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第一章「帰郷」
第68話 六道の姫君
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路地を曲がった二人は時の将軍室町殿が定めた京都五山の一角、今は規模が大きく縮小された名刹、建仁寺の横を通り”六道の辻”と呼ばれる通りまでやってきた。
ここまで来れば目的地はもう目と鼻の先だ。
「ん……そう言えば手土産とか何にも用意してないな……まあ、いつものアレでいいか」
目の前に見えてきた看板を見てそう呟いた。
看板には”幽霊子育飴”の文字。アレとは今から訪ねる人物の好物で看板の通り飴だ。
店の前に着くと引戸を開ける。ガラガラという音と来客に反応して鳴ったブザーの音がほんの少し騒がしい。商品棚の前に人はいない。が、すぐに奥から老婆が出てきた。
「いらっしゃいませ。まあ、よかったらご試食をどうぞ。いくつ取っても構いませんよ」
そう言って商品棚の上に置いてあった小さなタッパーの蓋を開けて双魔たちに差し出した。中には砕かれた飴が入っている。
「じゃあ、遠慮なく」
まず、二つ取ってティルフィングの口に放り込んでやる。続いてもう二つ取って自分の口に放り込む。舌ので転がすと優しく、何処か懐かしい甘さがじんわりと口の中に広がる。
「うむ……これは美味だな!優しい味、というやつだな!」
「ホホホ、気に入っていただけて何よりです……そう言えばお兄さん、前にも来てくれたことがあるでしょう?しばらく見ませんでしたけど……随分立派になられて」
老婆はニコニコしながら尋ねてくる。どうやら、双魔の顔を覚えてくれていたらしい。
「ええ、ここの飴は美味しいですし……近くの知り合いのお気に入りなのでお土産に」
「あら、もしかして、お兄さん六道のお嬢さんのお知り合い?」
「まあ、そんな感じですね」
「あらあら……そうですかそうですか。そうさいえば昔一緒に来てくださったような気もしますねぇ…………最近物覚えが悪くて……。それはそうと、お嬢さんにはいつも御贔屓にして貰って……よろしく伝えておいてくださいな」
「分かりました。じゃあ、飴を二袋ください」
「ああ、お喋りに夢中になって忘れていたわ!ごめんなさいね」
老婆は棚から飴を二袋出すとビニール袋に入れて双魔に差し出した。お代を老婆の手に載せて袋を受け取る。
「ありがとうございました、まら、いらっしゃってくださいな」
ニコニコとしながら二人を見送ると老婆は再び店の奥へと戻っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて、着いた」
飴屋を出て一、二分、双魔とティルフィングはやっと目的地に着いた。
目の前にはこじんまりとした和風建築の邸宅の門が構えている。
門を潜って玄関前のインターホンを鳴らす。ピンポーン、と家の中に呼び鈴の音が鳴り響く。
「はーい、開いてるよー。お入りー」
パタパタという足音と共に湧水の如く澄んだ声が近づいてくる。
了解を得たので引き戸を開けて中に入る。すると、そこには家中から聞こえてきた声の主が立っていた。
年の頃は双魔と同じくらい。雪のように白い肌、整った顔、床につきそうなほど伸ばした艶やかな髪、斜めに切り揃えた前髪の下の幻妖に光る暗褐色の瞳は双魔を優しく見つめている。
七宝柄の蘇芳紬に身を包み、帯は赤一色。立つ姿は嫋やかな曼殊沙華のようだ。本人もそれを意識しているのか、いないのか、頭には曼殊沙華を模した髪飾りをつけている。
「あらぁ、旦那はん、お久しゅう……会いたかったわぁ」
「姉さん……”旦那”はやめてくれって言ってるだろ……」
「それなら、うちも”姉さん”じゃなくて名前で呼んでって、いつも、いつも言うとるよ?そしたら、うちも”旦那はん”やなくて”、双魔”って名前で呼ぶわ」
「……いや、それは……ちょっと」
双魔は目の前の京美人に完全に押され気味だ。不審者と勘違いされて連行されても飄々とした態度を崩さなかった双魔がだ。ここにハシーシュや剣兎がいたら腹を抱えて笑ったに違いない。
「ほぉら……”鏡華”って呼んで?」
「あー……んー…………そのだな……ん?」
返答に困っているとコートの裾をクイッ、クイッっと引かれた。
「ん?」
「あら、えらい可愛らしい子やねぇ……噂の旦那はんの遺物はん?」
”鏡華”と名乗った少女がティルフィングと視線を合わせようとするが、ティルフィングはサッと双魔の後ろに隠れる。
「ソ、ソーマ……こやつは何者だ?」
いつもの人見知りのようだ。そーっと顔を出して少女に微笑みかけられるとまた隠れるを繰り返している。
「ん、この人は六道鏡華。俺の……んー……なんて言ったらいいんだ?あー……まあ、取り敢えずいい人だ。怖がらなくても大丈夫だ」
「そ、そうなのか?」
「ああ……ほら、挨拶」
双魔はティルフィングを前に押し出す。ティルフィングは鏡華と正面から向き合う。まだ、警戒が解けないのか身体が固い。
そんなティルフィングを見て鏡華はその場に正座してティルフィングとの視線の高さを近づける。
「うちは名前は六道鏡華。鏡華って呼んでくれてかまへんよ。よろしなぁ」
「わ、我の名はティルフィング!ソ、ソーマの契約遺物だ!ティ、ティルフィングでいい。よろしく頼むぞ!」
「うんうん、ええ子やね。ティルフィングはん旦那はんのことよろしなぁ」
「う、うむ……我に……任せておけ……」
そう言うとティルフィングはまた双魔の後ろに隠れてしまった。剣兎の時はすぐに打ち解けたのだが、どうやら鏡華のことは少し苦手なようだ。
「あらぁ、嫌われてしもうたかしら?」
「そのうち慣れるだろ……あと、”旦那はん”はやめてくれ……」
「そやさかい、うちのこと”鏡華”って呼んでくれはったらやめるよ、言うてるやろ?」
「いや……その…………」
「呼んで?」
鏡華の笑顔から発せられる圧力で双魔はすでに押しつぶされそうだ。命の危機とかそういうものではないはずなのに背中に冷や汗が伝っている。最早、双魔には折れる以外の選択肢はなかった。
「きょ、鏡華……さん」
「んー?」
どうやらお気に召さなかったらしい。鏡華が首を傾げると頭の曼殊沙華がしゃなりと揺れる。綺麗なだけのはずの髪飾りが双魔には妙な迫力を醸し出しているように見えた。
「きょ……鏡華……」
「はい、ようできました!うち、嬉しいわぁ!」
「さ、さいですか……」
「そうそ、いつまでもこないなとこ立ってたら疲れるやろ?ささ、二人とも早う上がって。居間におって。うち、お茶用意するから。あ、上着、貸して」
「ああ、ありがとう。ほれ、ティルフィングも預かってもらえ」
「う、うむ」
二人分のコートを受け取ると鏡華はさっさと家の中に下がっていった。玄関には二人が取り残される。
「ソ、ソーマ……」
立ち尽くしたティルフィングが囁くように声を掛けてきた。
「ん、どうした?」
それに合わせて双魔も何となく声を潜める。
「よくわからんが……我はあのキョーカとやらが少し怖いぞ……」
「そうか……まあ、基本的には優しい人だからそんなに警戒しないでやってくれ」
「う、うむ……善処する」
ティルフィングは複雑な表情をしているがこういう類の苦手意識は時間に頼るしかない。
動きが妙にかくかくとおかしくなっているティルフィングを横目に、双魔は苦笑しながら靴を脱いで屋敷に上がるのだった。
ここまで来れば目的地はもう目と鼻の先だ。
「ん……そう言えば手土産とか何にも用意してないな……まあ、いつものアレでいいか」
目の前に見えてきた看板を見てそう呟いた。
看板には”幽霊子育飴”の文字。アレとは今から訪ねる人物の好物で看板の通り飴だ。
店の前に着くと引戸を開ける。ガラガラという音と来客に反応して鳴ったブザーの音がほんの少し騒がしい。商品棚の前に人はいない。が、すぐに奥から老婆が出てきた。
「いらっしゃいませ。まあ、よかったらご試食をどうぞ。いくつ取っても構いませんよ」
そう言って商品棚の上に置いてあった小さなタッパーの蓋を開けて双魔たちに差し出した。中には砕かれた飴が入っている。
「じゃあ、遠慮なく」
まず、二つ取ってティルフィングの口に放り込んでやる。続いてもう二つ取って自分の口に放り込む。舌ので転がすと優しく、何処か懐かしい甘さがじんわりと口の中に広がる。
「うむ……これは美味だな!優しい味、というやつだな!」
「ホホホ、気に入っていただけて何よりです……そう言えばお兄さん、前にも来てくれたことがあるでしょう?しばらく見ませんでしたけど……随分立派になられて」
老婆はニコニコしながら尋ねてくる。どうやら、双魔の顔を覚えてくれていたらしい。
「ええ、ここの飴は美味しいですし……近くの知り合いのお気に入りなのでお土産に」
「あら、もしかして、お兄さん六道のお嬢さんのお知り合い?」
「まあ、そんな感じですね」
「あらあら……そうですかそうですか。そうさいえば昔一緒に来てくださったような気もしますねぇ…………最近物覚えが悪くて……。それはそうと、お嬢さんにはいつも御贔屓にして貰って……よろしく伝えておいてくださいな」
「分かりました。じゃあ、飴を二袋ください」
「ああ、お喋りに夢中になって忘れていたわ!ごめんなさいね」
老婆は棚から飴を二袋出すとビニール袋に入れて双魔に差し出した。お代を老婆の手に載せて袋を受け取る。
「ありがとうございました、まら、いらっしゃってくださいな」
ニコニコとしながら二人を見送ると老婆は再び店の奥へと戻っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて、着いた」
飴屋を出て一、二分、双魔とティルフィングはやっと目的地に着いた。
目の前にはこじんまりとした和風建築の邸宅の門が構えている。
門を潜って玄関前のインターホンを鳴らす。ピンポーン、と家の中に呼び鈴の音が鳴り響く。
「はーい、開いてるよー。お入りー」
パタパタという足音と共に湧水の如く澄んだ声が近づいてくる。
了解を得たので引き戸を開けて中に入る。すると、そこには家中から聞こえてきた声の主が立っていた。
年の頃は双魔と同じくらい。雪のように白い肌、整った顔、床につきそうなほど伸ばした艶やかな髪、斜めに切り揃えた前髪の下の幻妖に光る暗褐色の瞳は双魔を優しく見つめている。
七宝柄の蘇芳紬に身を包み、帯は赤一色。立つ姿は嫋やかな曼殊沙華のようだ。本人もそれを意識しているのか、いないのか、頭には曼殊沙華を模した髪飾りをつけている。
「あらぁ、旦那はん、お久しゅう……会いたかったわぁ」
「姉さん……”旦那”はやめてくれって言ってるだろ……」
「それなら、うちも”姉さん”じゃなくて名前で呼んでって、いつも、いつも言うとるよ?そしたら、うちも”旦那はん”やなくて”、双魔”って名前で呼ぶわ」
「……いや、それは……ちょっと」
双魔は目の前の京美人に完全に押され気味だ。不審者と勘違いされて連行されても飄々とした態度を崩さなかった双魔がだ。ここにハシーシュや剣兎がいたら腹を抱えて笑ったに違いない。
「ほぉら……”鏡華”って呼んで?」
「あー……んー…………そのだな……ん?」
返答に困っているとコートの裾をクイッ、クイッっと引かれた。
「ん?」
「あら、えらい可愛らしい子やねぇ……噂の旦那はんの遺物はん?」
”鏡華”と名乗った少女がティルフィングと視線を合わせようとするが、ティルフィングはサッと双魔の後ろに隠れる。
「ソ、ソーマ……こやつは何者だ?」
いつもの人見知りのようだ。そーっと顔を出して少女に微笑みかけられるとまた隠れるを繰り返している。
「ん、この人は六道鏡華。俺の……んー……なんて言ったらいいんだ?あー……まあ、取り敢えずいい人だ。怖がらなくても大丈夫だ」
「そ、そうなのか?」
「ああ……ほら、挨拶」
双魔はティルフィングを前に押し出す。ティルフィングは鏡華と正面から向き合う。まだ、警戒が解けないのか身体が固い。
そんなティルフィングを見て鏡華はその場に正座してティルフィングとの視線の高さを近づける。
「うちは名前は六道鏡華。鏡華って呼んでくれてかまへんよ。よろしなぁ」
「わ、我の名はティルフィング!ソ、ソーマの契約遺物だ!ティ、ティルフィングでいい。よろしく頼むぞ!」
「うんうん、ええ子やね。ティルフィングはん旦那はんのことよろしなぁ」
「う、うむ……我に……任せておけ……」
そう言うとティルフィングはまた双魔の後ろに隠れてしまった。剣兎の時はすぐに打ち解けたのだが、どうやら鏡華のことは少し苦手なようだ。
「あらぁ、嫌われてしもうたかしら?」
「そのうち慣れるだろ……あと、”旦那はん”はやめてくれ……」
「そやさかい、うちのこと”鏡華”って呼んでくれはったらやめるよ、言うてるやろ?」
「いや……その…………」
「呼んで?」
鏡華の笑顔から発せられる圧力で双魔はすでに押しつぶされそうだ。命の危機とかそういうものではないはずなのに背中に冷や汗が伝っている。最早、双魔には折れる以外の選択肢はなかった。
「きょ、鏡華……さん」
「んー?」
どうやらお気に召さなかったらしい。鏡華が首を傾げると頭の曼殊沙華がしゃなりと揺れる。綺麗なだけのはずの髪飾りが双魔には妙な迫力を醸し出しているように見えた。
「きょ……鏡華……」
「はい、ようできました!うち、嬉しいわぁ!」
「さ、さいですか……」
「そうそ、いつまでもこないなとこ立ってたら疲れるやろ?ささ、二人とも早う上がって。居間におって。うち、お茶用意するから。あ、上着、貸して」
「ああ、ありがとう。ほれ、ティルフィングも預かってもらえ」
「う、うむ」
二人分のコートを受け取ると鏡華はさっさと家の中に下がっていった。玄関には二人が取り残される。
「ソ、ソーマ……」
立ち尽くしたティルフィングが囁くように声を掛けてきた。
「ん、どうした?」
それに合わせて双魔も何となく声を潜める。
「よくわからんが……我はあのキョーカとやらが少し怖いぞ……」
「そうか……まあ、基本的には優しい人だからそんなに警戒しないでやってくれ」
「う、うむ……善処する」
ティルフィングは複雑な表情をしているがこういう類の苦手意識は時間に頼るしかない。
動きが妙にかくかくとおかしくなっているティルフィングを横目に、双魔は苦笑しながら靴を脱いで屋敷に上がるのだった。
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