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3.目を離した隙に
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よく晴れた午後だった。マダム・ジュリアお気に入りのステンドガラスがキラキラと輝いている。
社交界シーズンがもうすぐだというのに、店は貸切状態だった。これもマダム・ジュリアの計らいだった。お得意様にはじっくり時間を掛けてくれる。
ドレス選びは思っていたよりもずっとスムーズに進んだ。シェリー側からの注文が少ないというのもあるかもしれない。
マダム・ジュリアはいつになくご機嫌で饒舌だった。
「前回よりも肌艶もがいいし、体型もよくキープされていますわね。髪も相変わらずお美しい……よく手入れなさってるのね。このくらいどこのお嬢様も気遣ってくれると私も腕が鳴るってものだわ」
リチャードは隣で大きく頷いた。マダム・ジュリアから教わったことを全て試しているのだ、こちらも全力で挑んでる。二人はいわば"同志"のようなものだ、お互いに見つめ合うと再び大きく頷き合った。
夜更かしをさせない、野菜と水分をたっぷり摂る、寝具は常に清潔に……。
リチャードの小煩いアドバイスを見込んでだろうか、本来ならドレス選びは母親や姉が付き添うものだが、コードウェル家では彼に任せきりになっている。
マダム・ジュリアも男性の意見を聞くのが楽しいらしい。いつもなら大抵の場合は嫌な顔をされるような小言にも、リチャードは丁寧に話を聞いてくれる。いつになく楽しそうな二人だが、シェリー本人は退屈だった。
マダム・ジュリアの小言にへこたれることはないのだが、彼女の助言もまた響いていなかった。
胸元が深く開いた白を基調としたドレス、マダム・ジュリアはその違いを力説するけれど、どれを着てもシェリーには同じに思えてしまう。
だが、二人にはそうではないらしい。リチャードはこれだと胸元が開きすぎているだとか、生地はもう少し厚いものはないのか、などと細々と注文をつけている。マダム・ジュリアはそれに嬉々として応える。
「それじゃあ、後はマダム・ジュリアにお任せしましょう」
そう言ってから、何分待たされているだろう。シェリーの着替え終わっても、リチャードはまだマダム・ジュリアと最近の流行と美容法について盛り上がっている。
(マダム・ジュリア、どうかリチャードに余計なことを吹き込まないでね)
シェリーはそればかり祈っていた。睡眠前に血行が良くなるという謎のポーズを取らされるのも、入浴中に大きな口で「あいうえお」と言わなくてはいけないのも、面倒な事この上ない。
シェリーが忘れないようにと、テレサに見張りまで頼む徹底振りだった。
「ここは暑いわね……」
店の窓に降り注ぐ春の穏やかな日差しは、ぐったりしているシェリーには毒だった。
二人の会話はまだ終わりそうにない。シェリーは邪魔をしないように、そっと扉を開けると外の空気を思い切り吸い込んだ。
ひんやりとした風が心地良かった。火照った頬が冷やされていく。
シェリーは空を見上げた、眩さに眩暈がする。
よろめいた拍子に誰かにぶつかってしまった。
ごめんなさい、と小さく謝る。通りすがりのその誰かが、足元の覚束ないシェリーをしっかりと抱き止めてくれた。
「……大丈夫?」
耳に優しく響く、どこか色気のある声だった。背の高い男性だった、それに良い香りがする。
シェリーは男性の顔を見上げて驚いた。
(まるで絵本の中の王子様みたい……!)
宝石みたいに輝くエメラルドグリーンの瞳と、優しそうな眼差し。形のいい桜色の唇が穏やかに微笑んでいた。肩まで伸びたブロンドの髪は太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
「ごめんなさい、少しふらっとしてしまって……」
思わず見惚れてしまったことに気恥ずかしくなり、シェリーは慌てて体を離した。
「マダム・ジュリアのところに?」
「ええ、ドレスを仕立てに」
「君のドレス姿……美しいだろうね。今だって天使のようだ」
そう言ってにっこりと微笑む。シェリーの胸は高鳴った。歯の浮くような台詞でも、彼が言うのなら許される気がした。
着ているスーツも深紅の上等そうな生地で、金糸の刺繍が細やかに施されている。少々派手といえば派手なのだが、洗練されていて彼によく似合っている。
「ありがとう」
社交辞令だろうと思いながらも、シェリーは照れたように微笑んだ。
「私の名前はコール・ランベール。今、花束があったらすぐ君に差し出せたのに」
コール、と名乗る男性は慣れた手つきでシェリーの手を取ると、その手にそっとキスをした。
「まあ、嬉しい。私はシェリー・コールドウェルよ」
「シェリー、会えて嬉しいよ」
コールはシェリーがこれまで過ごした中で出会う初めてのタイプの男性だった。
「そうだ、良かったら家まで送ろうか?」
店の前に停められていた馬車は、どうやら彼のものだったらしい。黒塗りのしっかりとした御者台は大きくて立派だった。金色の文字で"ランベール"と書かれている。
「あの、せっかくだけど……」
「遠慮しないで「結構です」」
コールの誘いに対して、食い気味に強く鋭い声がシェリーの背後から聞こえた。
ハッとして振り返ると、いつになく不機嫌そうな顔をしたリチャードが立っていた。
「まったく、少し目を離したら……失礼します」
リチャードはコールの方を碌にみようとせず、シェリーの肩を強く引き寄せると足速に歩き始めた。
「もしかして……リチャード?」
コールが小さく呟いた。リチャードは驚いたように彼の方を振り返ると、見たこともない複雑な表情を浮かべた。
「もしかして……お知り合いだったの?」
リチャードは答えずに、回しておいた自分たちの馬車にシェリーを無理矢理押し込んだ。
扉を閉めると、外の音も中の音もほとんど聞こえなくなる。シェリーは口をぱくぱくとさせて何か文句を言っているようだった。窓を数回叩いたと思ったら、今度を諦めたようにジトっとした視線を向けている。
彼女の視線から逃れるように、馬車から少しだけ離れる。
「やっぱりリチャードだ。久しぶりだなー、元気だった?」
「コール……お前、誰彼構わず声を掛けるな」
リチャードは呆れたように溜息を吐いた。
「ごめん、お前の恋人とは知らなくてさ」
肩をすくめて大して悪びれもなく笑うコールを、リチャードはキッと睨んだ。
コールはその態度ですぐにピンと来たようで、今度は悪戯っぽく笑った。
「……ああ、そういうことか。結構楽しくやってるじゃないか。可愛い子だったし……もしかして惚れてる?」
「そんな訳ないだろ、まだ子どもだ。それに生意気ばっかり言うんだ」
リチャードは勘弁してくれ、とでも言うように首を横に振った。
「そうかよ、じゃあまたな。これからデートなんだ」
自慢の髪を掻き上げながら、コールは機嫌よく笑った。
これがまさしく彼の悪い癖だ。
これからデートする女性がいるのに、平気で他の女性にも声を掛ける。どうやら女性には全員声を掛けるのが礼儀だと思っている節があるようだ。父親譲りの女好きとして社交界では有名なのだが、その甘い容姿と憎めない性格、それから"伯爵"という肩書きが揃えば大抵のことは許されてしまう。
「ああ、またな」
リチャードもそう言って微笑んだ。数年振りの再会だというのに、変わらないままの彼にリチャードは懐かしく思った。
足取り軽くご機嫌に歩き出すコールを見守りながら、一つ大切なことを言い忘れていたことを思い出した。
「そうだ、コール」
コールはピタッと立ち止まると、リチャードの方をくるっと振り返った。
「どうした?」
「シェリーお嬢様に手は出すなよ」
リチャードは念の為に釘を刺しておくことにした。
(惚れているからじゃない、心配だから言ってるんだ。見張り役として……)
コールはそれを聞くと、少し笑ってひらひらと手を振った。
(わかっているのか、わかっていないのか……)
シェリーによからぬ虫がつかぬように、より警戒を強めようと決意したリチャードだった。
社交界シーズンがもうすぐだというのに、店は貸切状態だった。これもマダム・ジュリアの計らいだった。お得意様にはじっくり時間を掛けてくれる。
ドレス選びは思っていたよりもずっとスムーズに進んだ。シェリー側からの注文が少ないというのもあるかもしれない。
マダム・ジュリアはいつになくご機嫌で饒舌だった。
「前回よりも肌艶もがいいし、体型もよくキープされていますわね。髪も相変わらずお美しい……よく手入れなさってるのね。このくらいどこのお嬢様も気遣ってくれると私も腕が鳴るってものだわ」
リチャードは隣で大きく頷いた。マダム・ジュリアから教わったことを全て試しているのだ、こちらも全力で挑んでる。二人はいわば"同志"のようなものだ、お互いに見つめ合うと再び大きく頷き合った。
夜更かしをさせない、野菜と水分をたっぷり摂る、寝具は常に清潔に……。
リチャードの小煩いアドバイスを見込んでだろうか、本来ならドレス選びは母親や姉が付き添うものだが、コードウェル家では彼に任せきりになっている。
マダム・ジュリアも男性の意見を聞くのが楽しいらしい。いつもなら大抵の場合は嫌な顔をされるような小言にも、リチャードは丁寧に話を聞いてくれる。いつになく楽しそうな二人だが、シェリー本人は退屈だった。
マダム・ジュリアの小言にへこたれることはないのだが、彼女の助言もまた響いていなかった。
胸元が深く開いた白を基調としたドレス、マダム・ジュリアはその違いを力説するけれど、どれを着てもシェリーには同じに思えてしまう。
だが、二人にはそうではないらしい。リチャードはこれだと胸元が開きすぎているだとか、生地はもう少し厚いものはないのか、などと細々と注文をつけている。マダム・ジュリアはそれに嬉々として応える。
「それじゃあ、後はマダム・ジュリアにお任せしましょう」
そう言ってから、何分待たされているだろう。シェリーの着替え終わっても、リチャードはまだマダム・ジュリアと最近の流行と美容法について盛り上がっている。
(マダム・ジュリア、どうかリチャードに余計なことを吹き込まないでね)
シェリーはそればかり祈っていた。睡眠前に血行が良くなるという謎のポーズを取らされるのも、入浴中に大きな口で「あいうえお」と言わなくてはいけないのも、面倒な事この上ない。
シェリーが忘れないようにと、テレサに見張りまで頼む徹底振りだった。
「ここは暑いわね……」
店の窓に降り注ぐ春の穏やかな日差しは、ぐったりしているシェリーには毒だった。
二人の会話はまだ終わりそうにない。シェリーは邪魔をしないように、そっと扉を開けると外の空気を思い切り吸い込んだ。
ひんやりとした風が心地良かった。火照った頬が冷やされていく。
シェリーは空を見上げた、眩さに眩暈がする。
よろめいた拍子に誰かにぶつかってしまった。
ごめんなさい、と小さく謝る。通りすがりのその誰かが、足元の覚束ないシェリーをしっかりと抱き止めてくれた。
「……大丈夫?」
耳に優しく響く、どこか色気のある声だった。背の高い男性だった、それに良い香りがする。
シェリーは男性の顔を見上げて驚いた。
(まるで絵本の中の王子様みたい……!)
宝石みたいに輝くエメラルドグリーンの瞳と、優しそうな眼差し。形のいい桜色の唇が穏やかに微笑んでいた。肩まで伸びたブロンドの髪は太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
「ごめんなさい、少しふらっとしてしまって……」
思わず見惚れてしまったことに気恥ずかしくなり、シェリーは慌てて体を離した。
「マダム・ジュリアのところに?」
「ええ、ドレスを仕立てに」
「君のドレス姿……美しいだろうね。今だって天使のようだ」
そう言ってにっこりと微笑む。シェリーの胸は高鳴った。歯の浮くような台詞でも、彼が言うのなら許される気がした。
着ているスーツも深紅の上等そうな生地で、金糸の刺繍が細やかに施されている。少々派手といえば派手なのだが、洗練されていて彼によく似合っている。
「ありがとう」
社交辞令だろうと思いながらも、シェリーは照れたように微笑んだ。
「私の名前はコール・ランベール。今、花束があったらすぐ君に差し出せたのに」
コール、と名乗る男性は慣れた手つきでシェリーの手を取ると、その手にそっとキスをした。
「まあ、嬉しい。私はシェリー・コールドウェルよ」
「シェリー、会えて嬉しいよ」
コールはシェリーがこれまで過ごした中で出会う初めてのタイプの男性だった。
「そうだ、良かったら家まで送ろうか?」
店の前に停められていた馬車は、どうやら彼のものだったらしい。黒塗りのしっかりとした御者台は大きくて立派だった。金色の文字で"ランベール"と書かれている。
「あの、せっかくだけど……」
「遠慮しないで「結構です」」
コールの誘いに対して、食い気味に強く鋭い声がシェリーの背後から聞こえた。
ハッとして振り返ると、いつになく不機嫌そうな顔をしたリチャードが立っていた。
「まったく、少し目を離したら……失礼します」
リチャードはコールの方を碌にみようとせず、シェリーの肩を強く引き寄せると足速に歩き始めた。
「もしかして……リチャード?」
コールが小さく呟いた。リチャードは驚いたように彼の方を振り返ると、見たこともない複雑な表情を浮かべた。
「もしかして……お知り合いだったの?」
リチャードは答えずに、回しておいた自分たちの馬車にシェリーを無理矢理押し込んだ。
扉を閉めると、外の音も中の音もほとんど聞こえなくなる。シェリーは口をぱくぱくとさせて何か文句を言っているようだった。窓を数回叩いたと思ったら、今度を諦めたようにジトっとした視線を向けている。
彼女の視線から逃れるように、馬車から少しだけ離れる。
「やっぱりリチャードだ。久しぶりだなー、元気だった?」
「コール……お前、誰彼構わず声を掛けるな」
リチャードは呆れたように溜息を吐いた。
「ごめん、お前の恋人とは知らなくてさ」
肩をすくめて大して悪びれもなく笑うコールを、リチャードはキッと睨んだ。
コールはその態度ですぐにピンと来たようで、今度は悪戯っぽく笑った。
「……ああ、そういうことか。結構楽しくやってるじゃないか。可愛い子だったし……もしかして惚れてる?」
「そんな訳ないだろ、まだ子どもだ。それに生意気ばっかり言うんだ」
リチャードは勘弁してくれ、とでも言うように首を横に振った。
「そうかよ、じゃあまたな。これからデートなんだ」
自慢の髪を掻き上げながら、コールは機嫌よく笑った。
これがまさしく彼の悪い癖だ。
これからデートする女性がいるのに、平気で他の女性にも声を掛ける。どうやら女性には全員声を掛けるのが礼儀だと思っている節があるようだ。父親譲りの女好きとして社交界では有名なのだが、その甘い容姿と憎めない性格、それから"伯爵"という肩書きが揃えば大抵のことは許されてしまう。
「ああ、またな」
リチャードもそう言って微笑んだ。数年振りの再会だというのに、変わらないままの彼にリチャードは懐かしく思った。
足取り軽くご機嫌に歩き出すコールを見守りながら、一つ大切なことを言い忘れていたことを思い出した。
「そうだ、コール」
コールはピタッと立ち止まると、リチャードの方をくるっと振り返った。
「どうした?」
「シェリーお嬢様に手は出すなよ」
リチャードは念の為に釘を刺しておくことにした。
(惚れているからじゃない、心配だから言ってるんだ。見張り役として……)
コールはそれを聞くと、少し笑ってひらひらと手を振った。
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