上 下
12 / 35

12.救出

しおりを挟む
「おや、シェリル様お一人ですか」

店から出てきた私に気付き、マイクが不思議そうに片眉を上げる。

「ええマイク。ちょっと問題があって。一緒に来てくれる?」
「構いませんが、一体どちらに……ってあれ!?」

困惑気味のマイクが、カフェの中を窓ガラス越しに見て目を丸くした。

「あの女いつの間に……!」
「知っているの?」

今まさにエドガーの席に歩み寄ろうとする女性を見て、マイクが険しい顔になる。

「もちろんです……変装してやがったのか。変な知恵つけやがって」

嫌そうに顔をしかめながら、普段なら使わないような言葉遣いでマイクがブツブツと言う。
エドガー付の従者だから、彼の行く先々で出没するという彼女のことを知っているのも当然か。

納得しながら、マイクに軽く現状を説明しつつカフェ向かいの宝石店へと入る。

「彼女はどういう方なの?」
「どこぞの伯爵家のお嬢さんです。ご自分がエドガー様の運命の女だとかって、偶然を装ってあちこち現れるんですよ。ネチャッとした薄ら笑いが気持ち悪くて」

失礼なことを言って、マイクがぶるりと身震いをする。
どんなお客さまにも礼を欠くことのない彼にしてはとても珍しい態度だ。

「あまりに鬱陶しいので、先に気付いてさりげなく撒いてたから僕敵認定されたみたいで。エドガー様のいないところで『殺すわよ下民が』ってめちゃくちゃ低い声で脅されました」

マイクはうんざりしたように言って、宝石店の窓越しにカフェにいる二人を観察する。

「どっ、どうしましょう、そんな方と二人きりにして大丈夫かしら。やはり残るべきだった?」
「いえ、たぶん大丈夫です。エドガー様の前では清楚ぶってるので。シェリル様は逃げて正解です。エドガー様と仲のいい女性にえげつない嫌がらせをするんで有名でしたから」

「こっわぁ……」

それを聞いて、思わずマイクの身震いが移ったようにゾクリと震えてしまった。

「結婚してからは見なかったから、さすがに諦めたと思ったのに」

マイクがぼやく。

確かに結婚してから一ヵ月が経つが、彼女を見たのは初めてだ。夜会でも昼間の社交の場でも、挨拶をした覚えはない。嫌がらせをする機会ならいくらでもあったはずだ。

「……結婚相手について調べ回っていた、とか……?」
「うわやりそうです。僕の時から学んで、シェリル様に顔を覚えられないようにコソコソしてたのかも」
「それで私たち夫婦が上手くいっていないと確信して、勝機ありと見たのかしら」

もし愛のない夫婦を演じていなかったらどうなっていたことか。考えるだけでゾッとする。

「ポジティブが過ぎますね。どう見ても迷惑がられてるのに」

ちゃっかり私が座っていた席に腰を下ろした女性が、幸せそうな微笑みを浮かべてしきりにエドガーに話しかけている。
正面に座るエドガーは、困ったように眉尻を下げたまま相槌と頷きだけで対応していた。

内容は聞こえないが明らかに会話は一方的で、コミュニケーションが取れているとは思えない。
彼女はきっと、優しいエドガーが強く出られないのを知っていて、自分が満足するまで話をやめないつもりだろう。

彼も楽しんでいるのならまだしも、どう見てもそうではない。
興味のない相手からの一方的な会話がどれほど苦痛か、よく知っていた。だからできることならばあの状況からエドガーを抜け出させてあげたい。

「……ねぇマイク、申し訳ないのだけどカフェに戻ってエドガーに『お財布がないと買えないわ』と伝えてきてくれる?」

考えながらマイクに言う。

エドガーは私一人だと危険だと言ってくれたけれど、道端ならともかくここは上位貴族御用達の高級店だ。警備もしっかりしているし、過去に問題を起こしているようなおかしな人間は容赦なく出入り禁止にされる。

今も店内には、上品な紳士がきっと奥方に贈るのであろうネックレスをじっくり吟味しているのみだ。

「ここの支払でしたら僕が十分に預かっていますが」
「そういうことじゃなくて」

不思議そうに頭を傾げるマイクに首を振る。

「ああ! そういうことですか!」

すぐに私からの助け舟だと気づいたマイクが、パッと顔を輝かせた。

「目一杯嫌味っぽく言ってちょうだいね」
「あははっ、承知いたしました」
「およそ男性に好かれる要素のなさそうな傲慢な女性っぽくよ?」
「委細よろしくてよ」

念を押すように言うと、しゃなりとしなを作ってマイクが頷く。
高飛車で感じの悪さがよく出ていて、思わず笑ってしまった。

「いいわ素敵! そんな感じでお願いね」

このノリの良さでよくエドガーとふざけ合っているのをよく目撃する。
マイクといる時のエドガーはいつもより少しだけ幼く見えると思っていたけれど、たぶん今の私も傍から見ればそうなのだろう。

「では行ってまいります!」

マイクも楽しそうに笑って、勢いよくお店を飛び出していく。

カーテンに隠れながらじっと様子を見守っていると、マイクが二人の会話に強引に割って入っていくのが見えた。

つい先程までとろけるような笑みを浮かべていた女性が、憎悪に満ちた目でマイクを睨む。
その変わりようがあまりに恐ろしくて、やっぱりホラーじゃないかと少し泣きそうになる。

エドガーはホッとしたように表情を緩め、ぺこりと彼女に会釈をして立ち上がった。

連れ立ってカフェを出る主従を切なそうに見送った彼女が、不意にギラリとした視線をこちらに向けて慌てて窓辺から身を隠す。

心臓がバクバクと激しい音を立てている。
どんなホラー小説を読むよりも恐ろしかった。


「いや気が利かなくてすまない。で、どれを買いたいんだい?」

解放された喜びからか、私を見つけるなり朗らかに言うエドガーの声に腰が抜けそうになる。

「……どれも不要でしてよ」

安心感に脱力した笑みを浮かべると、意図に気付いたのかエドガーが嬉しそうに破顔した。

「なんだ、そういうことだったのか」

それから少しがっかりした顔で肩を竦める。

「無欲な君にとうとう欲しいものができたのかと思って、挨拶もそこそこに急いで出てきてしまった」
「ごめんなさい、困っているようだったから」

もしかしたら余計なことをしてしまっただろうか。
今更な不安を、けれどエドガーはすぐに笑顔で吹き飛ばしてくれた。

「うん、ありがとう、シェリル。本当に助かったよ」

その眩しいほどの表情に、心臓がさっきとは別の音を立て始める。

「どう、いたしまして……」

それがどういう意味のものなのか、自分ではまだわからなかった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈 
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください

LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。 伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。 真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。 (他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…) (1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)

貧乏伯爵令嬢は従姉に代わって公爵令嬢として結婚します。

しゃーりん
恋愛
貧乏伯爵令嬢ソレーユは伯父であるタフレット公爵の温情により、公爵家から学園に通っていた。 ソレーユは結婚を諦めて王宮で侍女になるために学園を卒業することは必須であった。 同い年の従姉であるローザリンデは、王宮で侍女になるよりも公爵家に嫁ぐ自分の侍女になればいいと嫌がらせのように侍女の仕事を与えようとする。 しかし、家族や人前では従妹に優しい令嬢を演じているため、横暴なことはしてこなかった。 だが、侍女になるつもりのソレーユに王太子の側妃になる話が上がったことを知ったローザリンデは自分よりも上の立場になるソレーユが許せなくて。 立場を入れ替えようと画策したローザリンデよりソレーユの方が幸せになるお話です。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

処理中です...