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「今日は歌わないの?」
その日の聖女の役目を終えて、部屋でぼんやりしていたナディアに声がかかる。
ノロノロと顔を上げると、窓の外に心配そうな顔をしたイーライが立っていた。
「なにか嫌なことでもあった? 暗い顔してる」
即座に言い当てられて、一瞬泣きそうになる。
この国で、ナディアの気持ちを理解してくれる人なんて存在しないと思っていたから。
結婚なんてしたくない。
けれどそんなこと、打ち明けていい相手ではない。
イーライは貴族学校に通う青年で、いずれ国王となるギリアンの臣下になる人なのだから。
「まさか。逆よ。なんと私、王子様と結婚することになったの」
だから笑顔で告げる。
できるだけ幸せに見えるように。
すごいじゃないか。
もしかしてその歌で殿下の心を掴んだの?
そんな言葉をくれると思って待ってみたが、イーライは何も言わない。
いつものどこか飄々とした笑みはなく、感情が抜け落ちたような顔だった。
「……君はそれで幸せ?」
少し掠れた声で尋ねられて、ナディアの唇が震える。
「っ、もちろん」
一拍置いて、なんとか笑顔のまま答えることができた。
王族に逆らうことなんて許されない。
ましてやただの孤児が。
だから受け入れるしかない。
嫌々だなんて、思うことすら罪なのだ。
「だって王子様との結婚よ? 女の子なら誰だって夢見てる」
涙を堪えて笑う。
ロザリンドだってうっとりした顔で言っていた。
だからきっとそれが当然のことなのだ。
ナディアが少しもそれを望んでいなかったとしても。
「とてもそうは見えないけど」
「そんなことっ、……」
イーライに再び本心を言い当てられて、思わず俯いてしまう。
それ以上なにも言えなくなって、それがそのままナディアの答えだった。
「――一緒に逃げようか」
少しの沈黙のあと、いつもと変わらないトーンで言われて思わず顔を上げる。
きっと冗談を言ってる。
そう思って笑おうとしたのに、イーライは真剣な表情をしていた。
そんな顔を見たのは初めてだった。
まさか、と思う。
だけどその瞳には確かな熱があって、イーライも自分と同じ気持ちでいてくれたことを知ってしまった。
嬉しいと思ったのは一瞬だった。
貴族のエリート校に通うイーライには、約束された未来がある。
王子の婚約者を連れて逃げるなんて、その先には破滅しか待ち受けていない。
ナディアの答えは決まっていた。
「そんなこと、できるわけない」
したくない、とは言えなかった。
ナディアも本心ではそれを望んでいたから。
涙を堪えて笑おうとしたけれど、痛みに耐えるような顔になっていたかもしれない。
ナディアにはもう自分がどんな顔をしているのか分からなかった。
「……そっか。そりゃそうだよね」
苦しみを堪えるような表情のあと、イーライは自嘲の笑みを浮かべた。
「ごめん、馬鹿なこと言った」
うつむき小さく呟いたあと、ナディアの顔を見ることもなく、そのままするすると木を下りて行ってしまった。
その日以降、イーライが窓の外に姿を現すことはなくなった。
その日の聖女の役目を終えて、部屋でぼんやりしていたナディアに声がかかる。
ノロノロと顔を上げると、窓の外に心配そうな顔をしたイーライが立っていた。
「なにか嫌なことでもあった? 暗い顔してる」
即座に言い当てられて、一瞬泣きそうになる。
この国で、ナディアの気持ちを理解してくれる人なんて存在しないと思っていたから。
結婚なんてしたくない。
けれどそんなこと、打ち明けていい相手ではない。
イーライは貴族学校に通う青年で、いずれ国王となるギリアンの臣下になる人なのだから。
「まさか。逆よ。なんと私、王子様と結婚することになったの」
だから笑顔で告げる。
できるだけ幸せに見えるように。
すごいじゃないか。
もしかしてその歌で殿下の心を掴んだの?
そんな言葉をくれると思って待ってみたが、イーライは何も言わない。
いつものどこか飄々とした笑みはなく、感情が抜け落ちたような顔だった。
「……君はそれで幸せ?」
少し掠れた声で尋ねられて、ナディアの唇が震える。
「っ、もちろん」
一拍置いて、なんとか笑顔のまま答えることができた。
王族に逆らうことなんて許されない。
ましてやただの孤児が。
だから受け入れるしかない。
嫌々だなんて、思うことすら罪なのだ。
「だって王子様との結婚よ? 女の子なら誰だって夢見てる」
涙を堪えて笑う。
ロザリンドだってうっとりした顔で言っていた。
だからきっとそれが当然のことなのだ。
ナディアが少しもそれを望んでいなかったとしても。
「とてもそうは見えないけど」
「そんなことっ、……」
イーライに再び本心を言い当てられて、思わず俯いてしまう。
それ以上なにも言えなくなって、それがそのままナディアの答えだった。
「――一緒に逃げようか」
少しの沈黙のあと、いつもと変わらないトーンで言われて思わず顔を上げる。
きっと冗談を言ってる。
そう思って笑おうとしたのに、イーライは真剣な表情をしていた。
そんな顔を見たのは初めてだった。
まさか、と思う。
だけどその瞳には確かな熱があって、イーライも自分と同じ気持ちでいてくれたことを知ってしまった。
嬉しいと思ったのは一瞬だった。
貴族のエリート校に通うイーライには、約束された未来がある。
王子の婚約者を連れて逃げるなんて、その先には破滅しか待ち受けていない。
ナディアの答えは決まっていた。
「そんなこと、できるわけない」
したくない、とは言えなかった。
ナディアも本心ではそれを望んでいたから。
涙を堪えて笑おうとしたけれど、痛みに耐えるような顔になっていたかもしれない。
ナディアにはもう自分がどんな顔をしているのか分からなかった。
「……そっか。そりゃそうだよね」
苦しみを堪えるような表情のあと、イーライは自嘲の笑みを浮かべた。
「ごめん、馬鹿なこと言った」
うつむき小さく呟いたあと、ナディアの顔を見ることもなく、そのままするすると木を下りて行ってしまった。
その日以降、イーライが窓の外に姿を現すことはなくなった。
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