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第一章「帰郷」

第71話 ティルフィング、はじめての鍋

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 全員で手を合わせて食前の挨拶を済ませると、鏡華は濡れ布巾を鍋蓋の取っ手に当てて蓋を開けた。

 もわっと鍋の中に溜まっていた湯気が解き放たれ、居間の中に食欲を誘ういい匂いがより強烈に漂う。

 「…………ごくり」

 ティルフィングはその大きな瞳で鍋の中を食い入るように見つめて、唾を飲み込んでいる。

 それを横目に蓋を置いた鏡華は微笑みを浮かべながら、今度は菜箸を手に取った。

 「双魔、ティルフィングはんも器貸して。嫌いなものあらへんよね?」
 「ん、大丈夫」
 「我も大丈夫だ!」
 「ほほほ……ええ子、ええ子……さて」

 鏡華は笑顔で鍋から具材と汁をよそって二人の前に置く。

 「玻璃は?」
 「此方は……此方がやる故……主は先に……食べるといい」
 「そ」

 短く返事をして鏡華は自分の器に具材をよそっていく。それを見ながら双魔は器に口をつけてまずは汁から口に入れる。

 「ん…………美味い」

 シンプルな寄せ鍋風の中に生姜の風味が加わっていて身体が芯からじんわりと温まる。塩加減も丁度いい。

 「ふー!ふー!はふはふ……む!何だこれは!とても美味だぞ!」

 具材を口にしたティルフィングも目をまん丸くしてその美味さに驚いている。

 「はあ……ほんまに、最近は市販の鍋つゆも馬鹿にできひんねぇ」

 作った本人もしみじみといった感じでつゆを飲んで一息ついている。

 浄玻璃鏡はマイペースに自分の器に野菜だけとって黙々と食べ始めている。

 「ん、美味い美味い」

 鶏肉は皮に火が通っていて香ばしい上に身はプリプリとしていて噛み応えがある。

 鶏肉団子も噛むと肉汁が沁み出してくる。肉汁は葱と生姜のエキスがたっぷりと含まれていて実に滋養に富んでいる。

 「この野菜が実に美味だぞ!ソーマも食べてみろ!」

 ティルフィングが指差しているのは蕪だ。それを見て鏡華が鍋からお玉で双魔の器に蕪を取ってくれる。

 「はい、熱いから、気いつけてね」
 「ん、ありがとさん。フー……フー…………はむっ」

 息を吹きかけて火傷をしない程度まで冷ましてから口に入れる。口の中の蕪は一度噛んだだけでトロトロと溶けだして、たっぷりと吸い込んでいた出汁の風味と蕪の甘さが口いっぱいに広がった。

 「確かに……これは絶品だな」
 「だろう!?」
 「ほほほ。お気に召したみたいでよかったわぁ、蕪は丁度旬やからねぇ。いまが一番美味しいんよ」
 「そうだな……うん、本当に美味い」

 そこからは特に会話もなく各々無言で食べ進める。

 大根や白菜をはじめとした野菜は味が染みていて、平茸も同じく実に美味しい。つゆをたっぷりと吸い込んでプルプルになった油揚げも噛むとジュワっと汁が溢れて最高だ。

 気付けば鍋の中には具材のひとかけらも残っておらず、食材の出汁で少し濁った汁だけになってしまった。

 「むう……もう終わりか」

 ティルフィングが空になった鍋の中を悲しそうに見つめている。

 「ほほほほほ!」

 それを見て鏡華が突然笑い出した。

 「む!なぜ笑うのだ!」

 言葉の通りティルフィングが頬を膨らませてムッとする。

 「まだ、お夕飯は終わってないよ?」
 「ん、ティルフィング鍋はある意味ここからが本番だ」

 鏡華の言葉に賛同した双魔が両目を閉じて何か悟りの境地に達したかのような表情を浮かべる。

 「???」

 ティルフィングは鏡華と双魔の顔を交互に見て困惑している。

 「双魔、ご飯とおうどん……どっち?」
 「ん…………ここは米だろ」
 「ほほほ、そう言うと思うて、冷ご飯用意してあるよ。ほな、持ってくるね」

 そう言って鏡華は立ち上がると台所へと消えていった。

 「ソーマ、ソーマ、何をするのだ?」
 「ん、見てればわかるから少し待ってな」
 「う、うむ……」

 ティルフィングが首を傾げているとお櫃と卵を数個持って鏡華が戻ってきた。

 「ほな、雑炊作ろうか!」
 「……ゾウスイ?」

 聞き慣れない言葉にティルフィングが傾げていた首を逆に傾げた。

 その間に鏡華は手際よく雑炊を作っていく。

 まず、コンロの火をつけて残ったつゆを沸騰するのを待つ。その間にお椀に卵を割ってかき混ぜておく。

 「双魔、お櫃のご飯、お鍋に入れて」
 「んー」

 鏡華に言われた通り鍋にご飯を投入する。
 
 お櫃の中の米は一度洗って水気を切ってあったのかさらさらしていた。すると、沸騰が一度収まり泡が出なくなる。

 それをしばらく見つめているとぽつりぽつりと小さな泡が湧き出てきた。

 「卵入れるよ。双魔、火止めて」

 鏡華が鍋に溶き卵を回し入れる。双魔も言われた通りに火を止める。

 「そしたら、蓋をして、すこーし蒸らして…………はい、完成!」

 蓋を開けるともわっと湯気が広がりその下から完成した雑炊が現れた。卵と米がツヤツヤと光っている。

 「おおー!これが雑炊か!」
 「ん、食べよう」
 「はいはい、取ってあげるさかいお椀貸して」

 いつの間に準備したのか刻み葱を鍋に散らした鏡華が手を出してくる。器を受け取って雑炊をよそって差し出してくれた。

 「はい、双魔。ティルフィングはんも」
 「うむ!フー……フー……はむっ……むぐむぐ……お、おおー!」
 「美味いか?」
 「美味しい?」
 「美味だ!物凄く美味だ!」

 ティルフィングの満面の笑みを見て二人も雑炊を口にする。

 ご飯には鍋つゆと具材のエキスがしっかりと沁み込んでいて、卵がそれを優しく包み込んでいる。

 やはり鍋の〆は雑炊に限る。そんな表情を浮かべていたのか、それを見た鏡華がころころと笑っていた。

 「うむ……鍋とは奥が深い食べ物なのだな!」
 「そやねぇ、他にも色々種類はあるさかいまたやろか」
 「うむ!」

 こうして、ティルフィングに好物が増えていくことに双魔の心は穏やかで、温かくなるのだった。
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