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《26》
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「月長……少し見てもいいかな」
一回り大きい手が僕の手を包み込んだ。少しずつ包帯が外される。もういちいちみんなに頼むのも申し訳なくて、適当な処理をしてきた手だ。しばらく見ていないけど、汚いに決まってる。
「ここはちゃんと消毒しておいた方がいいね。後で薬も塗っておこう……他に怪我したところはない?」
僕はじっと顔を見つめてしまった。こんなにまじまじと人の顔を見たのはいつぶりだろう。驚きのキャパシティを超えたのか、僕のネジが止まってしまったのかもしれない。
「月長……大丈夫? 痛かったら言ってね」
世界で一番優しい人は柘榴だった。でも、もしかして……。
恐ろしいことに気づいてしまいそうで、思考を止めたくなる。いや、違う。外の世界を知らないからって、柘榴を超える人がいないことぐらい分かる。でも外から来た先生はこんなに簡単に。柘榴と同じぐらい……もしかして、柘榴よりも?
「包帯だと濡れた時に不便だから、こっちのテープに変えてもいいかな」
否定したいけど、できない。さっきから柔らかくて暖かい何かが、ずっと手に触れていた。優しくて暖かい手は柘榴だけでいいのに。
「どうかな。少しは動きやすくなった?」
包帯を巻くほど大きな怪我なんかしていないこともバレたのに、態度は変わらなかった。自分の手をちゃんと確認できたのは数日ぶりだ。全部を見るのは何ヶ月かぶり。こんな汚い傷なんて見たくなかったから。
いつの間にか柘榴の名前を声に出していたらしい。先生が聞き返した。
「あっ……もしかして柘榴に手当てしてもらっていたのかな。勝手にやっちゃってごめんね」
「ち、ちが……っ柘榴は、もう……して、くれない」
どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。取り返しがつかなくなってしまった。先生の本性を確かめに来たのに、僕の方が追い詰められている。ミイラ取りが何とかって言うんだっけ。僕ってどこまでも救いようのないバカだな。
「柘榴が好きなのは……先生だから」
どうしてこんな言葉を噛まずに言えたんだろう。はっきりと伝えられたのがコレだなんて。
「え、えっと……何でそんなことを、思ったの」
入れ替わってしまったみたいに、今度は先生が詰まっていた。僅かに頰が染まっている。なんとなくだけど、気づいてしまった。腑に落ちたというか、少なくともこの人は嘘をついていないと。これがこの人の、そのままの姿なんだって。
「柘榴のこと……好きだからっ……見てれば分かる」
「……そっか」
数秒がとても長く感じた。困らせてしまったみたいだ。僕がダメな理由は、ちゃんと僕自身にあるんだろう。ただ話し下手だからとか、そういうことじゃない。これじゃあ好かれなくて当然だ。いつまでも変わらず迷惑をかけ続ける僕よりも、先生の方が比べられないほど優れている。
「でもそれは勘違いだと思うよ。柘榴はきっと私を慕ってくれているだけで……先生としてね。ほら蘭晶にもよくからかわれるし、面白がっているんだよ」
「柘榴だけじゃない……みんな、先生のこと好きみたい、だ」
僕のことなんて目に入っていないぐらい。
「月長、落ち着いて。とりあえず何か入れ直そうか、冷めちゃったしね」
困っている、でもどこか照れたような顔が、隠してきれていない笑みが、僕の脳裏に張りついた。柘榴の顔よりも濃く。
「ミルクティーは嫌いじゃないかな。砂糖も足りなかったら入れてね」
僕の前に置かれた黄色のカップは、誰かが使った物かな。他の誰かもこうして、先生に優しくされたのだろうか。そう思ったらなんだか不潔に見えてきた。今から新しいカップにしてだなんて、そんな横柄な態度を取ることもできないけど、なんだか嫌だ。その理由がじわじわと僕の心にせり上がってきて、詰まりそうになる。
呼ばれて気がついた。このままだと僕がこれを飲みたくないと、勘違いされてしまいそうだ。咄嗟に手が出た後は、もう誰が使ったかなんて問題はすっ飛んでしまっていた。この人に勘違いしてほしくない、気を使ってほしくない……違う、そんなんじゃなくて。
「ぼ、僕……好き、です。これ」
眉が下がって、口角が上がった。ほっとした顔に僕が映っている。僕は喜ばせたいんだ、この人を。
「良かった……単純かもしれないけど、月長は黄色が似合うね。髪の色だけじゃなくて、雰囲気が」
曖昧で具体性を持っていないけど、何を言われても体の中がぽかぽかした。暖かい飲み物のせいだけじゃない。しばらく幸せだったけど、他の問題が浮かんで、また体が冷えてきた。
みんなが先生を好きになっちゃったら、選ばれるのはどう考えても紅玉か柘榴のどちらかだろう。蘭晶もあるかもしれないけど、僕を選ぶ可能性は無い。僕が先生に一番近づける日は来ないんだ。じゃあ……無駄なの? この人を追いかけることは。
「あ、あの……柘榴の、ことは」
ん? と先生が聞き返す。出てしまったからには続けなければいけないと、テーブルを見つめながら口を開く。
「柘榴のこと、僕はその……お母さんとか、お姉さんみたいな、そんな感じに思ってて……凄く僕に優しくて……。だから、そういう意味の好きっていうか……」
また困らせてしまったかな。さっきは本当に柘榴が好きだと言ってしまったけど、今更そう捉えていてほしくないなんて、そんな考えは見え透いているだろうか
「……ああ、そっか。ええと、そのさっき柘榴が兄弟みたいだと言っていたけど、あれ本当は妹みたいって言ってたんだよね。月長のことを女の子だと思っているわけではないだろうけど、柘榴がお姉さんみたいだっていうのは、なんとなく納得しちゃうかな」
だから言い淀んでいたのか。そして柘榴の本音もさらりとバラされて、少し心がちくちくする。柘榴相手には慣れているような先生の態度も何だか気に障った。
僕ってこんな人間だったっけ。穏やかに流れる川のように生きていくのが理想で、争い事が嫌いだ。良い子だと思ってほしいとかそういう事ではなくて、苦い野菜とかうるさい大人とか、そんな物と並べられるタイプの苦手なものだ。僕の平和を乱すものを憎んでさえいる。僕が我慢すればどうにかなるなら、ひたすら耐えていた。それなのに……ふと柘榴がいなかったら、もし僕が柘榴だったらと思ってしまった。
そこからぶわっと理想の光景が頭に流れ込んできた。僕がもっと綺麗だったら、可愛かったらできたこと。それは当然今の僕では叶えられそうにない。
「でも柘榴の、みんなの好きは……そうじゃない。先生のことをお兄さんとか、お父さんとか、そんな風に考えてはいない。……独り占めしたいって、思ってる」
先生がそんな人間でなくても、彼らにアプローチされたらきっと……悪い気分はしないだろう。もっと僕たちが大きくなったら、境界線を超えて対等になる。足枷が外された後、走って先生の手を取るのは誰だろう。そしてそれを受け止めて抱きしめる手は、誰に回されるのだろう。
「月長……気を悪くしないで聞いてほしいんだけど。私の、自惚れや勘違いだったらごめんね。もしかして……月長は私と一緒に、出来れば他の人に邪魔されずに過ごしたいって思ってくれている?」
顔を上げた先の、先生の表情をどこかで見た気がする。それを思い出す前に、僕は熱が身体中に巡って、薄っすらと汗をかくほど熱くなっていた。恥ずかしいのと、どう答えればいいのか分からなくて、ただ先生の視線から逃げるように下を向いた。それでも気配は感じる。
「もしそう思ってくれているなら……他の人もそうなんじゃないかって見えてしまうのは分かるよ。詳しくは知らないけど、君達が色々苦労したのは聞いている。問題が完全に解決された訳じゃないけど、今は一応落ち着いてきてはいるよね。私は運が良いんだろう。もしここが普通の、生徒が何百もいる学校だったなら……君達が私のことを意識することもなかったと思う。そのぐらい……私は何もできていない。今の状態でそんな風に言ってもらえるのは、前が余程酷かったからだよね。現に私は誰にも選ばれない人間だった訳だし。君達は自分達で思っている以上に傷ついている。私を好意的に見てくれている、その分だけ傷が深いんだ。私といることで少しでも埋められるならいいけど、私は……その状態に甘えてはいけないと思っている。私が波風立てないように、君達の機嫌を取り続けることは多分可能だ。でも知らないという弱みに付け込むような真似はしたくない。月長……君ならもっと視野を広げられると思う。皆の事をいつも見守っていた君ならね。目先の事に囚われて、皆を嫌だって風には思わないで。私も、自信をもって君達の先生だと言えるように頑張るから、月長もその優しさを見失わないでほしいな。そこはとても君のいいところだと思うから」
頭の中でカチカチになっていたものが溶けていく。いつの間にか握りしめていた手を緩めて、息を吐いた。
僕が先生の立場なら、ただ安心していただろう。誰にも嫌われないって凄い事なんだけど、それを当たり前にしないのはもっと凄い。その分、ちょっとだけ拗ねたくなる。だっていつ先生が自信を持てるかなんて分からないし、この性格ならその日が来ない事ぐらい予想できる。先生はいくら努力しても、きっと満たされない。まだできるんじゃないかって理想を追い続ける。妥協しても自分が許せなくなるだけ。
僕とベースは同じだけど、先生は上に向かった。僕はもう下ってる。努力しても叶わないと分かったから。理想が身近にいすぎて、夢を見られなくなってしまった。そんなものは言い訳にもならないけど、先生はその理想の中にいる。自分では気づかないんだろうけど、先生が自分に厳しい分、先生の傷が深いことが分かる。その傷を自分で塞いだ上で、僕たち一人一人の治療に回している。
世界中のどこかには先生みたいな人もいるだろうけど、溢れているわけではないと知っている。僕たちは確かに良い人に巡り合った方が少ないけど、ちゃんと優しい人も知っている。より汚れた人を見た分、どれだけ先生が良い人なのかもちゃんと分かってる。僕が伝えても納得はしないのだろうけど。
僕が自信を持って、先生の手を取る日が来たら……言ってあげよう。それは柘榴に対してできなかったこと……僕の願いを、もう一度誓ってみようか。
その一瞬だけ、別人になれたみたいだった。柘榴や紅玉のように微笑む。僕が手当てをしてもらうのではなく、貴方を支えたい。安心して、身を委ねて……。
「僕……分かった気がします。先生のことも、みんなのことも……。あ、でも一つだけ聞いていいですか」
「……何?」
柘榴のマグカップは何色ですか?
一回り大きい手が僕の手を包み込んだ。少しずつ包帯が外される。もういちいちみんなに頼むのも申し訳なくて、適当な処理をしてきた手だ。しばらく見ていないけど、汚いに決まってる。
「ここはちゃんと消毒しておいた方がいいね。後で薬も塗っておこう……他に怪我したところはない?」
僕はじっと顔を見つめてしまった。こんなにまじまじと人の顔を見たのはいつぶりだろう。驚きのキャパシティを超えたのか、僕のネジが止まってしまったのかもしれない。
「月長……大丈夫? 痛かったら言ってね」
世界で一番優しい人は柘榴だった。でも、もしかして……。
恐ろしいことに気づいてしまいそうで、思考を止めたくなる。いや、違う。外の世界を知らないからって、柘榴を超える人がいないことぐらい分かる。でも外から来た先生はこんなに簡単に。柘榴と同じぐらい……もしかして、柘榴よりも?
「包帯だと濡れた時に不便だから、こっちのテープに変えてもいいかな」
否定したいけど、できない。さっきから柔らかくて暖かい何かが、ずっと手に触れていた。優しくて暖かい手は柘榴だけでいいのに。
「どうかな。少しは動きやすくなった?」
包帯を巻くほど大きな怪我なんかしていないこともバレたのに、態度は変わらなかった。自分の手をちゃんと確認できたのは数日ぶりだ。全部を見るのは何ヶ月かぶり。こんな汚い傷なんて見たくなかったから。
いつの間にか柘榴の名前を声に出していたらしい。先生が聞き返した。
「あっ……もしかして柘榴に手当てしてもらっていたのかな。勝手にやっちゃってごめんね」
「ち、ちが……っ柘榴は、もう……して、くれない」
どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。取り返しがつかなくなってしまった。先生の本性を確かめに来たのに、僕の方が追い詰められている。ミイラ取りが何とかって言うんだっけ。僕ってどこまでも救いようのないバカだな。
「柘榴が好きなのは……先生だから」
どうしてこんな言葉を噛まずに言えたんだろう。はっきりと伝えられたのがコレだなんて。
「え、えっと……何でそんなことを、思ったの」
入れ替わってしまったみたいに、今度は先生が詰まっていた。僅かに頰が染まっている。なんとなくだけど、気づいてしまった。腑に落ちたというか、少なくともこの人は嘘をついていないと。これがこの人の、そのままの姿なんだって。
「柘榴のこと……好きだからっ……見てれば分かる」
「……そっか」
数秒がとても長く感じた。困らせてしまったみたいだ。僕がダメな理由は、ちゃんと僕自身にあるんだろう。ただ話し下手だからとか、そういうことじゃない。これじゃあ好かれなくて当然だ。いつまでも変わらず迷惑をかけ続ける僕よりも、先生の方が比べられないほど優れている。
「でもそれは勘違いだと思うよ。柘榴はきっと私を慕ってくれているだけで……先生としてね。ほら蘭晶にもよくからかわれるし、面白がっているんだよ」
「柘榴だけじゃない……みんな、先生のこと好きみたい、だ」
僕のことなんて目に入っていないぐらい。
「月長、落ち着いて。とりあえず何か入れ直そうか、冷めちゃったしね」
困っている、でもどこか照れたような顔が、隠してきれていない笑みが、僕の脳裏に張りついた。柘榴の顔よりも濃く。
「ミルクティーは嫌いじゃないかな。砂糖も足りなかったら入れてね」
僕の前に置かれた黄色のカップは、誰かが使った物かな。他の誰かもこうして、先生に優しくされたのだろうか。そう思ったらなんだか不潔に見えてきた。今から新しいカップにしてだなんて、そんな横柄な態度を取ることもできないけど、なんだか嫌だ。その理由がじわじわと僕の心にせり上がってきて、詰まりそうになる。
呼ばれて気がついた。このままだと僕がこれを飲みたくないと、勘違いされてしまいそうだ。咄嗟に手が出た後は、もう誰が使ったかなんて問題はすっ飛んでしまっていた。この人に勘違いしてほしくない、気を使ってほしくない……違う、そんなんじゃなくて。
「ぼ、僕……好き、です。これ」
眉が下がって、口角が上がった。ほっとした顔に僕が映っている。僕は喜ばせたいんだ、この人を。
「良かった……単純かもしれないけど、月長は黄色が似合うね。髪の色だけじゃなくて、雰囲気が」
曖昧で具体性を持っていないけど、何を言われても体の中がぽかぽかした。暖かい飲み物のせいだけじゃない。しばらく幸せだったけど、他の問題が浮かんで、また体が冷えてきた。
みんなが先生を好きになっちゃったら、選ばれるのはどう考えても紅玉か柘榴のどちらかだろう。蘭晶もあるかもしれないけど、僕を選ぶ可能性は無い。僕が先生に一番近づける日は来ないんだ。じゃあ……無駄なの? この人を追いかけることは。
「あ、あの……柘榴の、ことは」
ん? と先生が聞き返す。出てしまったからには続けなければいけないと、テーブルを見つめながら口を開く。
「柘榴のこと、僕はその……お母さんとか、お姉さんみたいな、そんな感じに思ってて……凄く僕に優しくて……。だから、そういう意味の好きっていうか……」
また困らせてしまったかな。さっきは本当に柘榴が好きだと言ってしまったけど、今更そう捉えていてほしくないなんて、そんな考えは見え透いているだろうか
「……ああ、そっか。ええと、そのさっき柘榴が兄弟みたいだと言っていたけど、あれ本当は妹みたいって言ってたんだよね。月長のことを女の子だと思っているわけではないだろうけど、柘榴がお姉さんみたいだっていうのは、なんとなく納得しちゃうかな」
だから言い淀んでいたのか。そして柘榴の本音もさらりとバラされて、少し心がちくちくする。柘榴相手には慣れているような先生の態度も何だか気に障った。
僕ってこんな人間だったっけ。穏やかに流れる川のように生きていくのが理想で、争い事が嫌いだ。良い子だと思ってほしいとかそういう事ではなくて、苦い野菜とかうるさい大人とか、そんな物と並べられるタイプの苦手なものだ。僕の平和を乱すものを憎んでさえいる。僕が我慢すればどうにかなるなら、ひたすら耐えていた。それなのに……ふと柘榴がいなかったら、もし僕が柘榴だったらと思ってしまった。
そこからぶわっと理想の光景が頭に流れ込んできた。僕がもっと綺麗だったら、可愛かったらできたこと。それは当然今の僕では叶えられそうにない。
「でも柘榴の、みんなの好きは……そうじゃない。先生のことをお兄さんとか、お父さんとか、そんな風に考えてはいない。……独り占めしたいって、思ってる」
先生がそんな人間でなくても、彼らにアプローチされたらきっと……悪い気分はしないだろう。もっと僕たちが大きくなったら、境界線を超えて対等になる。足枷が外された後、走って先生の手を取るのは誰だろう。そしてそれを受け止めて抱きしめる手は、誰に回されるのだろう。
「月長……気を悪くしないで聞いてほしいんだけど。私の、自惚れや勘違いだったらごめんね。もしかして……月長は私と一緒に、出来れば他の人に邪魔されずに過ごしたいって思ってくれている?」
顔を上げた先の、先生の表情をどこかで見た気がする。それを思い出す前に、僕は熱が身体中に巡って、薄っすらと汗をかくほど熱くなっていた。恥ずかしいのと、どう答えればいいのか分からなくて、ただ先生の視線から逃げるように下を向いた。それでも気配は感じる。
「もしそう思ってくれているなら……他の人もそうなんじゃないかって見えてしまうのは分かるよ。詳しくは知らないけど、君達が色々苦労したのは聞いている。問題が完全に解決された訳じゃないけど、今は一応落ち着いてきてはいるよね。私は運が良いんだろう。もしここが普通の、生徒が何百もいる学校だったなら……君達が私のことを意識することもなかったと思う。そのぐらい……私は何もできていない。今の状態でそんな風に言ってもらえるのは、前が余程酷かったからだよね。現に私は誰にも選ばれない人間だった訳だし。君達は自分達で思っている以上に傷ついている。私を好意的に見てくれている、その分だけ傷が深いんだ。私といることで少しでも埋められるならいいけど、私は……その状態に甘えてはいけないと思っている。私が波風立てないように、君達の機嫌を取り続けることは多分可能だ。でも知らないという弱みに付け込むような真似はしたくない。月長……君ならもっと視野を広げられると思う。皆の事をいつも見守っていた君ならね。目先の事に囚われて、皆を嫌だって風には思わないで。私も、自信をもって君達の先生だと言えるように頑張るから、月長もその優しさを見失わないでほしいな。そこはとても君のいいところだと思うから」
頭の中でカチカチになっていたものが溶けていく。いつの間にか握りしめていた手を緩めて、息を吐いた。
僕が先生の立場なら、ただ安心していただろう。誰にも嫌われないって凄い事なんだけど、それを当たり前にしないのはもっと凄い。その分、ちょっとだけ拗ねたくなる。だっていつ先生が自信を持てるかなんて分からないし、この性格ならその日が来ない事ぐらい予想できる。先生はいくら努力しても、きっと満たされない。まだできるんじゃないかって理想を追い続ける。妥協しても自分が許せなくなるだけ。
僕とベースは同じだけど、先生は上に向かった。僕はもう下ってる。努力しても叶わないと分かったから。理想が身近にいすぎて、夢を見られなくなってしまった。そんなものは言い訳にもならないけど、先生はその理想の中にいる。自分では気づかないんだろうけど、先生が自分に厳しい分、先生の傷が深いことが分かる。その傷を自分で塞いだ上で、僕たち一人一人の治療に回している。
世界中のどこかには先生みたいな人もいるだろうけど、溢れているわけではないと知っている。僕たちは確かに良い人に巡り合った方が少ないけど、ちゃんと優しい人も知っている。より汚れた人を見た分、どれだけ先生が良い人なのかもちゃんと分かってる。僕が伝えても納得はしないのだろうけど。
僕が自信を持って、先生の手を取る日が来たら……言ってあげよう。それは柘榴に対してできなかったこと……僕の願いを、もう一度誓ってみようか。
その一瞬だけ、別人になれたみたいだった。柘榴や紅玉のように微笑む。僕が手当てをしてもらうのではなく、貴方を支えたい。安心して、身を委ねて……。
「僕……分かった気がします。先生のことも、みんなのことも……。あ、でも一つだけ聞いていいですか」
「……何?」
柘榴のマグカップは何色ですか?
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