希望演舞グロリア歌劇団

膕館啻

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第五話

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「俺たち……、もしここで会ってなかったとしても、こうなれたかな」
この特殊な環境だからこそ深まった絆だとは思うが、自分もそんなことを信じてみたくなったので、曖昧に笑って誤魔化した。
「呆気なかったね……完璧って長くは続かないのかな」
「……さぁな」
「……人間である限り、無理なのかもね」
まさかとは思ったが、無い未来ではないのかもしれない。機械が機械を讃える世界。
少し怖くなって腕を回した。
「起こして」
「平気なの?」
こくりと頷いて、上半身だけ起こしてもらった。カーテンを開けると、その先にある窓からひらひらと葉が落ちるのが見えた。
将来は木が無くなるのか、木を模して葉を枯らせるのか。
マダムは素直で浅はかで、夢見がちで頑固だった。欲望に縋る姿は実に人間らしいのに、突き詰めるとそれは人では叶えられないなど皮肉なものだ。
「……逃げよう。そこから新しい生活を始めよう」
顔の痛みは無くなっていた。ゆっくり包帯を取ると少し乾燥していたが、他に違和感はない。
「――俺は、疎々乃木隆一のままか?」
自分に問いた。指先はあの頃のままだ。
「隆一か、それでリュウなんだな。俺は結構本名と変えちゃってたからなぁ」
隣に腰を下ろして、いつかのように肩に腕を回した。
「すぐに終わるのかもしれない。逆にしんどいくらい長生きするかもしんない。今までより苦しむかも……それか、なーんにも悩まないで幸せに暮らせるかもね。俺たちは脚本通りにはいかないよ。いくら優秀なお人形さんに演じさせたって終わりがくるさ」
そのまましっかりと目が合わせられる。頭の中で考えていたことや、不安が漏れていたのかと思う程、似たような考えに驚いていた。でもみんなあの場にいたら、同じようなことを一度は考えているに違いなかった。より完璧になった演者が現れてからは特に。
「じゃあ行きましょうか、楽園に」
おどけたように笑って差し出した手を握る。
内側にある自分の細胞一つ一つが、生を強調するかのように喜んでいた。愛している――今を。


「愛は人間にしか分からないと思う」

確か五作目の演目に出てきた台詞だ。驚いたのは、これを天界から来た天使に放った言葉だということ。
悪魔と契約をしてしまった彼女を献身的に支えていた彼が、天国に連れて行かれそうになった時、どんな彼女でも愛していると誓った。天使が説得しても無駄で、最終的に彼は彼女と一緒に地獄に行くことを選ぶ。
それを見ていた天使は何が正しいのか分からなくなって、天使であることを辞めた。そして人に生まれ変わった天使は、きっと愛を見つけるだろうというところで終わっていた。
慈愛とは、愛情とはなんだろう。
演じていて分からなかった。その天使を間違った方向に進まないように、口煩く注意していた役だったから尚更。
自分を好きだ、愛しているなどという手紙は山ほど来た。それはまだ自分が求められているのだと、次の作品にも出れるだろうという、自分を安心させる為の道具でしかなかった。
顔を失った今なら分かる。男の気持ちが。愛を失うことが一番怖いんだ。だからあんなに彼女に寄り添って……自分が無くならないようにしていた。
顔も髪も趣味も声も全て嘘。指が傷だらけになる程練習した楽器は、一応弾けるようになったけど。
「……捨てられたくなかったからか」
ストンと心に落ちてきた気がした。なぜかおかしくなってきて、久々に声を上げて笑った。これは本当にちゃんと笑えているのだろうか。
思えばずっと、自信なんて無かった。評判が良く褒められた舞台も、客観的に見ると自分のところだけ浮いている気がして、別の誰かでも成り立ってしまうと思った。
それでも代役に譲らなかったのは、ステージに立ち続けたのは何故なのだろう。目を閉じると幕が開いたときの歓声や、これからすごいものを見るんだ、見せるんだという期待の混じった熱気がいつでも思い出せた。そのときは確かに高揚感に包まれていて、自分の存在意義など考えずに時間が進んだ。衣装や化粧を落としてようやく、いつもの自分が帰ってくる。だとしたらステージは現実逃避か。自分を見たくないから擬態する。その偽物が感動を与える。……分からない。インタビューや家にいるときも、完全に元の自分ではない。僕はツカサではない。だからこんなことを考えるのを止めないのか?
とっくに堕ちていたのは僕の方だ。天使なんて相応しくない。
人より少しだけ早く始めたピアノで、たまたまその教室では一番うまく弾けた。みんな褒めてくれた。それだけでよかった。コンクールなんて、大会なんて知らなきゃよかった。何度も何度も失敗してその度必死に頑張るのに、みんな離れていく。露骨に嫌な感情をぶつけながら、勝手なことを言って別の子に期待を向けた。僕はその人の中でいらない存在になった。
そのときのストイックさが……ただ必死にしがみついていなきゃ生きられないという感情が、どこかに残っていた。
マダムが言っていた。貴方の才能は素晴らしい。今度は誰も知らない世界で、自分だけの音を自由に奏でなさいと。
家を飛び出した直後だったから、救われたと思った。ここで幸せが見つかるんじゃないかと。
その結果が……これか? いや結果だけ見てはいけない。確かにもうステージに立つことはできないが、今までの時間が消えるわけではない。確かに幸せを感じた瞬間もあったんだ。
でも僕の終わりが、みんなの終わりが、これでいいのだろうか。さすがにずっと続けるのは無理だと思った。世間の流行や趣味も日々進化している。それでも僕たちは劇団ではない他の方法でも協力して稼ぎながら、平和に暮らしていけるだろうと思っていた。

自分で車椅子を押しながら家に帰った。がらりとしていて、楽しそうな声はどこからも聞こえてこない。
黒く動作の遅い何かが視界の端に映る。警戒していたら、それは彼女だった。マントのフードで顔を隠し、杖をついている姿はまるで魔女のようだ。そうか、マダムも作られた体だったのか。
こちらを見ることなく、そのままふらふらと別の道へ進んでいった。ふと下を見ると、いつも綺麗だった廊下には埃が溜まっている。こんな光景を見るのは初めてだ。
そのままキッチンに入ると、ここも汚れていた。洗っていない皿が溜まり、何故か窓も半分割られている。
今この家に誰もいないのか? 少し不安になって手を動かした。腕だけで進むのは疲れも出てきたが、しょうがない。
個室の前で誰かと叫ぶ。声は返ってこない。
「……どこ行ったんだ」
もしかしてここにはマダムと自分しかいない……なんて。
背中に冷たいものが流れるのを感じてスピードを上げた。誰でもいい、お願いだ。出てきてくれ。病院に戻ればまだ数名は治療中のはずだ。先に退院した奴も、先に待っていると言っていた。
「誰も……いない、のか!」
ヤケになって次々に扉を開けても、手入れされていない部屋しか出てこない。
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