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悲嘆にくれる間もなく、婚約披露パーティーに向けての準備と聖女としての仕事を淡々とこなし一ヶ月が過ぎた。

「とうとうこの日が来たわね、ナディア」
「……ええ、そうね」

嬉しそうにナディアの着替えを手伝うロザリンドに曖昧な笑みを返す。

いつも忙しく宮廷内で働く彼女も、今日ばかりは主人の晴れ舞台ということで綺麗なドレスを着ていた。
それは浮かない顔をしているナディアよりよほど美しく輝いて見えて、いっそうナディアの心は沈んでいく。

彼女はナディアの婚約を純粋に喜んでくれている。
ならばせめて彼女の前では明るい顔でいよう。

そう、思っていた。

「その婚約、お待ちください!」

ナディアが聖女だと明かされた瞬間、ロザリンドがそう叫ぶまでは。

それは有力な貴族が大勢集まる大広間で唐突に始まった。

「彼女は偽物です! 本当の聖女は私なんです……!」

目に涙を溜めて陛下に訴えるロザリンドに、ナディアは激しく混乱して呆然と立ち尽くすことしかできない。

彼女は一体何を言っているのだろう。
さっきまであんなに親切にしてくれたのに。

「子供のころからずっと彼女に利用されてきました。今だって本当は恐ろしいです……けれど、このまま殿下が騙されて結婚させられるのを見過ごすことはできません……!」

震えながら訴える彼女は誰の目から見ても哀れで健気で、美しい。
まるでどんな表情が人の心を打つのか知り尽くした、悲劇を演じるオペラ歌手のように。

対するナディアは激しい動悸に荒い呼吸を繰り返すばかりだった。

違う、私は偽物なんかじゃない。ロザリンドは嘘をついている。

そう言いたいのに、彼女の裏切りに対するショックが強すぎて、ナディアはガタガタと震えることしかできなかった。

「ふむ……そなたが本物の聖女であるという証拠はあるのか」

疑わしい表情の陛下が、それでもロザリンドの話に耳を貸そうとする。

そうだ、証拠。
そんなの、提示できるわけがない。

落ち着きを取り戻しかけたナディアの前で、ロザリンドが震える手で花瓶の花を一輪取った。

そして歌いだす。
ナディアが教え、小さい時から一緒に歌ってきた、精霊の歌を。

聖女でなくても、魔力のあるものが精霊の歌を正しく歌えば、わずかだが効果がある。
姉妹同然に育ってきたロザリンドはそれを知っていた。

ロザリンドだけがそれを知っていた。

「おお……本物だ……!」

まだつぼみだったその花が歌に合わせてゆっくり開くのを見て、どよめきが起こる。

ナディアにとっては当然のことでも、人から見ればそれは珍しいことなのだともう理解していた。
そしてそれが『奇跡』と呼ばれていることも。

聖女は人前で歌うことを禁じられている。
そして祈りの間に入れるのは本来ならば聖女のみだ。
けれどナディアの我儘で、ロザリンドだけが入室を許された。

そのロザリンドが、衆目の中で見事に花を咲かせた。

それが彼らの目にどう映ったか。
考えるまでもない。

偽物のナディアが、本物のロザリンドに祈らせるためだ。

「そんな……ロージー、どうして……」

やっとのことでそれだけ口にしたナディアに、ロザリンドが大袈裟なほど身体を震わせた。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ぶたないで!」

涙を流しながらロザリンドがギリアンに縋りつく。

「貴様、聖女を騙るだけでは飽き足らず、本物の聖女に狼藉を働くつもりか!」

義憤に駆られたのか、ギリアンがナディアから守るようにロザリンドを背中に庇ってそう叫んだ。

「そんなっ、私はただ、ロージーと話がしたいだけです!」
「ふざけるな! 今すぐ聖女の前から失せろ!」

まるで清らかな乙女を守る騎士のような勇ましさだ。
ナディアの前でそんな素振りを見せたことなど一度もないのに。

きっとロザリンドの美しい涙に心を奪われたのだろう。

「婚約は無効だ。王族を謀る極悪人め。ただで済むと思うなよ」

嗜虐的な笑みを浮かべて言うギリアンの背後で、ロザリンドが涙を流したまま、ナディアにだけ見えるように唇を笑みの形に吊り上げた。

姉のように慕い、心から信頼していたロザリンド。
そう思っていたのは、ナディアだけだったのだ。

今この場で歌えば疑いは晴れるのかもしれない。

分かってはいても、ナディアにはその気力が湧いてこなかった。

居並ぶ貴族たちに嘘つきと罵られ、国王から婚約破棄と追放を言い渡されても、それは変わらない。
唯一信頼する人間に裏切られたナディアにはもう、自己弁護をする力も残されていなかった。

「殿下が不要なのであれば、私が彼女を貰い受けても?」

罵倒を受けるまま茫然と立ち尽くしていると、凛とした声が聞こえてナディアはノロノロと顔を上げた。

ざわめきがひときわ大きくなって、会場にいた貴族たちの視線が一斉に集中する。

そこには正装姿のイーライが立っていた。
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