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1巻

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   プロローグ


「ミシェル、俺と結婚してくれないか」

 照れたように目を伏せて、ナルシス・クレジオが言う。
 彼の微笑みは完璧で、パーティー会場のライトがまるで舞台のスポットライトのように彼を照らしていた。

「……私でいいの?」

 思いもかけない言葉に驚いて、返事が遅れてしまった。
 だって、彼が私に結婚を申し込むなんて。そんなこと、想像したこともなかったから。
 気のせいか、周囲のざわめきが少し小さくなったように感じる。

「キミがいいんだ。真面目で、おしとやかで、優しいミシェルが。学生の頃からずっと好きだったんだ」
「うそ……そんなに前から……」

 はにかむように言うナルシスに、呆然と呟きをらす。
 彼と同じ学びに通っていたのは十二歳から十六歳までの間だ。
 その間、彼との接点などほとんどなかった。
 ナルシスはいつだって派手な学生たちの輪の中心にいて、私は教室の隅っこでひっそりと勉強をしているタイプだったから。
 多少話すようになったのは、卒業後に社交界デビューをしてからのことだ。夜会で顔を合わせれば、同じ公爵家の人間として、親に連れられ会話に加わることもある。
 けれどそれだって挨拶や領地の情勢、流行や経済なんか表面上の浅い話ばかりで、色気も何もない。
 およそ恋愛に発展する気配など微塵みじんもなかったと言える。

「あ、もしかして信じられない?」
「ごめんなさい、だってそんな素振り、全然なかったから……」

 戸惑いを隠せない私に、ナルシスが頬をかいて苦笑する。
 周囲からチラチラと私たちに視線が向けられている。きっとナルシスのプロポーズが耳に入って、その行方ゆくえを知りたくて聞き耳を立てているのだろう。私はそれが気になって仕方ないというのに、人の注目を集めるのに慣れているナルシスは気にした様子もない。
 たったそれだけのことさえ正反対の私たちなのに、なぜ彼はプロポーズなんて。

「俺たちが馬鹿をやっている時に、キミは静かに微笑んで見守っていてくれただろう。あの優しい眼差しが忘れられないんだ」

 困惑を隠せない私にナルシスは照れたように言って、「ダメかな」と遠慮がちに小首を傾げる。つやのある銀色の髪が、さらりと揺れた。
 その仕草を、少し可愛いなんて思ってしまった。

「だめ、じゃ、ないけど……」

 それでも迷って視線を彷徨さまよわせる。
 我がペルグラン公爵家と、クレジオ公爵家。家同士の釣り合いは取れているし、お互いに適齢期の十八歳。悪い話じゃない。父も母も諸手を挙げて喜んでくれるはずだ。
 だけど、どうしても気になる。

「本当に、私でいいの……?」

 上目遣いにもう一度問う。
 だって学生時代にナルシスがお付き合いをしてきた女性たちを知っている。彼と同じグループにいたのは、派手で積極的な子たちばかりだった。薄化粧に地味な服装ばかりの私とは、まるで正反対の。

「もちろんさ」

 だけどナルシスは私の疑問を一蹴いっしゅうするように、華やかな笑みを浮かべてうなずいた。学生時代、女生徒たちに黄色い歓声を上げさせた、とろけるほどに甘い笑みだ。
 それからそっと私の頬に触れて眩しそうに目を細める。

「自信を持ってくれミシェル。キミは磨けば輝く人なんだよ」

 そんなふうに言われたのは初めてだ。誰の注目も集めないように、息を潜めて生きていたから。
 どう返していいのか分からなくて遠慮がちに微笑む。

「ああほら、照れている表情もすごく可愛い」

 それを恥じらいと取ったのか、ナルシスがうっとりしたように呟いた。

「お願いだミシェル、どうかうなずいておくれ」

 懇願するように眉根を寄せて言うナルシス。それから優雅な動作で私の前にひざまずく。その所作はとてもさまになっていて、まるで舞台俳優のようだった。私たちを見守る令嬢方から、陶酔とうすいしたようなため息がれるのが聞こえる。
 それからナルシスは右手を差し出して、少し口調を変えてこう続けた。

「……俺に恥をかかせる気かい? 優しいキミがそんなことをするわけないよね」

 ギクリと表情が強張る。
 冗談めかして言っているけれど、その目は笑っていなかった。まさか断られるなんて思ってもいないという顔だ。学生時代からずっと彼は自信に満ち溢れていたし、それが許されるほどの確かな人気があった。
 そんな彼が、教室の隅でひっそり生きてきた女に断られるはずがない。ましてや大人しくて勉強だけが取り柄の、色恋沙汰なんて無縁だったミシェル・ぺルグランが、あのナルシス・クレジオにここまでされて落ちないわけがない。
 誰もがそう思っているだろう。ナルシス本人でさえ。
 ごくりと息を呑んで、周囲を見回す。
 大公家主催の夜会に招かれた上級貴族たちが、パーティーに興じるフリをしつつ固唾かたずをのんで私たちの動向を見守っている。
 これは公開プロポーズという名の見世物みせものだ。
 初めから私に断る選択肢など用意されていない。
 だけどそう、たとえこれが二人きりの時に言われた言葉でも。
 私はきっと、断ったりはしなかった。

「……ええ、喜んで」

 かすかな笑みを浮かべて、差し出されたナルシスの手を取る。
 その瞬間、ナルシスの表情がパッと輝きを増した。

「ああ、ミシェル! 愛しているよ!」

 嬉しそうに言って、私の手の甲に口付ける。
 その瞬間、会場内の音楽が華やかで明るいものに変わった。私たちを見ていた誰かが、楽隊に合図を送ったのだろう。顔見知りの貴族たちがわるわる寄ってきて、口々に祝福の言葉を述べていく。
 こうして私は、ナルシスの婚約者としての一歩を踏み出したのだった。


   ◇◇◇


 十二歳で貴族の子女が集う国立学園に入学して、卒業するまでの四年間。
 私は地味で目立たない優等生だった。
 それまでは自領の屋敷の外に出ることもなく、箱入り娘として育ってきた。だから初めて家族以外、しかも同年代の子たちと交流ができることに胸を躍らせていた。
 けれど、そんな私に父は言った。
『学園ではしとやかに振る舞いなさい』と。
 元来勝気で、言いたいことを言わずにはいられない性格の私を、父なりにおもんぱかっての言葉だったのだろう。この国では控えめで貞淑な女性が好まれるから。
 結婚こそ女性の幸せとされているこの国で、嫁の貰い手がないというのは悲惨だ。だから良家の令嬢は皆そのように教育される。
 うちは大らかな教育方針だったから、家庭教師は淑女教育を指導してくれたけれど、強制されるほどではなかった。そういうものもあるのね、程度のものだ。
 そのせいで伸び伸びと育ってしまった私を見て、父は危機感を覚えたのだろう。
 実際、入学当初から家族と同じように同級生たちに接していたら、遠巻きにされていたかもしれない。同年代の女の子たちは皆私よりもずっと落ち着いていて、大人びていたから。
 多少の理不尽さを感じながらも父の言いつけを守った結果、白い目で見られずに済んだことを今は心から感謝している。
 だけど、入学まで『淑女の振る舞い』を重要視していなかったため、どうするのが正解なのかよく分からなかった。何をしても間違ってしまいそうで、言いたいことを言えないのだ。
 それでも少しでもおしとやかに見えるよう、私なりに可能な限り教師には礼儀正しく振る舞った。愚か者に見えるといけないからと勉強を頑張った。
 その結果が『地味で目立たない優等生』だ。
 新しいことを学ぶのは楽しいから苦にはならなかったけれど、試験の範囲以上のことを質問するのは控えた。出しゃばりだと思われそうだから。
 教師の言い分が間違っていると感じても、反抗的な態度を取ったり、言い返したりというのは当然封印した。生意気そうに見えるから。
 授業中の発言を控え、休み時間はクラスの中心人物との関わりを徹底的に避けた。少しでも目立つと色々質問されるから。
 聞かれたら答えたくなる。答えたら私からも聞きたくなる。教えてもらったらもっと知りたくなるだろう。そうなったらきっと、勝気な部分が露呈してしまう。
 淑女が尊重されるこの国では、私の男勝りな性格は致命的だ。
 主張をグッと堪えているうちに、私は無事目立たない生徒として認識されるようになった。
 かといって、正しく淑女然としている女生徒たちにも近寄りがたい。私の「淑女」はあくまでも偽物であって、彼女たちのように芯から気品があるわけでも温和なわけでもない。すぐに嘘を見破られるのではないかと恐れて、深い関係は築けなかった。
 そのせいで友人らしい友人もできないまま、誰に対しても表面だけ取り繕って、上滑りしていたように思う。
 勉強しか興味ありません、みたいな顔で、誰からも嫌われないように本当の自分を押し殺していた。
 それが正しいのだと信じて。
 ところがナルシスたちのようないわゆる「一軍」と目される男子生徒たちと一緒にいるのは、明るく派手な女生徒ばかりだった。彼女たちは自分の主張を当然のごとく行い、男子生徒の肩や腕に躊躇ちゅうちょなく触れ、大声で笑い、時に感情的に涙を流す。
 淑女とは正反対の彼女たちを見て、最初のうちは「あんなけでは嫁の貰い手がなくなってしまう」と余計な心配をした。
 なのに彼女たちは男子生徒たちと親しげで、当然のように笑い合う。そして私や正しく淑女である他の女生徒たちを嘲笑うのだ。
 きちんと教育されてきた高位貴族の子女の中には眉をひそめる人もいた。けれど社交界ではともかく、学園内での力関係はナルシスたち「一軍」の方が上だったように思う。
 なぜ彼女たちはああも奔放ほんぽうに振る舞えるのだろう。なぜ目立つ男子はああいう女子を好むのだろう。
 モヤモヤしたものを抱えながら、それでも自分をさらけ出すのが怖くて私は彼女たちのことを遠巻きに眺めていた。だけどたぶん、それは羨望に似た気持ちだったのだと思う。
 彼女たちが男子生徒に受け入れられているように見えるのは、女性としてではなく友人としてなのだと自分に言い聞かせながら。
 だからナルシスにプロポーズされた時、私は戸惑うのと同時に「やっぱり自分は正しかったのだ」と、そう思った。
 そして同時に「勝った」とも思った。
 そこには確かにおごった気持ちがあったのだ。


 だからそう、きっとこれは罰なのだろう。
 浅ましいことを考えてしまった、私への。


   ◇◇◇


 ――なるほど、こういうことだったのね。


 妙に冷静な頭でそんなことを思う。
 あの夜会での公開プロポーズから、一年が経っていた。正式な婚約者としてナルシスの屋敷に通い、クレジオ公爵家の領地のことや女主人としての心得などを学び、結婚まで後少しという時のことだった。

「ミシェル!? なぜお前がここに!?」

 ドアが開いたことにようやく気づいたナルシスが、慌てたように飛び起きた。

「きゃー! いや! 見ないでよ‼ あっち行ってちょうだい!!」

 半裸の女性が金切り声で悲鳴を上げるのを、冷めた目で見る。

「なぜって、『父上に呼び出された』と席を外したはずのあなたを、クレジオ公が捜しに来たからだけど」

 お義父様が呼ばれたのではないのですかと聞き返した私に、クレジオ公は「呼び出した覚えはないが」と首を傾げた。
 だから私も不思議に思いながらも捜しに来たのだ。
 けれどそんなことより、私の方こそこの状況を説明してほしかった。

「ところで、なぜ、リンダ・ガルニエ様がここに?」

 目の前の光景を見たら、聞くまでもないのだけれど。

「なぜって、それは、その……」

 しどろもどろになりながらナルシスが視線をあちこちに彷徨さまよわせる。
 ナルシスの部屋の、ナルシスのベッドの上。
 裸の男女が一組。
 正確には、全裸ではなかったけれど。一応、彼らの口から事実を確認しておく必要がある。

「ふん……バレちゃしょうがないな。ミシェル、お前が思っている通りだ」

 落ち着きを取り戻したのか、言い訳のしようがないと悟って開き直ったのか。
 ナルシスが乱れた前髪をかきあげながら言う。
 それから彼は、シーツだけを身にまとったリンダの裸の肩を抱き寄せた。

「彼女こそが俺の最愛の人だ。分かるだろう」

 後ろめたいことなど何ひとつないみたいな、強気な態度でナルシスが言う。
 隠す気のない言葉にリンダが嬉しそうに頬を染め、うっとりとナルシスを見上げた。

「……ごめんなさいねぇ、ミシェル。あなたに恨みはないのだけど、私たち、ずぅっと前から愛し合っているの」

 それからナルシスに寄り添い、勝ち誇った顔で美しい笑みを浮かべるリンダ・ガルニエ。


 ガルニエ公爵家の嫡子で、正式な跡継ぎとして定められた大輪の薔薇のような女性。いつだって自信に満ち溢れ、地味で冴えない私を教室の中央から見下すように笑っていた彼女。
 なるほど、ともう一度思う。

「……つまり、跡継ぎ同士では結婚できないから、私をお飾りの妻にするつもりなのね」

 震える声で言う。
 兄のいる私とは違って、長子であるナルシスとリンダには家を継ぐ責務がある。だから、おそらくそういうことなのだろう。
 俯いて感情を堪えるので精一杯だった。

「察しがいいじゃないか。さすがガリ勉女だな」
「ぷっ、悪いわよナルシス。優秀だから、パッとしない彼女でもあなたとの婚約を認められたのでしょう?」

 きっと学生時代から陰でそう呼ばれていたのだろう。
 確かにそう称されても仕方のない生き方をしていた。

「最初から私は、あなたに愛されていたわけではなかったのね……」
「はっ、誰がお前のようなつまらない女を本気で好きになどなるか」

 声だけでなく肩まで震え出したのを見て、ナルシスが鼻で笑った。

「あなたみたいな冴えない女にナルシスはもったいないわ」

 同調するようにリンダが言って、二人で私を嘲笑う。
 たぶん、結婚してからも今日みたいに領主の仕事を私に押し付けて、リンダと密会する気だったのだろう。この舐め切った態度を見るに、もしかしたらいずれは私に二人の関係を認めさせるつもりさえあったのではと疑ってしまう。「一軍」の彼らからすれば、「教室の隅」の私なんて強く言えば簡単に従う弱者に見えただろうから。
 どこまで人を馬鹿にするのだろう。
 だけど、言質げんちは取れた。充分な自白をもらって、ふうっと深く息を吐く。
 それから真っ直ぐに顔を上げて二人を見据えた。

「そうね。私もあなたみたいな低能とは合わないと思っていたところ」

 にっこり笑って言う。
 地味で真面目な私が言い返すなんて思わなかったのだろう。二人は目を見開いて言葉を失った。その顔、最高ね。
 でも、ダメ。
 まだこれで終わりじゃない。
 開けっ放しのドアに手を掛けたまま、一歩下がって廊下に視線を向ける。

「お義父様……いえ、クレジオ公。お聞きになりましたでしょうか?」
「なんだと!? 父上がおられるのか!?」
「嘘でしょ!? だまされないわ!」

 その言葉に、ナルシス達が色めき立つ。

「……ああ。しかと聞いたよ、ミシェル」

 地をうような声と共にクレジオ公が廊下から室内へ足を踏み入れる。
 ナルシスは口を閉じることができないようだった。

「ちがっ、これは、ちちうえ、そのっ」

 面白いくらいに私に対する態度とは違う。アワアワと必死で言い訳をしようとするのが、哀れで無様だ。滑稽な姿に失笑しそうになる。

「馬鹿息子が取り返しのつかないことをしてしまった。処罰を含め、全て君の望むようにすると約束しよう」

 沈痛な表情でクレジオ公が言う。
 息子の非道な行いを叱るより先に、私の心情に寄り添おうとしてくれる。そんな彼を私は心から尊敬していた。
 ナルシスの妻になることより、彼の義娘になれることの方が嬉しいくらいだったのに。

「ありがとうございます。では速やかに婚約の破棄と妥当な慰謝料の支払いを。それから破棄に至った原因をおおやけに。たとえばその――」

 ゆっくりとクレジオ公からナルシスたちへ視線を戻す。

「幼児プレイを目撃してしまった私がショックで寝込んだ、なんてことを、特に詳細に」

 わざわざ作らせたのか、ナルシスの胸元には大きめのヨダレ掛けが装着されている。それに大人サイズの布おむつまで。ご丁寧なことに、ベッドの端には赤子をあやすための音の出るおもちゃもある。私がこの部屋のドアを開けた時、ナルシスは幼児言葉を見事に操りながらリンダの胸に吸い付いていたのだ。
 そのせいでさっきから笑いを堪えるのが大変だった。
 だってその格好のまま、決め顔で愛だのなんだのと言っていたのだから。

「なっ、ミシェル、貴様ふざけるなよ!」

 ナルシスが頬を朱に染めながら、カッとした顔で叫ぶ。

「ふざけているのはお前たちだ!!」

 すかさずクレジオ公の一喝が室内に響き渡った。
「ひゃんっ」と情けない声を上げて首をすくめるナルシスがますます滑稽に見えて、勘弁してほしいと思いながらも咄嗟とっさに口許を手で覆う。

「……もちろんクレジオ公爵家の名誉を損うのは本意ではありませんので、その辺は伏せていただいても結構です」
「構わん。全て嘘いつわりなく明かそう」

 怒りのせいか、クレジオ公の拳は震えている。感情の向かう先を決めかねているのか、顔色が赤くなったり青くなったりと忙しい。

「よろしいのですか?」

 自分で言っておいてなんだが、もし私の言う通りにした場合、ナルシスは嫡男としての立場を間違いなく失うことになる。社交界でスキャンダルはご法度はっとなのだ。

「……ああ。もうアレはいらん。君が支えてくれてようやくどうにかなったはずだったのだ。優秀な次男に家督を譲るいい口実ができた」
「父上そんな! ご冗談でしょう!?」

 クレジオ公の言葉に、アレ呼ばわりされたナルシスが悲鳴のような声を上げる。

「冗談でこんなことを言うと思うのか。どこまで人生を舐め切っているのだ貴様は。貴族の義務も果たさず金を使うばかりの貴様に、帰る家はないと思え」
「お義父様……」

 クレジオ公がこんなに激しい感情を見せるのは初めてだ。胸が痛む。婚約して以来私に対する態度が雑になったナルシスとは違い、彼はずっと私に優しかった。

「先ほどは感情に任せてあんなことを申しましたが、彼の方に原因がある、と明言していただくだけでも構いません」

 だから、ついつい同情的になってしまう。

「そこまで言ってくれるのか。本当に、辛い思いをさせてしまってすまないな……」

 自分の方こそ辛そうな表情でクレジオ公が言う。
 ロクに勉強もせず遊びほうけてばかりのナルシスに、手を焼いているのだと苦笑交じりにおっしゃったことがある。君には期待している、しょうもない息子だが支えてやってくれと、まだ十八の娘に丁寧に頼んでこられた時には面食らってしまったっけ。

「……父には悪いようにしないでほしいと伝えます」
「必要ない、と見栄を張りたいところだが……助かるよ、ありがとう」

 そう言って苦笑する様は痛々しい。
 わずか数分の間にドッと老け込んでしまったように見える。

「もちろん、ナルシスの廃嫡を条件に私からも許しをいに行くつもりだ」
「嫌だ! 嘘です父上! リンダとのことはただの遊びで、愛しているのはミシェルだけなんです!」
「はぁ!? 結婚したらミシェルの部屋でヤろうって言ってたくせに!」
「うるさい黙ってろ! 俺の将来がかかってるんだぞ!?」

 ぎゃあぎゃあとののしり合う姿は醜悪しゅうあくだ。いまさら取り繕ったところで許す女がいると、本気で思っているのだろうか。
 ありえない。
 すでに用意されているらしい私の部屋は、主を迎えることなく空き部屋に戻ることだろう。

みにくい争いは後になさいませ」

 なかばうんざりしながら、強い口調で二人の言い争いに割り込む。二人は血走った目で私を睨みつけた。
 だけどちっとも怖くない。今この場で、立場的に一番強いのは私なのだ。

「ああそうですわ、リンダ。ナルシスが廃嫡になるなら、あなたと結婚できるのではなくて?」

 パチンと両手を打って提案してみる。我ながらなんていい考えなのだろう。
 最愛の恋人同士だというのなら、廃嫡の苦難を乗り越えてでも一緒になりたいはずだ。リンダはガルニエ家の跡取りなのだから、地位を失うことはない。むしろ愛する人の窮状を救えて、よりきずなが深まるのではないだろうか。

「む、むりよ……」


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