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第七章
ソレの正体
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きょろきょろ店内を見回す。店の出入り口付近に、真っ黒い服を着た男の幽霊が……!
「ぎゃー!」
思わず叫び声をあげる。急いで朋子の顔を見ると、なぜか心底イヤそうな顔をしていた。
「ちょ、お母さん! 塩まいて!」
「由加、ソレはあんたのお父さんよ」
朋子がアゴでくいっとやる。
お父さん? と思って顔を見ると……マスクとサングラスと帽子でよくわからないが、確かに着ている黒いジャージと野球帽に見覚えがあった。
「えっと……」
マスクとサングラスを外すと、父・修がめそめそ泣いていた。
「どうしたの? 今日は仕事じゃ……具合でも悪い?」
由加の問いに、修は首を振った。
「こっそり……お店がどんな感じか見たくて……有給とった」
退かぬ媚びぬ省みぬとは形容しがたい、気弱な中高年男性の姿があった。
「お母さんが楽しそうに働いている姿を見てみたくて……お父さんのこと、嫌いになったのかなって思ってたのに、さっき、夫への愛が止まらないって言うからぁ」
しくしくと泣き続けている。
「嬉しかったのね」
由加がティッシュを差し出す。こういう時、朋子は動きが鈍い。
修はこくこくと頷く。あれは迷惑客をおとなしくさせるための演技だったのだけど、そこは伝わっているのだろうか? 不安になるが、余計なことは言うまいと由加は口をつぐんだ。
「お母さん、せっかくだから何か握ってあげなよ。お父さん、座ろう」
修をイートインスペースに座らせる。そして、チラシ替わりに置いてあるメニュー表を見せた。その間、朋子は厨房に立ったまま動こうとしない。
修はとても良い人ではあるけれど、朋子がイライラするのはわからないでもない、と由加は思った。こんなに泣いているところを初めてみたけれど、若干めんどくさい。
「何がいい?」
「じゃあ……おかかを」
「お母さん、おかかおにぎりだって!」
むすっとした表情のままだったけれど、朋子は黙って炊飯器の蓋をあけた。
蒸気がもわっと広がる。炊かれたごはんの香りがひろがった。
ボウルに、おにぎり一つ分のごはんを入れる。そして、おかかと出汁醤油を加え、切るように混ぜていく。お店が、香ばしい空気に包まれる。朋子のおかかおにぎりは、中におかかを入れるのではなく、ごはん全体に味付けをする。ほかでは食べられない味として、人気商品のひとつとなっている。
黙って作業する朋子を、由加と修が見つめる。
完成したおかかおにぎりを、修の前に置いた。
「召し上がれ」
「……いただきます」
修が、おにぎりを口にする。咀嚼している間に、また涙が流れていく。
「想い出の味だ」
どういうことだと、由加が朋子を見やる。
「結婚して、引っ越しをした時にさ。引っ越し作業中に食べられるように、私が作って持って行ったの。それが妙においしかったらしくてね」
修は、じっくりと味わうように、ゆっくりおかかおにぎりを食べた。
朋子はそれを、少し微笑みながら見つめている。
引っ越し作業のお昼ご飯。想い出として、大きなことではないだろう。でも、大したことではない時にわざわざおにぎりを作って持ってきてくれた朋子への感動が、ずっと修の中に残っているに違いない。
そこで由加は、ようやく「両親は大丈夫だ」と思えた。
それに、あの迷惑な男性客に言っていたことも、少しは本当だったのだと思う。どんなにムカついても、嫌いでも、夫への愛は薄れていないんじゃないかって。
「ちょっと由加!」
急に大きな声を出され、由加はびくっと身体を震わせる。せっかく感傷的になっていたのに。
「な、なによ」
「お母さんたちのことはいいわよ。理一さんとはどうなったわけ?」
「ちょ」
修の前で話すのは気まずい。友だちみたいに話せる朋子と違い、修とはあまり口を利かない。気弱で寡黙なのだから。
「リーチさん?」
おにぎりを食べ終えた修が、まじまじと由加を見る。
「べ、べつに! ただのお客さんだし!」
「バカね、あんな素敵な人と出会うこと自体ないんだから! 玉砕覚悟で自分を売り込みなさいよ!」
強引に、この場の雰囲気を変えるために理一の話題を利用された。悔しいが、朋子の圧力に空気が負けている。
「で、でも売り込んでも意味ないかも……」
「あのね由加。人生なんてぜーんぶ意味なんてないのよ。生まれて、生活して、死ぬだけ。その間はぜんぶオマケ。余生。付録。おにぎり屋をやるのもそう。私の意味のない人生なのよ。でも意味のないことをしなきゃ、飽きちゃうじゃない。お母さんはもう六十年以上生きているから飽きてるけどね!」
そういうと、また修をじとーっと見つめた。飽きた人生を輝かせたいだけなのに邪魔しやがって、という雰囲気である。
よほど、おにぎり屋開業に反対されたことがイヤだったのだろう。
修は、ひえっと身体を縮こませた。
「だ、だってさっきみたいな迷惑客だって来るし、心配なんだよ」
「そういえばお父さん、いつからどこにいたの?」
少なくとも、店内にはいなかったはずだが。
修は照れ笑いを浮かべた。
「なかなかお店に入る勇気がなくて、外をウロウロと一時間ほど……」
「……ご近所さんに通報されなくて良かったわね」
憐みの表情を、朋子は浮かべた。そして、由加に向き直る。
「ま、そういうことだから。恥でもなんでもかきなさいな。じゃないと残りの人生、ずーっと虚無よ、キョム!」
これ以上の虚無人生は嫌だ。
だったら、がんばるしかないんだ。
「ぎゃー!」
思わず叫び声をあげる。急いで朋子の顔を見ると、なぜか心底イヤそうな顔をしていた。
「ちょ、お母さん! 塩まいて!」
「由加、ソレはあんたのお父さんよ」
朋子がアゴでくいっとやる。
お父さん? と思って顔を見ると……マスクとサングラスと帽子でよくわからないが、確かに着ている黒いジャージと野球帽に見覚えがあった。
「えっと……」
マスクとサングラスを外すと、父・修がめそめそ泣いていた。
「どうしたの? 今日は仕事じゃ……具合でも悪い?」
由加の問いに、修は首を振った。
「こっそり……お店がどんな感じか見たくて……有給とった」
退かぬ媚びぬ省みぬとは形容しがたい、気弱な中高年男性の姿があった。
「お母さんが楽しそうに働いている姿を見てみたくて……お父さんのこと、嫌いになったのかなって思ってたのに、さっき、夫への愛が止まらないって言うからぁ」
しくしくと泣き続けている。
「嬉しかったのね」
由加がティッシュを差し出す。こういう時、朋子は動きが鈍い。
修はこくこくと頷く。あれは迷惑客をおとなしくさせるための演技だったのだけど、そこは伝わっているのだろうか? 不安になるが、余計なことは言うまいと由加は口をつぐんだ。
「お母さん、せっかくだから何か握ってあげなよ。お父さん、座ろう」
修をイートインスペースに座らせる。そして、チラシ替わりに置いてあるメニュー表を見せた。その間、朋子は厨房に立ったまま動こうとしない。
修はとても良い人ではあるけれど、朋子がイライラするのはわからないでもない、と由加は思った。こんなに泣いているところを初めてみたけれど、若干めんどくさい。
「何がいい?」
「じゃあ……おかかを」
「お母さん、おかかおにぎりだって!」
むすっとした表情のままだったけれど、朋子は黙って炊飯器の蓋をあけた。
蒸気がもわっと広がる。炊かれたごはんの香りがひろがった。
ボウルに、おにぎり一つ分のごはんを入れる。そして、おかかと出汁醤油を加え、切るように混ぜていく。お店が、香ばしい空気に包まれる。朋子のおかかおにぎりは、中におかかを入れるのではなく、ごはん全体に味付けをする。ほかでは食べられない味として、人気商品のひとつとなっている。
黙って作業する朋子を、由加と修が見つめる。
完成したおかかおにぎりを、修の前に置いた。
「召し上がれ」
「……いただきます」
修が、おにぎりを口にする。咀嚼している間に、また涙が流れていく。
「想い出の味だ」
どういうことだと、由加が朋子を見やる。
「結婚して、引っ越しをした時にさ。引っ越し作業中に食べられるように、私が作って持って行ったの。それが妙においしかったらしくてね」
修は、じっくりと味わうように、ゆっくりおかかおにぎりを食べた。
朋子はそれを、少し微笑みながら見つめている。
引っ越し作業のお昼ご飯。想い出として、大きなことではないだろう。でも、大したことではない時にわざわざおにぎりを作って持ってきてくれた朋子への感動が、ずっと修の中に残っているに違いない。
そこで由加は、ようやく「両親は大丈夫だ」と思えた。
それに、あの迷惑な男性客に言っていたことも、少しは本当だったのだと思う。どんなにムカついても、嫌いでも、夫への愛は薄れていないんじゃないかって。
「ちょっと由加!」
急に大きな声を出され、由加はびくっと身体を震わせる。せっかく感傷的になっていたのに。
「な、なによ」
「お母さんたちのことはいいわよ。理一さんとはどうなったわけ?」
「ちょ」
修の前で話すのは気まずい。友だちみたいに話せる朋子と違い、修とはあまり口を利かない。気弱で寡黙なのだから。
「リーチさん?」
おにぎりを食べ終えた修が、まじまじと由加を見る。
「べ、べつに! ただのお客さんだし!」
「バカね、あんな素敵な人と出会うこと自体ないんだから! 玉砕覚悟で自分を売り込みなさいよ!」
強引に、この場の雰囲気を変えるために理一の話題を利用された。悔しいが、朋子の圧力に空気が負けている。
「で、でも売り込んでも意味ないかも……」
「あのね由加。人生なんてぜーんぶ意味なんてないのよ。生まれて、生活して、死ぬだけ。その間はぜんぶオマケ。余生。付録。おにぎり屋をやるのもそう。私の意味のない人生なのよ。でも意味のないことをしなきゃ、飽きちゃうじゃない。お母さんはもう六十年以上生きているから飽きてるけどね!」
そういうと、また修をじとーっと見つめた。飽きた人生を輝かせたいだけなのに邪魔しやがって、という雰囲気である。
よほど、おにぎり屋開業に反対されたことがイヤだったのだろう。
修は、ひえっと身体を縮こませた。
「だ、だってさっきみたいな迷惑客だって来るし、心配なんだよ」
「そういえばお父さん、いつからどこにいたの?」
少なくとも、店内にはいなかったはずだが。
修は照れ笑いを浮かべた。
「なかなかお店に入る勇気がなくて、外をウロウロと一時間ほど……」
「……ご近所さんに通報されなくて良かったわね」
憐みの表情を、朋子は浮かべた。そして、由加に向き直る。
「ま、そういうことだから。恥でもなんでもかきなさいな。じゃないと残りの人生、ずーっと虚無よ、キョム!」
これ以上の虚無人生は嫌だ。
だったら、がんばるしかないんだ。
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