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第六章「東方の英雄」

第122話 蒼き一矢

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 「…………ふー…………」

 阿弖流為が去った後、双魔は深く息を吐いた。

 ただの里帰りだったはずなのにこんな事件に巻き込まれるとは思っていなかった。

 疲れがどっと精神に押し寄せてくる。

 身体にはどうかと言うと全く疲れはない。と言うか、軽い、軽すぎる。

 この状態のことはまだよく分からないがティルフィングが関係していることは明らかだ。

 誓文を思い出すことは出来なかったが、ティルフィングに声を掛けられたのがきっかけでこの姿になれたと考えるのが当然だ。

 (ティルフィング…………ティルフィング…………駄目か)

 何度かティルフィングに呼び掛けているが一向に反応がない。ティルフィングが双魔がこの姿になった時の記憶がないと言っていたのはこのことに関係するのだろうか。

 白銀の剣を目の前に掲げて見つめ、思考に耽る。

 「…………っ!?」

 すると、突然背中から誰かに抱きしめられた。その衝撃で双魔は引き戻される。

 剣兎と檀の結界はまだ解かれていない。そうすると、こんなことをしてくるのは一人だ。

 「ん、鏡華か」

 腰の辺りに回された腕が緩まったのでそのままくるりと回る。

 すると、鏡華が不思議な表情を浮かべていた。喜んでいるような、悲しんでいるような、驚いているような顔だ。

 「……………双魔?」

 不安そうな目で双魔の名前を呼ぶ。いつもはしっかりとしていて双魔が世話を焼いてもらう側なのに今は何故か放っておけない感じだ。庇護欲を感じさせられた。

 「ん…………」

 双魔も何となくどんな顔をしたらいいのか分からなくなってしまう。取り敢えず笑って見せるが、上手く笑えているだろうか。

 「……………ふふふ」

 しばらく、双魔の顔を浮かべていた鏡華だったが、やがて柔らかい笑みを浮かべた。

 「…………何だよ?」
 「ふふっ!何でもあらへんよ…………うん、双魔やね!間違いないわ!信じる」
 「ん…………まあ、信じてくれるならいいんだが…………」

 笑みを浮かべた鏡華だがまだ少し不安の影が残っているように見える。

 「双魔…………女の子になるなんて聞いてへんよ?これもティルフィングはんの力?」
 「いや、これについてはよく分かってないんだが…………取り敢えず元には戻る」

 それを聞いた鏡華の顔から不安が完全に消え去った。

 「本当!?そんなら良かったわ!双魔が女の子になってもうたら、うち困ってしまうからね」
 「…………何かあるか?」
 「…………何?双魔、うちに言わせたいの?……いけずやわぁ…………」

 鏡華があまり見せたことのない艶のある笑みを浮かべて双魔の頬を優しく撫でてきた。

 背筋がゾクゾクする。実際に流れているわけではないが背中が冷や汗でびしょびしょになっているように感じる。

 「いや、いい!何でもない!」
 「あらぁ、そ?そんならええわ…………フフフ、すこーし残念やけどね?」

 鏡華は悪戯っぽく笑うと双魔の頬から手を離した。

 「まあ、双魔も自分で分からへん言うなら仕方あらへんね…………そう言えばこの結界はいつ解けるん?」
 「ん?ああ、そうだな忘れてた。ちょっと待ってくれ」

 双魔が剣兎と別れる前に渡した包みには双魔が念を送るとそれを感知して開花する蕾を幾つか入れておいた。花が開くのを合図に結界を解いてもらう手筈だ。剣兎に直接説明したわけではないが意図は汲んでくれているだろう。

 蕾に念を送るために目を閉じて、集中する。まずは自分の魔力の波を円のように広げて蕾の位置を感知しなければならない。

 この行動が、意図したわけではなかったが、直後に起こった事態が致命的になることを防ぐ生命線となった。

 「……………………ッ!?」

 双魔はそこまで大規模に魔力の円を広げるつもりはなかったのだが、この乙女の姿の時は勝手が違うようで半径数キロ範囲に渡って大規模に円が広がってしまった。

 そして、丁度、双魔の正面方向、鏡華が背を向けている方角から強力かつ凶暴な剣気の塊が高速で接近してくるのが感知の網に掛かった。

 「チッ!!」
 「きゃっ!」

 双魔は鏡華をティルフィングを握っていない左腕で抱き寄せると、そのままティルフィングを前に押し出した。

 パキイイィイイン!!

 それとほぼ同時に剣兎と檀の二重結界が外から易々と貫かれ、甲高い音が響く。

 ギイィン!!!

 結界が破られた、刹那の後、ティルフィングの白銀の刃と強襲を仕掛けてきた何者かが激突した。

 蒼穹から放たれた一矢の如く鋭い衝撃と肌が焦げるような炎熱が重く双魔の右腕を襲う。

 その衝撃の余波で紅氷が砕け散り、元々劣化していた塀が崩れる。

 「「ぎゃあああああああ!」」
 「ぐああああああああああ!」
 「退避!退避だ!」

 衝撃波は双魔を中心に外にも伝わったのか結界がほとんど砕け散り、外からは陰陽師たちの悲鳴と退避の叫び声が聞こえてくる。

 「ぐ…………ぐぐ…………ガァ!!」

 数瞬の間、双魔と突っ込んできた謎の剣気の主の力は拮抗した。が、双魔は何とかそれを弾き返す。

 謎の剣気が放った熱で紅氷が溶けて紅い蒸気が発生する。

 弾き返された者は少し離れた場所にふわりと軽やかに着地した。

 「フフフ…………ウフフフフフフッ!」

 眼前の蒸気の中から小鳥がさえずるかのように可憐な笑い語が聞こえてくる。

 「…………何者だ?」

 双魔の問いに答えるかのようにカツカツと氷の上を歩く靴音が近づいてくる。

 やがて、剣気の主が姿を現す。

 身に纏ったドレスの裾を両手で摘まみ、恭しく頭を垂らす。

 「ウフフ…………初めまして!御機嫌よう!貴方が、お姉様の契約者の魔術師さんかしら?」

 頭を上げ、可愛らしく首を傾げて、笑みを浮かべる。

 そこに立っていたのは、純白のドレスに、純白のつばの広い帽子を被った蒼を具現化したかのような少女だった。
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