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1巻

1-2

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 ニーアのことだ、絶対に気遣いや優しさなんかではないはずだ。きっと初めて華やかな場に出されて戸惑う私を想像して楽しんでいるのだ。それに、場違いな私が惨めな思いをするのを期待している。
 ニーアの考えることなんて簡単に分かった。父と母だけがニーアの無邪気な演技に騙されて、いつまでも夢中で可愛がっていられるのだ。

「……ニーアの体調はまだ戻らないのですか」
「お前と違って繊細な娘だからな。屋敷に一人残していくのは心配だが、どうしても外せない夜会だ。可哀想だが仕方ない。メイドたちに手厚く看護するよう言っておいた」

 本当にひどい扱いの差だ。わざわざ見せつけてくれなくていいのに。
 私が病気でせっている間、ニーアと三人で旅行に行ってしまった人のセリフとは思えない。

「お父様たちだけで行かれればよろしいのでは?」
「可愛い妹の気遣いをにする気か。まったくどこで育て間違ったんだ……優しさの欠片もないやつめ」

 育て方ならスタートの時点から間違っている。
 こんなにあからさまな贔屓ひいきがなければ、私も妹もこんなに歪んだ性格にならなかっただろう。

「それに今日の夜会は若い世代のお披露目会でもあるからな。お前程度でもいないよりはマシだ」

 私程度と言うが、ブラクストン侯爵家を継ぐのは私なのだ。本来なら妹よりも私を連れて行くのが正しいことなのに。妹可愛さに狂ってしまった両親は、それさえも分からなくなってしまっているようだ。

「……わかりました。では支度をして参ります。ただ、私はパーティに出席できるようなドレスを持っていないのですが」
「昨日のニーアの話を聞いていなかったのか。ドレスを譲ると言われただろう。新しい仕立屋に頼んだせいでニーアに似合わぬ失敗作だが、お前になら充分だろう」

 嘲笑うように言って、ようやく父がドアを閉めて廊下を引き返していく。その表情はニーアにそっくりだった。
 結局、父は扉の前から動くことなく言いたいことだけ言って去ってしまった。私の部屋には、入ることすらしたくなかったらしい。
 一人ぽつんと残されて、私は深く深くため息をつくことしかできなかった。


 大きな鏡台の前に座らされ、慣れない状況に背筋を伸ばして固まる。

「ユリアお嬢様、眉間にシワを寄せないでくださいまし」
「は、はい!」
「ユリアお嬢様、肩が上がっていますわ。力を抜いてくださいな」
「はい!」

 私の周りで、馴染みのメイドたちが忙しなく手を動かしては何度も注意を促してくる。
 父は初め、私に敵意を持っているメイドをつけようとした。けれど彼女たち三人がそこに割り込んで立候補してくれたのだという。
 数多くいるメイドたちの中で、彼女たちだけが変わらずに私に好意的で、今回のメイクアップやドレスアップを進んで引き受けてくれたのだ。

「ねぇアニー、このイヤリング、私には少し派手すぎない?」
「確かにお嬢様は清楚なのがお似合いですけどね。全部清楚にしたら男に舐められます」
「そ、そうなの?」
「チョロいって思われたら負けですよぉ。ただでさえユリア様、経験値ゼロなんですから」
「そ、そうね」

 ごくりと喉を鳴らして居住まいを正す。二人の言うことはもっともだ。鏡に映る私は確かに自信のなさそうな顔をしていて、ジェマの言う「チョロい」女そのものだった。

「アニー、ジェマ。あんたたち脅すようなこと言わないの。お嬢様、あまり気負わないでくださいね」
「ありがとうハンナ。恥をかくようなことだけはしないように気をつけるわ」

 励ますように言ってくれるハンナにうなずきを返す。その間も彼女たちの手は動き続け、私のメイクは順調に完成に近付いていく。

「でも、イヤリングは確かにこれくらい攻撃的なほうがいいです。チャラい男への牽制になりますので」
「……私にはよく分からないので、あなたたちにお任せするわね」

 着飾ることの塩梅がまったく分からなくてお手上げだ。
 テキパキと髪を結いあげメイクを施していく彼女たちは確かに有能で、完成のビジョンがすでにあるのか迷いはない。

「はぁ~、それにしてもようやくユリア様を飾り立てることができて感無量です……! ドレスも良くお似合いで!」
「これ、ニーアが気に入らなかったみたい。私は結構好きな色なんだけど」

 すでに着せられたドレスの裾に視線をやりながら言う。まるで星のきらめく夜空のようなデザインだ。とても綺麗だと思うけれど、ニーアがいつも好んで作らせるような派手さではないから、彼女の琴線には触れなかったのだろう。

「そりゃそうですよ! こんな上品な濃紺、あの下品な金髪には似合いません」
「ちょっとアニー、いくらなんでも言いすぎよ」
「いいじゃないちょっとくらい。ハンナは真面目すぎなのよ」
「でもぉ、確かにこのドレスだとニーア様のお肌と髪の色には合わないですよねぇ」

 ジェマがおっとり言って、アニーとハンナが同意する。

「くすんで見えるわよね」
「老けて見えるわ」

 容赦なく言って、後はもうニーアになど興味はないとばかりに私を褒め称えてくれる。
 ニーアは美しい母譲りの明るいブロンドに血色のいい肌の色をしている。
 対する私は父譲りのアッシュグレーに、外に出ないせいか不健康な青白い肌だ。
 生まれた時から天使のようで、両親が妹ばかりをかわいがるのはよく理解できた。だからニーアのブロンドを下品だと言い捨てる人がいるのは衝撃だった。
 彼女たちはいつも無条件で私を褒めてくれる。優しい人たちだ。家の中で家族扱いされない私を不憫に思ってくれているのだろう。自分たちの仕事もある中で私が孤立しないよう気遣ってくれて、いつも申し訳なく思いつつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
 いくら着飾っても、両親に愛されないのは分かっている。元が違うのだから、どんなに頑張ってもニーアのようにはなれないだろう。
 だけど彼女たちが精一杯頑張ってくれている。
 ならばせめて今日くらい、私だけは私を愛してあげよう。
 そう決めて、鏡の中の自分から目を逸らさずにまっすぐ前を見続けた。


「……お綺麗です、お嬢様」

 うっとりとハンナが言って、姿見に映った私に見惚れている。その頬は紅潮していて、とても社交辞令やお世辞には聞こえなかった。
 気恥ずかしかったけれど、アニーもジェマも潤んだ目で何度もうなずくから、否定するのは悪い気がして「ありがとう」と言って微笑んだ。
 胸の辺りは少し苦しかったけれど、コルセットやドレスのデザインのおかげか、鏡に映る私はスタイルがとても良く見える。父は失敗作のドレスと言っていたが、とてもそんなふうには思えない。こんな私でも、立派な淑女に見えるから不思議だ。
 いつもは外に出ることもないので、ノーメイクにロクに手入れもされない髪、それに目立たないよう地味な服というのが常だった。ずっと座りっぱなしで書類仕事をしているからと、楽な格好ばかりだったのだ。そもそも手持ちの服自体少なかったので、選択肢さえなかったのだけど。
 こんなに着飾ったのは生まれて初めてで、恥ずかしさが勝ってなかなか直視することができない。けれどハンナたちがあまりにも手放しで褒めてくれるので、素直に嬉しかった。
 彼女たちの言うように、このドレスはニーアよりも私に合っている気がする。彼女たちがこんなに頑張ってくれたのだ、今日くらいは自惚れてもいいだろう。そのドレスの色は確かに私の髪や肌の色によく馴染んで、冴えない顔を引き立ててくれていた。
 いつもニーアが好んで着るのはもっと明るいピンクやオレンジばかりだったから、もし今回もそうなら大事故だった。あんな明るい色は絶対に私には似合わないのだから。
 彼が望むからそろそろ大人っぽい格好をしようと思うのよね、と少し前に言っていたような気がするから、その影響だろう。ニーアの彼氏という存在に、生まれて初めて感謝したい気持ちだった。

「アニー、ジェマ、ハンナ。本当にありがとう。みんなのおかげで胸を張ってパーティーに出席できるわ。遅めの社交界デビューになってしまったけど、恥をかかないように頑張って来るわね」
「恥をかかないどころか注目の的まちがいなしですよ!」
「うふふありがとう。そんなこと言ってくれるのはあなたたちだけよ」
「もう! 全然分かってないんですから!」

 アニーが地団駄を踏むように言って、ハンナが諦めたような顔でアニーの肩を叩いた。
 いつも私の扱いに不満を訴えてくれる彼女たちだから、初めて華やかな場に出る私が気後れしないで済むように励ましてくれているのだろう。

「ユリアお嬢様は世界一お綺麗ですよぉ。少なくとも私たちの中ではそれは絶対です」
「……ありがとうジェマ。みんな大好きよ」

 少し泣きそうになりながらジェマたちを抱きしめる。
 せっかく時間をかけてメイクをしてくれたのだから、それを崩さないように耐えるのに必死だった。
 それからハンナたちに送り出されて両親の元へ行く。
 けれど二人はちらりと私を見ただけで、すぐに興味をなくしたように目を逸らしてため息をついた。

「まったく大した素材でもないくせに待たせおって……」
「いいじゃないですかあなた。一生に一度のことで浮かれているんでしょう」

 彼らの蔑むような言葉に、あんなに褒めてもらえて嬉しかった気持ちがあっという間に萎んでいく。

「ニーアに感謝することだな。ドレスのおかげで多少マシに見える」
「ドレスだけがまともに見えるのではなくて?」

 ほほほ、と笑う母に、父が「それもそうか」と腹を抱えてゲラゲラと笑った。
 悔しかったけれど、反論することもできずにうつむく。
 褒めてくれるなんて期待したわけではないけれど、少しくらいは何か言ってもらえると思ってしまった自分が情けなかった。

「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした……」

 あんなに褒めてもらって、少しは前向きに代役を楽しむ気持ちになれていたというのに、二人を前にするとどうしてもしゅくしてしまう。
 もう反論できる歳なのに、幼い頃の愛されたかった記憶が邪魔をするのだ。

「さぁ行こう。ニーアのいない穴を埋めることは無理でも、まともな受け答えくらいはするんだぞ」
「はい……」

 ソファから立ち上がりながら釘を刺すように言う父にうなずく。
 さっきまでの楽しい気持ちはすっかりなくなってしまっていた。

「せいぜい若い男に媚を売っておけ。陰気な姉がいると知れればニーアの価値まで下がるかもしれんからな」
「足を引っ張らないでちょうだいね」

 私を見もせずに玄関に向かう両親の後にひっそりつき、惨めな気持ちのまま馬車に乗り込んだ。


 遅ればせながらの社交界デビューは、想像以上のものだった。
 王宮主催のダンスパーティーの、目も眩むような煌びやかさに圧倒されてしまう。

「何をボサッとしている。みっともないからキビキビ歩け」

 冷たい口調にハッとして、つい止まってしまった足をなんとか動かし両親についていく。彼らはこれ見よがしにため息をついて、場に馴染めないでキョロキョロしてしまう私を最上の娯楽とでもいうように嘲笑った。

「まったく。田舎者丸出しで恥ずかしい」
「女としてはすでにとうが立っているというのに、自覚がないのかしら」

 責めるように言われたって、社交の場での振る舞いさえ教えずに急遽こんな大舞台に立たせたのは父だ。せめて一週間の猶予があれば、自分で調べて最低限の身の振り方を学ぶ努力だってできたのに。
 それに、どうせ結婚相手は親が決めるのだからと、社交界デビュー自体させてくれなかったのは母だ。私のドレスやメイク道具にお金をかけたくないのは分かっていたけれど、妹には何十着もドレスを与え、流行の変遷と共にメイク道具を一新するその贔屓ひいきぶりを何年も見続けるのは辛かった。
 女としてもう価値がないのだとしても、一生縁がないと思っていた華やかなパーティーに密かに心を躍らせることくらい、させてくれてもいいのに。

「ああ嫌だ。あの子のドレスを着せてもらったからって、それであの子と同じようになれたなんて図々しい勘違いをしないでちょうだいね」

 それでもハンナたちが懸命に仕立ててくれた淑女の顔を崩したくなくて、うつむくのを堪える私に母が追い打ちをかける。

「……分かっています」

 ぎゅっと拳を握り締めてぎこちなく笑う。私がニーアみたいになれないことなんてとっくの昔に思い知っている。だからこれまで一度もでしゃばらずにいたのだ。

「ふんっ、辛気臭い娘だ」

 ニーアのように明るい笑顔を作れない私に、父が苦り切った顔で言う。母が同意するように肩をすくめた。
 私は逃げ出したい気持ちになりながら、結局は一歩も動けずに沈黙した。

「やあブラクストン卿。今日はニーア様はご一緒ではないのですか?」

 ふいに陽気な声がかかる。父の表情が一変して、私の背後へ快活な笑みと共に片手を上げた。

「これはどうもハンプシャー卿。実はニーアは風邪を引いてしまいましてな」
「それは残念だ。可憐なお嬢さんに、ぜひともうちのぼんくら息子を紹介したかったのに」

 ハンプシャー卿と呼ばれた、父と同年代の男性の隣にいた青年がぺこりとお辞儀をする。整った容姿に爽やかな笑顔。きっとニーアがこの場にいたら目を輝かせていたことだろう。

「はっはっはご謙遜を。ご子息の活躍は聞き及んでいますよ。いやしかしそうでしたか、まだうちの娘と顔を合わせたことはなかったですな」

 にこやかな笑みを浮かべた青年が父と握手を交わす。慣れた動作だ。ニーアと面識はなくても、社交界が初めてというわけではなさそうだった。

「お噂はかねがね。さぞ美しいご令嬢なのでしょうね」
「いやいや。親の欲目を差し引いてもなかなかではないかな」
「まあ、あなたったら」

 臆面もなく言い放つ父に母が否定するでもなくコロコロと笑う。それだけニーアを愛していて自慢に思っているということだろう。

「僕はそちらの美しいお嬢さんがニーア様かと思ったのですが」

 ハンプシャー家令息が、人好きのする笑みで私に水を向ける。同時に視線が集まり、思わず身体が強張った。
 彼は父たちの連れである私に気を遣って、お世辞を言ってくれたのだろう。優しそうな人だから、冴えない顔で黙っている私を哀れに思ったのかもしれない。
 だけどそれは両親の機嫌を損ねるには十分だった。

「ははは。お気遣いどうも」
「いえ、気遣いなどでは……」

 笑顔を浮かべながらも声のトーンが一段下がった父に、青年が戸惑ったような顔をする。

「確かニーア様にはお姉上がいらっしゃいましたか。社交界に顔を見せないのを不思議に思っていましたが、なるほど。これほど美しくては隠しておきたくなる卿のお気持ちも分かる」

 その微妙な空気の変化に気付かなかったのか、ハンプシャー卿がかったつな笑い声を上げた。

「いやいやまさか。皆様にお見せするのも恥ずかしいような娘でして」

 白々しく笑いながら父が言う。謙遜などではなく本気で言っているのはすぐに分かった。

「なにをおっしゃいますやら」
「本当ですのよ。ニーアと違って礼儀作法も身に付かず、暗い顔ばかり。社交界に相応しくないと持て余しておりましたの」

 お恥ずかしいことですわ、と母が笑う。彼女の手に掛かれば、あっという間に私は無能でセンスのない愚か者に仕立て上げられてしまう。

「しかし、そんな無教養な女性にはとても……失礼ですが、お名前をお伺いしても?」

 青年が気遣わしげに問うてくる。私はそれに答えていいのかも分からずに、ちらりと父の顔色を窺った。父は笑顔を貼り付けながらも、不機嫌な色を滲ませているのがよく分かる。
 媚を売れと言ったのは父なのに、私に注目が集まるのは面白くないのだ。けれどそんな矛盾を突く勇気もなく、私は何も言えなくなってとうとううつむいてしまった。
 結局はこうして両親のご機嫌取りばかりして、判断を委ねてしまう自分も大嫌いだった。

「……ああ失礼、先に名乗るべきでしたね。僕はディアン・ハンプシャー。よろしく」

 沈黙を自分のせいだと思ったらしいディアンが、気分を害したふうでもなく名乗って微笑んだ。
 いたたまれなくなって、これ以上失礼な態度を取ってしまう前にもう一度父を見る。彼は面白くなさそうな顔で「早くお答えしなさい」と私を急かした。

「……ユリア・ブラクストンと申します。お会いできて光栄です」

 父の態度は納得いかなかったけれど、これ以上彼に気を遣わせるのが嫌で、控えめに微笑みながら答える。すると彼は嬉しそうに表情を緩めた。

「ユリア様とおっしゃるのですか。美しいお名前ですね。あなたのその楚々とした笑顔にぴったりだ」

 女性を褒めるのに慣れているのだろう。ディアンは恥じらうこともなくまっすぐに私を見てそう言った。

「もしよろしければ、僕と一曲踊っていただけませんか」
「えっ!?」

 唐突な申し出に素っ頓狂な声を上げてしまう。それがおかしかったのか、ディアンが破顔した。自分のみっともなさに頬が熱くなる。

「それがダンスも下手くそで」
「ニーアならどんな曲でも完璧に踊れるのですが」

 その不様さを嘲笑うように、父と母がここぞとばかりに私を馬鹿にする。そうして彼らは私への社交辞令さえニーアへの麗句に変えてしまう。私が褒められること自体が許せないのだろう。

「なんだ、そんなこと。それでは僕がレッスンして差し上げますよ」

 けれどディアンにそんな空気は伝わらなかったのか、こともなげに右手を差し出し笑顔で言う。

「いえ、そんな図々しいことは」
「なぁに、そう心配召されるな。うちの息子はダンスだけは得意でね」
「だけだなんて。ひどいなぁ父上は」

 仲の良い親子なのだろう。貶すような言葉にさえ愛情を感じて羨ましくなる。うちとは正反対だ。

「何をしている。ディアン殿の手を早く取りなさい」
「……では、お言葉に甘えて」

 結局両親はディアンとハンプシャー卿の提案をにもできず、忌々しげな顔で私がダンスホールへと連れ出されるのを見送ることとなった。

「初めてのお相手が僕では力不足でしょうが」

 親の視界から外れたのに私がいつまでも不安な顔をしていたせいだろう、苦笑しながらディアンが言う。

「いいえそんなこと! 私のほうこそ気を遣わせてしまい申し訳ありません」
「気を遣う? なぜそう思われたのですか?」
「壁の花にならないようにしてくださったのでしょう?」

 ハンプシャー卿と父はそれなりに交流が深そうだった。その娘が恥をかかないように、彼は気を利かせてくれたに違いない。

「あなたが壁の花!? まさか!」

 ディアンが驚いたように目を丸くする。

「ありえない。あなたはご自分を知らなすぎる」

 断言するように言いながら、ディアンが綺麗な姿勢でポーズをとる。反射的に私もホールドを組んだ。
 同時に、今まで流れていた音楽が終わって、次の曲が流れ始めた。

「予告しましょう。このダンスを終えた後、あなたへの誘いは途切れることがないと」

 ディアンに合わせてステップを踏み始めると、緊張をほぐすためにか、彼が笑いながら冗談を言う。

「それこそありえない話だと思いますわ」

 それに苦笑して返す。何度かこういった場に顔を出して知り合いを増やしてからならともかく、知人もおらず、両親から進んで紹介されるわけでもない初参加の地味な女が、誰かの目に留まる理由はない。

「なんだ、お上手じゃないですか」
「ありがとうございます。こうした場で踊るのは初めてなので、少し恥ずかしいです」

 とても褒められるようなステップではなかったけれど、若い男女のひしめき合うダンスホールではこれくらいでも悪目立ちせずに済んでいる。本当に、最低限のダンスだ。誰かと踊った経験はもちろんないし、人に習ったこともない。けれど窓から見えるニーアの練習風景に憧れて、漏れ聞こえる音楽で自己流で練習したのだ。見様見真似のシャドーダンスは虚しかったけれど、この場で大恥をかくことにならずに済んで良かった。
 ディアンは話しやすい人で、ダンスの間も会話が途切れることはなかった。しきりに話題を振ってくれるのをありがたく思いながらも、男性との会話スキルのない私にはうなずきを返すだけで精いっぱいだった。
 ふと、この地味な人生の中で唯一楽しいと思えた男性との会話を思い出す。
 内容は領地の運営についてだったから、今みたいに華やかなものでは全然なかったけれど。
 ひどく味気ないものだったな、と今更気付いて忍び笑いが漏れる。

「ダンスも楽しいものでしょう?」
「……ええ、本当に」

 ダンスに対してではなかったけれど、別のことを考えていたなんて失礼なことも言えずにうなずく。会場に入ってから初めて出た自然な笑顔は、パーティーとはまったく関係ないものだったのがおかしくてまた笑う。
 ディアンは満足そうに微笑み、最後まで完璧なエスコートでダンスをリードしてくれた。
 曲が終わってもディアンの手は離れずに、しばし見つめ合う。
 女性から手を離すのがマナーだろうか。どうしていいかも分からずにじっとしていると、ディアンが目を細めた。

「……本当に、美しい方だ」
「え?」
「もちろん見た目だけではありません。こんなに艶やかなのにおごったところもなく、表情は可憐で、不思議な魅力がある。大人びていると思えば時々少女のようで、目が離せない」

 次々と並べられる美辞麗句に戸惑う。どちらの親もいないところで、こんなに褒めてくれるメリットがよく分からないのだ。先程の会話から予想するに、たぶんこの方はハンプシャー家の嫡男だ。私相手に婿入りを狙っているわけでもないだろう。

「ええと、あの」
「あなたさえ良ければ、この後僕と」
「やあディアン。ずいぶんと楽しそうに踊っていたじゃないか」


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