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本編第一部

大晦日の願い―目指せ健康長寿

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 聖夜からさらにシンシンと染み入るように冷え込んできた年末――勤め先の市役所は休みに入っており、静也と理沙は二人そろって寝坊をしてしまった。どうしても布団から離れがたく、うつらうつらと二度寝して、起きたのはお昼近くだった。
 理沙は慌ててご飯を早炊きし、昨日の残りのカレーを温め、それを朝食兼昼食とした。

 ――大晦日なのにカレーかあ。何か情緒に欠けるよなあ……。
 と横目で見ていた静也だったが、カレーの匂いを嗅いでいるうちに食欲がそそられ「やっぱりカレーっていいよな」と思い直し、食器を用意する。

「あ、そうだ……ラッキョウ」
 これを忘れてはならない。静也は冷蔵庫からラッキョウ漬けが入っているタッパーを取り出す。
 甘酸っぱいラッキョウ漬けは辛口カレーのお供に最高。その上、ラッキョウは疲労回復を助け、スタミナアップさせてくれる健康食材でもあり、殺菌効果もあるので昔から広く利用されている薬用植物でもある。

「いただきます」
 静也は、理沙がよそってくれたカレーにラッキョウを乗せ、かき込む。

 玉ねぎと人参がたっぷり入った栄養満点のカレー。一晩寝かせ、熟成されているから、昨日より旨い。おまけに辛み成分が体を温めてくれる。

「食べ終わったら、掃除お願いね~」
 理沙がお願いという形の命令を静也に下してきたが、言われるまでもなく掃除は静也がいつも担当している。こだわり屋で凝り性なので、理沙よりも丁寧だ。

 食べ終えたら、新年を迎える準備を始めなければ。

   ・・・

 7歳で母を病気で、8歳で父を交通事故で亡くしている静也にとって、小さい頃、家族で過ごしたお正月の記憶の輪郭はぼんやりとしていたものの……家族で年越し蕎麦を食べたこと、元日に食べるお雑煮や栗きんとんがおいしかったことは、何となく覚えていた。

 そんな静也から「年越し蕎麦とお雑煮と栗きんとん、これだけは譲れないっ」と念仏のように何度も聞かされていた理沙は、お節の用意にとりかかる。

 大晦日にお供えし、年が明けてから「神様からのお下がり」としていただく習慣があるお節にはそれぞれ意味がり、願いが込められている。

 例えば、静也が大好きな栗きんとんは金運を招くと言われている。お金との縁はぜひ理沙も身につけたいところだ。
 数種類の具材を一緒に煮しめていくお煮しめには『家族が仲良く結ばれる』という意味があり、
 紅白かまぼこも半円形は日の出を表し、『紅』は魔除け、『白』は神聖を示す縁起をかついだ食品だ。
 ほか、伊達巻は形が巻物に似ていることから文化の発展・学問の上達を、昆布巻の昆布は『子生(こぶ)』と掛けて子孫繁栄を、黒豆の『豆』はマメに動けるようにと『無病息災』の願いが込められている。

 どれもこれも捨てがたい願いだけど、正直、お節は1日で飽きる。2日3日続くとゲンナリする。だから作り過ぎないようメニューも絞る。
「栗きんとん、黒豆と昆布巻、後はお煮しめでいいかな」

 紅白かまぼこや伊達巻きは、スーパーで売っているものは量が多く、夫婦二人で食べ切るには持て余してしまい、結局、賞味期限までに食べられなくて、捨てる羽目になるし、添加物も気になるので、外すことにしていた。

 煮豆は「北海道の黒豆を100%使用」「添加物不使用」を謳っているレトルトパックのものを、栗きんとんと昆布巻もデパ地下で買った高品質のものを使う。
 栗きんとんは静也が心置きなくたくさん食べられるように『栗の甘露煮』を使って量を増やした。
 お煮しめは手作りだ。鶏肉、人参、里芋、蒟蒻、牛蒡、干し椎茸、レンコンを醤油と酒と砂糖とだし汁でじっくりと煮込む。

 こうして出来上がったものを重箱に詰めていくと、そこそこお正月らしいそれなりの見栄えとなった。
「お節、完成」
 神棚はないので、和室にある小さな座卓の上に鏡餅とお節を置き、神様へのお供えとした。

 あとは、明日のお雑煮用の汁と今晩の夕食も用意しなくては。
 やっぱり大晦日は忙しい。

   ・・・

 黄昏ていた空はいつの間にか深い闇色に塗り替えられていた。
 この時季、日は短く、すぐに夜がやってくる。

 大掃除を終えてお腹を空かせた静也の前には、どど~んと大皿に盛ったエビチリがあった。
「……」
 日本の大晦日の料理として、いまいち情緒に欠ける、とは思ったが、静也は言葉を飲み込み、箸を手に取る。

 これから新しい年を迎えるのに夫婦喧嘩はしたくない。あとで、除夜の鐘を聞きながら『年越しそば』をいただくのだから、その時に情緒を味わえる。

「ネギもたっぷり入れたから、体にいいわよ~」
「……ん」

 理沙の話を聞きながら、静也はエビチリを口に運んだ。プリプリした触感と甘辛のチリソースがたまらない。理沙の作るエビチリは、市販のチリソースにマヨネーズを足して、より濃厚でまろやかな味わいに仕上げている。

「前に静也が教えてくれたでしょ。腰が曲がっているように見える海老には『腰が曲がるまで長生きするように』という願いが込められているんだって。お節には入れなかったから、今日の晩ご飯に使ったんだ」

 情緒に欠けているが、理沙の願いが込められたエビチリはなかなかだ。

「もう家族を早くに失くすのは嫌だからね……」
「……」
「長生きしようね」
「ああ」

 理沙のつぶやきを耳に、静也はご飯をかき込む。
 そういえば……理沙はレトルトを利用しながらも、栄養バランスはしっかり考え、いつも食事を用意してくれている。
 今日の夕飯だって、チリソースは市販のものだけど、マヨネーズを足して味を調えたり、大量に刻んだネギや生姜を入れ、海老は新鮮なものを買って、皮を剥き背腸をとって、小麦粉をつけて米油――四条家では少々値は張るが健康に良い油を使っている――で焼いて、手間をかけている。中華風スープは、椎茸にワカメに人参に白菜と具だくさんだ。野菜はいつもたっぷり、海藻類やキノコ類も入るよう工夫されていた。

 学校の給食や養護施設の食事だって、栄養バランスは考えられて出されていただろうが、静也個人のために作られた料理ではない。
 でも今は、静也のために作られたご飯が食べられるのだ。

「ただし、腰が曲がるのは骨粗鬆症だからなわけで。ちゃんとカルシウムをとって、腰が曲がらないように長生きしたいよね」

 理沙の健康トークに頷きつつも、自分のほうが一足先に、90歳くらいで、理沙や家族たちに見守られながら逝けたら最高なんだけどな~と勝手なことを思う。

「もちろん、病気だけではなく事故にも気をつけなくちゃね」
「だな」

 大晦日の晩――二人はお互いの健康長寿を願った。
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