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第五章「満月の夜」

「本日は早退させていただきます」

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「そういうことで、本日は早退させていただきます」

 頭を下げると、上長はわかったというように頷いた。年の頃は六十代後半だろうか、白髪混じりの髪にシワの刻まれた顔はいつも微笑んでいて、気安い雰囲気があった。彼も人狼であるから、俺と同様に午後あがりである。
 人狼は満月の夜には理性が効かなくなり、本能が解き放たれる。攻撃的になったり、性欲旺盛になって誰彼構わず襲ってしまうのだ。
 そこで、痺れ薬と眠り薬の混合薬によって一晩中気絶してしまうのがこの数年の人狼の満月の夜の過ごし方になっていた。

「大丈夫? ついていなくていい?」

 同居人が心配そうな瞳で見つめてくる。記憶を失ってから満月を迎えるのは初めてだからか、俺よりも彼のほうが不安そうだった。

「心配するなって。もう何年もこうして満月の夜を迎えてきたんだから」

 とん、と胸を叩く。
 今日の朝、今晩の予定について説明はしておいた。

「ところで、ウィル君はどうなるタイプ?」

 上長はにこにこと尋ねてくる。

「私はねぇ、食欲が抑えられなくなって、家にある食べ物を全部食べちゃうんだよねぇ。おかげで、薬が普及する前は妻に何度も怒られちゃったよ」

 薬が開発されたのは、たった十年ほど前である。それ以前の人狼は他者を傷つけないために両手足を縛って家にこもるか、狼の姿になって森に逃げ込むかのどちらかしかなかった。

「俺は、もうずっと寝て過ごしていますから何とも言えないですけど、薬を手に入れる前は、すっごく甘えたがりになっていたと聞きました」

 まだ親と一緒に住んでいた頃で、精通も来ていなかった。母は俺を傷つけないようにと一人放っておいたのだが、それでも彼女の後ろをついてまわって、めいいっぱい甘えていたらしい。

「へぇ~、かわいいね。感情が暴発するタイプかぁ」

「どんな手段を使っても誰かに甘えようとしてたらしいです。今はどうかはわかりませんけどね」

 どの人狼も、二次性徴前と後では別物になってしまう。子供の頃は攻撃的になり周囲のモノ全てを傷つけていたが、大人になったら性欲が抑えられなくなり、誰彼構わず襲ってしまう事例も後を絶たない。

「そうか。いやぁ、本当に便利な世の中になったものだよなぁ。おかげで俺達人狼がこうして人間の街でのんびりと暮らしていけるんだから」

 はっはっは、と笑って上長も帰り支度を始める。

「そんなわけでオリバー、帰ったら俺は寝ていると思うけれど、普段どおりに過ごしてくれて構わないからな。きっと、何をされても起きないだろうし」

 朝にも告げたことだが、再び繰り返すと同居人は真剣な顔で頷いたのだった。


 眠る前の腹ごしらえとばかりに夕食を買い込むと、まだ明るい帰路を急ぐ。少しでも月が登ってしまえば終わりだ。
 帰り着き、俺は机の引き出しから薬を取り出す。ヘレボロスの花を使った薬はルカスさんが開発したもので、今も彼から定期的に購入している。
 香水瓶に入ったそれは上部についているポンプを押すと噴霧され、吸い込むとほぼ同時に体が痺れ眠ってしまう。耐性がつきにくいので何度でも使える人狼にとって便利な薬だった。

「よし、じゃあ、さっさと食べて眠ってしまうか」

 買ってきた食料を次々胃に収めてしまう。どんどん窓から差し込む光が朱色に染まっていき、真っ暗になった。
 ベッドに横たわって、ポンプを押す。
 カシュ……。
 なんとも間抜けな音を出して、スプレーは空気を吐き出した。

「……は?」

 慌てて俺は何度もポンプを押すが、空気がただ吹き出されるだけだった。

「……嘘だろ」

 慌ててフタを開けると中を見る。
 全く残っていなかった。

「…………」

 確認のため、窓の外を見る。とっぷりと暗くなっていた。それどころか、月明かりが差し込んでいる。
 くらり、と意識が何かに乗っ取られるような感覚がした。



  はぁ、はぁ、はぁ……。
 うまく頭が回らない。俺は狼の姿になって体を布団にこすりつけていた。誰かに撫でて欲しい。褒められたい。思いっきり抱きしめられたい。撫でたい。触りたい。
 そんな欲望を押し止めるために狼になった。怖くて外には出られない。出てしまったら誰彼構わず体を擦り付けてしまいそうだから。

「うぅううう…………」

 喉からは唸り声が漏れる。
 ふいに玄関の扉が開き、オリバーが帰ってきた。彼は何も言わず一度自室に戻ると、台所へと行く。俺が眠っていると思っているのだろう、物音をたてないようにしてくれていた。

「はぁ……、はぁ……」

 苦しい。窓から差し込む月明かりすら俺を興奮させる一因になる。

「……ウィル? 起きてるの?」

 俺のうめき声を聞いたのか、オリバーが扉をノックする。開けちゃダメだ。そう言いたかったのに、狼の姿では何も告げられない。
 そ、と扉が開く。
 彼と目があった瞬間、理性がはち切れた。

「え!?」

 飛びつき、ぺろぺろと頬を舐める。ふふ、とオリバーはくすぐったそうに笑った。そのまま顔中に舌を這わせ、人間の姿に戻った。

「……え?」

 毛皮がなくなり裸になる。

「オリバー……♡」

 自分でも驚くほどの甘えた声が出た。幼馴染は目を丸くして俺を凝視している。

「ねぇ、オリバー、俺を撫でて? いい子、いい子ってして?」

 やめろ、やめろ! 今のオリバーにねだっていいことじゃない。まるでなにか別の人格に乗っ取られたようだった。こんなこと言いたくないししたくないのに、体と声が言うことを聞いてくれない。

「あの、ウィル? 一体どうしたの……?」

 金の竜人は戸惑ったように俺の腕から逃れようとする。うる、と目をうるませた。

「……だめ? 俺、ぎゅってしてほしい……。いっぱい触ってほしいよぅ……」

 すり、と彼の胸板に頬ずりをする。彼の心音がやたら早い。そりゃそうだ。同性のルームメイトにこんなことをされたら怖くて仕方がないだろう。以前言っていたように、今の彼に男同士なんて考えられないに決まっている。
 オリバーの手が恐る恐るといった様子で俺の背中に回され、ぎゅう、と力がこめられる。久しぶりの彼の感触に一気に体中が沸騰したようだった。

「ふふ……。嬉しい♡ もっといっぱいぎゅうってして♡」

 彼の背中に手を回すと思い切り抱きしめる。はむはむと右の耳たぶをピアスごと喰むとオリバーが体を震わせた。

「ねぇ、オリバー♡ 頭、撫でて?」

 耳元で囁くと背中に回されていた彼の手が頭を撫でる。やめろ、と理性が叫んでいるのに、本能は喜んでしまい、ぶんぶんと尻尾を振っていた。

「……これが、満月の夜のウィルなんだ」

 呆然と呟いている。気持ちはわかる。たしかにこんなの信じられないよな。いい歳をした男がこんな、子どものような事を言い出すだなんて……。

「うん♡ 今日はいっぱいお触りしよ? 俺、オリバーに触って欲しいし、触りたいな♡」

 だからやめろ! オリバーがかたまっているじゃないか。けれど俺はおかまいなしに彼の両頬を手で固定するとちゅ、と唇に唇を落とす。
 本当に何をしているんだ。これで俺が男に戻ってしまったら目も当てられない。オリバーは自分に気があるルームメイトの男と暮らさなくちゃいけなくなる。以前の俺にベタ惚れだった彼とは違うんだ。
 けれど、俺の体は何の反応も示さなかった。

「……んっ、……はぁ……」

 唇をあけて、舌を入れる。べろべろとオリバーの口内をなぶり、舌と舌を絡めあった。昔はよくしていたキスだった。

「ん……、ぁ……、ん……オリバーのつば、おいし……♡」

 ぺろ、と口の端についた唾液を舐め取り、やっと顔を離す。

「……あの、ウィル」

 オリバーは俺の体を見ている。大きいとは言えない胸を寄せ集めて眼前に晒した。

「触りたい? いいよ、触って♡ いっぱい揉んでいいんだよ?」

 至近距離に持って行くが、彼は顔を背けた。触りたくはないらしい。それはそれで傷つくが、その気がないのにムリに迫っているのは俺なのだ。

「……ヤダ」

 オリバーはなんとか逃れようとしている。
 俺は唇を尖らせて、彼の腰に巻き付いた。口では拒絶をしていてもやっぱり男だ。股間のあたりが膨らんでいる。
 腰紐を解いて、オリバーのズボンを脱がせた。

「……じゃあ、ここ気持ちよくしてあげるね」

 オリバーのモノを掴むと、れろぉ、と根本から先端に向けて舐めあげる。以前の彼が好きだった所を重点的に攻めつつも、両手で茎と袋を刺激する。

「んっ……、ちゅぁ……♡ オリバーの、おっきくなってきた♡」

「ちょっと……」

 オリバーの両手が頭を掴んでくる。なんとか阻止したいようだった。俺は泣きそうな顔で哀れな被害者を見上げた。

「……ダメ? 俺、うまいよ? いつも気持ちよくしてあげられていたもん。イイって毎回褒められてたよ?」

「は……?」

 オリバーの目が見開かれる。

「それって……、恋人に?」

 彼の声が震えていた。ダメだダメだダメだ。本当にやめろ、俺……。

「うん♡ 何度も何度もイかせてきたんだから♡」

 まるで褒められた五歳児のように得意げな顔になる。今すぐ自分で自分の首を締めたかった。

「……つまり、ウィルの恋人って、男だったんだ」

 声が完全に沈んでいる。
 そうだよな! 今のオリバーは異性愛者なのだ。男好きのルームメイトに襲われただなんて、気持ち悪い以外のナニモノでもないよな!
 本当に止めてほしいのに、体が言うことを聞かない。一生懸命オリバーから離れようとするのに、まるで乗っ取られたようにじゅるじゅると彼のものを舐めていた。
 彼の手が伸ばされ、俺の頭を掴む。てっきり引き剥がしてくれるのかと思ったが、逆に思い切り彼のものに向かって付き入れられた。

「んんぅっ!」

 喉奥まで入り、数秒してから引き剥がされる。こんなこと、今までされたことがなかった。それから何度もオリバーは俺の口を使って彼のモノに刺激を与える。

「んっ……♡、んんんっ♡ ぷはっ……はげし……、んんっ♡」

 なのに頬はほころび、尻尾はぶんぶんと振られていた。オリバーの目が細められる。

「こういうプレイもしてきたんだ……っ」

 更に力が込められ、何度も何度も喉奥まで挿入され、苦しさに視界が滲んでくる。それでも俺の体は必死に吸って刺激を続けた。口の中に苦い味が広がり、それから更に数度打ち付けられてからオリバーは口の中に射精する。

「……っぅ」

「んんっ……♡」

 じゅうじゅう吸い付き、引き離された時も未練がましく唇をすぼめて最後の一滴まで逃さないとばかりに締め上げる。
 はぁ、はぁとオリバーは肩で息をし、それから心底嫌そうに俺を見た。
 ごくん、と俺は喉を鳴らして舌の上に乗った精液を飲み干す。

「……最低だ」

 彼の顔が歪んだ。本当に辛そうで、背筋が冷える。

「ごめん……っ」

 俺は今度こそ、と持てる力を総動員して狼の姿になった。
 こうすれば、まだ理性通りに体を動かすことが出来る。
 俺は夢中で玄関に向かって走り、前足で扉を開けて出ていった。
 背後でオリバーの声が聞こえてきたが、立ち止まることなんて出来なかった。
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