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第二章
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末っ子が甘やかされるのは、我が家だけなのだろうか。
ふと、昨日お母さんの料理を手伝うお姉ちゃんを見て思った。私には手伝え、って言わない。お母さんも働きに出ているから家事をするのは大変なのに。お姉ちゃんがやってくれてるから、私は言われないんだろう。
宿題しろとか、早く寝なさいとか。そういうことは言われる。でも、家でのことは家族任せ。私を褒めて甘やかしてくれる。心配してくれる。
本当は何にも出来ないし、すぐ怒るし、友達がいない子なのに。ため息が出そうになる。
こういうときは、体を動かして汗をかくことが一番だ。適当に夏休みの宿題を終わらせ、お昼ご飯を食べて、すぐに家を出た。今日は雲が多くて、直射日光の焼けるような暑さはなかった。
自販機で飲み物を買えるだけのお金をハーフパンツのポケットに入れ、私はふじくぼ目指して自転車を走らせる。
蒸し暑さを感じる。
どうせなら、焦げていなくなっちゃうくらい、太陽が出ていればよかったのに。
ぼんやり考えているうちに、キャンプ場跡まで到達した。街中とは違い、セミの鳴き声が一段と厚みを増し、大きくなる。
砂利道を走るのは神経を使うが、そこもクリアして自転車を止めた。柵を乗り越え、再び雑草の中に飛び込む。ふわっとした、じゅうたんみたいな感触がスニーカーを通して伝わってきた。寝転がってみたいな、と思う気持ちを抑え、昨日、ボールを飛ばした場所まで歩いた。
土のグラウンドになっているところは雑草だらけだけど、レンガやコンクリートで舗装された部分はまだきれい。
『ふじくぼ』の看板の前に立つ。改めて見ると、あのお屋敷の雰囲気を汲んだ、品のいいものに見える。額の汗を拭い、緩やかな山道を登る。山道というより丘と言っていいくらい、険しさはまったくない。
一日ぶりにふじくぼの前に立つ。今日は太陽が出ていないから、昨日より薄暗く見えた。グレーというか、黒に近い色合いで重苦しい。なんだか、緊張してきた。
昨日、ケンカしちゃったわけだし。あの顔で「何しに来たの?」と言われたらすくんでしまうか、言い返してまたケンカしてしまうかどちらかだろう。多分、ケンカするかな。
玄関ポーチの前で、インターフォンを探す。でもそういったものは見当たらず、困った。扉をトントン叩いてみるけど、特に反応はなし。留守かなぁ。辺りを見回して、ふらふらと屋敷の周りを歩く。
玄関から右手にまわると、屋敷の一部分がガラス張りになっていた。
何これ、と中を覗きこむ。室内は広くはない。アンティークな机と、細い骨組みの黒い椅子が二脚あるだけ。机には、小さな観葉植物が置いてあった。座ったら壊れそうな椅子だけど、使えるのだろうか。
すごーい、と声が漏れる。外国のカフェみたいだ。床も変な模様だ。黒と白のチェック柄っぽい。でも、人の気配はない。
ピカピカのガラス張りの部屋から離れ、さらに奥に進んでみても、覗き込むような高さにある窓がない。
覗きなんてよくないけど、この屋敷のことを知りたくて観察をやめられない。
明治の時代に建てられたものがこんな身近にあるなんて思いもよらなかった。蒸し暑さも忘れて、綺麗に整えられた芝生の上を歩く。淳悟さんは放置されていたから昔の面影はない、と言っていたけど、屋敷の周りだけはきちんと手入れをしている。うちの小さな庭ですら、すぐ雑草が伸びてしまうのに。
セミの鳴き声の中で屋敷を半周したところだろうか。屋敷の裏手に、新しい建物が見えた。屋敷よりだいぶ小さいし、一階建てだ。それでも、ウチの家と同じ大きさに見えた。
離れってやつかな? 子どもの頃行った、ひいおばあちゃんの家にあったような。
私はわくわくして、その建物に近づいていった。
その時、緑の匂いが強く混じった湿度の高い風が鼻に届いた。なんだろう、とあたりを見回すと、離れの側に草が積んであるのが見えた。草刈りをしたばかりみたい。
誰か、いるのかな。淳悟さん? 瑠々?
どちらでもなかったらどうしよう、と思う反面、建物の方に足が向く。覗いてみたいという不思議な衝動は抑えられない。
自然と忍び足になりながら、こそっと壁に身を寄せる。手で顔の汗を拭ってから、室内に顔を覗かせた。
中は物置のようになっていた。さすがに一軒家よりは狭く、棚と、まわりに置いてある木箱でほとんどが占められていた。なんだか、重要文化財でも保管してあるみたいなかっちりとした箱だ。淵は金具で装飾してある。
建物の中から、金属の音がぶつかるような物音がする。
びくっとしつつ暗がりに目を凝らすと、見覚えのあるコーヒー牛乳色の髪の毛が、棚の向こうに見えた。
淳悟さんだ!
ふと、昨日お母さんの料理を手伝うお姉ちゃんを見て思った。私には手伝え、って言わない。お母さんも働きに出ているから家事をするのは大変なのに。お姉ちゃんがやってくれてるから、私は言われないんだろう。
宿題しろとか、早く寝なさいとか。そういうことは言われる。でも、家でのことは家族任せ。私を褒めて甘やかしてくれる。心配してくれる。
本当は何にも出来ないし、すぐ怒るし、友達がいない子なのに。ため息が出そうになる。
こういうときは、体を動かして汗をかくことが一番だ。適当に夏休みの宿題を終わらせ、お昼ご飯を食べて、すぐに家を出た。今日は雲が多くて、直射日光の焼けるような暑さはなかった。
自販機で飲み物を買えるだけのお金をハーフパンツのポケットに入れ、私はふじくぼ目指して自転車を走らせる。
蒸し暑さを感じる。
どうせなら、焦げていなくなっちゃうくらい、太陽が出ていればよかったのに。
ぼんやり考えているうちに、キャンプ場跡まで到達した。街中とは違い、セミの鳴き声が一段と厚みを増し、大きくなる。
砂利道を走るのは神経を使うが、そこもクリアして自転車を止めた。柵を乗り越え、再び雑草の中に飛び込む。ふわっとした、じゅうたんみたいな感触がスニーカーを通して伝わってきた。寝転がってみたいな、と思う気持ちを抑え、昨日、ボールを飛ばした場所まで歩いた。
土のグラウンドになっているところは雑草だらけだけど、レンガやコンクリートで舗装された部分はまだきれい。
『ふじくぼ』の看板の前に立つ。改めて見ると、あのお屋敷の雰囲気を汲んだ、品のいいものに見える。額の汗を拭い、緩やかな山道を登る。山道というより丘と言っていいくらい、険しさはまったくない。
一日ぶりにふじくぼの前に立つ。今日は太陽が出ていないから、昨日より薄暗く見えた。グレーというか、黒に近い色合いで重苦しい。なんだか、緊張してきた。
昨日、ケンカしちゃったわけだし。あの顔で「何しに来たの?」と言われたらすくんでしまうか、言い返してまたケンカしてしまうかどちらかだろう。多分、ケンカするかな。
玄関ポーチの前で、インターフォンを探す。でもそういったものは見当たらず、困った。扉をトントン叩いてみるけど、特に反応はなし。留守かなぁ。辺りを見回して、ふらふらと屋敷の周りを歩く。
玄関から右手にまわると、屋敷の一部分がガラス張りになっていた。
何これ、と中を覗きこむ。室内は広くはない。アンティークな机と、細い骨組みの黒い椅子が二脚あるだけ。机には、小さな観葉植物が置いてあった。座ったら壊れそうな椅子だけど、使えるのだろうか。
すごーい、と声が漏れる。外国のカフェみたいだ。床も変な模様だ。黒と白のチェック柄っぽい。でも、人の気配はない。
ピカピカのガラス張りの部屋から離れ、さらに奥に進んでみても、覗き込むような高さにある窓がない。
覗きなんてよくないけど、この屋敷のことを知りたくて観察をやめられない。
明治の時代に建てられたものがこんな身近にあるなんて思いもよらなかった。蒸し暑さも忘れて、綺麗に整えられた芝生の上を歩く。淳悟さんは放置されていたから昔の面影はない、と言っていたけど、屋敷の周りだけはきちんと手入れをしている。うちの小さな庭ですら、すぐ雑草が伸びてしまうのに。
セミの鳴き声の中で屋敷を半周したところだろうか。屋敷の裏手に、新しい建物が見えた。屋敷よりだいぶ小さいし、一階建てだ。それでも、ウチの家と同じ大きさに見えた。
離れってやつかな? 子どもの頃行った、ひいおばあちゃんの家にあったような。
私はわくわくして、その建物に近づいていった。
その時、緑の匂いが強く混じった湿度の高い風が鼻に届いた。なんだろう、とあたりを見回すと、離れの側に草が積んであるのが見えた。草刈りをしたばかりみたい。
誰か、いるのかな。淳悟さん? 瑠々?
どちらでもなかったらどうしよう、と思う反面、建物の方に足が向く。覗いてみたいという不思議な衝動は抑えられない。
自然と忍び足になりながら、こそっと壁に身を寄せる。手で顔の汗を拭ってから、室内に顔を覗かせた。
中は物置のようになっていた。さすがに一軒家よりは狭く、棚と、まわりに置いてある木箱でほとんどが占められていた。なんだか、重要文化財でも保管してあるみたいなかっちりとした箱だ。淵は金具で装飾してある。
建物の中から、金属の音がぶつかるような物音がする。
びくっとしつつ暗がりに目を凝らすと、見覚えのあるコーヒー牛乳色の髪の毛が、棚の向こうに見えた。
淳悟さんだ!
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※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。
※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。
〈参考〉
伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫)
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫)
堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫)
三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫)
片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫)
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