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第五章
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ダイニングの隅に『雨傘』を置いて、淳悟さんは私に座るよう促した。
「どこから話しましょうかねぇ……」
困ったように、淳悟さんは顎をさすりながら言った。あまりヒゲは目立たないけれど、大人の男性なんだからあるのだろうな。触れてみたい、と思って赤面してしまう。今はそんなこと言ってる場合じゃない。
「最初に、聞きたいです。淳悟さんは、瑠々を裏切っていたんですか?」
私の質問に、困ったように下唇を噛んだ。どういう答えが返ってくるか。私は不安で顔を合わせることが出来なかった。
「裏切っているといえばそうなります。けれど、僕にも信念があります」
思わせぶりな口調。どういうつもりかわからず、黙ることで続きを促した。
「瑠々さん……つまりは妙さんの夫であり、僕の祖父である光郎さんからの頼みごとなのです。絵と、妻を守ってくれと。つまり、僕は板ばさみ。どちらの祖父母の願いを叶えるかというところです」
瑠々の……妙さんの夫。
妙さんが夢を諦めて結婚した相手。私は正直、この人にいい印象はなかった。
思う通りに生きていたら、今みたいに孫の姿を借りて、残してきた後悔を拾い集めることもなかったかもしれない。
光郎さんからの愛情も感じない。美人で勉強が出来るからって、旅館経営のために無理矢理政略結婚をした悪い人だ。
頭の中では太って脂ぎったオジサンが、葉巻をくわえて高笑いをしている。……あくまでイメージだけど。
「それで、淳悟さんは光郎さんの願いを叶えたと?」
非難交じりに言うと、淳悟さんは心外だと目を丸くした。
「約束は、先にしたほうからです。なにせ、光郎さんが亡くなった時。四年前からの願いですから」
「それを言われると……。ですが、理由はなんですか? 瑠々の願いを無視してまで守るほどのものなのですか?」
身を乗り出して淳悟さんを睨む。私にそんなこと言われる筋合いはないかもしれない。でも。
「私は瑠々の友達なんです。少なくとも、お泊まり会をしている今は。だから、瑠々の味方をします」
その言葉に、淳悟さんは微笑む。
「そう言われるとね。ちょっと迷っているんだ。瑠々さんにお伝えしたほうがいいかもしれない。そう思って、蔵から出してみたんですよ。事実確認をするために」
先ほどまでの戸惑った表情が、段々と柔らかいものになる。淳悟さんの中で、私は信頼してもらえたのだろうか。
正直な言葉を伝えてくれていると思えた。淳悟さんの次の言葉を待つ。
しかし、その空気をさえぎるようにダイニングの扉が開いた。
「私も聞かせてもらっていいかしらね」
瑠々がダイニングの入り口に立っていた。
聞かれていた、と私が冷や汗をかいているのを他所に、瑠々は軽やかな足どりで私の横に座った。
淡い紫に、白い小花柄があしらわれているワンピース。ふわっと、いい香りがした。シャンプーかせっけんかわからないけれど、ナチュラルで可愛らしい香りだった。
「あれ、瑠々さん。おはようございます。どこから聞いていましたか?」
さほど驚いていない様子で淳悟さんは言う。もしかして、予想通りだったのだろうか。
「聞いていたも何も。私は知っていたのよ。あなたが『雨傘』を隠していることを」
私は驚いたけれど、淳悟さんはやっぱり、と頷いていた。
「これでも旅館の女将を五十年やってきたの。ちょっとした違和感でぴんとくるわ。だけど、どういう理由で隠していたかはわからなかったから。一緒にいるうちに、話してくれないかしらと期待はしていたのよ」
それを、先に梨緒子に言うのね、と私が非難される。今日はいつにも増してトゲのある口調だ。恐ろしい。
「ごめん。確かに、私がでしゃばるのはおかしいけど」
言い訳のしようもなく、私はもごもごと歯切れ悪く答える。淳悟さんがあれだけ勘が鋭いのだから、瑠々の方が敏感なのは当たり前だ。
「まぁいいわ。で、理由を聞かせてもらえる?」
小さく首をかしげ、でも心の底では怒りが湧いている様子で淳悟さんに尋ねていた。解答によっては生きてここから出られないのではないだろうか、と私が心配になる。
「そうですねぇ」
淳悟さんも顔を曇らせながら、言葉を選んでいる様子だ。机をトントン小刻みに叩きながら、瑠々は無言で催促する。私は瑠々から自然と体を離してしまう。
「亡くなる直前、頼まれたんです。四年前、光郎さんが倒れて入院なさる前です。その時はお元気でしたから、何を言ってらっしゃるのか、と怪訝に思いました。ご本人は何か感じていたんでしょうね」
瑠々が私に説明するように「あの人はあっけなく亡くなったの」と呟いた。
「理由は、瑠々さん……妙さんに見られたくないものがあるから、と言うことでした」
「でも、それを聞いた時にはあの人は元気だったのでしょう。ならば自分で処分したらよかったのに」
「それが、額縁の裏板が外れなくなって、途方にくれてしまったからどこかで保管してくれと。中身が何かは教えてもらえませんでした」
「裏板? 何を隠していたのかしらあの人」
瑠々はすっと立ち上がり、立て掛けてあった『雨傘』に近づき、絵を覆っていた布を勢いよくはがした。小さな体に布が絡みつく。それをもどかしそうに投げ捨てる。
あらわれたのは、ネットの画像で見たあの絵だった。
「どこから話しましょうかねぇ……」
困ったように、淳悟さんは顎をさすりながら言った。あまりヒゲは目立たないけれど、大人の男性なんだからあるのだろうな。触れてみたい、と思って赤面してしまう。今はそんなこと言ってる場合じゃない。
「最初に、聞きたいです。淳悟さんは、瑠々を裏切っていたんですか?」
私の質問に、困ったように下唇を噛んだ。どういう答えが返ってくるか。私は不安で顔を合わせることが出来なかった。
「裏切っているといえばそうなります。けれど、僕にも信念があります」
思わせぶりな口調。どういうつもりかわからず、黙ることで続きを促した。
「瑠々さん……つまりは妙さんの夫であり、僕の祖父である光郎さんからの頼みごとなのです。絵と、妻を守ってくれと。つまり、僕は板ばさみ。どちらの祖父母の願いを叶えるかというところです」
瑠々の……妙さんの夫。
妙さんが夢を諦めて結婚した相手。私は正直、この人にいい印象はなかった。
思う通りに生きていたら、今みたいに孫の姿を借りて、残してきた後悔を拾い集めることもなかったかもしれない。
光郎さんからの愛情も感じない。美人で勉強が出来るからって、旅館経営のために無理矢理政略結婚をした悪い人だ。
頭の中では太って脂ぎったオジサンが、葉巻をくわえて高笑いをしている。……あくまでイメージだけど。
「それで、淳悟さんは光郎さんの願いを叶えたと?」
非難交じりに言うと、淳悟さんは心外だと目を丸くした。
「約束は、先にしたほうからです。なにせ、光郎さんが亡くなった時。四年前からの願いですから」
「それを言われると……。ですが、理由はなんですか? 瑠々の願いを無視してまで守るほどのものなのですか?」
身を乗り出して淳悟さんを睨む。私にそんなこと言われる筋合いはないかもしれない。でも。
「私は瑠々の友達なんです。少なくとも、お泊まり会をしている今は。だから、瑠々の味方をします」
その言葉に、淳悟さんは微笑む。
「そう言われるとね。ちょっと迷っているんだ。瑠々さんにお伝えしたほうがいいかもしれない。そう思って、蔵から出してみたんですよ。事実確認をするために」
先ほどまでの戸惑った表情が、段々と柔らかいものになる。淳悟さんの中で、私は信頼してもらえたのだろうか。
正直な言葉を伝えてくれていると思えた。淳悟さんの次の言葉を待つ。
しかし、その空気をさえぎるようにダイニングの扉が開いた。
「私も聞かせてもらっていいかしらね」
瑠々がダイニングの入り口に立っていた。
聞かれていた、と私が冷や汗をかいているのを他所に、瑠々は軽やかな足どりで私の横に座った。
淡い紫に、白い小花柄があしらわれているワンピース。ふわっと、いい香りがした。シャンプーかせっけんかわからないけれど、ナチュラルで可愛らしい香りだった。
「あれ、瑠々さん。おはようございます。どこから聞いていましたか?」
さほど驚いていない様子で淳悟さんは言う。もしかして、予想通りだったのだろうか。
「聞いていたも何も。私は知っていたのよ。あなたが『雨傘』を隠していることを」
私は驚いたけれど、淳悟さんはやっぱり、と頷いていた。
「これでも旅館の女将を五十年やってきたの。ちょっとした違和感でぴんとくるわ。だけど、どういう理由で隠していたかはわからなかったから。一緒にいるうちに、話してくれないかしらと期待はしていたのよ」
それを、先に梨緒子に言うのね、と私が非難される。今日はいつにも増してトゲのある口調だ。恐ろしい。
「ごめん。確かに、私がでしゃばるのはおかしいけど」
言い訳のしようもなく、私はもごもごと歯切れ悪く答える。淳悟さんがあれだけ勘が鋭いのだから、瑠々の方が敏感なのは当たり前だ。
「まぁいいわ。で、理由を聞かせてもらえる?」
小さく首をかしげ、でも心の底では怒りが湧いている様子で淳悟さんに尋ねていた。解答によっては生きてここから出られないのではないだろうか、と私が心配になる。
「そうですねぇ」
淳悟さんも顔を曇らせながら、言葉を選んでいる様子だ。机をトントン小刻みに叩きながら、瑠々は無言で催促する。私は瑠々から自然と体を離してしまう。
「亡くなる直前、頼まれたんです。四年前、光郎さんが倒れて入院なさる前です。その時はお元気でしたから、何を言ってらっしゃるのか、と怪訝に思いました。ご本人は何か感じていたんでしょうね」
瑠々が私に説明するように「あの人はあっけなく亡くなったの」と呟いた。
「理由は、瑠々さん……妙さんに見られたくないものがあるから、と言うことでした」
「でも、それを聞いた時にはあの人は元気だったのでしょう。ならば自分で処分したらよかったのに」
「それが、額縁の裏板が外れなくなって、途方にくれてしまったからどこかで保管してくれと。中身が何かは教えてもらえませんでした」
「裏板? 何を隠していたのかしらあの人」
瑠々はすっと立ち上がり、立て掛けてあった『雨傘』に近づき、絵を覆っていた布を勢いよくはがした。小さな体に布が絡みつく。それをもどかしそうに投げ捨てる。
あらわれたのは、ネットの画像で見たあの絵だった。
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