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知らずにため込んでいた感情はここにきて大爆発で、何度もカダの身体を叩く。
カダは最初の一発だけは痛そうに頬を押さえながら、私を止めるでもなく困ったように苦笑するばかりだ。
その態度が余計にムカついて、襟首を掴んで壁に押し付ける。
まるでどこぞのチンピラだ。
「……っ、私がっ、どんな気持ちでいたと!」
言った瞬間にまた涙がぼたぼたと落ちていく。
それ以上は言葉にならず、縋るように胸元に顔を押し付けた。
緩く抱きしめられて「すまなかった」と優しい声が頭上に降る。
「だって、殺されたって……」
くぐもった声でようやくそれだけ言う。
カダの手が宥めるように何度も私の背中を撫でた。
それから私が落ち着くのを待って、ゆっくりと身体を離して見つめ合う。
「……実は死んでるってオチ? ひどい顔してる」
「シアも人のことは言えないだろう」
言われて確かにと思う。
お互い様だ。
血の気の失せた顔に落ちくぼんだ目。こけた頬はまともに睡眠も食事もとっていないことが窺えた。
「暗殺者に襲われて殺されかけたのは本当だ。護衛がたまたま不在の時にな。内通者がいるとしか思えない状況だった。たまたま書類を届けに来た部下のおかげでとどめを刺されずに済んだが、瀕死の重傷を負った。だからそのまま死んだことにして暗殺者を泳がせたんだ。国中に触れを出して私の死を真実とした。その結果、内通者をあぶりだし捕らえて処罰したというわけだ」
「なんかよくわかんないけど生きててよかった……」
ではこんなに顔色が悪いのは生死の境を渡り歩いたせいか。
カサついた頬の感触を、確かめるように両手で触れる。
カダは目を閉じて私の手を受け入れた。
「それで、なんで今ここに?」
国王崩御の報せは一ヵ月も前だ。
ぼんやり過ごしていたせいで正確な日数はわからないが、少なくともそれだけの空白期間がある。
内通者を捕まえたというのなら、また王座に戻ればいいのに。
「そのまま死んだことにした方が何かと都合がいいからね。優秀な甥に明け渡した。その方が貴族連中の遺恨も晴れるだろう」
晴れやかな顔で言われて唖然とする。
自分が社会的に死ぬことに対して、何か思うところはないのだろうか。
王座に執着のある人だとは思ってはいないが、それにしたってあっさりしすぎだ。
「未練はないの?」
「あると思うか?」
「思わないけど……にしたって引継ぎ期間短すぎるんじゃ」
「随分前から甥に王座を譲ると考えていたから。準備自体は出来ていたんだ」
「そうなの?」
「さすがに死ぬとは思わなかったけど」
暗殺者のおかげで予定が少し早まったな、とどこか嬉しそうに言う。
「どうして、そんな」
嬉しそうなの。
問うまでもなく答えは出ている気がした。
カダが淡い笑みを見せる。
幸せそうな笑みだった。
「シアしか見えなくなってしまったから。それでは国王失格だろう」
自虐的に言う声はどこか甘ったるい。
幸福が滲んでいて、国王失格という言葉がまるで勲章のようだった。
「……そんな理由で王様を降りていいわけ?」
「なに。私の役割はすでに果たした。適材適所というやつだ。私は維持回復には向いていたけれど発展繁栄に関してはからきしだから」
「甥とやらは適してるの?」
「ああ。考えもつかないような斬新なアイデアをどんどん思いつくんだ。すごいだろう」
自分のことのように誇らしげに言いながら、緩く私を抱きしめる。
信頼できる甥なのだろう。彼が言うのならきっと本当にこの国は大丈夫だ。
「また無茶をしたのね。やつれた顔して」
たぶんこのひどい顔色は死にかけたせいだけじゃない。
がむしゃらに働いて、後を任せる甥のために環境を整えてやったのだろう。
「一刻も早く引き継いでただの男としてシアに会いに来たかったから」
疲れた顔は幸せに満ちていて、本当に嬉しそうに笑うから胸がいっぱいになる。
「他の男を婿にとってたらどうするつもりだったの?」
「その時はその時で考えるさ」
苦笑してカダが言う。
たぶん、それも覚悟の上で「待っていてくれ」とは言わずに私を帰したのだろう。
本当にそうなっていたら、きっと今姿を現さずに去っていたはずだ。
「……維持回復は得意なのね?」
「うん? ああ、そうだな」
ゆっくりと胸元から離れて、カダを見上げる。
きょとんとして首を傾げる様が、泣けてくるほどに愛おしかった。
「それじゃあ、すでにこのめちゃくちゃ繁盛してるうちの店の経営維持に協力してくれる?」
笑いながら言うとカダが目を瞬いたあとで破顔した。
「喜んで」
精一杯のプロポーズは無事に受理されて、喜びのあまり手加減なしにカダに飛びついた。
互いにボロボロの身体ではその勢いを支えきれず、二人そろって地面に転がった。
同時に始まった弱々しい笑い声は、しばらく止むことはなかった。
カダは最初の一発だけは痛そうに頬を押さえながら、私を止めるでもなく困ったように苦笑するばかりだ。
その態度が余計にムカついて、襟首を掴んで壁に押し付ける。
まるでどこぞのチンピラだ。
「……っ、私がっ、どんな気持ちでいたと!」
言った瞬間にまた涙がぼたぼたと落ちていく。
それ以上は言葉にならず、縋るように胸元に顔を押し付けた。
緩く抱きしめられて「すまなかった」と優しい声が頭上に降る。
「だって、殺されたって……」
くぐもった声でようやくそれだけ言う。
カダの手が宥めるように何度も私の背中を撫でた。
それから私が落ち着くのを待って、ゆっくりと身体を離して見つめ合う。
「……実は死んでるってオチ? ひどい顔してる」
「シアも人のことは言えないだろう」
言われて確かにと思う。
お互い様だ。
血の気の失せた顔に落ちくぼんだ目。こけた頬はまともに睡眠も食事もとっていないことが窺えた。
「暗殺者に襲われて殺されかけたのは本当だ。護衛がたまたま不在の時にな。内通者がいるとしか思えない状況だった。たまたま書類を届けに来た部下のおかげでとどめを刺されずに済んだが、瀕死の重傷を負った。だからそのまま死んだことにして暗殺者を泳がせたんだ。国中に触れを出して私の死を真実とした。その結果、内通者をあぶりだし捕らえて処罰したというわけだ」
「なんかよくわかんないけど生きててよかった……」
ではこんなに顔色が悪いのは生死の境を渡り歩いたせいか。
カサついた頬の感触を、確かめるように両手で触れる。
カダは目を閉じて私の手を受け入れた。
「それで、なんで今ここに?」
国王崩御の報せは一ヵ月も前だ。
ぼんやり過ごしていたせいで正確な日数はわからないが、少なくともそれだけの空白期間がある。
内通者を捕まえたというのなら、また王座に戻ればいいのに。
「そのまま死んだことにした方が何かと都合がいいからね。優秀な甥に明け渡した。その方が貴族連中の遺恨も晴れるだろう」
晴れやかな顔で言われて唖然とする。
自分が社会的に死ぬことに対して、何か思うところはないのだろうか。
王座に執着のある人だとは思ってはいないが、それにしたってあっさりしすぎだ。
「未練はないの?」
「あると思うか?」
「思わないけど……にしたって引継ぎ期間短すぎるんじゃ」
「随分前から甥に王座を譲ると考えていたから。準備自体は出来ていたんだ」
「そうなの?」
「さすがに死ぬとは思わなかったけど」
暗殺者のおかげで予定が少し早まったな、とどこか嬉しそうに言う。
「どうして、そんな」
嬉しそうなの。
問うまでもなく答えは出ている気がした。
カダが淡い笑みを見せる。
幸せそうな笑みだった。
「シアしか見えなくなってしまったから。それでは国王失格だろう」
自虐的に言う声はどこか甘ったるい。
幸福が滲んでいて、国王失格という言葉がまるで勲章のようだった。
「……そんな理由で王様を降りていいわけ?」
「なに。私の役割はすでに果たした。適材適所というやつだ。私は維持回復には向いていたけれど発展繁栄に関してはからきしだから」
「甥とやらは適してるの?」
「ああ。考えもつかないような斬新なアイデアをどんどん思いつくんだ。すごいだろう」
自分のことのように誇らしげに言いながら、緩く私を抱きしめる。
信頼できる甥なのだろう。彼が言うのならきっと本当にこの国は大丈夫だ。
「また無茶をしたのね。やつれた顔して」
たぶんこのひどい顔色は死にかけたせいだけじゃない。
がむしゃらに働いて、後を任せる甥のために環境を整えてやったのだろう。
「一刻も早く引き継いでただの男としてシアに会いに来たかったから」
疲れた顔は幸せに満ちていて、本当に嬉しそうに笑うから胸がいっぱいになる。
「他の男を婿にとってたらどうするつもりだったの?」
「その時はその時で考えるさ」
苦笑してカダが言う。
たぶん、それも覚悟の上で「待っていてくれ」とは言わずに私を帰したのだろう。
本当にそうなっていたら、きっと今姿を現さずに去っていたはずだ。
「……維持回復は得意なのね?」
「うん? ああ、そうだな」
ゆっくりと胸元から離れて、カダを見上げる。
きょとんとして首を傾げる様が、泣けてくるほどに愛おしかった。
「それじゃあ、すでにこのめちゃくちゃ繁盛してるうちの店の経営維持に協力してくれる?」
笑いながら言うとカダが目を瞬いたあとで破顔した。
「喜んで」
精一杯のプロポーズは無事に受理されて、喜びのあまり手加減なしにカダに飛びついた。
互いにボロボロの身体ではその勢いを支えきれず、二人そろって地面に転がった。
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