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本編第一部
セクハラ鏡餅―表現の自由VS女の人権
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「あの鏡餅はセクハラですっ」
お正月休みが終わり、通常勤務に入った○○市役所総務部広報課では――昼休み、またもや黒野先輩が女性職員から訴えられていた。
四条静也は覚めた目で、黒野先輩の机を見つめる。
そこに大きめの『干しブドウ』を乗せた鏡餅が二つ並べられ……ご丁寧にも、干しブドウの下には、丸く切ったピンク色の紙が置かれていた。
――あれはどう見ても女性の胸だよな……。
ピンク色の丸い紙は乳輪を表しているのだろう。
問題になることをあえてやっている気がする、相変わらず下品な黒野先輩だ。
「何で干しブドウを乗せちゃいけないんだ? 何で二つ並べたらいけないんだ? それをやると何でセクハラなんだ? これは芸術的表現に過ぎない」
女性職員らに囲まれても、黒野先輩は臆することなく、いけしゃあしゃあとほざいていた。
「この鏡餅はオレの作品だ。それを撤去しろというのは『表現の自由』の侵害だ。よってオレは撤去を拒否する。少なくとも鏡開きの日まで」
女性陣と黒野先輩の板挟みとなった課長は、縮こまりながらも女性職員たちに説得を試みる。
「まあ、11日の鏡開きには撤去するということだから、それまで辛抱してくれないか?」
だが女性職員らは課長の願いをはねのけ「セクハラは許さない」と断固戦う姿勢を示した。
「四条君、セクハラの定義、知っているよね?」
女性職員から急に話を振られた静也は焦ったものの、きっぱりとこう答えた。
「女性が不快に感じれば、それはセクハラとなります」
静也の答えを聞いた女性職員らは満足げに頷くと、課長に詰め寄る。
「課長はセクハラを認めるんですか?」
「いや、その……」
課長は後退気味のオデコから噴き出る汗を、しきりにハンカチで拭いていた。
セクハラとして撤去させるのか、それとも表現の自由として置いておくのか……難しい選択だ。まさに権利と権利のぶつかり合いだ。
静也は一歩引いて、この争いを眺めていた。
その時、課長が『雨に濡れた子犬』のように静也を見つめてきた。実際、課長の噴き出る汗が薄い髪の毛を濡らし、それがオデコにへばりつき、まさに雨に濡れたようであった。
課長は「どちらかを説得してくれ」と言わんばかりに『助けを求める子犬の眼差し』を静也に向け続ける。
理屈を言わせれば静也の右に出る者は少なくともこの課にはいない。こういう時こそ静也の出番だ。
しかし静也は目を逸らし、課長を見ようとはしなかった。課長の視線をビンビン感じるも無視した。
――課長、申し訳ありません。
オレをそんな戦いに引きずり込まないでください。
オレは平和主義者なんです。戦いはできるだけ避けたいんです。
男同士だからってオレに集団的自衛権を発動させないでください。オレと課長は安保条約を結んでいるわけじゃありません。
オレは永世中立国なんです。個別的自衛権しか発動しません――静也は心の中で詫びた。
だが何たることか、黒野先輩が静也に話を振ってきた。
「静也、どう思う? 表現の自由のほうが大切だと思うよな? だいたい何でもかんでもセクハラセクハラって、女の権利だけが贔屓されているよな?」
すると女性陣も目を三角にしたまま、静也に詰め寄った。
「四条君は女性の権利を大切に考えてくれているよね? この話、きっと奥さんの耳にも入ると思うよ」
ちなみに静也の妻である理沙は、課は違うけど静也と同じ市役所に勤めている。
――理沙をこの戦いに引っ張り込むわけにはいかない。
理沙にまで害が及ぶとなると個別的自衛権の発動となる。
静也は仕方なくこの闘いに参戦することとなった。
まず、彼らが何を争っているのか、明確にする必要がある。
「要するに問題は『女性の権利』が優先されるのか、それとも『表現の自由』が優先されるのか、ですよね?」
しばし考え込んだ静也はこう確認をとった。
黒野と女性職員らはお互い顔を見合わせた後、微かに頷いた。
「では一人一人訊いてみましょう。『女性の権利』と『表現の自由』、どちらの権利が優先されるべきだと考えるのか、もちろん、その理由を述べてください」
静也は皆の顔を見回す。
すると皆、静也と視線が合わないように一斉に下を向いた。課長まで下を向く。そんな難しいこと分からないよっ……と言っているようだ。
が唯一、下を向かなかった黒野だけは端的に答えた。
「もちろん『表現の自由』だ。理由は、表現の自由がなくなったらつまらないから。以上」
「それはまたずいぶん簡単な理由ですね。ま、たしかに『表現の自由』は憲法でも保障されている私たちの大切な権利です」
静也はしれっと補足する。
「じゃあ『表現の自由』で傷つく人がいてもいいって言うんですか?」
女性職員が噛みついてきた。
「あなたは、あの先輩の鏡餅でそんなに傷ついたんですか? 女性の権利が侵害されたとお考えですか?」
静也は冷静に返す。
「傷ついたというのはおおげさだけど、不快なことに変わりありません」
そう言いつつも女性職員の声がしぼむ。
が、そこに、女性職員を援護するかのように力強い声が響き渡った。
「そうよ、女性を性的対象に捉えた鏡餅を置くことは、女性蔑視、女性への人権侵害よ」
その声の主は福田みすず。化粧っ気のない平面的で地味な顔立ちの、女性の権利にやたらうるさい女の先輩である。いわゆるフェミニストというやつだ。
思わず静也はみすず先輩を見やる。人権侵害とはまた大きく出たな、と。
「福田さんは『表現の自由』よりも『女性の権利』が上位にくるとお考えなのですね。では、その理由を述べてください」
一瞬、みすず先輩は言葉に詰まったものの、形勢を立て直すべく、その細い目で睨みつけながら静也に問うてきた。
「四条君はどう考えているの?」
だが、静也は乗らなかった。
「質問しているのはこちらです。まずは福田さんが答えてください」
「なぜ? 四条君が答えたっていいでしょう」
「ならば、そっくりその言葉をお返しします。福田さんが答えてもいいでしょう」
「……」
ようやくここでみすず先輩も黙り込んだ。
静也は皆の顔へ視線を送りながら滔々と質す。
「つまり、それだけ難しい問題ということなのです。表現の自由なのか、女性の権利なのか、この短い時間での議論で答えが出るはずがないのです。年単位で議論をしても答えが出ないかもしれません。
それでもこの議論を続けますか? 職務に差し障るので仕事が終わった後、残業手当はつきませんが会議室を借りて延々と議論することになるでしょう。もちろん、今日で決着するなどと甘いことは考えないでくださいね。明日も明後日も一年後も、おそらく答えが出ないでしょう。それだけ難しいテーマですが、そのテーマと真剣に向き合う覚悟が皆さんにありますか?」
この広報課の職員全員、顔を下に落とした。みすず先輩も黒野先輩も下を向く。
要するに皆にとって、そこまで大きな問題ではない、ということなのだ。
たかが『干しブドウが乗った鏡餅』だ。
「ここで妥協案を提示します。黒野先輩の干しブドウを乗っけた鏡餅を一つにしてください。二つなければ女性の胸を連想させることはないでしょう。それに一つは残るのですから、表現の自由への侵害度も少なくなると思います。
いかがですか? それでもお互い、表現の自由と女性の人権にこだわりますか?」
静也は黒野先輩とみすず先輩を交互に見やった。ここが落としどころだ。
「お、おう、ま、鏡餅を一つ撤去しよう。それでいいよな」
「ま、仕方ないわね。妥協します」
先輩方はそれぞれ譲歩してくれた。
その時、課長は尻尾をはげしく振る子犬のような眼差しで静也を見つめていた。
静也は無言で頷き、課長の感謝の眼差しに応える。
これにて『鏡餅セクハラ問題』は一件落着。
年初め――静也は大きな大きな初仕事をこなしたのだった。
・・・
「へえ、さすが静也だね。ご苦労様」
その話を聞いた理沙は、静也にねぎらいの言葉をかけた。
二人は仕事を終え、夫婦そろって帰途に就いていた。
空はとっくに夜の帳が下され、空気が乾いている所為か、星が妙に輝いて見えた。二人の吐く白い息が霧散する。
「うちも鏡餅を開かないとね」
11日は鏡開きの日だ。
日本には『新年になるとやって来る年神様』を迎えるお供え物として、また年神の依り代として、正月に鏡餅を飾る風習が続いている。幸福を与えてくれる年神が宿った『ありがたい鏡餅』を家族で分け合って食べることで、その祝福や恵みを受けられるのだ。
ちなみに、なぜ『鏡餅』と呼ぶのかというと――まん丸なお餅は、昔あった『丸い形をした銅鏡』に似ているかららしい。銅鏡は『三種の神器』の一つとして祀られていることから、年神を迎えるにあたって『ご神体としての鏡』をお餅で表したというわけだ。
また大小の2段に重ねている丸いお餅は『月と太陽』『陰と陽』を示し、「夫婦円満に年を重ねる」という意味も込められている。
「で、鏡餅に『橙(だいだい)』を乗っけるのは『代々』と掛けているんだ。代々、家が続くようにって」
「へえ」
「橙の実は熟しても落ちにくくて、ずっと残ることもあって、一本の木に何代もの実がなることがあるんだそうだ。つまり、長寿、家族の繁栄を表している縁起のいい果実なんだ」
「そのこと、黒野先輩に説明してあげれば良かったのに。それを知れば『干しブドウ』から『橙』に替えてくれたかもよ」
「いや、黒野先輩なら長寿や家族繁栄の前に『女の乳』に縁があることを願うだろう」
――だから先輩は『女に縁がありますように』と願い、神様が宿るという鏡餅に干しブドウを乗せ、鏡餅を女性の乳に見立てていたのかもしれない……。
静也は黒野に同情した。先輩の気持ちも分からなくもない。
でもすでに自分はこういった縁を手に入れている。
理沙の乳はちょっと小ぶりだが、ムッチリモッチリした太ももがそれを補ってくれている。ま、理沙にしてみれば、太ももに余分についた肉が、なぜ胸へいかなかったのか、悔しがっているようだけど。
白い餅肌の理沙の体を思うとムラムラしそうになるものの、時折、吹き込む刺すような風が静也の頭を冷やした。
「早く帰ろう」
二人は身を縮ませながら家路を急ぐ。春はまだ遠い。
・・・
それから鏡開きの週の休日。空は重く、白く曇り、外は相変わらずの冷え込みだった。
お昼、理沙は鏡餅をお雑煮に仕立てていた。鰹節と昆布でダシをとっているようで、いい匂いが漂ってくる。
「できたよ~」
お椀によそわれたお雑煮が食卓に置かれる。理沙の作るお雑煮は相変わらず具だくさんで栄養満点だ。
席に着いた静也の鼻を、お雑煮の立ち上る湯気がくすぐった。
「いただきます」
二人はアツアツのお雑煮をハフハフ言いながら食べ、最後の正月気分を味わう。
残りのお餅は、おやつ時、お汁粉に使う予定だ。
静也は、お雑煮の具の隙間から顔を出していた白いお餅を箸でつまむ。トロンとして、やわらかいそれを口へ運ぶと、そのモッチリ感に、懲りもせずに理沙の太ももを連想し、またまたムラムラがきてしまった。
――ま、何といっても子孫繁栄、家族繁栄、夫婦円満を願った餅を食べているからな……これは鏡餅からいただいた『清く正しい性欲』なのだ――
と理屈っぽく考えながら、年神が宿っていた鏡餅の恵みを己の糧としたのだった。
お正月休みが終わり、通常勤務に入った○○市役所総務部広報課では――昼休み、またもや黒野先輩が女性職員から訴えられていた。
四条静也は覚めた目で、黒野先輩の机を見つめる。
そこに大きめの『干しブドウ』を乗せた鏡餅が二つ並べられ……ご丁寧にも、干しブドウの下には、丸く切ったピンク色の紙が置かれていた。
――あれはどう見ても女性の胸だよな……。
ピンク色の丸い紙は乳輪を表しているのだろう。
問題になることをあえてやっている気がする、相変わらず下品な黒野先輩だ。
「何で干しブドウを乗せちゃいけないんだ? 何で二つ並べたらいけないんだ? それをやると何でセクハラなんだ? これは芸術的表現に過ぎない」
女性職員らに囲まれても、黒野先輩は臆することなく、いけしゃあしゃあとほざいていた。
「この鏡餅はオレの作品だ。それを撤去しろというのは『表現の自由』の侵害だ。よってオレは撤去を拒否する。少なくとも鏡開きの日まで」
女性陣と黒野先輩の板挟みとなった課長は、縮こまりながらも女性職員たちに説得を試みる。
「まあ、11日の鏡開きには撤去するということだから、それまで辛抱してくれないか?」
だが女性職員らは課長の願いをはねのけ「セクハラは許さない」と断固戦う姿勢を示した。
「四条君、セクハラの定義、知っているよね?」
女性職員から急に話を振られた静也は焦ったものの、きっぱりとこう答えた。
「女性が不快に感じれば、それはセクハラとなります」
静也の答えを聞いた女性職員らは満足げに頷くと、課長に詰め寄る。
「課長はセクハラを認めるんですか?」
「いや、その……」
課長は後退気味のオデコから噴き出る汗を、しきりにハンカチで拭いていた。
セクハラとして撤去させるのか、それとも表現の自由として置いておくのか……難しい選択だ。まさに権利と権利のぶつかり合いだ。
静也は一歩引いて、この争いを眺めていた。
その時、課長が『雨に濡れた子犬』のように静也を見つめてきた。実際、課長の噴き出る汗が薄い髪の毛を濡らし、それがオデコにへばりつき、まさに雨に濡れたようであった。
課長は「どちらかを説得してくれ」と言わんばかりに『助けを求める子犬の眼差し』を静也に向け続ける。
理屈を言わせれば静也の右に出る者は少なくともこの課にはいない。こういう時こそ静也の出番だ。
しかし静也は目を逸らし、課長を見ようとはしなかった。課長の視線をビンビン感じるも無視した。
――課長、申し訳ありません。
オレをそんな戦いに引きずり込まないでください。
オレは平和主義者なんです。戦いはできるだけ避けたいんです。
男同士だからってオレに集団的自衛権を発動させないでください。オレと課長は安保条約を結んでいるわけじゃありません。
オレは永世中立国なんです。個別的自衛権しか発動しません――静也は心の中で詫びた。
だが何たることか、黒野先輩が静也に話を振ってきた。
「静也、どう思う? 表現の自由のほうが大切だと思うよな? だいたい何でもかんでもセクハラセクハラって、女の権利だけが贔屓されているよな?」
すると女性陣も目を三角にしたまま、静也に詰め寄った。
「四条君は女性の権利を大切に考えてくれているよね? この話、きっと奥さんの耳にも入ると思うよ」
ちなみに静也の妻である理沙は、課は違うけど静也と同じ市役所に勤めている。
――理沙をこの戦いに引っ張り込むわけにはいかない。
理沙にまで害が及ぶとなると個別的自衛権の発動となる。
静也は仕方なくこの闘いに参戦することとなった。
まず、彼らが何を争っているのか、明確にする必要がある。
「要するに問題は『女性の権利』が優先されるのか、それとも『表現の自由』が優先されるのか、ですよね?」
しばし考え込んだ静也はこう確認をとった。
黒野と女性職員らはお互い顔を見合わせた後、微かに頷いた。
「では一人一人訊いてみましょう。『女性の権利』と『表現の自由』、どちらの権利が優先されるべきだと考えるのか、もちろん、その理由を述べてください」
静也は皆の顔を見回す。
すると皆、静也と視線が合わないように一斉に下を向いた。課長まで下を向く。そんな難しいこと分からないよっ……と言っているようだ。
が唯一、下を向かなかった黒野だけは端的に答えた。
「もちろん『表現の自由』だ。理由は、表現の自由がなくなったらつまらないから。以上」
「それはまたずいぶん簡単な理由ですね。ま、たしかに『表現の自由』は憲法でも保障されている私たちの大切な権利です」
静也はしれっと補足する。
「じゃあ『表現の自由』で傷つく人がいてもいいって言うんですか?」
女性職員が噛みついてきた。
「あなたは、あの先輩の鏡餅でそんなに傷ついたんですか? 女性の権利が侵害されたとお考えですか?」
静也は冷静に返す。
「傷ついたというのはおおげさだけど、不快なことに変わりありません」
そう言いつつも女性職員の声がしぼむ。
が、そこに、女性職員を援護するかのように力強い声が響き渡った。
「そうよ、女性を性的対象に捉えた鏡餅を置くことは、女性蔑視、女性への人権侵害よ」
その声の主は福田みすず。化粧っ気のない平面的で地味な顔立ちの、女性の権利にやたらうるさい女の先輩である。いわゆるフェミニストというやつだ。
思わず静也はみすず先輩を見やる。人権侵害とはまた大きく出たな、と。
「福田さんは『表現の自由』よりも『女性の権利』が上位にくるとお考えなのですね。では、その理由を述べてください」
一瞬、みすず先輩は言葉に詰まったものの、形勢を立て直すべく、その細い目で睨みつけながら静也に問うてきた。
「四条君はどう考えているの?」
だが、静也は乗らなかった。
「質問しているのはこちらです。まずは福田さんが答えてください」
「なぜ? 四条君が答えたっていいでしょう」
「ならば、そっくりその言葉をお返しします。福田さんが答えてもいいでしょう」
「……」
ようやくここでみすず先輩も黙り込んだ。
静也は皆の顔へ視線を送りながら滔々と質す。
「つまり、それだけ難しい問題ということなのです。表現の自由なのか、女性の権利なのか、この短い時間での議論で答えが出るはずがないのです。年単位で議論をしても答えが出ないかもしれません。
それでもこの議論を続けますか? 職務に差し障るので仕事が終わった後、残業手当はつきませんが会議室を借りて延々と議論することになるでしょう。もちろん、今日で決着するなどと甘いことは考えないでくださいね。明日も明後日も一年後も、おそらく答えが出ないでしょう。それだけ難しいテーマですが、そのテーマと真剣に向き合う覚悟が皆さんにありますか?」
この広報課の職員全員、顔を下に落とした。みすず先輩も黒野先輩も下を向く。
要するに皆にとって、そこまで大きな問題ではない、ということなのだ。
たかが『干しブドウが乗った鏡餅』だ。
「ここで妥協案を提示します。黒野先輩の干しブドウを乗っけた鏡餅を一つにしてください。二つなければ女性の胸を連想させることはないでしょう。それに一つは残るのですから、表現の自由への侵害度も少なくなると思います。
いかがですか? それでもお互い、表現の自由と女性の人権にこだわりますか?」
静也は黒野先輩とみすず先輩を交互に見やった。ここが落としどころだ。
「お、おう、ま、鏡餅を一つ撤去しよう。それでいいよな」
「ま、仕方ないわね。妥協します」
先輩方はそれぞれ譲歩してくれた。
その時、課長は尻尾をはげしく振る子犬のような眼差しで静也を見つめていた。
静也は無言で頷き、課長の感謝の眼差しに応える。
これにて『鏡餅セクハラ問題』は一件落着。
年初め――静也は大きな大きな初仕事をこなしたのだった。
・・・
「へえ、さすが静也だね。ご苦労様」
その話を聞いた理沙は、静也にねぎらいの言葉をかけた。
二人は仕事を終え、夫婦そろって帰途に就いていた。
空はとっくに夜の帳が下され、空気が乾いている所為か、星が妙に輝いて見えた。二人の吐く白い息が霧散する。
「うちも鏡餅を開かないとね」
11日は鏡開きの日だ。
日本には『新年になるとやって来る年神様』を迎えるお供え物として、また年神の依り代として、正月に鏡餅を飾る風習が続いている。幸福を与えてくれる年神が宿った『ありがたい鏡餅』を家族で分け合って食べることで、その祝福や恵みを受けられるのだ。
ちなみに、なぜ『鏡餅』と呼ぶのかというと――まん丸なお餅は、昔あった『丸い形をした銅鏡』に似ているかららしい。銅鏡は『三種の神器』の一つとして祀られていることから、年神を迎えるにあたって『ご神体としての鏡』をお餅で表したというわけだ。
また大小の2段に重ねている丸いお餅は『月と太陽』『陰と陽』を示し、「夫婦円満に年を重ねる」という意味も込められている。
「で、鏡餅に『橙(だいだい)』を乗っけるのは『代々』と掛けているんだ。代々、家が続くようにって」
「へえ」
「橙の実は熟しても落ちにくくて、ずっと残ることもあって、一本の木に何代もの実がなることがあるんだそうだ。つまり、長寿、家族の繁栄を表している縁起のいい果実なんだ」
「そのこと、黒野先輩に説明してあげれば良かったのに。それを知れば『干しブドウ』から『橙』に替えてくれたかもよ」
「いや、黒野先輩なら長寿や家族繁栄の前に『女の乳』に縁があることを願うだろう」
――だから先輩は『女に縁がありますように』と願い、神様が宿るという鏡餅に干しブドウを乗せ、鏡餅を女性の乳に見立てていたのかもしれない……。
静也は黒野に同情した。先輩の気持ちも分からなくもない。
でもすでに自分はこういった縁を手に入れている。
理沙の乳はちょっと小ぶりだが、ムッチリモッチリした太ももがそれを補ってくれている。ま、理沙にしてみれば、太ももに余分についた肉が、なぜ胸へいかなかったのか、悔しがっているようだけど。
白い餅肌の理沙の体を思うとムラムラしそうになるものの、時折、吹き込む刺すような風が静也の頭を冷やした。
「早く帰ろう」
二人は身を縮ませながら家路を急ぐ。春はまだ遠い。
・・・
それから鏡開きの週の休日。空は重く、白く曇り、外は相変わらずの冷え込みだった。
お昼、理沙は鏡餅をお雑煮に仕立てていた。鰹節と昆布でダシをとっているようで、いい匂いが漂ってくる。
「できたよ~」
お椀によそわれたお雑煮が食卓に置かれる。理沙の作るお雑煮は相変わらず具だくさんで栄養満点だ。
席に着いた静也の鼻を、お雑煮の立ち上る湯気がくすぐった。
「いただきます」
二人はアツアツのお雑煮をハフハフ言いながら食べ、最後の正月気分を味わう。
残りのお餅は、おやつ時、お汁粉に使う予定だ。
静也は、お雑煮の具の隙間から顔を出していた白いお餅を箸でつまむ。トロンとして、やわらかいそれを口へ運ぶと、そのモッチリ感に、懲りもせずに理沙の太ももを連想し、またまたムラムラがきてしまった。
――ま、何といっても子孫繁栄、家族繁栄、夫婦円満を願った餅を食べているからな……これは鏡餅からいただいた『清く正しい性欲』なのだ――
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