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第六章「犯人」
「ウィルの手は、案外華奢なんだなって」
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職場に戻り、あとは報告書を書くだけとなった。
終業時刻を過ぎてからの帰社だったので、事務室には俺とオリバーしか残っていない。ケットシーのおばあさんの家から帰る間、彼はずっと口数が少なかった。シャリアのほうもあまり喋ろうとせず、結果として無言が続く帰り道となったのだった。
ペンで丁寧に記入をし終えたあたりで、ふいにオリバーの手が伸びてきた。彼は既に書き終えていたようで、俺の手を取るとまじまじと見つめていた。
「……なんだ?」
「ううん……。ウィルの手は、案外華奢なんだなって」
「……そうか?」
自分の手を見つめる。爪は小さく、子供のようだった。
「俺のはわりとゴツゴツしているし、指先は硬い」
彼の手を取ると、爪のあたりに触る。
「お前、ミッシャーの練習で何度もマメができては潰れていたんだよな。それでも、手に包帯を巻いて必死で食らいついていた。顔はきれいなのに、体中に傷を作るし、手はゴツゴツしていて、アンバランスなんだよな」
ふふ、と笑う。目をキラキラさせて球を掴み、ミッシャーの練習をしていた幼い彼を思い出したのだ。
「顔じゃミッシャーのエースにはなれないって、一生懸命練習していた。そういうところが、かっこよくてす……」
そこまで言って口をつぐむ。好きだと告げてしまうところだった。
「す?」
オリバーが首を傾げる。慌てて続けた。
「素敵だった!」
繋げると、オリバーはくすぐったそうな顔になった。
「さっき、シャリアにああ言ったのも、そうやって頑張るお前を見ていたからなんだ。お前は元々ミッシャーの才能があったのかもしれないけど、それ以上に努力家で、学生の頃は夜遅くまで練習をしていた。周りからは顔もよければスポーツも……って結果だけを見られていたけど、俺はちゃんと過程を知っていたから……」
ごまかすようにつらつらと喋る。どんどん彼の顔が赤くなっていった。
「……そうなんだ」
「……うん」
オリバーは頬を染め俯く。いたたまれなくて俺も視線をそらした。
なんだこの甘酸っぱい雰囲気は。
さっと手を離してオリバーから距離を取る。
「よし、じゃあ、さっさと提出して帰ろう!」
上機嫌になった彼は自分の報告書の上に俺のものを重ねて上長の机に置く。
なんだかんだで彼は俺の言葉で一喜一憂をするな、と気がついて胸がくすぐられた心地になった。心を許してくれているのだと思うと嬉しい。
そうして、俺達はイリスさんの医療室でシャリアとイリスさんと合流し、少し遅れてピオさんも来て薄紅色の竜人の家に向かったのだった。
「狼さん、今日もなでなでさせてもらえる?」
夕食を食べ終えたところで、アリスがやってきて俺を上目遣いに見つめてきた。
元々四人用だったダイニングに二人分の椅子を追加し、六人での食事が終わったところだった。
「うん、いいよ」
答えると、木製の人形は嬉しそうにほほえみ、俺の手を引いて彼女の部屋へ行く。オリバーは片付け当番だったので今日はついてこなかった。
初日にそれぞれの当番を決めたのだ。この共同生活がいつまで続くかわからないが、イリスさんにばかり家事をやってもらうのは悪いから、と。
実をいうと、今の時点で俺は少し息苦しさを感じていた。一人になれる時間があまりにも少ない。いっそ狼になって誰とも喋らないのが楽ですらあった。
ふわふわと俺の毛に触れているアリスもたまに『かわいい』と告げるくらいで話しかけてこない。
喉のあたりを撫でられた時、ふいに違和感を感じた。
何か、魔力かエネルギーかを吸い取られているような、そんな感覚がして木人形を見上げる。
彼女はガラスの瞳で俺をじっと見つめていた。
「……狼さん、美味しそう」
ぽつりと呟いた内容を理解するのに数秒かかった。
肉が美味しそうという意味だろうか。考えていると更に力が抜けていく。
「やさしい味。お兄ちゃんが夢中になるのもわかる気がする……」
急に眠気も襲ってくる。何かがおかしい。
俺は持てる限りの力を使って彼女から離れる。すぐに立っていられなくてぺたりと床に座り込んだ。
「……なんで逃げるの?」
アリスはすぐに俺に近づく。
「……ウ、ワゥ! ワゥワゥ!」
数度吠えると、まずはオリバーがやってきた。その後ろにイリスさんもいる。
「どうしたんだ?」
彼は床に倒れている俺に近寄り抱き上げる。イリスさんの方は妹を抱き上げていた。
「こら! アリス! 勝手にウィル君の魂を食べようとするんじゃない!」
「……は」
イリスさんの怒鳴り声に、俺とオリバーは目を丸くする。彼は腕の中の妹にさらに続けた。
「食べるのは私からだけって約束しただろう?」
「……はい、でも……。……狼さんの魂、とても綺麗で、つい食べたくなっちゃったの」
「ウィル君の魂が優しい色をしているのは私もわかっているよ。でも、だからといって食べていいという話にはならない」
メ、とイリスさんが彼女を叱る。
二人の会話が理解できなくて、俺はオリバーの腕の中で固まっていた。
「……何? ウィルの魂を食べるって」
オリバーの声も上ずっている。イリスさんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。それに対する返答は、部屋の外から聞こえた。
「アリスは、食事をしない。じゃあ、普段動くエネルギーはどこから摂取していると思う?」
視線を移すと、ピオさんが立っていた。彼からローブを受け取り、俺は人間の姿に戻る。
「ちょっと外に出ないか? そこら辺の話を教えてやるからさ」
くい、と彼は親指で玄関の方を示す。イリスさんは妹をぎゅ、と抱きしめた。
オリバーは俺を立たせてついていくようにと促す。
「……ピオ」
イリスさんの声は重い。元警官は頭をかいた。
「そりゃ、家につれてきたらこうなることくらいわかっていただろ」
「……でも」
「いいから、お前はアリスの相手をしてろ。俺が説明してくるから」
薄紅色の竜人は肩を落とす。
「……信じているよ、ピオ」
苦しそうな喘ぎは、いっそ呪いのようだった。
終業時刻を過ぎてからの帰社だったので、事務室には俺とオリバーしか残っていない。ケットシーのおばあさんの家から帰る間、彼はずっと口数が少なかった。シャリアのほうもあまり喋ろうとせず、結果として無言が続く帰り道となったのだった。
ペンで丁寧に記入をし終えたあたりで、ふいにオリバーの手が伸びてきた。彼は既に書き終えていたようで、俺の手を取るとまじまじと見つめていた。
「……なんだ?」
「ううん……。ウィルの手は、案外華奢なんだなって」
「……そうか?」
自分の手を見つめる。爪は小さく、子供のようだった。
「俺のはわりとゴツゴツしているし、指先は硬い」
彼の手を取ると、爪のあたりに触る。
「お前、ミッシャーの練習で何度もマメができては潰れていたんだよな。それでも、手に包帯を巻いて必死で食らいついていた。顔はきれいなのに、体中に傷を作るし、手はゴツゴツしていて、アンバランスなんだよな」
ふふ、と笑う。目をキラキラさせて球を掴み、ミッシャーの練習をしていた幼い彼を思い出したのだ。
「顔じゃミッシャーのエースにはなれないって、一生懸命練習していた。そういうところが、かっこよくてす……」
そこまで言って口をつぐむ。好きだと告げてしまうところだった。
「す?」
オリバーが首を傾げる。慌てて続けた。
「素敵だった!」
繋げると、オリバーはくすぐったそうな顔になった。
「さっき、シャリアにああ言ったのも、そうやって頑張るお前を見ていたからなんだ。お前は元々ミッシャーの才能があったのかもしれないけど、それ以上に努力家で、学生の頃は夜遅くまで練習をしていた。周りからは顔もよければスポーツも……って結果だけを見られていたけど、俺はちゃんと過程を知っていたから……」
ごまかすようにつらつらと喋る。どんどん彼の顔が赤くなっていった。
「……そうなんだ」
「……うん」
オリバーは頬を染め俯く。いたたまれなくて俺も視線をそらした。
なんだこの甘酸っぱい雰囲気は。
さっと手を離してオリバーから距離を取る。
「よし、じゃあ、さっさと提出して帰ろう!」
上機嫌になった彼は自分の報告書の上に俺のものを重ねて上長の机に置く。
なんだかんだで彼は俺の言葉で一喜一憂をするな、と気がついて胸がくすぐられた心地になった。心を許してくれているのだと思うと嬉しい。
そうして、俺達はイリスさんの医療室でシャリアとイリスさんと合流し、少し遅れてピオさんも来て薄紅色の竜人の家に向かったのだった。
「狼さん、今日もなでなでさせてもらえる?」
夕食を食べ終えたところで、アリスがやってきて俺を上目遣いに見つめてきた。
元々四人用だったダイニングに二人分の椅子を追加し、六人での食事が終わったところだった。
「うん、いいよ」
答えると、木製の人形は嬉しそうにほほえみ、俺の手を引いて彼女の部屋へ行く。オリバーは片付け当番だったので今日はついてこなかった。
初日にそれぞれの当番を決めたのだ。この共同生活がいつまで続くかわからないが、イリスさんにばかり家事をやってもらうのは悪いから、と。
実をいうと、今の時点で俺は少し息苦しさを感じていた。一人になれる時間があまりにも少ない。いっそ狼になって誰とも喋らないのが楽ですらあった。
ふわふわと俺の毛に触れているアリスもたまに『かわいい』と告げるくらいで話しかけてこない。
喉のあたりを撫でられた時、ふいに違和感を感じた。
何か、魔力かエネルギーかを吸い取られているような、そんな感覚がして木人形を見上げる。
彼女はガラスの瞳で俺をじっと見つめていた。
「……狼さん、美味しそう」
ぽつりと呟いた内容を理解するのに数秒かかった。
肉が美味しそうという意味だろうか。考えていると更に力が抜けていく。
「やさしい味。お兄ちゃんが夢中になるのもわかる気がする……」
急に眠気も襲ってくる。何かがおかしい。
俺は持てる限りの力を使って彼女から離れる。すぐに立っていられなくてぺたりと床に座り込んだ。
「……なんで逃げるの?」
アリスはすぐに俺に近づく。
「……ウ、ワゥ! ワゥワゥ!」
数度吠えると、まずはオリバーがやってきた。その後ろにイリスさんもいる。
「どうしたんだ?」
彼は床に倒れている俺に近寄り抱き上げる。イリスさんの方は妹を抱き上げていた。
「こら! アリス! 勝手にウィル君の魂を食べようとするんじゃない!」
「……は」
イリスさんの怒鳴り声に、俺とオリバーは目を丸くする。彼は腕の中の妹にさらに続けた。
「食べるのは私からだけって約束しただろう?」
「……はい、でも……。……狼さんの魂、とても綺麗で、つい食べたくなっちゃったの」
「ウィル君の魂が優しい色をしているのは私もわかっているよ。でも、だからといって食べていいという話にはならない」
メ、とイリスさんが彼女を叱る。
二人の会話が理解できなくて、俺はオリバーの腕の中で固まっていた。
「……何? ウィルの魂を食べるって」
オリバーの声も上ずっている。イリスさんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。それに対する返答は、部屋の外から聞こえた。
「アリスは、食事をしない。じゃあ、普段動くエネルギーはどこから摂取していると思う?」
視線を移すと、ピオさんが立っていた。彼からローブを受け取り、俺は人間の姿に戻る。
「ちょっと外に出ないか? そこら辺の話を教えてやるからさ」
くい、と彼は親指で玄関の方を示す。イリスさんは妹をぎゅ、と抱きしめた。
オリバーは俺を立たせてついていくようにと促す。
「……ピオ」
イリスさんの声は重い。元警官は頭をかいた。
「そりゃ、家につれてきたらこうなることくらいわかっていただろ」
「……でも」
「いいから、お前はアリスの相手をしてろ。俺が説明してくるから」
薄紅色の竜人は肩を落とす。
「……信じているよ、ピオ」
苦しそうな喘ぎは、いっそ呪いのようだった。
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