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《2》

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仮面は二つ目の家を開けた。薄いイエローに塗られた壁の中は、新築のように綺麗だった。前に誰か住んでいたのかは知らないが、見たところ指紋一つついていない。
薄いベージュの家具が揃っているので、女性用の部屋にも見える。
振り返ると仮面はにこやかに笑いながら、入るように促した。
「ここに住んでもいいのか?」
「ええ、最低限は手助けしますが、それ以外はご自分で稼いだ分で支払って下さい」
「そこは普通なんだな」
「ええ、贅沢と優しさは違いますから」
「まぁいいや。ここ使わせてもらうよ」
本当ならあの雨の中で野宿になるかもしれなかったんだ。そこに比べれば天国のような場所だ。何が起きたかは分からないが、俺は運が良い。
「では少し準備がありますので、ここでお待ち下さい。用意ができたら呼びに来ます」
「あっ……」
「なにかありましたか?」
「えっとお前、いやあんたの名前は? 仮面の奴がいっぱいいるから、誰か分からなくなるだろ」
仮面は一度首を傾げた。小さく息を吸う音が聞こえる。
「……サトウでお願いします。私が来たら名乗りますので、私以外の者には名前を聞かないであげて下さい」
「何か不都合でもあるのか?」
「不都合がないから……意味を持たないから、名乗る必要がないのです」
それを言うと一礼してから、歩いていってしまった。
「……名前もいらないのか」
一時的な住まいとなった部屋の中に足を踏み入れた。一通り家の中を探索する。タンスや冷蔵庫の中、風呂もベッドも文句なしの綺麗さだ。普通だったら結構な家賃を取られてもおかしくない。
本棚に入っていた星の写真集を眺めながら時間を潰す。こんなものを手に取ったのは初めてだった。
少しうとうとしていたら、扉が叩かれた。どうやら結構な時間が経っていたようだ。何時か確認しようとしたが、時計はどこにもなかった。
「失礼します。今からお出になっても大丈夫ですか」
「うん……あんたはサトウさん?」
「……?」
「あっ……いいんだ。なんでもない。それで、どこに行くんだ?」
「僕についてきてくださいね」
よく見るとさっきの奴より小さかった。銀色の、真四角のエレベーターに乗り七階を押す。
そういえばこいつは警官服ではなく、さっき町にいた奴らと同じ、真っ黒な一枚布を上に羽織った格好をしている。
「あんたはここの人じゃないのか?」
「僕は普段交番勤務をしています。ボランティア的な感じでここの事務作業とかもしますけど、身分はほぼ他の市民さんと変わらないですねぇ。まぁ階級が高くても、貴方の世界ほどの権力はありませんが」
「ふーん……そうなの」
「今も書類の整理をしていたら、呼ばれただけですよ」
ピロンと音がしてエレベーターが止まった。
こちらですと連れてこられたのは、診察室のような所だ。色々な機械が並んでいるが、ほとんどが測定器らしい。今度は白衣を着た仮面と、ナース服を着た仮面が現れる。
「こんにちは。まずはこちらにお着替え下さい」
カーテンで遮られたところで、入院服みたいなものに着替えさせられた。
身長体重など測るのは久しぶりだ。端から順に、機械に乗っていく。
「次は視力検査ですねぇ。こちらをお持ち下さい」
その要領で次から次に測定を行い……少し疲れた頃に、今まで見たことのない機械に座らされた。
「これは?」
「お顔の型を取らせてもらいますねぇ」
「顔の型って……もしかして仮面を作る気か?」
「ええ、そうですねぇ」
「……俺もそれを被らなきゃいけないのか」
「とりあえず、取った後に考えてもよろしいのではぁ」
「……分かったよ」
「それじゃ失礼しまーす」
ぐにゅりとした透明の物を顔面に押し付けられる。気持ち良いのか悪いのか、言いようのない感覚が過ぎ横を見ると、くっきりと俺の顔の形に凹んでいた。
「はい、終わりました。お疲れ様でしたー」
「……はぁ。まだ何かある?」
「いいえ、帰って頂いて大丈夫ですよぉ」
エレベーターまでは迷う道でもなかったので、すぐにたどり着けた。他の部屋も気になったが疲れていたこともあり、真っ直ぐ帰ることにした。
家の前には、仮面が一人立っていた。
「お疲れさまです。サトウです」
「あぁ、あんたか。はぁ……あんなにデータがいるか? 足の指のサイズから、隅々まで調べられたぞ」
「ええ、何年かに一度アレがあるんですよ。オーダーメイドが作られると思って、我慢して頂けると助かります」
「オーダーメイドねぇ……顔の型も取ったけど、やっぱり仮面を作るのか?」
「そうですね。すぐに出来上がると思います」
「……他に話はあるか? ちょっと疲れたから、もう休みたいんだけど」
「はい、そうして下さい。ええと」
サトウはカバンを持ち上げて、玄関に置いた。中には色々詰められているようで、ぱんぱんに膨らんでいる。
「ここには数日分の保存の利く食品が入っているので、ぜひ利用してくださいね」
「ああ、分かった。あっ……あと俺のこともあんたにだけ教えておくよ。ケイゾウだ」
「ケイゾウ……さん」
「じゃあ、えっと……色々ありがとな」
「いえ。明日はもっとお教えする事がありますので、今夜はゆっくり休んで下さいね」
早速明日から働かされるのだろうか。でもここでなら悪くないかもしれない。そんなことを思いながら、扉を閉めた。

コンコンと軽いノック音が数回聞こえて、目を覚ました。見覚えのない爽やかな空間に一瞬ぎょっとしたが、起き上がって気づいた。ああそうか、ここは俺の家じゃないんだ。
軽く顔を洗ってから玄関に向かう。
「おはようございます。私です、サトウです」
相変わらず丁寧な奴だ。警察よりも、奉仕をメインとした仕事の方が合っているんじゃないか。
「起こしてしまいましたか? 申し訳ありません」
「いや、ちょうど良かったよ。またどっか行くのか?」
「いえ、今は新しい服を届けに来ました。良かったらこれに着替えて下さい。準備が出来ましたら、またここに来ますので」
「じゃあ朝飯食ってからでも大丈夫?」
「もちろんです。では」
サトウが持ってきた箱は三つだった。一番大きな箱には真っ黒なマント。その次のはシンプルなシャツとスラックスと靴下。そして一番しっかりとした箱には、あの仮面が入っていた。
とりあえず中に運び、マントと仮面以外を身につける。サイズがぴったりだ。昨日の今日で作ったのか、たまたま合う物があったのか。
コーヒーを啜りながら仮面を手に取った。思ったよりも軽いが軽く机を叩いてみても、壊れそうな気配はない。後ろにゴムや紐がついているのだと思ったが、そのようなものは見つからない。
「どうやってつけるんだこれ?」
スクランブルエッグを食べ終わり、マントをつけてみた。鏡に映った自分はなんとも安っぽいマジシャンのようだ。いっそのこと大道芸でも初めてやろうかと考えて、おかしくなった。
仕方なく仮面を手に持ったまま外に出ると、そこで待っていたのかと聞きたくなるような早さでサトウは現れた。
「お似合いですね」
「褒めてるのか、本当に」
「もちろんですよ」
なぜかサトウに対しては、人と関わるのが苦手な自分も不思議なぐらい心を許していた。引きつらない笑みを浮かべられたのは、何年ぶりだろうか。
「さて、今日は町の方に行きますね。ケイゾウさんの必要な物も売ってると思いますし、ここでしか物の売買はしていないので、これからの生活に必要不可欠な場所です」
「へぇ……ところでこれはどうつけるんだ?」
仮面を顔の前でチラチラと振ってみせた。サトウはにこりとしながら簡単ですよと微笑む。仮面越しなのに意外と表情が分かるものだ。ただそう見えるってだけで、俺の勘違いかもしれないけど。
「顔につけるだけです」
「はぁ? 紐も無いのに……落ちてくるに決まってるだろ」
「騙されたと思って」
仕方なく馬鹿らしいと思いながら、顔にくっつけてみた。
「あれ?」
吸い付くような感覚があって手を離すと、仮面はしっかりと顔についていた。首を振ったり試しに跳ねてみても、取れそうにない。ぴったりとしているが、息苦しさも違和感もない。もともと体の一部であったかのような自然さだ。
「凄いな……どうなってるんだこれは」
「外すときも簡単なんですよ。すぐ取れます」
しばらく仮面についての会話をあれこれ続けていると、一番初めにいた、つまり落とされた場所についた。
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