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14.ストーカーその2
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次期領主の妻としての教育は、不安になるくらいに緩やかなものだった。
義両親は引退なんてまだまだ先のことだし、のんびりとした性格をしていることもあって急ぐ気はないらしい。
もともと侯爵家の娘としての教養はあるから、問題ないでしょうという判断もあると思われる。
かと思えば、義母についてお茶会に参加すればバリバリ女性同士の社交に精を出す姿を見られるので、一緒にいるだけでもとても勉強になる。
基本は背中を見て学び、気が向いたら座学をなんとなく、といったスタイルなのかもしれない。
おかげさまで食後の優雅なお茶の時間はゆったりと楽しく、嫁いでから二ヶ月にして私はライケンス家の家族にすっかり馴染んでいた。
だというのに私たちの間には未だに夫婦生活というものが発生していない。
のんびりしたところはエドガーもしっかりと受け継いでいるようで、私がその気になるまで待つと言ってくれているのだ。
それに誤解とは言え、同性愛者が異性と閨を共にするハードルの高さを思いやってくれる心遣いは嬉しい。
社交界デビュー以来、あらゆるいざこざに巻き込まれて色恋沙汰に夢も希望もなくなっていた私としては、婚約を決めた時点でとっくに覚悟はできていた。
けれどそんなふうにはっきりと私の意志を尊重されてしまうと、なんとなく「いつでもオッケー」とは言いづらい雰囲気になってしまっていた。
エドガーが思っていた以上に良い人だったことも関係していると思う。
彼の言う通り、家族としての絆が確かなものになっていくのが嬉しいのだ。
それをそういう義務感や即物的なものに壊されたくない。そんな気がしていた。
明日のお茶会の招待客リストを見ながら廊下を早足で歩く。
街屋敷にしては大きなこのお屋敷も、もうすっかり間取りを把握していて別のことを考えながらでも部屋を間違えることはない。
「ねぇエドガー、明日のお茶会にいらっしゃる方についてなのだけど……」
けれどうっかりしていて、ノックを忘れてエドガーの部屋を開けてしまった。
前触れなく声を掛けると、彼の肩がびくりと跳ねた。
「っ、やあシェリル。突然で驚いた」
なんてことない声と仕草で振り向いたエドガーが、私に視線を据えて完璧な笑みを浮かべる。
「ごめんなさい考え事をしていて……ところで今さりげなく隠したものを見せてくださいますね?」
そんな顔をするときは私に隠し事がある時だ。主に女性からのあれこれで。
机の前に座っていたから事務作業でもしていたのかと思ったのに、広げていた紙をすっと封筒にしまったのはとても怪しい。
「うちの奥さんは美しいだけじゃなくて恐ろしい人だったみたいだ」
ため息交じりにエドガーがおどけて言う。
「あなたは分かりやすすぎるのよ」
「誤魔化されてくれないのは母と君だけ」
観念したように隠したものを差し出して、「中身は読んじゃダメだよ」と私に念を押す。
封筒には綺麗な文字で宛名と署名が書かれていた。
「ミランダ・スノウ……スノウ伯爵家の御令嬢ね。何度かお会いしたことが」
「手紙だけだよ。害はない」
降参のポーズで苦笑するエドガーに疑惑に視線を向ける。
確かに彼女は私に露骨な敵意を向けるでもないし、エドガーにあからさまにすり寄っていったりもしない。
理性的で落ち着いた女性だし、何より既婚者だったからてっきりエドガーには興味がないと思っていた。
妻となって二ヶ月の間に、彼に強い執着を持つ女性をかなり把握できたと思っていたけれど、まだ甘かったようだ。
「いつからですの?」
「うん?」
笑顔で優しく問うと、エドガーもまた笑顔で可愛らしく小首を傾げた。
「怒らないから白状なさいませ」
「やあ、険しい表情も美しいねシェリル」
もう怒ってるじゃないかとでも言いたげにエドガーが苦笑しながら言う。
あのカフェの一件以来、迷惑行為を行ってきた女性の名は教えてくれると約束したはずだ。
ただ、どうやら私に危害を及ばさなそうな、秘するタイプの女性については隠す傾向にあるらしい。
今回もそのタイプなのだろう。
「実は……結婚前から」
「もしかして、毎日愛を伝えてくるというあの?」
「よく覚えているな」
「衝撃的でしたもの」
手紙を返しながら眉根を寄せる。
よく見れば封筒の隅に小さな文字で三桁の番号が振ってあった。きっと送り続けた手紙の通し番号だろう。
その数字になんとなく執念のようなものを感じてゾッとする。
「……まさか毎日きっちり読んで差し上げているの?」
「まさか」
軽い調子で言われて少しだけホッとする。
「時間がある時にきた分をまとめて読んでいるだけ」
「結局は全部読んでるってことじゃない! ……っと」
呆れと驚きで声が大きくなってしまい、慌てて口元を手で押さえる。
「失礼いたしました……でも、やはりその量は異常です。ご負担なのでは?」
「だってどんな手紙でも、時間と手間を使って書いてくれたものだ。返事も必要ないと本人が言っていたし」
読むだけなのだし大した手間ではないと彼は笑う。
だけどエドガーは少し疲れた顔をしていて、明らかに疲弊している。
それなのに彼は未来の侯爵家当主として、どんな人でも紳士的に振る舞うことが体に染みついていて、どうしても女性をむげに扱うことができないらしい。
だったら今度も私がどうにかするしかないではないか。
スカーディナ家にばかり有利な結婚をしてもらったのだし、それくらいは役立ちたかった。
胸にあるチリチリとした焦燥感のようなものは、きっとそういうことなのだろう。
義両親は引退なんてまだまだ先のことだし、のんびりとした性格をしていることもあって急ぐ気はないらしい。
もともと侯爵家の娘としての教養はあるから、問題ないでしょうという判断もあると思われる。
かと思えば、義母についてお茶会に参加すればバリバリ女性同士の社交に精を出す姿を見られるので、一緒にいるだけでもとても勉強になる。
基本は背中を見て学び、気が向いたら座学をなんとなく、といったスタイルなのかもしれない。
おかげさまで食後の優雅なお茶の時間はゆったりと楽しく、嫁いでから二ヶ月にして私はライケンス家の家族にすっかり馴染んでいた。
だというのに私たちの間には未だに夫婦生活というものが発生していない。
のんびりしたところはエドガーもしっかりと受け継いでいるようで、私がその気になるまで待つと言ってくれているのだ。
それに誤解とは言え、同性愛者が異性と閨を共にするハードルの高さを思いやってくれる心遣いは嬉しい。
社交界デビュー以来、あらゆるいざこざに巻き込まれて色恋沙汰に夢も希望もなくなっていた私としては、婚約を決めた時点でとっくに覚悟はできていた。
けれどそんなふうにはっきりと私の意志を尊重されてしまうと、なんとなく「いつでもオッケー」とは言いづらい雰囲気になってしまっていた。
エドガーが思っていた以上に良い人だったことも関係していると思う。
彼の言う通り、家族としての絆が確かなものになっていくのが嬉しいのだ。
それをそういう義務感や即物的なものに壊されたくない。そんな気がしていた。
明日のお茶会の招待客リストを見ながら廊下を早足で歩く。
街屋敷にしては大きなこのお屋敷も、もうすっかり間取りを把握していて別のことを考えながらでも部屋を間違えることはない。
「ねぇエドガー、明日のお茶会にいらっしゃる方についてなのだけど……」
けれどうっかりしていて、ノックを忘れてエドガーの部屋を開けてしまった。
前触れなく声を掛けると、彼の肩がびくりと跳ねた。
「っ、やあシェリル。突然で驚いた」
なんてことない声と仕草で振り向いたエドガーが、私に視線を据えて完璧な笑みを浮かべる。
「ごめんなさい考え事をしていて……ところで今さりげなく隠したものを見せてくださいますね?」
そんな顔をするときは私に隠し事がある時だ。主に女性からのあれこれで。
机の前に座っていたから事務作業でもしていたのかと思ったのに、広げていた紙をすっと封筒にしまったのはとても怪しい。
「うちの奥さんは美しいだけじゃなくて恐ろしい人だったみたいだ」
ため息交じりにエドガーがおどけて言う。
「あなたは分かりやすすぎるのよ」
「誤魔化されてくれないのは母と君だけ」
観念したように隠したものを差し出して、「中身は読んじゃダメだよ」と私に念を押す。
封筒には綺麗な文字で宛名と署名が書かれていた。
「ミランダ・スノウ……スノウ伯爵家の御令嬢ね。何度かお会いしたことが」
「手紙だけだよ。害はない」
降参のポーズで苦笑するエドガーに疑惑に視線を向ける。
確かに彼女は私に露骨な敵意を向けるでもないし、エドガーにあからさまにすり寄っていったりもしない。
理性的で落ち着いた女性だし、何より既婚者だったからてっきりエドガーには興味がないと思っていた。
妻となって二ヶ月の間に、彼に強い執着を持つ女性をかなり把握できたと思っていたけれど、まだ甘かったようだ。
「いつからですの?」
「うん?」
笑顔で優しく問うと、エドガーもまた笑顔で可愛らしく小首を傾げた。
「怒らないから白状なさいませ」
「やあ、険しい表情も美しいねシェリル」
もう怒ってるじゃないかとでも言いたげにエドガーが苦笑しながら言う。
あのカフェの一件以来、迷惑行為を行ってきた女性の名は教えてくれると約束したはずだ。
ただ、どうやら私に危害を及ばさなそうな、秘するタイプの女性については隠す傾向にあるらしい。
今回もそのタイプなのだろう。
「実は……結婚前から」
「もしかして、毎日愛を伝えてくるというあの?」
「よく覚えているな」
「衝撃的でしたもの」
手紙を返しながら眉根を寄せる。
よく見れば封筒の隅に小さな文字で三桁の番号が振ってあった。きっと送り続けた手紙の通し番号だろう。
その数字になんとなく執念のようなものを感じてゾッとする。
「……まさか毎日きっちり読んで差し上げているの?」
「まさか」
軽い調子で言われて少しだけホッとする。
「時間がある時にきた分をまとめて読んでいるだけ」
「結局は全部読んでるってことじゃない! ……っと」
呆れと驚きで声が大きくなってしまい、慌てて口元を手で押さえる。
「失礼いたしました……でも、やはりその量は異常です。ご負担なのでは?」
「だってどんな手紙でも、時間と手間を使って書いてくれたものだ。返事も必要ないと本人が言っていたし」
読むだけなのだし大した手間ではないと彼は笑う。
だけどエドガーは少し疲れた顔をしていて、明らかに疲弊している。
それなのに彼は未来の侯爵家当主として、どんな人でも紳士的に振る舞うことが体に染みついていて、どうしても女性をむげに扱うことができないらしい。
だったら今度も私がどうにかするしかないではないか。
スカーディナ家にばかり有利な結婚をしてもらったのだし、それくらいは役立ちたかった。
胸にあるチリチリとした焦燥感のようなものは、きっとそういうことなのだろう。
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