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第三章
由加のコンプレックス
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一晩でSNSの効果を得ることはできず、翌日は悪天候も相まってヒマだった。由加は厨房の奥にある半畳ほどの休憩スペースで、パソコンを開いて帳簿付けをしていくことにした。
立ちっぱなしで疲れるから、ヒマなときは休憩スペースに座り、お客さんが来たら何食わぬ顔で厨房に立てるようになっている。お客さんからは見えないようカーテンで仕切りをつけているが、今は誰もいないため開け放している。
結局、理一へのダイレクトメッセージ返信は【ありがとうございます! 理一さんのおかげです。本当にありがとうございました。よかったらまたお店にいらしてくださいね。母共々お待ちしております】と、当たり障りのない文章を二時間かけて作成した。
「配達業務も始めようかなぁ」
包丁やまな板を洗いながら、朋子がぼやく。
「配達?」
「そう。会社とか工場とかで、朝ごはん・昼ごはんとして、おにぎりセットを配達したらどうかなって。お弁当屋さんとか結構やってるじゃない? 大口の取引となれば収益も安定するし」
「たしかに……でも、あたしもお母さんも車の免許ないじゃん」
「お父さんはある」
離婚は回避したとはいえ、なんとなく口に出すのは憚られる父・修の名前が出てきて由加は思わず母の顔を見た。
「お父さんは……そうだけど……」
お店をやることに反対していた修が、協力してくれるとは思えない。それ以前に、朋子が修に「お願い」をしなくてはならないのに、できるだろうか。
不安な思いが由加の頭をめぐる。
その顔を見た朋子は、ニカっと笑う。
「商売のためなら、いくらでもお願いできるわよ!」
ヒマよりまし、と朋子は鼻歌交じりに洗い物を進めた。
商売のためなら。
離婚してでも、どうしてもおにぎり屋さんを始めたいといった朋子の熱意は、まだまだ燃えたぎっているようだ。その情熱はいつから、どのように湧いて出てきたのだろうか。意欲の減退があったり体力が落ちたり病気をしたりして、年をとると何かをはじめられない人のほうが多いのに。
由加にいたっては、子どもの頃からこれといって熱を持って取り組んだことがほとんどない。部活も習い事も、やる気のないまま始めてやる気のないままやめているというのに。
カラカラ……と、お店の横開きの扉が開いた。
「こんにちはー」
「あらいらっしゃい円香ちゃん!」
円香、という名前を聞いて、由加も奥のスペースから顔を出した。
円香とは、以前母親が病気になって元気も食欲もなくなったと来店した女性だ。からあげのおにぎりを食べて元気を出し、母親と共にお店にあいさつにきてくれた。あれからもお店に来てくれて、いつの間にか名前で呼び合うほどに親しい関係だ。
「円香さん! いらっしゃいませ」
「朋子さん、由加さん、こんにちは」
スーツを着ている円香は、あの時とはくらべものにならないくらいはつらつとしている。母親の容体も良いようで、仕事に精を出せていると話してくれたことがある。
あれからも、ずっとからあげのおにぎりのおかげだと言ってくれて、ありがたいかぎりだ。
「今日は何にします?」
「そうですね……天むすと、からあげのおにぎりひとつずつで!」
「あら、ちょうどエビ天を揚げたばかりなの! 出来立てをお出しするから待ってて」
自家製エビ天で作った天むすも人気の一品。甘口醤油とみりんと出汁で作った甘いタレで味付けられたエビ天の存在感が強く、食べ応えがあると人気だ。エビの尻尾は取り除かれていて食べやすいと評判も良い。
透明のパックに、値上がりによってサイズダウンを余儀なくされた経木を敷いて、できたおにぎりをふたつ置く。由加が受け取り、輪ゴムでパックを閉じて使い捨てのおしぼりを手際よく輪ゴムとパックのスキマに差し込む。ずいぶん手慣れてきたルーティンだ。
「お待たせしました」
お会計を済ませ、ビニール袋に入れて円香に手渡す。
「今日はずっと外回りをしていて。午後のアポまで時間があるから、早めに車の中でお昼ご飯を、と思って」
時間に余裕があるのか、店内にほかの客がいないからなのか、円香は雑談を始めた。
「あ、そうなんですね。大変そうですね、外回り」
由加の会社員時代は、運転免許ナシ・派遣社員というのもあって、そうした外回りを任されたことはなかった。
円香と話していると、自分の出来の悪さを思い知るようでちょっと辛くなるときがある。もっとも、税理士事務所など高学歴の人が多く来る立地だから、いちいちコンプレックスを感じている暇もないのが幸いだけど。
朋子も円香の様子を察したのか、声をかけた。
「ねぇ円香さん。この時間帯ほとんどお客さん来ないし、ここで食べていったら? お茶くらい出すし」
「いいんですか? じゃあお言葉に甘えて」
「テーブル出しますね」
小さな丸いテーブルと、テイクアウト待ちのお客さんのために置いてある椅子をセットする。
立ちっぱなしで疲れるから、ヒマなときは休憩スペースに座り、お客さんが来たら何食わぬ顔で厨房に立てるようになっている。お客さんからは見えないようカーテンで仕切りをつけているが、今は誰もいないため開け放している。
結局、理一へのダイレクトメッセージ返信は【ありがとうございます! 理一さんのおかげです。本当にありがとうございました。よかったらまたお店にいらしてくださいね。母共々お待ちしております】と、当たり障りのない文章を二時間かけて作成した。
「配達業務も始めようかなぁ」
包丁やまな板を洗いながら、朋子がぼやく。
「配達?」
「そう。会社とか工場とかで、朝ごはん・昼ごはんとして、おにぎりセットを配達したらどうかなって。お弁当屋さんとか結構やってるじゃない? 大口の取引となれば収益も安定するし」
「たしかに……でも、あたしもお母さんも車の免許ないじゃん」
「お父さんはある」
離婚は回避したとはいえ、なんとなく口に出すのは憚られる父・修の名前が出てきて由加は思わず母の顔を見た。
「お父さんは……そうだけど……」
お店をやることに反対していた修が、協力してくれるとは思えない。それ以前に、朋子が修に「お願い」をしなくてはならないのに、できるだろうか。
不安な思いが由加の頭をめぐる。
その顔を見た朋子は、ニカっと笑う。
「商売のためなら、いくらでもお願いできるわよ!」
ヒマよりまし、と朋子は鼻歌交じりに洗い物を進めた。
商売のためなら。
離婚してでも、どうしてもおにぎり屋さんを始めたいといった朋子の熱意は、まだまだ燃えたぎっているようだ。その情熱はいつから、どのように湧いて出てきたのだろうか。意欲の減退があったり体力が落ちたり病気をしたりして、年をとると何かをはじめられない人のほうが多いのに。
由加にいたっては、子どもの頃からこれといって熱を持って取り組んだことがほとんどない。部活も習い事も、やる気のないまま始めてやる気のないままやめているというのに。
カラカラ……と、お店の横開きの扉が開いた。
「こんにちはー」
「あらいらっしゃい円香ちゃん!」
円香、という名前を聞いて、由加も奥のスペースから顔を出した。
円香とは、以前母親が病気になって元気も食欲もなくなったと来店した女性だ。からあげのおにぎりを食べて元気を出し、母親と共にお店にあいさつにきてくれた。あれからもお店に来てくれて、いつの間にか名前で呼び合うほどに親しい関係だ。
「円香さん! いらっしゃいませ」
「朋子さん、由加さん、こんにちは」
スーツを着ている円香は、あの時とはくらべものにならないくらいはつらつとしている。母親の容体も良いようで、仕事に精を出せていると話してくれたことがある。
あれからも、ずっとからあげのおにぎりのおかげだと言ってくれて、ありがたいかぎりだ。
「今日は何にします?」
「そうですね……天むすと、からあげのおにぎりひとつずつで!」
「あら、ちょうどエビ天を揚げたばかりなの! 出来立てをお出しするから待ってて」
自家製エビ天で作った天むすも人気の一品。甘口醤油とみりんと出汁で作った甘いタレで味付けられたエビ天の存在感が強く、食べ応えがあると人気だ。エビの尻尾は取り除かれていて食べやすいと評判も良い。
透明のパックに、値上がりによってサイズダウンを余儀なくされた経木を敷いて、できたおにぎりをふたつ置く。由加が受け取り、輪ゴムでパックを閉じて使い捨てのおしぼりを手際よく輪ゴムとパックのスキマに差し込む。ずいぶん手慣れてきたルーティンだ。
「お待たせしました」
お会計を済ませ、ビニール袋に入れて円香に手渡す。
「今日はずっと外回りをしていて。午後のアポまで時間があるから、早めに車の中でお昼ご飯を、と思って」
時間に余裕があるのか、店内にほかの客がいないからなのか、円香は雑談を始めた。
「あ、そうなんですね。大変そうですね、外回り」
由加の会社員時代は、運転免許ナシ・派遣社員というのもあって、そうした外回りを任されたことはなかった。
円香と話していると、自分の出来の悪さを思い知るようでちょっと辛くなるときがある。もっとも、税理士事務所など高学歴の人が多く来る立地だから、いちいちコンプレックスを感じている暇もないのが幸いだけど。
朋子も円香の様子を察したのか、声をかけた。
「ねぇ円香さん。この時間帯ほとんどお客さん来ないし、ここで食べていったら? お茶くらい出すし」
「いいんですか? じゃあお言葉に甘えて」
「テーブル出しますね」
小さな丸いテーブルと、テイクアウト待ちのお客さんのために置いてある椅子をセットする。
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