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本編第一部
クリスマス・コンプレックス―恋愛弱者の作戦
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「お先に失礼します」
後輩の四条静也が幸せオーラをまといながら、いそいそと退室していった。彼の家には生後2か月のカワイイ赤ちゃんが待っている。世間も認める幸せ人生を驀進中といったところか。
まき散らされた幸せオーラに当てられて、福田みすずはふと仕事の手を止める。
自分もさっさと仕事済ませて帰ろうと思うものの、なかなか捗らない。
何だか頭がぼんやりしている。集中力が切れかかっているようだ。
少し休もうと席を立ち、休憩室へ向かった。
節電のため電灯の半分が落とされた廊下はうす暗く、いつにも増して寒々しい。
「もう12月か」
ついこぼれる独り言。
自販機で缶コーヒーを買い、窓の外を眺めながら黒い液体を喉に流し込む。
夜の街はすっかりクリスマスモード。
あちこちで点滅している色とりどりの華やかなイルミネーションが目に沁みる。
――クリスマスが近づくと心が疼く。
脳のある部分が覚醒するかのようにあの『痛い事件』が甦ってきた。
・・・
みすずは人一倍容姿について劣等感を抱いていた。目は小さく、鼻は低く、エラが張り、世でいうブスのパーツがそろっていた。
高校時代までは勉学に励み、恋愛に興味ない振りをしてきたが、世間の『恋愛しよう空気』にずっと背を向け続けるのは難しかった。
周りの友だちは次々と恋人を作っていく。
彼氏彼女のいない人はやはり『負けている感』があり、そういった世間の価値観を無視できるほどに鈍感になれなかった。
ただ、男性の中には単に性欲を満たしたいだけの人がいることも、女友だちの話や世間の情報から知り、恋愛に警戒感も持っていた。
「本気でつきあう気はなく、やらせてくれれば誰でもいい」「とにかく童貞を卒業したい」というような男には引っかからないようにしたい。自分のことを本当に好きでいてくれる人と恋愛したい。
でも、そんな男なんているのかしら……。
みすずは、相手にとっての一番の女として自分が選ばれるとは思えなかった。
――そこで、こんな仕掛けをするようになってしまった。
当時、みすずは19歳。
時は12月初め。すでに街はクリスマス色に染まっていた。
この時季になると「イブまでに、とりあえず彼女彼氏が欲しい人」が出てくるので、妥協度が高くなるのだろう……合コンで知り合った男性と個人的に会うことになった。
「お姉ちゃん、またやるの? 私はあまり乗れないんだけどなあ」
「いいじゃない。ちゃんとバイト代、出すから。本格的におつきあいする前の審査みたいなものよ。私のためと思って、ね。お願い」
『例の作戦』を協力してくれるよう、妹のさりなを拝み倒し、何とかさりなの了承を得たあと、その男と連絡を取り、みすずは待ち合わせ場所を指定した。
そしてデートの日。
クリスマス・ムードに沸く街中、人の波をかき分け、駅前の名物となっている大きなツリーの前で男と落ち合った。
「どうも~」
「待ちました?」
ありきたりな挨拶を交わし、みすずは笑顔を作るものの、心の中は警戒心に満ちていた。セフレ扱いされるのではないか、男の性欲に利用されてすぐに捨てられるのではないか……。あとで「こんなブスを抱いてみたんだ」と仲間内でネタにされ哂いものにされるのではないか。
と同時にこうも思っていた――自分はそこまでして男とつきあいたいのか? 恋愛ごっこみたいなことをしたいのか?
そんな鬱々とした疑問を抱えながらも、みすずは妹のさりなと打ち合わせていた作戦を続行した。
「あ、ちょっとあそこでお茶していかない? 何か喉が渇いちゃって」
そう言って、妹のさりながバイトしているコーヒーショップに男性を連れ込んだ。
席に座り、メニューを開いていると、店の制服を着たさりながやってきた。
――作戦開始だ。
「あら、お姉ちゃん、どうしたの」
「近くまで来たから」
みすずはチラッと男を観察した。
案の定、男はポカンとした様子で妹を見つめていた。
そう、さりなは一言でいえばアイドル並みの美人。それもカワイイ系のファニーフェイス。スタイルもいい。今まで彼氏を切らしたことはない。
「じゃ、ごゆっくり」
さりなは男にもニッコリ笑いかけ、立ち去った。
さっそく男はみすずに問うてきた。
「え? 今の、妹さん?」
「ええ。ここでバイトしているの」
「へえ……」
男は、さりなの姿を目で追っていた。
「そうそう、もうすぐクリスマスでしょ。妹、今フリーだから焦っているのよ。誰か、いい人いたら紹介してよ」
みすずは何気ない風に話を続けるが、もちろんこれはウソだ。さりなにはちゃんとアツアツの彼氏がいる。
「妹さん、彼氏いないの?」
男の声色が変わった。
「ここんとこ、ずっとね。ええっと妹の好みの男性はね……」
みすずはさり気なく目の前の男と合致する容姿、条件を挙げていく。
男の顔が微妙に緩み、そしてみすずを見るとハッとしたように困った顔になり、その後、何かを逡巡するように視線が彷徨った。
やっぱりね……みすずは心の中でため息をつきながら、男に乾いた笑顔を向けた。
「あら、あなたも、さりなの条件に合うじゃない。良かったら紹介しようか」
「え? いいのか? 本当に? じゃあ、お願いしようかな」
男は心底ホッとしたような顔になり、嬉しそうな声をあげた。
そう、みすずとはまだ本格的につきあっているわけではない。ちょっと連絡を取り合っただけで、まだ何の関係も結んでいない。言質もとられていない。
『良かった。まだ手を出さなくて』『ラッキー』と男の心の声が聞こえてくるようだった。
とても分かりやすい人だ――みすずの心は冷える。
「あとで、さりなに話してみるね」
「よろしくお願いしますっ」
それから男はソワソワしながら、さりなのことをあれこれ訊いてきた。歳や誕生日、趣味、好きなもの、何をプレゼントしたら喜ぶだろうか、というような話題が続いた。
みすずは適当に答えながら、バッグからケータイを取り出し開いた。
「あ、いけない。今日、前々から友だちと約束していた会合があったんだ。すっかり忘れていた。さっき連絡があったみたいで……マナーモードにしていたから気づかなかった……」
ケータイを閉じながら、慌てた風を装った。
「え? 何か用事があったんだ」
男の声は心なしか弾んでいた。これ幸いといったところか。
単なるお友だちのみすずとこれから二人きりで行動するのは憚れるだろう。彼の本命はさりなになったのだから。
さりなに誤解を与えるようなことはしたくないはずだ。
「私、前にもドタキャンしたことあるんだ。これ以上やったら信用なくしちゃう」
「オレのことはいいよ。その会合を優先してあげなよ」
「そう、ありがとう。ごめんね」
みすずはケータイをバッグにしまい、足早に店から去った。
もう、この男とは会うことはない。
点滅しているクリスマス・イルミネーションが哂っているように見え、みすずは視線を落とした。
・・・
「お姉ちゃん、あんなことしていると幸せ逃すよ」
その夜、みすずはバイトから帰ってきたさりなに説教された。
「じゃなくて、不幸にならずに済んだのよ」
「最初から、あんなことしてもいいって思うような男とつきあおうとするべきじゃないよ」
さりなの言うことは正論だ。
けど正論は弱者に寄り添ってくれない。
「今日はありがとう。これ、バイト代ね」
美という最強の武器を持っているさりなの正論を聞き流し、みすずは三千円渡した。
不幸を回避する代金ならば安いもの。これは武器を持っていない女の防御策だ。
さりなは説教しつつも、ちゃっかりお金は受け取る。さりなにしてみても割のいい仕事だ。バイト中の店で、男を連れてきた姉に声をかけ、男に微笑むだけでいいのだから。
しばらくして男からメールが届いた。『会合、間に合った? 妹さんのことよろしく』
みすずはそっけなく、こう返した。『ごめんね。妹に話したら、あまりタイプじゃないって。じゃあね』
その後、この男とはそれっきり。
もちろん、その年のクリスマスは彼氏なし。今までよく一緒につるんでいた女友だちは彼氏を見つけたというので、一人でいつものように過ごした。
一方、さりなのほうは世でいう『恋人と過ごす華やかな王道クリスマス』を送ったようだった。
それから翌年。
合コンから遠ざかっていたが、秋になるとお誘いが増え、またしても世間の『恋愛しよう』『クリスマスは恋人と過ごそう』空気にみすずは負けてしまい、そんな自分に呆れながらも、男女5名ずつ計10名が参加した合コンの席に足を運んだ。
心の底では『運命の恋人』とやらの出会いを夢見ていたのかもしれない。
でも結局、その合コンでもあぶれてしまったようだ。何度か席替えがあった後、カップルが2、3組ほどできあがった様子で、お開きの空気を醸し出していた。
みすずの友人はカップリングに成功したらしく、相手の男性のほうへ行ったきり、みすずはおしゃべりする相手もおらず手持無沙汰となった。
仕方なく、同じくカップリングから漏れたらしい男性に何となしに声をかけた。彼も合コンに気乗りしている様子がなく、テーブルの上の残り少ない料理を片付けるように口へ運びながら、ケータイを弄っていた。数合わせに連れて来られたのだろうか。
「こういうとこ苦手?」
「ええ、まあ」
男は顔を上げ、気のなさそうな返事をし、ケータイへ視線を戻した。みすずとは話す気はないようだ。
ま、これも想定内。こんなこともあろうかと公務員試験過去問集を持ってきてある。ここでボンヤリ過ごすのは時間の無駄なので、それを鞄から取り出し、目を通し始めた。
すると――
「公務員を目指しているの? あ、ごめん、覗いちゃって」
遠慮気に男が話しかけてきた。
「え? ええ。気にしないで。公務員はやっぱり安定しているし、女性が安心してずっと働けるかなと思って。そっちは就職のこととか考えたりしてる?」
みすずは問題集から目を上げ、応えた。
「ああ、ぼちぼち。けど未だ、目標が定まってなくて……」
「いろいろ考えちゃうよね」
その後、男との話が割と弾んだ。
彼の名は桐山。中肉中背のどこにでもいそうな、これといった特徴のない容貌で真面目そうな人だった。
桐山とはお互いに連絡先を交換し、ごく普通の友人としてのつきあいが始まった。
メールも週に2度か3度の頻度だ。
みすずはそれで満足だった。友人としてのほうが、おかしな警戒感など抱かず気楽につきあえる。この距離感がみすずには居心地良かった。
それでも……クリスマスが近づくと、みすずは思い悩んだ。
自分の中にまだ微かな希望があることに戸惑った。
――彼氏じゃないんだから、クリスマスに会うことは避けるべき。
それに桐山にはすでに彼女がいるかもしれない……。あくまでも自分は友人だ。
とりあえず静観することにした。
もし桐山がフリーなら友人としてクリスマスを一緒に過ごしてみたかったけど、あちらの考えが読めない。
クリスマスの話題はあえて避けるようにした。桐山もその話題には触れなかった。
結局、クリスマスは何事もなく過ぎ去り――翌日、桐山に『元気している? こっちは将来のための試験勉強にクリスマスを捧げました』とメールしてみた。
すると、さっそく『クリスマスは風邪ひいていて早々に寝ていた』と返ってきた。
みすずはちょっと考え、冗談めいた感じで話を続けた。
『何だ、そっちも侘しいクリスマスだったんだ。じゃあ今度、憂さ晴らしに飲みに行く?』
その後『OK』の返事。
こんな感じで桐山とはつきあいが続いた。
そうこうしているうちにバレンタインデーが近づいてきた。
友だちとして桐山にチョコをあげるか――みすずはここでも迷った。重く受け止められ、引かれることは避けたかった。
そもそもチョコが好きなのかどうかも分からない。迷惑がられるかもしれない。
そこでさりなに相談してみることにした。
「義理チョコ? あげればいいじゃん。引かれることはないと思うよ。友だちとして大事に思っているということで、ほんのちょっと高めなのプレゼントすれば?」
さりなは何でもないことのように言う。
みすずは妹のアドバイスに従い、デパートでチョコを買い、生まれて初めて男性にプレゼントをした。
桐山は顔をほころばせ喜んでくれた。
みすずはホッとすると同時に、嬉しさでいっぱいになった。心の中にほっこりと灯が燈った。
その後、一緒に飲みに行き、いつも割り勘だったのに、その時は「お返し」と言って桐山がおごってくれた。「それじゃ、チョコよりも高くつく」とみすずは拒否したが、「じゃあ、今度飲みに行った時、そっちがおごってよ」と説得されてしまった。
――困った。これは本当に好きになりそうだ……。
でも、一人相撲になることは避けたかった。
みすずは自分の心にブレーキをかけるために、久しぶりに『例の作戦』をとることにした。
好きになる前に、桐山の本心を知りたかった。
当初、さりなはそれに反対した。
「またやるの? そういうの良くないと思うけどなあ」
それでも何とか拝み倒し、さりなへのバイト代を増やした。
さりなは渋々承知してくれた。
みすずは桐山と飲みに行く約束をし、さりなと打ち合わせをした。
この時、さりなは以前のバイトを辞めていたので、みすずと桐山の待ち合わせ場所に待機してもらい、偶然の鉢合わせを狙うことにした。
約束の日。
作戦通り、みすずと桐山が歩いているところをさりなは捉えた。
「あら、お姉ちゃんじゃない?」
みすずは立ち止まり声がしたほうへ顔を向けた。隣の桐山も倣った。
「あれ、さりな。買い物?」
「まあね」
さり気なさを装い、姉妹で簡単な会話をした後、みすずは桐山にさりなを紹介した。
「あ、これ、妹のさりな」
「姉がいつもお世話になってます」
さりなは桐山に微笑み、挨拶をする。
「いえ……こちらこそ……」
桐山は頭の後ろに手をやり、しどろもどろに応えた。
「じゃ、私はこれで」
軽く会釈をしたさりなは踵を返し、人の波の中へ去って行った。
「……へえ、妹さんがいたんだ」
桐山はずっと呆けたようにさりなを目で追いながら、つぶやいた。
――やっぱり桐山もか……
分かっていたことだけど、みすずの心はしぼんだ。
が、とにかく、この前おごってくれた分を返そうと思い直し、桐山と店に入った。
メニューを決め、注文をし、落ち着いたところで、みすずはこう切り出した。
「実はこの間、さりな、彼氏と別れたばかりで元気ないんだよね」
桐山への想いを完全に断ち切るために作戦を続行した。
長くつきあいたいからこそ、桐山とはいい友人でいたい。これも自分の心を整理するためだ。
いや、本当は桐山を試したかったのかもしれない……。
「へえ、そうは見えなかったけど」
桐山の目が泳いだように見えた。
さりなは今フリー、チャンスだ。そう思ったのだろう。
「ねえ、誰かいい人いたら、紹介してくれない?」
「え」
「さりなの好みはね……」
そう言って、みすずは桐山に合致する外見や条件を並べていった。桐山を騙すのは気が引けたけど、心の中で謝りながら話し続けた。
「って、何だか桐山君にぴったり当てはまるじゃない」
「……」
「仲立ちしようか? さりなも喜ぶと思う」
「……いや、いい……」
桐山は言葉少なめに断った。
「どうして? さりなのこと、タイプじゃない? それとももう彼女がいたりする?」
「いや、いないけど……」
「もし良かったらということで。遠慮しないでね」
「……ああ。でも、その話は本当にいいから」
それから話題は変わったものの、何となくいつもと調子が違う。
みすずも騙している引け目から、会話が上滑りになる。
その上、さりなは今もアツアツのイケメン彼氏がいる。桐山を紹介したくてもできないのだ。
自分は一体、何をやっているんだろう。
みすずは後悔していた。桐山の本心を知り、自分の気持ちに整理をつけるためとはいえ、こんなことで良き友人としてつきあいを続けていけるのか。
罪滅ぼしにさりなの友だちを紹介してもらおうか。さりなの友人ならそこそこレベルは高いだろう。
けれど、自分はちゃんと応援できるのか――心がもやもやしていた。
こんなことで気持ちに整理がつくだろうか?
でも桐山は仲立ちしてほしいと最後まで言わなかった。
きっと、さりなは自分には分不相応だと思っているのだろう。自信がないのかもしれない。
場は盛り上がりに欠けたまま、早めにお開きになった。
みすずがお勘定を持とうとしたら、桐山は割り勘にしてほしいと譲らず、テーブルに自分の分のお金を置いて、さっさと店の外に出てしまった。
みすずは慌ててお会計を済ませ、桐山を追いかけた。
「ねえ、何かあった?」
「いや……」
「でも機嫌悪いよね?」
「そんなことないよ」
ようやく桐山は笑顔を見せた。
みすずはホッとすると同時に、さりなとの仲立ちを断った桐山にさらなる好感を抱いてしまい、困ってしまった。
桐山は単に自信がないだけだろうとはいえ……自信がないのは自分も同じ。
そう、桐山と自分は似た者同士。
結局、みすずは桐山への想いを断ち切ることができず、それどころか微かな希望を抱いてしまった。
友だちづきあいをしているうちに、ひょっとしたら桐山と深い縁を結ぶことができるかもしれない……。
だが、この日を境に桐山はみすずから離れていった。
メールしてもあまり返ってこなくなり、誘いにも乗らなくなり、明らかに引いていた。
――やっぱり怒ってたんだ。何を怒っていたんだろう?
みすずはケータイを見つめながら、ぼんやり考え込んだ。
理由を聞いても「怒っていない」と短い返事があったあとは、話題を変えてもなしのつぶてだった。
部屋の中で固まっているみすずに、デートから帰ってきたさりなは化粧を落としながら声をかけてきた。
「その後、桐山さんとはどうなったの?」
「何だか嫌われちゃったみたい。理由はまるで思いつかないんだけど」
みすずは助けを求めるように、今までの詳細を語った。
すると、さりなは突然こんなことを訊いてきた。
「桐山さんのこと好き? 友人としてではなく」
だが、みすずは答えなかった。
どう答えていいか分からなかった。
さりなはそんなみすずをじっと見つめ続けた。
ついにみすずは降参するように無言で頷いた。
「じゃ、騙したことやお姉ちゃんの気持ちも全て打ち明けなよ。もちろん、もっと嫌われることになるかもしれないけどさ」
「……」
「このままフェイドアウトするのもありだとは思うよ。傷つかないで済むから」
「……」
「結局、お姉ちゃん次第だよ。フェイドアウトするなら、それほど桐山さんのことは好きではなかったってことだし。……というか、そもそも何で桐山さんがそうなっちゃったのか、お姉ちゃん、本当に分からないんだ?」
「え? さりなは分かるの?」
「桐山さんは、お姉ちゃんのこと好きだったんだよ。なのに私を紹介するようなこと言ったから機嫌悪くなったんじゃない?」
みすずはあの時のことを思い出そうとした。さりなと会った後、桐山はさりなに関心があるようにずっと目で追っていた。やっぱり、さりなのほうがいいに決まっている。
そう言うと、さりなは苦笑した。
「私だって彼氏のこと好きだけど、ちょっと自分の好みのカッコいいお兄さんがいたりすれば目で追っちゃうかも」
「そんな……だって、桐山とはたまに会うだけで、そんな雰囲気になったこともないし、好きだと言われたこともないし、ずっと単なる友だちだったんだよ」
するとさりなは、やれやれという顔をしてため息をついた。
「ま、後悔しないほうを選びなよ。全部打ち明けて仲を取り戻す努力をするか、このままフェイドアウトするか。……さてと、シャワー浴びてこよう」
さりなは、みすずを突き放すように立ち上がり、部屋を出ていった。
みすずは悩んだ。
全て打ち明け、桐山君と仲直りするほうへ賭けるか、それともフェイドアウトするのか……。
桐山にもっと嫌われるよりはフェイドアウトのほうが傷が浅くて済む。
――結局は、自分を守るほうを選ぶか、桐山を選ぶか、なんだな。
さっき、さりなから言われたことを思い出していた。『フェイドアウトするなら、それほど桐山さんを好きではなかったってこと』
そして……
みすずは全てを打ち明けるほうを選択した。
桐山に長いメールを送り、騙して試したことを詫び、そんなことをしてしまったのは自分が弱かったから、自信がなかったからと、自分のコンプレックスを曝け出した。
――ひょっとしたら桐山なら分かってくれるかもしれない……。
しかし、みすずの願いは空しく、桐山からは厳しい返事がきた。
『駆け引きとか、ましてや試したり騙すようなことをする人間、オレは苦手です。福田さんはさっぱりしていて、しっかりした強い人間だと思ってました。女の嫌な部分を見せられた気がします。終わりにしてください。幻滅しました』
しばらくの間、みすずは立ち直ることができなかった。いつものため口ではなく『ですます調』の返事に、桐山からは完全に見切りをつけられたことを思い知った。
自業自得だ。
みすずの様子に感じるものがあったのだろう、さりなは何も言わなかった。みすずにとってもそのほうがありがたかった。
――『幻滅しました』――
桐山から投げつけられた言葉の刃。心に大きな大きな傷がついた。
ただ『福田さんはさっぱりしていて、しっかりした強い人間だと思ってました』については、桐山は誤解していたんだな、と思った。
――私は弱い人間……自信がないから他人があまり信じられない。特に男は……。
だから、こう考えるようにした。桐山は『弱い人間』を理解できない。どっちみち桐山とは上手くいかなかった。自分とは合わない人間だった。似た者同士ではなかった。
また『女の嫌な部分』という言葉を使った桐山に女性蔑視的な要素を感じてもいた。
それはみすずにとって受け入れがたいことだった。
桐山とは最初から縁がなかったのだ……。
けれど、みすずは傷つくことを覚悟の上で、全てを打ち明け、劣等感にまみれた自分の本当の姿を曝け出し、桐山に許してもらうことを選んだ。
結局、許してもらえず、幻滅させただけだったけど、桐山と仲良くなる可能性に賭けた。初めて勇気を持てたのだ。
ただ、完膚なきまでに叩きのめされ、ますますこういったことに臆病にもなった。
人間、そう簡単に強くはなれない……。
初めての勇気は砕け散った。
そして実は自分が一番『女性蔑視』をしていたことに気づいた。
女の価値は容姿だけだと、そう思っていたからこんな試すようなことをしてしまったのだ。
・・・
「さてと、仕事に戻るか」
コーヒーを飲み干し、ほろ苦い後味を噛みしめる。
桐山に振られたのはクリスマスの時期とはだいぶずれているけれど、なぜかクリスマスになると、ふとしたことでこの一件を思い出す。
その後、みすずは彼氏もできることなく地味に学生生活を終えた。
今も彼氏はなし。恋愛に縁がない。彼氏いない歴=自分の年齢だ。
今年のクリスマスも普通に仕事をし、いつもと同じように過ごす予定である。
けど冷静になった今だから分かる。桐山の容赦ない最後のメールの言葉――自分はずいぶんと雑に扱われたなと。桐山は縁を切る人間に対し冷酷なことができる男だ。深く関わらないで正解だった。
薄暗い廊下の窓から見えるよそよそしい光に溢れる煌びやかな街。壁一枚隔てた遠い世界。
――『縁』は私を通り過ぎていく。
後輩の四条静也が幸せオーラをまといながら、いそいそと退室していった。彼の家には生後2か月のカワイイ赤ちゃんが待っている。世間も認める幸せ人生を驀進中といったところか。
まき散らされた幸せオーラに当てられて、福田みすずはふと仕事の手を止める。
自分もさっさと仕事済ませて帰ろうと思うものの、なかなか捗らない。
何だか頭がぼんやりしている。集中力が切れかかっているようだ。
少し休もうと席を立ち、休憩室へ向かった。
節電のため電灯の半分が落とされた廊下はうす暗く、いつにも増して寒々しい。
「もう12月か」
ついこぼれる独り言。
自販機で缶コーヒーを買い、窓の外を眺めながら黒い液体を喉に流し込む。
夜の街はすっかりクリスマスモード。
あちこちで点滅している色とりどりの華やかなイルミネーションが目に沁みる。
――クリスマスが近づくと心が疼く。
脳のある部分が覚醒するかのようにあの『痛い事件』が甦ってきた。
・・・
みすずは人一倍容姿について劣等感を抱いていた。目は小さく、鼻は低く、エラが張り、世でいうブスのパーツがそろっていた。
高校時代までは勉学に励み、恋愛に興味ない振りをしてきたが、世間の『恋愛しよう空気』にずっと背を向け続けるのは難しかった。
周りの友だちは次々と恋人を作っていく。
彼氏彼女のいない人はやはり『負けている感』があり、そういった世間の価値観を無視できるほどに鈍感になれなかった。
ただ、男性の中には単に性欲を満たしたいだけの人がいることも、女友だちの話や世間の情報から知り、恋愛に警戒感も持っていた。
「本気でつきあう気はなく、やらせてくれれば誰でもいい」「とにかく童貞を卒業したい」というような男には引っかからないようにしたい。自分のことを本当に好きでいてくれる人と恋愛したい。
でも、そんな男なんているのかしら……。
みすずは、相手にとっての一番の女として自分が選ばれるとは思えなかった。
――そこで、こんな仕掛けをするようになってしまった。
当時、みすずは19歳。
時は12月初め。すでに街はクリスマス色に染まっていた。
この時季になると「イブまでに、とりあえず彼女彼氏が欲しい人」が出てくるので、妥協度が高くなるのだろう……合コンで知り合った男性と個人的に会うことになった。
「お姉ちゃん、またやるの? 私はあまり乗れないんだけどなあ」
「いいじゃない。ちゃんとバイト代、出すから。本格的におつきあいする前の審査みたいなものよ。私のためと思って、ね。お願い」
『例の作戦』を協力してくれるよう、妹のさりなを拝み倒し、何とかさりなの了承を得たあと、その男と連絡を取り、みすずは待ち合わせ場所を指定した。
そしてデートの日。
クリスマス・ムードに沸く街中、人の波をかき分け、駅前の名物となっている大きなツリーの前で男と落ち合った。
「どうも~」
「待ちました?」
ありきたりな挨拶を交わし、みすずは笑顔を作るものの、心の中は警戒心に満ちていた。セフレ扱いされるのではないか、男の性欲に利用されてすぐに捨てられるのではないか……。あとで「こんなブスを抱いてみたんだ」と仲間内でネタにされ哂いものにされるのではないか。
と同時にこうも思っていた――自分はそこまでして男とつきあいたいのか? 恋愛ごっこみたいなことをしたいのか?
そんな鬱々とした疑問を抱えながらも、みすずは妹のさりなと打ち合わせていた作戦を続行した。
「あ、ちょっとあそこでお茶していかない? 何か喉が渇いちゃって」
そう言って、妹のさりながバイトしているコーヒーショップに男性を連れ込んだ。
席に座り、メニューを開いていると、店の制服を着たさりながやってきた。
――作戦開始だ。
「あら、お姉ちゃん、どうしたの」
「近くまで来たから」
みすずはチラッと男を観察した。
案の定、男はポカンとした様子で妹を見つめていた。
そう、さりなは一言でいえばアイドル並みの美人。それもカワイイ系のファニーフェイス。スタイルもいい。今まで彼氏を切らしたことはない。
「じゃ、ごゆっくり」
さりなは男にもニッコリ笑いかけ、立ち去った。
さっそく男はみすずに問うてきた。
「え? 今の、妹さん?」
「ええ。ここでバイトしているの」
「へえ……」
男は、さりなの姿を目で追っていた。
「そうそう、もうすぐクリスマスでしょ。妹、今フリーだから焦っているのよ。誰か、いい人いたら紹介してよ」
みすずは何気ない風に話を続けるが、もちろんこれはウソだ。さりなにはちゃんとアツアツの彼氏がいる。
「妹さん、彼氏いないの?」
男の声色が変わった。
「ここんとこ、ずっとね。ええっと妹の好みの男性はね……」
みすずはさり気なく目の前の男と合致する容姿、条件を挙げていく。
男の顔が微妙に緩み、そしてみすずを見るとハッとしたように困った顔になり、その後、何かを逡巡するように視線が彷徨った。
やっぱりね……みすずは心の中でため息をつきながら、男に乾いた笑顔を向けた。
「あら、あなたも、さりなの条件に合うじゃない。良かったら紹介しようか」
「え? いいのか? 本当に? じゃあ、お願いしようかな」
男は心底ホッとしたような顔になり、嬉しそうな声をあげた。
そう、みすずとはまだ本格的につきあっているわけではない。ちょっと連絡を取り合っただけで、まだ何の関係も結んでいない。言質もとられていない。
『良かった。まだ手を出さなくて』『ラッキー』と男の心の声が聞こえてくるようだった。
とても分かりやすい人だ――みすずの心は冷える。
「あとで、さりなに話してみるね」
「よろしくお願いしますっ」
それから男はソワソワしながら、さりなのことをあれこれ訊いてきた。歳や誕生日、趣味、好きなもの、何をプレゼントしたら喜ぶだろうか、というような話題が続いた。
みすずは適当に答えながら、バッグからケータイを取り出し開いた。
「あ、いけない。今日、前々から友だちと約束していた会合があったんだ。すっかり忘れていた。さっき連絡があったみたいで……マナーモードにしていたから気づかなかった……」
ケータイを閉じながら、慌てた風を装った。
「え? 何か用事があったんだ」
男の声は心なしか弾んでいた。これ幸いといったところか。
単なるお友だちのみすずとこれから二人きりで行動するのは憚れるだろう。彼の本命はさりなになったのだから。
さりなに誤解を与えるようなことはしたくないはずだ。
「私、前にもドタキャンしたことあるんだ。これ以上やったら信用なくしちゃう」
「オレのことはいいよ。その会合を優先してあげなよ」
「そう、ありがとう。ごめんね」
みすずはケータイをバッグにしまい、足早に店から去った。
もう、この男とは会うことはない。
点滅しているクリスマス・イルミネーションが哂っているように見え、みすずは視線を落とした。
・・・
「お姉ちゃん、あんなことしていると幸せ逃すよ」
その夜、みすずはバイトから帰ってきたさりなに説教された。
「じゃなくて、不幸にならずに済んだのよ」
「最初から、あんなことしてもいいって思うような男とつきあおうとするべきじゃないよ」
さりなの言うことは正論だ。
けど正論は弱者に寄り添ってくれない。
「今日はありがとう。これ、バイト代ね」
美という最強の武器を持っているさりなの正論を聞き流し、みすずは三千円渡した。
不幸を回避する代金ならば安いもの。これは武器を持っていない女の防御策だ。
さりなは説教しつつも、ちゃっかりお金は受け取る。さりなにしてみても割のいい仕事だ。バイト中の店で、男を連れてきた姉に声をかけ、男に微笑むだけでいいのだから。
しばらくして男からメールが届いた。『会合、間に合った? 妹さんのことよろしく』
みすずはそっけなく、こう返した。『ごめんね。妹に話したら、あまりタイプじゃないって。じゃあね』
その後、この男とはそれっきり。
もちろん、その年のクリスマスは彼氏なし。今までよく一緒につるんでいた女友だちは彼氏を見つけたというので、一人でいつものように過ごした。
一方、さりなのほうは世でいう『恋人と過ごす華やかな王道クリスマス』を送ったようだった。
それから翌年。
合コンから遠ざかっていたが、秋になるとお誘いが増え、またしても世間の『恋愛しよう』『クリスマスは恋人と過ごそう』空気にみすずは負けてしまい、そんな自分に呆れながらも、男女5名ずつ計10名が参加した合コンの席に足を運んだ。
心の底では『運命の恋人』とやらの出会いを夢見ていたのかもしれない。
でも結局、その合コンでもあぶれてしまったようだ。何度か席替えがあった後、カップルが2、3組ほどできあがった様子で、お開きの空気を醸し出していた。
みすずの友人はカップリングに成功したらしく、相手の男性のほうへ行ったきり、みすずはおしゃべりする相手もおらず手持無沙汰となった。
仕方なく、同じくカップリングから漏れたらしい男性に何となしに声をかけた。彼も合コンに気乗りしている様子がなく、テーブルの上の残り少ない料理を片付けるように口へ運びながら、ケータイを弄っていた。数合わせに連れて来られたのだろうか。
「こういうとこ苦手?」
「ええ、まあ」
男は顔を上げ、気のなさそうな返事をし、ケータイへ視線を戻した。みすずとは話す気はないようだ。
ま、これも想定内。こんなこともあろうかと公務員試験過去問集を持ってきてある。ここでボンヤリ過ごすのは時間の無駄なので、それを鞄から取り出し、目を通し始めた。
すると――
「公務員を目指しているの? あ、ごめん、覗いちゃって」
遠慮気に男が話しかけてきた。
「え? ええ。気にしないで。公務員はやっぱり安定しているし、女性が安心してずっと働けるかなと思って。そっちは就職のこととか考えたりしてる?」
みすずは問題集から目を上げ、応えた。
「ああ、ぼちぼち。けど未だ、目標が定まってなくて……」
「いろいろ考えちゃうよね」
その後、男との話が割と弾んだ。
彼の名は桐山。中肉中背のどこにでもいそうな、これといった特徴のない容貌で真面目そうな人だった。
桐山とはお互いに連絡先を交換し、ごく普通の友人としてのつきあいが始まった。
メールも週に2度か3度の頻度だ。
みすずはそれで満足だった。友人としてのほうが、おかしな警戒感など抱かず気楽につきあえる。この距離感がみすずには居心地良かった。
それでも……クリスマスが近づくと、みすずは思い悩んだ。
自分の中にまだ微かな希望があることに戸惑った。
――彼氏じゃないんだから、クリスマスに会うことは避けるべき。
それに桐山にはすでに彼女がいるかもしれない……。あくまでも自分は友人だ。
とりあえず静観することにした。
もし桐山がフリーなら友人としてクリスマスを一緒に過ごしてみたかったけど、あちらの考えが読めない。
クリスマスの話題はあえて避けるようにした。桐山もその話題には触れなかった。
結局、クリスマスは何事もなく過ぎ去り――翌日、桐山に『元気している? こっちは将来のための試験勉強にクリスマスを捧げました』とメールしてみた。
すると、さっそく『クリスマスは風邪ひいていて早々に寝ていた』と返ってきた。
みすずはちょっと考え、冗談めいた感じで話を続けた。
『何だ、そっちも侘しいクリスマスだったんだ。じゃあ今度、憂さ晴らしに飲みに行く?』
その後『OK』の返事。
こんな感じで桐山とはつきあいが続いた。
そうこうしているうちにバレンタインデーが近づいてきた。
友だちとして桐山にチョコをあげるか――みすずはここでも迷った。重く受け止められ、引かれることは避けたかった。
そもそもチョコが好きなのかどうかも分からない。迷惑がられるかもしれない。
そこでさりなに相談してみることにした。
「義理チョコ? あげればいいじゃん。引かれることはないと思うよ。友だちとして大事に思っているということで、ほんのちょっと高めなのプレゼントすれば?」
さりなは何でもないことのように言う。
みすずは妹のアドバイスに従い、デパートでチョコを買い、生まれて初めて男性にプレゼントをした。
桐山は顔をほころばせ喜んでくれた。
みすずはホッとすると同時に、嬉しさでいっぱいになった。心の中にほっこりと灯が燈った。
その後、一緒に飲みに行き、いつも割り勘だったのに、その時は「お返し」と言って桐山がおごってくれた。「それじゃ、チョコよりも高くつく」とみすずは拒否したが、「じゃあ、今度飲みに行った時、そっちがおごってよ」と説得されてしまった。
――困った。これは本当に好きになりそうだ……。
でも、一人相撲になることは避けたかった。
みすずは自分の心にブレーキをかけるために、久しぶりに『例の作戦』をとることにした。
好きになる前に、桐山の本心を知りたかった。
当初、さりなはそれに反対した。
「またやるの? そういうの良くないと思うけどなあ」
それでも何とか拝み倒し、さりなへのバイト代を増やした。
さりなは渋々承知してくれた。
みすずは桐山と飲みに行く約束をし、さりなと打ち合わせをした。
この時、さりなは以前のバイトを辞めていたので、みすずと桐山の待ち合わせ場所に待機してもらい、偶然の鉢合わせを狙うことにした。
約束の日。
作戦通り、みすずと桐山が歩いているところをさりなは捉えた。
「あら、お姉ちゃんじゃない?」
みすずは立ち止まり声がしたほうへ顔を向けた。隣の桐山も倣った。
「あれ、さりな。買い物?」
「まあね」
さり気なさを装い、姉妹で簡単な会話をした後、みすずは桐山にさりなを紹介した。
「あ、これ、妹のさりな」
「姉がいつもお世話になってます」
さりなは桐山に微笑み、挨拶をする。
「いえ……こちらこそ……」
桐山は頭の後ろに手をやり、しどろもどろに応えた。
「じゃ、私はこれで」
軽く会釈をしたさりなは踵を返し、人の波の中へ去って行った。
「……へえ、妹さんがいたんだ」
桐山はずっと呆けたようにさりなを目で追いながら、つぶやいた。
――やっぱり桐山もか……
分かっていたことだけど、みすずの心はしぼんだ。
が、とにかく、この前おごってくれた分を返そうと思い直し、桐山と店に入った。
メニューを決め、注文をし、落ち着いたところで、みすずはこう切り出した。
「実はこの間、さりな、彼氏と別れたばかりで元気ないんだよね」
桐山への想いを完全に断ち切るために作戦を続行した。
長くつきあいたいからこそ、桐山とはいい友人でいたい。これも自分の心を整理するためだ。
いや、本当は桐山を試したかったのかもしれない……。
「へえ、そうは見えなかったけど」
桐山の目が泳いだように見えた。
さりなは今フリー、チャンスだ。そう思ったのだろう。
「ねえ、誰かいい人いたら、紹介してくれない?」
「え」
「さりなの好みはね……」
そう言って、みすずは桐山に合致する外見や条件を並べていった。桐山を騙すのは気が引けたけど、心の中で謝りながら話し続けた。
「って、何だか桐山君にぴったり当てはまるじゃない」
「……」
「仲立ちしようか? さりなも喜ぶと思う」
「……いや、いい……」
桐山は言葉少なめに断った。
「どうして? さりなのこと、タイプじゃない? それとももう彼女がいたりする?」
「いや、いないけど……」
「もし良かったらということで。遠慮しないでね」
「……ああ。でも、その話は本当にいいから」
それから話題は変わったものの、何となくいつもと調子が違う。
みすずも騙している引け目から、会話が上滑りになる。
その上、さりなは今もアツアツのイケメン彼氏がいる。桐山を紹介したくてもできないのだ。
自分は一体、何をやっているんだろう。
みすずは後悔していた。桐山の本心を知り、自分の気持ちに整理をつけるためとはいえ、こんなことで良き友人としてつきあいを続けていけるのか。
罪滅ぼしにさりなの友だちを紹介してもらおうか。さりなの友人ならそこそこレベルは高いだろう。
けれど、自分はちゃんと応援できるのか――心がもやもやしていた。
こんなことで気持ちに整理がつくだろうか?
でも桐山は仲立ちしてほしいと最後まで言わなかった。
きっと、さりなは自分には分不相応だと思っているのだろう。自信がないのかもしれない。
場は盛り上がりに欠けたまま、早めにお開きになった。
みすずがお勘定を持とうとしたら、桐山は割り勘にしてほしいと譲らず、テーブルに自分の分のお金を置いて、さっさと店の外に出てしまった。
みすずは慌ててお会計を済ませ、桐山を追いかけた。
「ねえ、何かあった?」
「いや……」
「でも機嫌悪いよね?」
「そんなことないよ」
ようやく桐山は笑顔を見せた。
みすずはホッとすると同時に、さりなとの仲立ちを断った桐山にさらなる好感を抱いてしまい、困ってしまった。
桐山は単に自信がないだけだろうとはいえ……自信がないのは自分も同じ。
そう、桐山と自分は似た者同士。
結局、みすずは桐山への想いを断ち切ることができず、それどころか微かな希望を抱いてしまった。
友だちづきあいをしているうちに、ひょっとしたら桐山と深い縁を結ぶことができるかもしれない……。
だが、この日を境に桐山はみすずから離れていった。
メールしてもあまり返ってこなくなり、誘いにも乗らなくなり、明らかに引いていた。
――やっぱり怒ってたんだ。何を怒っていたんだろう?
みすずはケータイを見つめながら、ぼんやり考え込んだ。
理由を聞いても「怒っていない」と短い返事があったあとは、話題を変えてもなしのつぶてだった。
部屋の中で固まっているみすずに、デートから帰ってきたさりなは化粧を落としながら声をかけてきた。
「その後、桐山さんとはどうなったの?」
「何だか嫌われちゃったみたい。理由はまるで思いつかないんだけど」
みすずは助けを求めるように、今までの詳細を語った。
すると、さりなは突然こんなことを訊いてきた。
「桐山さんのこと好き? 友人としてではなく」
だが、みすずは答えなかった。
どう答えていいか分からなかった。
さりなはそんなみすずをじっと見つめ続けた。
ついにみすずは降参するように無言で頷いた。
「じゃ、騙したことやお姉ちゃんの気持ちも全て打ち明けなよ。もちろん、もっと嫌われることになるかもしれないけどさ」
「……」
「このままフェイドアウトするのもありだとは思うよ。傷つかないで済むから」
「……」
「結局、お姉ちゃん次第だよ。フェイドアウトするなら、それほど桐山さんのことは好きではなかったってことだし。……というか、そもそも何で桐山さんがそうなっちゃったのか、お姉ちゃん、本当に分からないんだ?」
「え? さりなは分かるの?」
「桐山さんは、お姉ちゃんのこと好きだったんだよ。なのに私を紹介するようなこと言ったから機嫌悪くなったんじゃない?」
みすずはあの時のことを思い出そうとした。さりなと会った後、桐山はさりなに関心があるようにずっと目で追っていた。やっぱり、さりなのほうがいいに決まっている。
そう言うと、さりなは苦笑した。
「私だって彼氏のこと好きだけど、ちょっと自分の好みのカッコいいお兄さんがいたりすれば目で追っちゃうかも」
「そんな……だって、桐山とはたまに会うだけで、そんな雰囲気になったこともないし、好きだと言われたこともないし、ずっと単なる友だちだったんだよ」
するとさりなは、やれやれという顔をしてため息をついた。
「ま、後悔しないほうを選びなよ。全部打ち明けて仲を取り戻す努力をするか、このままフェイドアウトするか。……さてと、シャワー浴びてこよう」
さりなは、みすずを突き放すように立ち上がり、部屋を出ていった。
みすずは悩んだ。
全て打ち明け、桐山君と仲直りするほうへ賭けるか、それともフェイドアウトするのか……。
桐山にもっと嫌われるよりはフェイドアウトのほうが傷が浅くて済む。
――結局は、自分を守るほうを選ぶか、桐山を選ぶか、なんだな。
さっき、さりなから言われたことを思い出していた。『フェイドアウトするなら、それほど桐山さんを好きではなかったってこと』
そして……
みすずは全てを打ち明けるほうを選択した。
桐山に長いメールを送り、騙して試したことを詫び、そんなことをしてしまったのは自分が弱かったから、自信がなかったからと、自分のコンプレックスを曝け出した。
――ひょっとしたら桐山なら分かってくれるかもしれない……。
しかし、みすずの願いは空しく、桐山からは厳しい返事がきた。
『駆け引きとか、ましてや試したり騙すようなことをする人間、オレは苦手です。福田さんはさっぱりしていて、しっかりした強い人間だと思ってました。女の嫌な部分を見せられた気がします。終わりにしてください。幻滅しました』
しばらくの間、みすずは立ち直ることができなかった。いつものため口ではなく『ですます調』の返事に、桐山からは完全に見切りをつけられたことを思い知った。
自業自得だ。
みすずの様子に感じるものがあったのだろう、さりなは何も言わなかった。みすずにとってもそのほうがありがたかった。
――『幻滅しました』――
桐山から投げつけられた言葉の刃。心に大きな大きな傷がついた。
ただ『福田さんはさっぱりしていて、しっかりした強い人間だと思ってました』については、桐山は誤解していたんだな、と思った。
――私は弱い人間……自信がないから他人があまり信じられない。特に男は……。
だから、こう考えるようにした。桐山は『弱い人間』を理解できない。どっちみち桐山とは上手くいかなかった。自分とは合わない人間だった。似た者同士ではなかった。
また『女の嫌な部分』という言葉を使った桐山に女性蔑視的な要素を感じてもいた。
それはみすずにとって受け入れがたいことだった。
桐山とは最初から縁がなかったのだ……。
けれど、みすずは傷つくことを覚悟の上で、全てを打ち明け、劣等感にまみれた自分の本当の姿を曝け出し、桐山に許してもらうことを選んだ。
結局、許してもらえず、幻滅させただけだったけど、桐山と仲良くなる可能性に賭けた。初めて勇気を持てたのだ。
ただ、完膚なきまでに叩きのめされ、ますますこういったことに臆病にもなった。
人間、そう簡単に強くはなれない……。
初めての勇気は砕け散った。
そして実は自分が一番『女性蔑視』をしていたことに気づいた。
女の価値は容姿だけだと、そう思っていたからこんな試すようなことをしてしまったのだ。
・・・
「さてと、仕事に戻るか」
コーヒーを飲み干し、ほろ苦い後味を噛みしめる。
桐山に振られたのはクリスマスの時期とはだいぶずれているけれど、なぜかクリスマスになると、ふとしたことでこの一件を思い出す。
その後、みすずは彼氏もできることなく地味に学生生活を終えた。
今も彼氏はなし。恋愛に縁がない。彼氏いない歴=自分の年齢だ。
今年のクリスマスも普通に仕事をし、いつもと同じように過ごす予定である。
けど冷静になった今だから分かる。桐山の容赦ない最後のメールの言葉――自分はずいぶんと雑に扱われたなと。桐山は縁を切る人間に対し冷酷なことができる男だ。深く関わらないで正解だった。
薄暗い廊下の窓から見えるよそよそしい光に溢れる煌びやかな街。壁一枚隔てた遠い世界。
――『縁』は私を通り過ぎていく。
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