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結婚指輪の下見をする約束の日だった。

「悪いけど行けなくなった。別の日にしてくれ」

それは相談でもお願いでもなく、一方的な命令だ。

「……またリリィなの?」
「なんだその非難がましい目は。彼女は家族も同然だ。心配するのは当然だろう」

うんざりしたような顔でミュスカーが言う。
この会話は何度目だろう。うんざりしているのは私も同じだ。

「仕方ないじゃないか。一人じゃ寂しいと言って泣くんだ。僕がついていなくちゃ」

一人じゃ寂しい? 大勢の使用人に囲まれて?
彼女の親だって、呆れるくらいにリリィを甘やかしているというのに。

「繊細なんだ。きっと姉のデイジーがいないから悲しいのだろう」

なんでも言うことを聞いてくれるメイドたちにあれこれ無理難題を押し付けた上で、婚約者のいる幼馴染みの男を突然呼び出す女のどこが繊細なのだろう。
それにデイジーが家を出てもう二年だ。
特に仲が良いわけでもない姉がいないことがなんだというのか。

「前もそれで行けなかったじゃない。もう結婚式まで日がないのよ」
「なら一人で行ってくれ」

あからさまに煩わしそうな顔をされても、引き下がることは出来なかった。

「二人のことなのよ? 衣装もまだ決まっていないじゃない」
「泣いてる女性を放っておけというのか。冷たい女だ」
「それで私が泣くのは構わないの?」
「アメリアは強い女だから大丈夫だろう」

半笑いで嘲るように言う。
いつもこうだ。私が何を言ってもまともに聞いてもくれない。

「リリィは違う。リリィは繊細なんだ。僕が支えてやらなきゃすぐに泣いてしまう」

ミュスカーの幼馴染みで、私と彼のふたつ年下のリリィ。
彼と出会った時から常に近くにいて、甘えるのを当然と思って彼を振り回す少女。

精神的に弱いところがあると言うが、私から言わせてもらえばただの我儘だ。
十八歳を目前に、結婚の話が本格的に動き始めてからそれが顕著になった。

どう考えても私達の邪魔をしたいだけとしか思えないのに、ミュスカーはリリィに頼られれば頼られるほど嬉しそうだ。

二年間我慢してきたけれど、いい加減に限界だ。
そんなにリリィが大切なら、リリィと結婚すればいい。

「――もう、やめにしましょう」
「ああ。そうしてくれると助かる。早くリリィのもとに行かなくては」
「いいえそうではないわ」

リリィが気になって仕方ない様子の彼に、毅然とした口調で言う。

「……では、何の話だ」

いつもと違うと気付いたのか、今日初めてミュスカーが私の目を見て言った。
こんな時ばかり視線が合うのねと、笑い出したい気持ちを堪えて先を口にする。

「婚約を解消したいの。あなたもその方が嬉しいでしょう?」

ミュスカーは怪訝な顔をしたあとで、何かに思い当たったように唇を吊り上げた。

「……ふん。だからアメリアはダメなんだ」

意地の悪い顔で笑う。嫌な顔だった。

「気を引きたいんだったらもっと上手くやれよ。僕じゃなきゃ愛想尽かしてたよ」

こんな醜悪な笑みを浮かべる男だっただろうか。
婚約を決めたのは恋を諦めた後ではあったけれど、それごと受け入れてくれた優しい彼のために尽くそうと決めた日が幻のようだ。

「ううん。気を引くのはもうやめたの。全然私を見てくれないから」
「はいはい。そうやって気のないフリしたって僕はリリィのところへ行くのをやめないよ。先週からずっと塞ぎ込んでいるんだ」
「ええだから好きにして。もう止めないわ」
「きっと僕が結婚するのが辛いんだろう。ああ可哀想なリリィ。アメリアとの婚約が先だったばかりに」

話を聞く気はないらしい。
いつもこうだ。
こんな人と夫婦になんかなれるわけがなかったのだ。

「婚約を解消すればもうリリィを悲しませなくて済むわね。本当に良かった」

意見を変えない私に、ようやく冗談や駆け引きじゃないと気付いたのだろう。
ミュスカーが眉間にシワを寄せた。

「……本気か?」
「ええ。もう決めたの」
「僕に捨てられたら、この先絶対に幸せになどなれないんだぞ」

女からの婚約解消だ。面倒な物件だと思われて今後嫁ぎ先は見つからないかもしれない。
両親には申し訳ないけれど、この先独身のまま生きる覚悟が必要になる。
だけど幼馴染みに振り回される結婚生活よりは断然マシだ。
きっと理由を話せば両親もわかってくれるはず。

「それでもいいわ。自分でなんとかしてみる」

私の楽観的な言葉に、ミュスカーが深いため息を吐いた。

「そういうところだよ。自分で決めて勝手に行動する。女のくせに可愛げがないんだ」
「そう。可愛くないのよ私。だからやっぱり別れるのが一番よね」

妙にさっぱりした気持ちで笑ってみせる。
もう彼にも結婚にも未練はなかった。
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