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第二章

物価高は大変だ

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「まずいことになったわ……」

 いつもムダに明るい母・朋子が自宅のダイニングテーブルで頭を抱えている。

「どしたの」

 リビングのソファで意味もなくスマホを眺めていた由加が振り返る。
 お風呂上り、髪の毛を乾かすのが面倒だとぼんやりしているうちに、なんとなく乾いてしまったくらいにはぼーっとしていたようだ。

 おにぎり屋「結-musubu-」は、オープンしてからというもの経営はいたって順調のはず。

経木きょうぎが値上げよ!」

 パソコンのディスプレイを指さしながら言う。

 経木とは、乾燥させたスギやヒノキを薄く削った木の板で、殺菌力があり食べ物の鮮度を保てるとして江戸時代から利用されていたもの。結では、パックにおにぎりを入れる際に下に敷いている。たこ焼きの器に使われていることも多い。

 木の温かみが感じられるし環境にも優しい印象となるため、導入しているのだけど……。

「値上げかぁ。たまに『ゴミ入っている』とか苦情言われるし、なくてもいいと思うんだけど」

 オープン当初は、経木を三センチ×五センチにカットしていたのだけど、最近は二センチ×三センチまで小さくせざるを得なかったのに、また値上げ。

「手作りおにぎり感を演出できて、私は好きなんだけどねぇ」

 お店は、収支がトントンであればよいとの朋子の方針で、価格をなるべく抑えて経営している。そのため、ちょっとした値上げでも大打撃。メニュー表の改定も視野に入れなくてはいけない。

「しょうがないよ、今はなんでも値上げ値上げだもん」

「でも、ただでさえコンビニのおにぎりより高い価格なのに。お客様に申し訳ないわ」

 商売は、楽しいことより頭を悩ませることのほうが圧倒的に多い。
 いつも笑顔の朋子も、この時ばかりは難しい顔をしている。

   *

「由加、あんたSNS運用しなさい」

 朝六時からオープンしているおにぎり屋「結」の朝のピークを終えてランチの仕込みをしていると、唐突に朋子からの指示がなされた。

「SNS? あたしが?」

 特に人に発表できるようなキラキラなプライベートもなければ推し活などもしていない由加は、SNSをやっていない。SNSで人生うまくいっている人の情報を見るだなんて、自傷行為もいいとこだ。

「原価があがっても、なるべく商品の値段はあげたくないじゃない? だったら、薄利多売でたくさんのお客様に来ていただかなくてはならないわけよ。今はリピーターのお客様と口コミでどうにかなっているけど、やっぱり新規のお客様がほしい!」

「まぁ、それはそうだけど……SNSなんて、そんな簡単にバズらないよ」

「やってみなきゃわかんないでしょ! このままだと、由加の給料減るからね!」

 ひどい脅し文句だ。パワハラすぎる。しかし、口ごたえしたところでお店の経営状況はダイレクトに由加の財布に直撃するのは事実だ。

「わかったよ……」

「お父さんから一眼レフカメラ借りてきたから、これで商品の写真を撮りなさいな」

 朋子は、うふふとまた柄にないお上品な声で笑いながら、バッグの中から一眼レフカメラを取り出した。

「あ、お父さんから借りたんだ」

 離婚は回避したものの、あいかわらずぴりぴりしているように見えていたが、いつの間にか仲良くなったのだろうか。

「借りたというか、拝借したというか……」

 歯切れの悪い口調になった。どうやら勝手に持ってきたらしい。

(あとで、お父さんに言っておかなくちゃ……)

 ため息を抑えつつ、カメラを受け取る。

「使い方わからないんだけど……」

「そんなの、検索すればいくらでも出てくるでしょ。何事も行動よ!」

 ビシィ、と親指を立てて朋子は言う。行動力でここまでやってきた人に言われると、説得力が違う。

 『食べ物 撮り方 おいしそう』などと検索し、おにぎり人気で第一位の焼き鮭を自然光のあたる窓辺に持っていって撮影してみる。

 おにぎり屋「結」の焼き鮭は、切り身の鮭をお店で焼き、ほぐして具材にしている。鮭フレークを具材にした鮭おにぎりも販売しているけど、食べ応えがある焼き鮭は価格が高めの設定なのに好評だ。

 数十分かけて写真を撮ってみたけど……なんか、違う。

 ほかの飲食店のSNSを見てみると、すごくきれいでおいしそうで特別感がある。しかし由加が撮影した写真は「まずそうではないけど、わざわざお店に行こうとは思わない写真」ばかり。

 仕込みの途中で朋子も一眼レフカメラのディスプレイを覗きに来たが、やはり首をひねる。

「写真なんて、誰でも上手に撮れると思ったんだけど……これじゃあ新規のお客様を呼べないわね」

 さっきまでの「行動あるのみ!」な朋子から一転、急にやる気を無くしている。これが裏表のないストレートな表現だと評判が良いなんて、娘からしたら解せない。

 ふたりしてため息をついていると、お店の横開きのドアがカラカラと開いた。
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