悪役令嬢だけど破滅したくないから神頼みしたら何故か聖女になりました

当麻リコ

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1巻

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   プロローグ


 通い慣れた神殿の、綺麗にみがかれた床の上を静かに歩く。
 祈りの間には、どうやら私しか来ていない。明日から春休みだ。
 学生たちはまっすぐ実家に帰ったのだろう。
 静謐せいひつさを増し、いつもよりもおごそかな雰囲気の中、敬虔けいけんな面持ちで神様の像を見上げる。それから神官長の待ち受ける祭壇の前で、私はしずしずと平伏した。
 ――神様、どうか願いをお聞き入れください。
 ここ数か月ですっかり定着したお祈りの文句を心の中で呟く。
 この世界に、神様は『いることになっている』。けれど神様を見たという人はいない。みんな概念的な存在だと思っていて、教会もそのように教えを説いている。
 でも、神様は概念ではない。本当に実在している。私はそれを知っていた。
 だから祈る。心の底から真剣に。
 私には逃れようのない運命が待ち受けている。
 悪役令嬢としてバッドエンドしか用意されていないこの哀れな私めに、救いの光を、と。
 必死だった。私に残された時間はもうわずかだ。なぜならもうすぐやってくるのだ。攻略対象に、学校の生徒たちに、世界に愛された、ヒロインという名の転入生が。
 お願いします。これでダメなら私の人生もう詰みです。どうか聞き届けてください。血反吐を吐くほどの想いで願う。
 願って、願って、願って。
 いつもよりもさらに熱のこもったお祈りを捧げる。
 ――どうか。神様。

「…………え?」

 最後にそう脳内で唱えた瞬間、突如として私――ライラ・カーティスの全身が強烈な光を放ち始めた。
 私は言葉を失い、ただ目が潰れそうなほどの光の奔流ほんりゅうに身を任せるしか出来なかった。


  ◇◇◇


 私が、前世の全てを思い出したのは五歳の時だった。
 何がきっかけだったかはわからない。とにかく私は、前世は日本という国で一般庶民をしていて、現世ではヴィルミンスターという国に公爵家令嬢ライラ・カーティスとして生まれてきたのだということを理解した。
 そしてこの世界が、前世で私が夢中になっていた乙女ゲームの中の世界だということも同時に理解した。
 そして鏡に映る自分の幼い姿に、強烈な既視感を覚えた。青みがかった黒髪に、切れ長で紫色の目が印象的なきつめの顔立ち。何度も周回したからよく覚えている。それが誰で、どんな役割だったのか。誰が攻略対象かも。ヒロインがいつ登場するのかも。
 ライラ・カーティス、その名前を持つ『悪役令嬢』がどんな悲惨な末路を辿るかも。
 だから私は努力した。努力に努力を重ねて、どうにか破滅ルートから逃れようと苦心した。
 ちなみにゲーム内での破滅の理由は様々だ。ヒロインが誰を攻略するのかによって、私の最期は変わる。
 処刑による死。
 処刑を免れるために逃げた先で事故死。
 塔に幽閉されて発狂。
 牢獄にて餓死。
 亡命途中に魔物に食い殺される。
 いずれも強烈なバッドエンドだ。つまりこのままいけば私に救いはない。
 ほとんどの場合、破滅に至る直接の原因は私からヒロインへの嫌がらせだ。
 だから私は、前世の記憶が復活するまでの我儘わがまま放題な生活態度をすぐに改めた。そして処刑される要因となる事象を、ヒロインと出会う前にことごとく解決へ導くことにした。
 清廉せいれん潔白、公明正大。これらをモットーに掲げて自らを律し、処刑の理由の一端である両親の不正に目を光らせては口を挟んだ。同時に、ヒロインの登場にも動じない強い心を獲得しようと試みた。
 清く正しく生きることによって、破滅のタネを摘み取れると考えたのだ。
 だが結果は惨敗だった。何をどう頑張っても、ゲームスタート時の初期設定からはなぜか逃れられなかったのだ。少しでも隙があれば父は不正に手を染めるし、母は領地の財産を使い込む。せめて攻略対象とヒロインが一堂に会するアレス学院高等部への入学だけは避けたかったのに、それさえも叶わなかった。
 そうして、私はアレス学院高等部の一年生となり、ヒロインが転入してくるまでとうとう一年を切った。だから私は最終的に、神様に頼ることにした。苦しい時の神頼みだ。
 けれどこれは決して現実逃避ではない。
 前世の神様は概念でしかなく、どれだけ祈っても願いが聞き入れられることはなかった。
 だけどここでは違うのだ。この世界に神様は実在する。
 そのことを、ゲームをプレイした私は知っている。
 通常ルートの攻略対象五人全てをそれぞれ攻略したあとでのみ現れる特殊ルート。それが神様との邂逅かいこうだ。ヒロインは誰とも恋愛関係にはならず、やがて聖女となり、神様に見初みそめられたのちに魔物が溢れた世界を救う。
 そのルートだけ、ゲームのシステムが途中から恋愛シミュレーションではなく、簡単なRPG仕様になる変則的なものだったが、私はそのシナリオが一番好きだった。
 ゲームの設定上、ヒロインと神様が出会うのは六周目以降でのプレイだ。ということは、一度きりの人生という現実の前では、ヒロインが神様に関わる確率はゼロと言っていい。
 私の聖域はここにあったのだ。
 そう気づいた途端、目の前がパァッと開けた。
 神様が本当に存在して願いを聞き届けてくれるというのならば、きちんとそのためにお願いすればいいのだ。それからというもの、私は嬉々として神殿に通い、神様に祈りを捧げた。
 どうかどうかヒロインに関わらずに済みますように。どうかどうか攻略対象の誰とも揉めず、平穏な学校生活を送れますように。
 その願いがきちんと聞き入れられたのかは、謎の光に包まれている真っ最中の私には、まだわからなかった。



   第一章 聖女の目覚め


 どれくらいの時間が経っただろう。
 祈りの間を埋め尽くすほどの光はやがて収束し、私の身の内に収まるようにして消えていった。

「こ、これは……」

 自分の手を見て呆然とする私の耳に、甲高い声が聞こえて顔を上げる。
 すると目の前には腰を抜かし蒼褪あおざめる神官長がいて、唇をワナワナと震わせていた。

「ラ、ライラ・カーティス、何か身体に異変はありませんか」
「異変……?」

 かすれた声で問われて首を傾げる。
 今まさに謎の光を発するという異常事態を引き起こしたけれど、具合が悪いとかどこかが痛むとかいうことはない。
 とりあえず立ち上がって自分の身体を検分する。くるりと一回転してみると、アレス学院高等部の制服のスカートがひらりと舞った。

「特には……強いて言うなら、身体中に何か活力がみなぎっているような……?」
「なんと……まさかこんなことが本当に起こるなんて……!」
「何かお心当たりがあるのですか、神官長様」

 神殿通いをするうちに仲良くなった、年若い神官長のあまりの動揺ぶりにさすがに不安になる。

「……よろしいですかライラ・カーティス。あなたの人生はこれから大きく変わることとなるでしょう」
「じ、人生が?」
「ええ。あなたの敬虔けいけんさが神の御心に届いたのでしょう。いつかそうなると私も信じておりました」

 腰が抜けたままなのか、床を這うようにして近付いてきた神官長が私の手をぎゅっと握った。よく見ると感動したように涙ぐんでいる。どうやら鬼気迫る表情で神に願う私の姿は、神官長である彼には敬虔けいけんとみなされていたらしい。

「ええと……もう少し具体的に何がどうなったかを説明していただけると……」
「あなたは神の御許みもとに召し上げられるのです!」
「え! それって生贄とか人身御供ひとみごくうとかそういう⁉」
「違います。神はそんな生臭いモノではありません」

 驚愕する私に神官長がムッとした顔をする。

「単純に神のお世話係となるということです。羨ましい」
「お世話係、ですか」
「ええそうです。まずは神殿長に報告しに行かねば。詳しい話はそこで聞くことになるでしょう」
「もしかして今からですか?」
「もちろんです。このような事態が起きた場合、真っ先に神殿長の元へと命じられていました」
「このような事態って、誰か発光したらってことですか?」

 思わず聞いてしまった。神殿の管理というのは、そんな特殊な事態まで想定されているのか。それとも私が知らないだけで、発光する人間は一定数存在するのだろうか。
 すると神官長は哀れなものを見る目でこちらを見て首を横に振った。

「つい先日、神殿長に神託が下されたのです。まばゆき光在る所に聖女在り、と」
「聖女……ですか」
「聖女ですね」
「……えっ、もしかして私ですか⁉」
「そう申しております」

 相変わらず床にへたり込んだまま、私を見上げて神官長が神妙な顔で頷く。

「さあ神殿長のところへ行きましょう。案内いたします」
「はぁ……」

 展開についていけず、気の抜けた返事をしてしまう。
 一体何が起こっているのだろう。もしかして壮大なドッキリでも仕掛けられているのだろうか。いやでも人一人を光らせるドッキリってどんなだ。

「ところであの、ちょっとよろしいですか」

 混乱でいっぱいいっぱいの私に、神官長が遠慮がちに声をかける。

「な、なんでしょう」
「ちょっと手を貸していただけませんか。ついでに肩も」

 そう言って彼は私に向けて手を伸ばす。どうやら腰が抜けたまま立ち上がれないらしい。仕方なく私よりも背が高い彼を引っ張り起こし、肩を貸してよたよたと歩き出す。
 こうしてなんだかグダグダのまま、私は神殿長に謁見えっけんすることとなったのだった。




 神殿長の執務室に通され、いかめしい顔の御仁と対面する。神官長と違い、神殿長はあまり表舞台に顔を出さないお方なので、滅多にお目に掛かれない。神官長がそばに控えているが、神殿長の顔と取り巻くオーラのようなものが怖すぎて緊張してしまう。

「……その娘が」
「ええ。神託の少女かと」

 じろりと睨まれて身体がすくむ。品定めするような視線が私の頭のてっぺんからつま先まで動いて、今すぐ帰りたい気持ちでいっぱいになる。すると神殿長は私から視線を上げて頷いた。

「なるほど。確かに魔力は十分なようだ。体内の光もかすかではあるが見える」

 魔力? 光? 思わず首を傾げる。私に魔力はないはずだ。生まれた時にそう判定されている。生まれつき魔力を備えていない人間は、どれだけ鍛えようと魔法が身に着くことはないとされているし、実際子供のころ、お遊びで簡単な魔法の練習をしたことがあるが、一切魔法は発動しなかった。
 それに光に関しても疑問だ。さっきは確か、私の体は野球場のナイター照明並みに光り輝いていたが、今はもうその片鱗すらない。それなのに彼には常人には見えない何かが見えているらしい。さすが神殿長様といったところだろうか。
 私が首をひねっていると、神殿長と神官長が頷き合う。

「ではやはり」
「ああ。……ライラ・カーティスと申したか」

 意味深な言葉とともに、神殿長が私を見る。私は慌てて背筋を伸ばした。

「はいっ」
「カーティス公爵家には私から連絡しておく。今日からここで生活するように」
「……はい?」
「ヒューイ。手配を頼む。迅速にな」
「かしこまりました」
「ちょ、ちょっと待ってください、今日からなんですって?」
「大事な職務だ。心して務めるよう」
「職務ってなんですか、私、学校があるんですけど」
「明日からアレス学院も春休みだろう。ちょうどいい。その間に神への奉仕に慣れたまえ。その後なら学校にも通えよう」
「いやあのホント、何がなんだかわからないのですけど」

 なんの説明もなく勝手に私の今後を決められて慌てる。神殿長の口調は断定的でロクに反論も出来なかったが、このまま流されてしまうにはあまりにも情報不足だ。なんとか説明を求めると、神殿長が露骨に面倒そうな顔をしてから、盛大なため息をついた。

「……ヒューイ。説明してやれ」
「はい」

 つい先ほどまで生まれたての小鹿のように足を震わせていたくせに、神殿長を前にかしこまった顔で神官長が頷き、私の方を向いた。ヒューイって名前だったのね、この人。

「ご存知のように神は実体のない存在ですが、神の御座おわすとされる部屋は存在します。あなたにはその部屋の管理と、国の平和のために祈りを捧げてもらうことをお願いしたく」

 さらっと言われて混乱する。そんな重要そうな役割、ただのうのうと生きてきた魔力なしの私がしていいことではないはずだ。

「あの、それって聖女様のお仕事なのでは……?」
「だから貴女あなたがそうだと言っている」
「私、聖女修行なんてしたことありません!」
「知っておる。だが神がそう定めた」

 苦虫を噛み潰したような顔で神殿長が言う。多分、この状況に一番納得していないのは彼なんだろう。そもそも神殿には、大事に大事に育てた聖女候補が何人も在籍しているのだから。
 ――このヴィルミンスター王国には聖女という役目が存在する。ただそれは神に仕えるのとは違い、神殿に暮らし神に魔力のこもった祈りを捧げることで、災害や魔物から国を護ることを生業にする女性のことを指す。
 広大な王国を一人の魔力でまかなうのは難しいため、数人の聖女が力を合わせてようやくこの国を支えていた。聖女と認められれば大変な栄誉だ。一度聖女となれば、莫大な報奨金が約束され、家族ごと地位が保証される。もちろんその育成にたずさわった神殿ももれなく名誉を得ることができる。
 それゆえ、家柄が良く魔力適性の高い者や、貧しくとも生まれつき魔力の素質がある者などを神殿は見つけ出し、聖女候補として育てている。神殿に見いだされた候補生たちは、いつか国王陛下から正式な聖女に任命されることを夢見て教育を受けている。
 そんな名誉ある役目に魔力のない私が――しかも神様自身に選ばれたというのだから、神殿長の不満もよく分かる。

「まったく……なぜこのようなポッと出の小娘が……」

 いやホントそれ。同意しかない。
 聖女になりたい女性は国中に吐いて捨てるほどいる。聖女に選ばれるためには、素質の他に涙ぐましい努力が必要となるのだ。
 確かに私は破滅フラグをへし折るために並々ならぬ努力をしてきたが、その中に聖女修行は含まれていない。聖女として神殿で暮らせば攻略対象たちと関わらずに済んだだろうが、そもそも魔力という一番重要な適性がないので、その方向は考えていなかった。
 神殿に通っていたのはあくまでも神頼みのためで、神様の気まぐれでうっかり運命捻じ曲げてくれないかなというわらにもすがる思いでの最終手段に過ぎない。それがまさかこんな展開になってしまうとは。
 黙り込んだ私と神殿長の間に立ち、神官長がこほんと咳払いをした。

「神の間の存在を知る者はごく一握りです。聖女たちの間でも噂程度にしか知られていません。しかし神の間に召し上げられる聖女は一人のみ。それも常に存在するわけではありません。神にお仕えする聖女が存在する時としない時では、国の安定度合いに大きな差が出ます」
「たった一人……」
「そうです。そしてここ二十年ほど、神の間に召し上げられた聖女は不在でした。おかげで国の周辺には魔物が増え始めています」

 神官長が教えてくれる内容を私はゲームのシナリオとして知っていた。そして二十年ぶりに見出されるべき本当の聖女の存在も。

「神専属の聖女となるには、膨大な魔力が必要となります」

 貴族の私生児。愛人との間に生まれて、正妻の目から隠すために秘密裏に逃がされた女の子。そのせいで神殿の監視網にもかからず、孤児として育てられた不遇の少女。
 それこそが私を破滅へと導く、この世界のヒロインだ。

「ライラ・カーティス。あなたにその膨大な魔力が突如として宿ったのです。神託の通りに」

 なのになぜ私がその聖女に指名されるのか。

「あなたはこの国唯一にして至高の存在となりました。選択の自由などありません。そのことをお忘れなきよう」

 神官長の言葉がずしりと胸にのしかかる。
 運命は大きく捻じ曲がり始めている。私の望んだように。否、それ以上の事態を伴って。
 私という存在が神様の目に留まったということは、この先待ち構えていた悲惨な末路から脱することが出来たということだろうか。そして、その反動として、どうやら私はこれからの人生の選択肢を失ってしまうらしい。破滅フラグ回避の代償は、思っていた以上に大きかったようだ。


 神官長に連れられた先の大きな扉の前で私は立ち尽くし、深くため息をつく。
 ここが私がこれから暮らさねばならない部屋――神の間だ。

「お役目についてはこちらをご覧ください」

 ここまで案内してくれた神官長は、一枚の紙を渡してそう言った。
 恭しい手つきで受け取って、文面に目を通す。
 そこにはこのような内容が書かれていた。


 職務その一.神の間に入って挨拶。
 職務その二.部屋の掃除。
 職務その三.お祈り。


「え、もしかしてこれだけですか?」

 たった数行の文章に困惑する私の手元を神官長が覗き込む。

「……おや、確かに少し足りませんね」

 少しどころではないと思うんだけど。私から紙を取り返して何やら書き足している神官長を見ながら更なる不安がよぎる。

「はいどうぞ」

 にっこりと笑いながら神官長が再び紙を私に差し向けた。

『補足:神殿長同様、神託を受けられるようになっているはずなので、それっぽいのが聞こえたら神託の通りに行動してください』

 足された文章は以上だ。

「いやいやいや、え、まさかこれだけじゃないですよね? もっと詳細説明とかありますよね? 手順とかお祈りの言葉とかホラ。うっかり他のページを置いてきてしまったのですよね?」

 頬を引きらせながら問うと、神官長は妙にゆったりした動作で首を振った。

「残念ながら神様付きの聖女についての記録はほとんど残っていないのです」

 神官長曰く、今まで神の間付きの聖女となった者は全員神の間に関することに口を閉ざし、怯えるような表情で周囲を気にするようになったのだそうだ。明るかった者も暗く沈みがちになり、やがて自ら聖女の座から降りさせてくれと懇願するようになるらしい。
 そこまで聞いた私は思い切り顔をしかめた。

「ホラーじゃないですか」

 そこで神官長はまずいことを言ってしまったと口をつぐんだが、明らかに手遅れだ。
 最後にはせ細って発狂して死んじゃうようなイメージが頭をよぎり、ゾッとする。
 それを聞いて誰が胸に希望を抱いて職務を全うできるというのか。
 神官長に向かって異議を申し立てるように視線を飛ばす。

「まあまあ、大丈夫。神様って言っても実態はないんですってば。こわくないこわくない。じゃ、ファイト!」

 しかし、神官長はやっつけ仕事のようにはげましの言葉を吐いて、逃げるように部屋を去っていった。私はその後ろ姿をじっとりした目で見送る。
 至高の存在とか言って持ち上げておきながら、そんな扱いってあるかしら。もしかして破滅フラグも全然回避出来てないのでは? 既定路線のバッドエンドから脱して、新規のバッドエンドに突入しましたとか笑えない。私が死んだ後の世界で、アップデートでバッドエンド追加しましたなんてことになっていたら洒落にならない。
 いやでも大丈夫、私は神様を知っている。
 思い直してグッと拳を握る。
 恐い神様ではないはずだ。むしろゲームでは優しかった。
 だけど、それって世界に愛されしヒロインちゃん相手だったからという可能性も高いのでは。たかが悪役令嬢ごときにも優しくしてくれるものだろうか。というかそもそもヒロインちゃんに嫌がらせをするような女に、神の御慈悲って与えられるのか。
 いやいやでもこの世界ではまだヒロインちゃんと神様は出会ってないし、二人が出会う確率はほぼないはずだし、私は彼女に嫌がらせなんてしていない。でも、だけど、神様ってものはこの世のすべてをお見通しなのでは。見通した上で私を聖女だなんて言ってこの場に引きずり出したのでは。この先私が引き起こすであろう罪を、断罪するために。
 どんどん悪い方へ思考が傾いていく。だがいつまでもこうしていても仕方ない。躊躇ちゅうちょ躊躇ちゅうちょを重ね、不安になりながらも、ようやくドアノブに手をかける。鍵はなかった。この扉は神託の下った聖女にしか開けられないらしい。ここを開けられるということが即ち神様の聖女であるという証なのだそうだ。
 意を決してノブをひねる。
 果たして、扉はなんの抵抗もなくするりと開いてしまった。


 扉の向こう側の光景に、ぽかんと口が開く。
 部屋はどこもかしこも真っ白で、円筒型をしていた。余計なものはなく、ただただ広い。その広さは異常で、明らかに外から予測できる部屋の容積を超えていた。
 つまりここはたぶん、異空間なのだ。ほらあの、精神と時の部屋的な?
 前世で見たアニメを思い出しつつ結論付ける。
 そのやけに広くて白い空間の真ん中に、ぽつんと天蓋付きのベッドと大きなソファが存在している。なんの飾りもない部屋に、その二つは妙に異質なものとして映った。
 きわめつけはそのソファに寝そべる青年の存在だ。
 銀色の髪はゆるくウェーブして、腰の辺りまで伸びている。涼し気な目元は吊り気味で、目のフチには朱を差したような紋様があった。その堂々たる体躯に、神主装束に似た服をまとっている。洋風の世界なのにもかかわらず、和を感じさせる衣装なのはゲームを作ったのが日本人だからだろうか。それは彼の端正な顔立ちに意外なほどよく似合っていた。
 目鼻立ちは恐ろしいほどに整い、これぞまさに美形だと言わんばかりの主張を感じる。
 ゲームのスチルより実物の方がずっとカッコいいってどういうことだ。
 吸い寄せられるようにふらりと一歩前に出ると、背後で静かに扉が閉まった。
 我に返り、慌ててその場に平伏する。
 まずはなんだっけ。そう、この神様にご挨拶をせねば。

「聖女としてお世話役を務めさせていただくことになりました、ライ……」
「ライラ・カーティスと申すのだろう」

 先回りするように、青年――神様がつまらなそうに言う。
 良く通る声だ。思わず聞き惚れてしまう。ゲームの声優さんとはまた違う、魅力的な美声だった。
 違和感はない。初めて聞く声なのに、むしろこっちの方がよほどしっくりくる。

「……はい。聖女教育を受けておらず、至らぬ点も多いかと思いますが」
「精一杯務めさせていただきますので、か。何の工夫もないつまらぬ口上だ」

 すると再び先んじて言われ、思わず口を閉ざす。


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