腹を抱えて笑っていた。


「ははっ、マリサ嬢といると、何と言うか、今が非常時だということを、一瞬忘れそうになるよ」

「そーですか、それはよかったですこと」


 マリサは釈然としないものの、大変な状況の中、ライアン自ら領地を駆けずり回っているとのことなので、今回は大目に見ることにする。


「おい、おい。お嬢さんのなりを見ろ。そんなに細っこいんだ、まともに食べておらんのだろう。そこのワンコロも大きく見えるが、毛皮の中の身体は痩せておるぞ」


 倍くらいの身長のライアンを見上げて、意見するロバジイがなんとも頼もしい。


「ああ、そうだな。マリサ嬢、笑ったりして悪かった。君のおかげで少し気が楽になったのだ」


 ウェスタン帽の下から覗く目が、孤独なライオンを思わせる。

 羞恥でマリサの顔はまだ火照っているが、いいえと首を横に振る。


「シロリンと、それから私も、急いで食べてしまいますね。すみませんが、少しお待ちください」


 マリサが野菜の山へ向かおうとすると、ぐいっと右手を掴まれた。


「ちょっと待つんだ。うちの料理人が作った料理やパンがバスケットにかなり多めに詰めてある。それから、オオカミ犬が食べられるものもある。出発する前に、ここで少し早めのランチにしよう」

「そりゃあいいな。よし、わしもうちのが作ってくれた弁当で腹ごなしとするか」


 マリサが戸惑っている内に、籐で編んだようなテーブルと三脚の椅子が、いつの間にか目の前に出現していた。

 

「ちょっと端を持ってくれ」

「えっ?」


言われるまま、繊細な白いレースのテーブルクロスの端を掴むと、ライアンの合図でふぁさりとテーブルにかける。

その上に、かなり立派なバスケットをライアンが、お重を包んだような茶色い包みをロバジイが乗せた。

白ワイン、水、オレンジ色のジュース?と思しき瓶を、ライアンが虚空から出して置いて行く。

オレンジ色のものはトゲニンジンのジュースで、これにはアルコールが入っていないそうだ。マリサは、皿とグラスとカトラリーを並べるのを手伝った。


「さて、先にグレイスとオオカミ犬に食べさせるから、二人は座って先にはじめてくれ」

「ああ、そうさせてもらおう」


と、ロバジイはどっかりとイスに座り込み、グラスとトゲニンジンジュースを掴む。


「わ、私はシロリンが気になるので、ちょっと見てきますね」


 ロバジイにペコっと頭を下げて、ライアンの後を追いかけていった。


(わー、走らないと追いつけない)


 お腹が減りすぎている上に、筋肉痛で追いかけるのは無謀だった。長すぎるコンパスの持ち主のライアンとの距離が縮まらない。


「ひぃ、はぁ、ふーっ……」


 やっとのことでグレイスとシロリンの元に辿り着けば、もう既に一頭と一匹は、ワシャワシャ、フガフガと食べていた。

シロリンが両前足で押さえるようにしてかぶりついているのは、何かの大きな骨付き肉。グレイスは、パチパチコーンやトゲニンジン、それに青々とした牧草を食んでいた。


「わああ、こんなに大きなお肉を、ありがとうございます」


 マリサは泣きそうになるのをぐっと堪えた。

いずれはシロリンに肉を食べさせてあげたいと思っていたが、何キロもありそうな骨付き肉となると、すぐには調達できなかっただろう。

ライアンの高感度が一気に駆け上がっていった。


「これは、畑を荒らしまくっているワイルドボアの肉だ。肉が硬過ぎる上臭みも強いが、うちのオオカミ犬達・は喜んで食べているから安心するがいい」

「まあ、オオカミ犬もいるんですね!」


ライアンの農場へ行くのは気が重かったが、オオカミ犬がいて、それも複数いるとなると、話が違ってくる。

他にもどんな家畜がいるのかと考えたら、楽しみになってきた現金なマリサだった。

間近で見るグレイスの大きさ、優雅さに見とれていたマリサは、あれっと首をかしげる。


「トゲニンジンと、パチパチコーン、こんなに小ぶりなものがあるんですね」


 グレイスが巨大で野菜が小さく見えるのだとしても、マリサが収穫したものと、明らかに三割以上サイズが小さいのだ。体積にしたら半分にも満たないかもしれないと思うマリサだった。

 ライアンは思いっきり眉を顰めた。


「なにを言っているのだ? これが標準サイズなのだが」

「へっ?」

「ああ、そうか。君は、自分が収穫した野菜がどれも規格外なことを知らないのか?」


 マリサは目を瞬いた。


「あれだけ立派なものが収穫されたというのに、君は、自分の畑の特異さを自覚していないのか? ここは南の領土と違い、土地が痩せているため、土壌が優れているという訳ではないだろう。君自身の力か、それとも、なにか別の法則があるのか。いや、とにかく、オレの農場で、君のやり方を一度見せてくれないか?」

「えっ」


 やり方を見せて欲しいと言われても、普通に種と苗を植えて、水をやったくらいだ。水を撒いたのはシロリンだったが。


(もしかして、豊穣の女神セレース様の例の呪文のおかげかしら……)


「南の領地の被害は甚大だ。いつ農地が復活するかは予測不可能で、復活しても直ぐに収穫は出来ないだろう。公爵領の重要な穀倉地帯であった上、人口も多いため、公爵領だけでは食糧事情を解決することは難しいのだ」

「分かりました。ライアン様の農場へ行きます。お役に立てるかどうかは分かりませんが、私も、協力しますと言った以上できる限りのことをいたします!」


 公爵家の料理人はなかなか良い腕をしているらしい。

 バスケットの蓋を開けると、鶏系の網焼きにされた照り焼き風の肉や、牛に似たローストビーフ風にスライスされたもの、燻してスライスされたサーモンのような川魚が綺麗に並んでいた。

 それらを、薄切りにした酸味のある黒っぽいパンに、葉物野菜と一緒に挟んで食べると絶品だった。

 香辛料や味付けはもう一つ物足りなく思ったが、すきっ腹には丁度いいあっさり具合だ。久しぶりのまともに食事にお腹が満たされて、ほっとしたマリサだった。


 食事を終えて顔を上げたグレイスは、小山のように見え、更に威圧感を漂わせていた。

 クレーン車やショベルカーといった重機のようなサイズのグレイスに、さっと跨るライアンにも驚いた。

 そのライアンの前で、グレイスに横座りするマリサは、悪い夢でも見ているに違いないと納得するのだった。


 マリサは、手綱を握るライアンの腰に腕を回して、はしっとしがみついていた。

 恥じらいとか外聞などなにもない。

 怖いものは怖い。

 それが鬼でも悪魔でも、神様でも公爵様でも、縋れるものならなんにでも縋りつくのが正解なのだ。

 恋人がいない歴二十八年だが、それがどうしたのだと言いたいマリサだった。


「ロバジイ、先に行ってくれるか?」

「おう。こっちはオオカミ犬がやる気になってるから、トニトを休ませて、こいつに荷車を引かせていくよ。じゃああとでな」


(えっ、まっ、まって!)


 グレイスから降りたいマリサだったがもう遅い。

 ロバジイの「ハァ!」という掛け声とともに、シロリンが荷車を引いて走り出す。


「し、シロリンー」

「ヒヒィヒヒヒヒヒィーン!」


 マリサの半泣きの声は、グレイスの嘶きにかき消された。


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